STORYストーリー
舞台はとあるキャラクターコラボカフェ、『Flow Rider』。
Flow Riderのメンバーに蓮が加わったことをきっかけに、オーナーの弥勒は"新プロジェクト"を立ち上げることにした。
"新プロジェクト"とは一体…!?
個性豊かなカフェ店員たちが繰り広げる、Flow Riderの物語!

舞台はとあるキャラクターコラボカフェ、『Flow Rider』。
Flow Riderのメンバーに蓮が加わったことをきっかけに、オーナーの弥勒は"新プロジェクト"を立ち上げることにした。
"新プロジェクト"とは一体…!?
個性豊かなカフェ店員たちが繰り広げる、Flow Riderの物語!
秋葉原の一角にあるカフェ、「Flow Rider」。
ここは、さまざまな作品とのコラボ商品を展開するコラボカフェだ。
ある日オーナーの弥勒が発表したのは、”新プロジェクト”の決行。
ただの一般人であるFlow Riderのスタッフ6人が、なんとFlow Riderのアイドルに!?
果たしてプロジェクトは成功するのか?
Flow Riderの日常と奮闘を描く、どたばたストーリー!
きっと、誰もが想像できない。自分の明日のことなんて。
きっと、誰もが振り向いてしまう。自分の昨日のことを。
――ねえ、あのカフェで面白いことやってるって知ってる?
――面白いこと?
――そうそう、……
――え~? なにそれ面白い! 行ってみようよ!
“彼ら”も、この
すべての人が、どこかにたどり着く。”彼ら”にとってのその場所が、ここだった。
「じゃあ、今日もがんばろうぜ!」
「蓮~? あんまり突っ走っちゃだめだよ?」
「やっぱり、少し緊張しますね……」
「大丈夫だよ、兄ちゃん! おれがいるからな!」
「おまえら、今日も賑やかだな」
「……そろそろ開店ですからね。あまり騒がしくしないでください」
誰もが、物語を描いている。
この物語も、何者でもない”彼ら”の日々を切り取っただけの、
誰でも、ヒーローになれる――その言葉を聞いたのは、僕がまだ、子どものとき。親に連れられて行ったヒーローショーの舞台で、赤いスーツのヒーローが言っていた。子どもの僕は、その言葉を素直に信じていた。僕も、ヒーローになれるのだと。彼のように輝けるのだと。
けれど、大人になると、あの言葉は子ども騙しの言葉だったのだと気付いてしまう。この世界は、平等などではない。神さまは、優しくない。才能を授かった人と、授かれなかった人がいる。すべての人が輝けるはずなど、ないのだ。
「――雨、」
雨が、傘を打つ。僕は、雨に打たれるだけの平凡な人間だ。ヒーローとは、人々を照らす太陽のこと。太陽に焦がれ、ビニール傘越しに曇天を仰ぐ僕は、ヒーローなどではない。雨音に囁かれながら歩いていると、今まで生きてきて繰り返した挫折を思い出す。
それでも僕は、太陽になりたい。輝いてみたい。「誰でもヒーローになれる」というあの言葉は本当なのだと、子どもの僕に教えてあげたい。今の僕に言ってあげたい。
そんな夢を――諦められるほど、僕は、大人じゃない。
土砂降りの雨の中、ため息をつく青年がいた。アルバイトの面接に落ちること3度目。この派手な赤髪がよくないのだと言われる。髪色を変えるつもりはないと反論すれば、当然のように面接は失敗。仕方のないことだとはわかっているが、連続してこうなると、さすがに落ち込んでしまう。これから新しい店の面接へ向かうが、また落とされる予感をひしひしと感じているので、憂鬱になっていたのである。
青年の名は、
「……ん?」
秋葉原の町を、蓮がうなだれながら歩いていると、雨音に紛れてか細い鳴き声が聞こえてきた。はっとして蓮が振り向けば、路地の奥にダンボールが置いてある。いやな予感がして恐る恐る近づいてみれば、ダンボールの中で、仔猫がうずくまって震えていた。
「うわ、すげえ濡れてる。大丈夫か、おまえ」
この場所には屋根のようなものもないので、雨がそのまま仔猫を襲っているようだった。仔猫はそぼ濡れていて、丸まっている。
おそらく、捨て猫だろう。それを理解したとき、蓮はどうしようかと迷った。蓮の住居は賃貸なので、猫を保護するのは難しい。何もできないのであれば、関わらないことがきっと優しさになるのだろう。しかし、この状態の猫を放っておけるほど、蓮は器用ではなかった。
「これだけだけど……少しくらいは、寒さをしのげると思うから。いい人に拾われろよ」
蓮は苦肉の策として、仔猫を雨から守るように傘を置く。あまりその仔猫を見つめていても辛くなるので、あとは優しい人が仔猫を拾ってくれることを祈って、この場を去ろうとした。
「……あ、俺の分の傘がないな」
あたりまえだが、自分の傘を仔猫に譲ってしまったので、蓮は丸腰だ。ざあざあと激しい雨が体を打って、あっという間に体は雨でびしょ濡れだ。
傘を返してもらうつもりもないので、これは諦めるしかない。今日一日雨に打たれるくらいならよいだろう――そう思ったところで、ふ、と突然に雨が止む。
「――ここで傘を手放して、きみはどうするつもりだったんですか?」
「……へ?」
都合よく雨が止んだわけではない。蓮が振り向けば、パーカーをかぶった青年が、蓮に向けて傘を差し出しながら見下ろしている。
ビニール傘の上を転がる雨粒が、宝石のようにきらきらと光を帯びる。蓮が
「その辺で傘を買うつもりでした? この雨だと、コンビニに行くだけでもずぶ濡れになりますよ」
彼は、どこから見ていたのだろう。この呆れた様子だと、仔猫に傘を譲ったところから見ていたのかもしれない。
「そんなに濡れて。風邪をひきますよ。自分のことも顧みずに人……猫助け? するのは、ただの馬鹿です」
彼は蓮の行動を理解できないようだった。しかし、決して彼は悪人というわけではないだろう。
彼は、自分の体が濡れていることはどうでもよいのだろうか。蓮を傘に入れようとするあまり、自分の体を雨にさらしてしまっている。蓮のことを
「ん~、まあ、そうだけどさ」
蓮は立ち上がって、彼の手の上から傘の柄を握る。手を重ねられたからか、ぴく、と彼の手は震えた。濡れた彼の手は、冷たい。
「……なに?」
「いやあ?」
「――濡れて寒そうにしているのを見たら、傘を差しだしたくなるだろ? 俺も、同じ気持ち」
蓮は満面の笑みで、彼に言う。
笑顔を向けられた青年は、息を呑んで蓮を見つめた。表情こそはほとんど変わらなかったが、その瞳はかすかに揺れている。
青年の瞳に、光が映り込む。空に
「――……」
蓮の鮮やかな赤毛を、雨粒が伝い落ちてゆく。暗い路地の中でも、雨粒の中には光が閉じ込められていて、蓮の笑顔はきらきらと光に
「あっ、そうだ、俺、行かないと!」
「……っ」
蓮のあげた声に、青年は弾かれたように目を見開く。
蓮はこれからアルバイトの面接が控えている。あまりここでとどまっている時間はない。急いで店に向かおうと、傘の下から抜けようとした。
「――ちょっと」
「うん?」
そんな蓮を、青年が引き止める。
「……近場なら、送っていきますよ」
「え、マジ? サンキュー! いやあ、こんだけ濡れて面接行っても落とされるかな~って思ってたから、ありがたい!」
「……面接? 面接に行くのに雨に濡れて行くつもりだったんですか? とことん馬鹿ですね……」
青年は呆れ顔でもう一度蓮を傘の中に入れる。蓮はお礼を言いながら、素直に傘に入れてもらった。
「で、行き先は?」
「ああ――『Flow Rider COLLABO CAFÉ HONPO』っていう……」
「……え?」
蓮が面接先の店の名を口にすると、青年は目を丸くした。「知ってる?」と尋ねてみたが、青年はだんまりと口を閉ざしたままだ。難しそうな表情を浮かべたまま黙り込んでしまったので、とりあえず蓮は店の場所を確認すべくスマートフォンで地図を検索する。しかし、地図を表示させようとしたところで、青年は「地図はいらないです」とつぶやいた。
「その場所なら、知っていますよ。案内します」
「マジ? 何から何まで、本当にありがとな!」
「……いえ」
幸い、彼は店の場所を知っているようだ。蓮は彼の厚意に甘えて、彼にそこへ連れて行ってもらうことにしたのだった。
少し歩いたところに、その店はあった。蓮は、実際にこの店に来るのは初めてだったので、少しばかり店の外観に驚く。店には、アニメ作品の看板がいくつか掲げてあった。
蓮がこの店に応募したのは、友人の紹介があったからだった。友人がこの店で働いており、アルバイトを募集しているという情報をくれたのである。「蓮なら絶対合格すると思うよ~!」という言葉と共に紹介されたのだが、蓮はそこまでアニメに詳しくない。アニメといえば、昔から読んでいる漫画をアニメ化したものや、ヒットしているアニメ映画くらいしか知らなかったので、なぜそんな自分がこの店に向いていると言われたのかが、わからなかった。
ただ、この店が面接先であることは間違いない。また落とされるような気がしてならなかったが、ここまできて引くわけにもいかなかった。
「う~んと、ここ……で間違いないな。ここまで本当にありがとな! 助かった!」
「どういたしまして。じゃ、僕はこれから寄るところがあるので」
「あ、ちょっと待って、連絡先――……」
青年は蓮を送り届けるなり、さっさと去ってしまった。何かお礼をしたいと思った蓮は、彼の連絡先を聞こうと思ったが、彼は呼び止める蓮の声が聞こえているのかいないのか、あっという間にいなくなってしまう。
「……名前すら聞けなかったな」
蓮はがくりと肩を落としながら、改めて店に向き直る。彼とは仲良くなれるような気がしたので、このまま別れるのは惜しい気持ちがあったが、今は面接に集中しなければいけない。蓮は気合を入れ直すように自らの頬を軽く叩くと、入り口に向かう。まだ開店時間前だからか、人の気配はほとんどない。
「これ入っていいのか? 早すぎたかな……電話した方がいいか……?」
「――蓮?」
「んあ? ……華⁉」
入り口の前でうろうろとしている蓮に、声をかける者がいた。振り返れば、傘を差してこちらを見ている青年がいる。彼は――
「あ~、よかった! 店開いてないからどうしようかと思った! 俺、これから面接なんだよ」
「これからって……面接、一時とかじゃなかった? ずいぶんと早い時間に来たんだね。蓮にしては珍しい」
「……あれっ⁉ 俺、時間見間違ってた!」
「あらら。でも、早く来ちゃったのはセーフでしょ。まあ、こんなところで待っているのもあれだし、中においでよ」
華は傘をたたんで、入り口の扉を開ける。「そういえば、蓮、傘どうしたの?」と尋ねられて、「すっげーいいやつがいたんだよ」と返せば、華は不思議そうに首をかしげていた。
蓮は店の中にあるスタッフルームに案内された。店の中はまだ静かで、スタッフもほとんどいない。
「なあ、華。俺、本当にこの店の面接通ると思ってる?」
「大丈夫。俺の直感は冴えるんだよ」
「それは、確かにそうかもしれねえけど!」
着替えをする華の横で、蓮はうなだれる。
たしかに、華は昔から鋭い男だった。先読みが上手いので、何事も難なくこなしてしまう。蓮とはまるで違うタイプの男だが、だからこそ凹と凸のように相性がよかったのだろう。幼いころから大学生の今まで、ずっと一緒にいたのだった。
「そんなに緊張しなくてもいいと思うよ。ていうか蓮って緊張するタイプだったっけ?」
「さすがに3連続で落とされると、俺でもメンタルにくるんだよ。緊張だってするわ」
「へえ。意外とナイーブなところあるんだね。でも緊張ばかりしていると、受かるところも受からないよ。蓮のいいところが、隠れちゃうでしょ」
「いいところ?」
「そう、蓮のいいところ」
着替えを終えた華が、ロッカーをぱたんと閉めた。そして、にこっといつものような微笑みを向けてくる。
「蓮は、かっこいいからね。誰よりも」
特に冗談を言っているという風でもなく、華はそんなことを言ってきた。蓮は唖然として華を見つめることしかできない。
なぜなら、華にそんなことを言われる筋合いはないからだ。バレンタインにもらったチョコの数も、メールアドレスやIDを聞かれた回数も、華の圧勝。よく「あの先輩かっこいいね」と噂をされているのを知っている。そんな華が「かっこいいよ」なんて言っても、お世辞にしか聞こえないのは仕方のないことだ。
「俺のどこが――」
一体、どこが「かっこいい」というのか。それを尋ねようとしたときだ。
部屋に、ノック音が響く。中にいる人に聞かせるつもりがなさそうな、雑なノック音。間髪入れずに、扉が開く。
「あ、おはようございます」
華は部屋に入ってきた人物を見て、挨拶をした。ここのスタッフらしいと蓮は理解したが――その人物の顔を見た瞬間、「あ」と声をあげてしまう。
「さっきの――……!」
部屋に入ってきたのは、フードを被った若い青年。彼は紛れもなく、蓮をここまで送り届けてくれた、傘の青年である。驚愕の表情を浮かべている蓮とは対照的に、彼は表情一つ変えることはない。気怠そうな表情を浮かべながら扉を閉めて、のろのろと蓮の前までやってくる。
「履歴書」
「え」
「持ってきているでしょ、履歴書。ください」
「あ、はい」
言われるがままに、蓮は持ってきていた履歴書を青年に差し出す。青年は履歴書を受け取ると、見ることもなく机の上に積んであったファイルに突っ込んだ。
「まったく……履歴書もちょっと濡れてるじゃないですか。考えなしな行動はどうかと思いますよ」
「うん……っていや、そうじゃなくて! きみ、ここで働いていたんだな⁉」
「一星くん」
「……!」
突然、彼に名前を呼ばれて、蓮はどきっとする。そっちも名前を教えてよ、と言いたいが、そんなことを言い出せる雰囲気でもなかった。
青年は蓮に視線もくれない。そのまま椅子に座って、コンビニエンスストアで買ってきたらしい紙パックのミルクティーを飲み始めた。「寄るところ」とは、コンビニエンスストアのことだったのだろうか。その横顔はフードに隠れてよく見えない。
「もし、一星くんがここで働くことになったら、一星くんにしかできないことがあります。わかりますか?」
「えっ――……俺にしかできないこと? え~……俺、華みたいに立ち回りが上手いわけでもないし、頭もそこまでよくないし……」
脈絡のない質問を投げかけられ、蓮はたじろぐ。まるで面接が始まったかような雰囲気だが、一切構えていなかった蓮は、言葉を生み出すことができない。
「残り5秒」
「はっ⁉ 俺っ……俺は笑顔だけが取り柄だから、笑顔で頑張る! ……あれ、これはなんか違うか……?」
急かされて勢いで叫んだ言葉は、蓮が自分でも頭を抱えたくなるほどに単純なものだった。しかし、それを聞いた青年は、ふ、と小さく笑う。
青年はフードをとると、ようやく蓮の顔を見た。気怠そうな表情は相変わらずだが、その目は少しだけ細められていて、嬉しそうにも見える。
「はい、合格。今日からよろしくお願いします」
「えっ?」
蓮はわけがわからず、ぽかんと間抜けな表情を浮かべることしかできなかった。いきなり現れた青年が偶然顔見知りで、そんな彼から「合格」宣言をされる。状況が全く理解できない。
「待っ……きみ、何なの? 合格って……」
「僕? ああ……言ってませんでしたね。僕は、
「オーナー⁉」
青年――弥勒は、机に乗っていた制服を掴むと、それを蓮に向かって投げてきた。蓮は慌ててそれをキャッチして、弥勒と制服を交互に見つめる。
どう見ても蓮と同じ年ごろ……下手をしたら年下に見える彼は、なんとこの店のオーナーらしい。そういわれてみれば、先ほど、店の名前を出したときの反応が妙だった。たまたま拾った男が、これから自分の店に面接にくる男だと知ったということなら、あの反応は正しいだろう。
困惑している蓮の横で、華が不思議そうな表情を浮かべる。「知り合いだった?」と華が尋ねれば、弥勒が「べつに」とぶっきらぼうに返している。
「よかった、合格だね、蓮」
「あ、ああ……」
「俺の予想通りだ、オーナーなら絶対に蓮のことを気に入ると思っていたんだ」
華が蓮の背中を叩く。困惑している蓮をよそに、華は嬉しそうだ。
「ね、オーナー? 俺の言った通り、蓮はかっこいいでしょ?」
「華くん、うるさい」
華は、肩を抱くようにして蓮の体をゆさゆさと揺すった。蓮のことを弥勒に自慢しているかのような表情を浮かべている。弥勒は、そんな華の表情をやかましく思ったのか、不機嫌そうにまたそっぽを向いてしまった。
「それより華くん、今日は華くんが一星くんの指導係。
「はいはい、了解です」
弥勒はコンビニエンスストアのサンドイッチを食べながら、パソコンを開く。それ以降、彼はパソコンの作業に没頭して、二人の声に反応しなくなってしまった。
どうやら、今日から蓮はFlow Riderの一員になったようだ。まだ何もこの店のことはわからないが、制服に手を通してみれば、華や弥勒の仲間になったような気がする。
「じゃ、さっそく始めようか。今日からよろしくね、蓮」
「……おう!」
スタッフルームの扉が閉められる。そうすれば、部屋の中はしんと静まり返った。僕がキーを叩く音と、窓を叩く雨の音だけが、部屋に響いている。
「――……」
扉を見つめる。
この店で働くスタッフたちには、それぞれの輝きがある。僕はその輝きを愛しく思うし、信じているけれど、憶病な僕は、まだ一歩踏み出すことができないでいた。だって、この”プロジェクト”が失敗したら、彼らの輝きを壊してしまうような気がして。
けれど――そんな僕の憶病に、光が手を差し伸べてくれた。
きっと、誰でも持っている輝き。信じようとして、信じきれないでいたその輝きを、今なら信じられるような気がする。
「新プロジェクト、はじめますか」
雨に濡れても笑っていた彼を見ていたら、そんな気分になったのだ。
誰だって――太陽のように輝けるのだと。
蓮がFlow Riderでアルバイトを始めて、2日目。初日は見学をしていただけでほとんど終わってしまったので、今日からが本番といったところだ。慣れない仕事に悪戦苦闘しながら過ごしていた。
「華……! 悪い、助けて」
「んん? どうしたの、蓮」
キッチンで、蓮が何やら呻いている。その手元には、盛り付け途中のパフェが。
「アイスが硬くてとれねえ!」
「アイス?」
業務用のアイスクリームに、蓮はガツガツとディッシャーをぶつける。ディッシャーとは、アイスクリームをおわん型に盛り付けるための器具のことだ。本来であれば、ディッシャーでアイスクリームをすくってそのまま盛り付けられるのだが、蓮はアイスクリームが硬すぎてすくうことすらできないようだ。
「ちょっと待って、すぐ行くから」
華は蓮の手伝いをしに行きたかったが、すぐに手を離せない状況にあった。華が気を揉んでいれば、すっと蓮の側へ行った男がいる。
「おまえ、弥勒が言っていた新人か」
「えっ……はい。俺、一星です。よろしくお願いしま」
「ああ、知ってる知ってる。全部、弥勒に聞いた」
蓮が振り向くと、そこには、質朴剛健とした背の高い黒髪の男が立っていた。男は蓮の手の上からディッシャーを握ると、「こうするんだよ」と言って、アイスクリームを軽くひっかく。何度も何度もその動作を繰り返すと、あれほど硬かったアイスクリームが嘘のように軽々とディッシャーに納まった。
「一気にすくうんじゃなくて、こうやって少しずつ。こうすると、空気が入るから、いい感じの硬さのアイスになるんだ」
「へえ~、すげえ……」
無事にパフェの盛り付けが完了し、蓮はほっとして笑う。そうすれば男もにっと笑って、
「俺は
と言った。
与流――という名に、蓮は聞き覚えがあった。先日、弥勒が彼の名前を口にしていたからだ。弥勒が指導係として指名していたので、おそらく彼は弥勒から信頼されているのだろう。
「はい、よろしくお願いしますっ!」
見るからに頼れる男といった風貌の彼に、蓮は羨望の眼差しを向ける。蓮も年頃なので、こういった大人の男性には、憧れてしまうのだ。
(うお~かっけぇ~! 俺もああいう大人になりたい!)
早く仕事に慣れて、彼のようなスタッフになりたい。そんなことを思いながら、蓮は完成したパフェを持ってキッチンを出ていった。
本日も怒涛の一日を終えて、蓮は華と共にスタッフルームに戻る。閉店間際に、与流から「話があるから残ってろ」と言われたので、二人は着替えを終えてからも、帰らずに部屋で待っていた。ほかのスタッフはぱらぱらと帰っていき、スタッフルームに残ったのは蓮と華、そしてもう一人。
「一星くんは、仕事にもう慣れた?」
「う~ん……まだまだですかね。俺、接客あまり得意じゃなくて」
「そう? 元気に接客してて、よかったと思うけど……」
蓮よりも2つ年上の先輩、
九十九は帰る様子がなく、椅子に座ってぼんやりとしていた。彼も、与流に声をかけられたのだろうか。蓮が疑問に思っていれば、扉がノックされて、開く。
「あ、お疲れさまです、与流さん……と、オーナー!」
扉から現れたのは、与流と弥勒だった。弥勒が現れることを予想していなかった3人は、驚きの表情を浮かべる。
「ちゃんと帰らずに待っていましたね。感心感心」
「……これってオーナーが集めたのか?」
「そうです。話があるので」
どうやら、収集をかけたのは与流ではなく弥勒のようだ。しかし、蓮も華も、そして九十九も、この収集の理由にまったく心当たりがない。個別に呼び出されたのなら、何か文句でも言われるのだろうと考えたりもする。しかし、特に関わりが深いわけでもなく、働いている期間も異なるこのメンバーが、こうして集められる理由がわからなかった。
「まあ、なんというか。ご相談といいますか」
3人がもの問いたげにしていることを、弥勒は察したのだろう。早々に話を始める。
「新プロジェクトをおこなおうと考えています」
「……新プロジェクト?」
3人は、”新プロジェクト”の響きに、「はあ」と呑み込めないでいるような表情を浮かべる。弥勒はおかまいなしに話を続けた。
いわく、新プロジェクトはまだ企画段階とのことだった。今までにないカフェにしたいという想いがあるので、そのアイデアが欲しいらしい。
「最近、うちのようなコラボカフェや、メイド喫茶やら執事喫茶やらのコンセプトカフェが増えてきたじゃないですか。うちもこのまま、今までのようなコラボカフェを続けてもいいんですけど、ここでちょっと変わったこともしたいなあと。同じことを続けていても、つまらないですしね」
うんうん、と蓮は頷く。……頷いているだけで、話はよく理解していない。蓮はここでアルバイトを始めて2日目なので、「同じことを続けてもつまらない」と言われても呑み込めないでいたのだった。そんな蓮の横で、華は「う~ん」と唸っている。
「斬新なメニューを作る……とかそういうことではないんですよね。タピオカ屋に変えるとかそういう話ではなく。それこそ、まだ普通のカフェしかなかった時代にメイド喫茶が生まれた瞬間のような、革新的なアイデアが欲しいということでしょう?」
「そうです」
「でも……いきなり方向転換するってわけにもいきませんよね。コラボカフェとしてのノウハウを活かしつつ、何か新しいことを……って考えると、なかなかアイデアが浮かんでこないなあ……」
華が弥勒に質問を投げかける姿を、蓮は横目で見つめる。今のカフェを活かしつつ、新しいことをする。ほかのカフェがやっていないことをやる。アイデアを出そうとすると、難しくて思考が止まってしまいそうになるが、「新しいことをやる」というのは、蓮にとって魅力的に聞こえた。
「なんだか大変そうだけど……面白そうだな!」
「――……。……そうですか?」
蓮がはしゃげば、弥勒はほんの少しだけ目を細める。
「俺たちでアイデアを考えればいいんだろ? 新しいことを俺たちで作れるって、楽しそう!」
難しいことは考えていなそうな蓮の表情に、華は苦笑する。
蓮は猪突猛進なところがあって、華はそんな蓮に振り回されること少なくなかった。しかし、華はそうして流されるのが嫌いじゃない。今だって、このような前向きな言葉に、背中を押されているような心地になっている。
「……ていうか、その新プロジェクトのメンバーって、ここにいる5人? ほかのみんなは帰しちゃったけど」
「僕はあくまで裏方なので、計画を立てるときには頭数に入れないでくださいね。それから、メンバーはもう一人います。今日はシフトに入っていなかったので、後日伝えますが……」
新プロジェクトのメンバーは、ここにいる5人ともう1人。なぜこのメンバーが選ばれたのかはわからないが、素直に蓮は嬉しく思った。新プロジェクトの中心にいる、という事実にわくわくした。
しかし、そんな蓮の横で難しい顔をしている者がいる。九十九である。九十九は唇を舐めたり、指先をそわそわとさせながら、やがて、言いづらそうに口を切った。
「……オーナー? 僕はその……外してもらうことはできませんか?」
九十九はか細い声で、弥勒に声をかける。驚いた蓮が彼の横顔を見れば、彼は顔を青くして視線を下げていた。
「九十九さん。こういうのは、苦手でしたか?」
「苦手、というか……僕は、いないほうがいいと思います。せっかくの企画が、失敗してしまうかもしれませんし……」
彼は、自分に自信がないらしい。
暗い表情を浮かべる九十九に、蓮は首を傾げた。彼がどうしてそこまで自分に自信がないのか、わからなかったのだ。たしかに彼は静かな雰囲気を持っているが、顔立ちは綺麗で、透明感がある。つまるところ、女性に人気がありそうだ。服装もおしゃれで、蓮が初めて彼に会ったときには、彼のファッションを少し参考にさせてもらおうと思ったほどである。はたから見れば、憧れられる側の青年なのだ。そんな彼が、なぜそこまで自分に後ろ向きなのかがわからない。
しかし、弥勒は九十九の言葉を理解したようだった。彼の言葉を突っぱねることはない。
「九十九さんにとって負担になることを無理強いはできないので、強制はしたくないのですが……まあ、まだ期間とかも決めていませんし。ゆっくりと考えてもらえれば」
「……すみません」
九十九の瞳に、ほの暗い影が落ちる。弥勒があっさりと引いたところを見ると、何か事情があるのだろうか。蓮は九十九の様子を見ながら、そんなことを考える。
「――とりあえず、こういうことです。難しいことは僕がどうにかするので、あなたたちはとりあえずアイデアを出してもらえればいいです。あと、このことはここにいるメンバー以外には秘密で。はい、解散。お疲れさまでした」
弥勒はそう言うと、椅子に座ってパソコンを開く。彼がパソコンを開いたら、もうシャットアウトである。声をかけたところで、無視をされるだろう。これはとりあえず、この場を去った方がよさそうだと判断した蓮と華は、荷物をまとめて部屋を出ることにした。
「あ、九十九さんって、電車? 一緒に駅まで行きましょうよ!」
「……うん。あ、ちょっと弟に電話してから行くから……先に行っててもらえる?」
「はーい。ゆっくり歩いてますね!」
蓮と華が、九十九と与流、そして弥勒に挨拶をして部屋を出ていった。一番騒がしい蓮がいなくなったせいか、スタッフルームは一気に静かになる。
九十九はスマートフォンを取り出して、電話の履歴を開く。弟の名前をタップしようとしたところで――その手を止めた。
「……オーナー。どうして、僕なんですか?」
九十九は、プロジェクトのことが気になってしまったのだ。保留にしてみたものの、どうしてももやもやと心に霧がかかる。
「僕なんて……絶対に、いないほうがいいのに。僕がいたら、失敗するかもしれないのに。どうして、僕を選んだんですか?」
弥勒の手元から、キーボードを叩く音が途絶える。
「知っていますよね。僕は、”疫病神”ですよ」
ぼそ、と九十九の唇から吐き出されたのは、疫病神、という言葉。それこそが、九十九がプロジェクトの参加を渋る理由を表す言葉だった。
与流はちらりと弥勒の後ろ姿を見やる。弥勒は振り向くことなく、その表情をうかがうことはできない。弥勒は小さく吐息を
「……知りませんね。僕は、疫病神の九十九さんなんて知りません」
「オーナー……」
九十九は納得がいかないといった風に、眉尻を下げる。
九十九には、弥勒の考えていることがわからない。そもそも、九十九は自分が選ばれた理由に全く心当たりがないのだ。たしかにFlow Riderで働いている期間は長い方で、それゆえに仕事もそつなくできるが、それだけが理由ならば、ほかにも候補がいくらでもいる。なにより、弥勒は”疫病神”の話を知っているはずなので、そんな面倒な自分を選ぶメリットがわからない――九十九はそう思っていたのだ。
「九十九さんを選んだ理由……でしたね。まあ、あるにはあるのですが……それを今、僕の口から言ったところで九十九さんは納得しないと思いますし。逆に、九十九さんが探してみては?」
「……な、なんですかそれ」
「時間はあるっていったじゃないですか。まあ、今は気楽に、気まぐれにプロジェクトのことを考えてもらったりして。いやならあとから「やっぱやめます」って言ってもらえればいいですし。適当でいいですよ」
「そんなあ……」
弥勒はいつもの調子でそんなことを言って、再びキーボードを叩き始めてしまった。今度こそ、彼は何も答えてくれないだろう。九十九はがくりと肩を落とすしかない。
「……与流さん、ヒントありませんか?」
「いやあ、弥勒が言わないっていうなら、俺からも言えねえな」
「……ひどい」
与流も教えてくれる様子はなさそうだ。悪いことを考えていそうな微笑みを浮かべているだけで、九十九の懇願に応えてくれない。
「まあ、そんなに気負うなよ。弥勒は、おまえと一緒にプロジェクトを進めたいってだけだ。期待されてるとか、責任があるとか、難しいことは考えなくていい。肩から力抜いたらどうだ?」
「そう、ですね……」
九十九は諦めて、とりあえずは保留の方向で行こうと考える。弥勒の言う通り、すぐに決める必要もないのだから、彼らが諦めてくれるまで待とうと思ったのだ。
九十九は立ち上がり、「お疲れ様です」と言ってスタッフルームを出ていく。与流はそんな九十九を見送り、「じゃあな」と言って、部屋の扉を閉めた。
「……弥勒」
二人きりになった部屋で、与流が弥勒に呼びかける。弥勒は相変わらず、振り向く様子を見せない。
「教えてやればよかったんじゃないか。九十九を選んだ理由」
「……九十九さんみたいな人にとっては、重荷になるだけですよ。九十九さん自身で決断してくれてから、教えたほうがいいです」
「そういうもんか?」
「そうですよ。僕も、そういうのはわかるんです」
「……」
与流はふうとため息をついて、弥勒の傍に立つ。パソコンの画面には、売上のデータが映っていた。「へえ~、順調じゃん」と言ってみれば、「親の代の売上保ってるだけ」と返ってくる。
「おまえも、頑張ってるよ」
「……うざいんですけど」
与流が弥勒の頭をぐしゃぐしゃと撫でると、弥勒は苦虫を噛み潰したような顔をして、その手を払った。
「あ……先に行っててって言ったのに」
九十九がFlow Riderを出ると、入り口で蓮と華が待っていた。「お疲れ様です」と声をかけられて、九十九は苦笑いを返す。
Flow Riderが閉店する時間になると、周辺の店も半分ほど閉まってしまう。そのため、夜の通りは昼に比べて少しだけ静かだ。灯がともっているラーメン屋から、食欲をそそる匂いが漂ってくる。ラーメンの誘惑になんとか耐えて歩き続けると、今度は自販機の光が見えてきた。視界にちらりと炭酸ジュースが入ってきたせいか、蓮は喉の渇きを感じてしまう。「ちょっとジュース買う」と告げると、自販機にふらっと近づいていった。
華はそんな蓮の背中を眺めながら、ちら、と九十九を見つめる。
「九十九さん、オーナーが言っていた企画、参加しないんですか?」
「んー……僕には向いていないと思うんだよね」
尋ねてみれば、やはり九十九は後ろ向きな答えしか言わなかった。九十九の言葉に、華は残念そうに「そうですか……」と返す。華から見ても、九十九は頼れる先輩だったので、彼にはいてもらった方が助かる。参加したくないと言うなら無理に引き込むこともできないが、がっかりとしてしまうのも仕方のないことだ。
「なんで九十九さんって、そんなに自信ないんですか?」
次に質問を投げかけたのは、蓮だった。二人に背中を向けながらも、会話を聞いていたようだ。突っ込んだことを聞くなあ、と華は内心思ったが、それは華も気になっていたことである。
蓮がコインを投入口に入れるその後ろ姿を眺めながら、九十九は「うーん……」とぼやく。
「こんなこと言っても、二人にはあまりわからないかもしれないけれど……僕は、人によくない影響を与えてばかりで」
「なんすか、それ」
九十九は苦笑しながら、蓮に近づいていった。蓮がジュースを手に取ると、それに続くように九十九も自販機の前に立つ。気疲れをしたせいか喉が渇いていたので、水でも買おうと思ったのだ。コインを入れて、水のボタンを押す。しかし――出てきたのは、着色料がたくさん入っていそうなスポーツドリンクだった。
「あれ」
「……九十九さん、今、水のボタン押しましたよね?」
「うん……押したはずだけど……」
「入れ間違いされていたのか?」
九十九は出てきたスポーツドリンクを手に取りながら、「またか……」とつぶやく。
「よくあるんだよね、入れ間違いの自販機にあたること。今までで、10回くらいあったな」
「そんなに入れ間違いにあたることってあります⁉」
ドリンクの補充は人の手によるものなので、ミスのひとつやふたつあっても仕方がない。しかし、そのミスにあたる確率はそこまで高くないだろう。よく自販機を利用する蓮ですら、今までたったの一度も入れ間違いにあたったことはなかった。そのため、10回という回数に驚きを隠せない。
「……僕、不幸体質で」
「ふこうたいしつ」
――不幸体質。それを聞いた蓮と華が固まる。聞いたことのある言葉だが、実際にそういった人を見るのは初めてだった。こうもわかりやすい不幸体質が存在しているとは。
「違う飲み物が出てくるくらいなら可愛いものだけどね。外に出れば雨が降るし、黒猫が僕の前を横切るし。それだけじゃなくて、一緒にいた人が怪我をしそうになったり、不幸になったり……色々と、ひどくて」
九十九は深いため息をつく。どんよりとしたその雰囲気は、いかにも何かが憑いていそうで、蓮も華も思わず顔を見合わせてしまう。
「もしかして……参加を渋っているのって、その不幸体質のせい、とか?」
「……うん。僕は昔から疫病神って言われていて……そんな僕が、新プロジェクトなんかに参加したら、Flow Riderをだめにしちゃいそうで」
疫病神”という言葉を聞いた華が顔をしかめる。九十九がそんなことを言われていたと考えると、あまりいい気分にはなれない。
「疫病神なんて、そんなことないじゃないですか。べつに、今までだって、Flow Riderで何かがあったわけじゃないでしょう?」
「……たまたまだよ」
華は九十九を慰めてみるが、九十九がその言葉を聞き入れる様子はなかった。、九十九は自分を”疫病神”といって聞かない。
「そういうわけだから、僕は今回は辞退しようかなって思ってる。オーナーには悪いけどね」
「九十九さん、」
蓮は彼を引き留めたかったが、そのための言葉が出てこなかった。引き留めるためには、蓮は彼のことを知らな過ぎたのだ。
ふ、と微笑んでいる彼を見つめて、蓮は悶々とした気持ちを抱く。もっと、楽しそうに笑ってほしいなあ――そんなことを、思ってしまったのだ。
「なあ~、華。今日、泊めて」
「……今週3回目だね?」
「だって華ん家からのほうが大学近いんだもん! 明日1限から入ってるから、俺ん家からじゃ絶対遅刻する!」
「う~ん、なんか俺の家の5分の1くらいが蓮の荷物で埋め尽くされてるんだけど……」
「今日の夜、飯おごるからさ! な!」
「辛味噌黒マー油とんこつラーメン」
「お、いいな! 俺も食いたい! ばりかた!」
大学の講義が終わった蓮と華は、Flow Riderへ向かっていた。蓮がFlow Riderでアルバイトを始めてから3日目になるが、ようやくFlow Riderへ向かうのも慣れてきたところだ。
店にたどり着くと、入り口から入ってスタッフルームへ向かう。その途上では、仕事をしているスタッフとすれ違う。「お疲れ様です」とあいさつをしながら歩いていると、蓮の目にあるものが映った。
「――ご、……ご注文は以上でよろしい、でしょうか?」
少し離れたところで、接客をしているスタッフがいる。金色の髪が目立つ、若い青年。彼は髪の色や目つきから、やんちゃな印象を受けるが――客の女性を前にしているその姿は、あまりにも初々しい。顔を赤くして、噛んでしまったことを恥じらうようにはにかんでいる。
「華、あの人、俺まだ会ったことない」
「ああ……あの子は
「九十九さんの……? へえ~、うちで働いてたんだ」
九十九に弟がいるというのは、昨日の彼の話で知っていた。しかし、まさかFlow Riderで働いているとは思っていなかったので、蓮は驚く。しかも、容姿が全く似ていないので、弟だと言われても呑み込めない。
あとで挨拶をしようと考えながら、蓮は華と共にスタッフルームへ向かった。
スタッフルームには、休憩中の九十九がいた。「おはよう」と微笑みかけられたので、二人で「おはようございます」とあいさつをする。九十九の弟を見かけた、と蓮は伝えようとしたが、その前に九十九が口を開く。
「あのね、二人とも。僕、やっぱりプロジェクトに参加しようと思って」
「……! えっ! マジですか!」
思いにもよらない展開に、蓮も華も驚く。もちろん、九十九と共にプロジェクトを進めていけるのは嬉しいが、昨日の発言からあまりにも一転していたので、かえって不安に思ってしまう。彼の昨日の様子を思い出してみると、「ちょっとした心変わりで」とはいかないだろうと感じたからだ。
「……理由も、言った方がいいよね。あ……でも、話が長くなりそうだな。休憩の時間も終わっちゃうし、仕事が終わったら話してもいいかな?」
「はい、もちろん」
蓮も華も、九十九がプロジェクトに参加しようと思ったきっかけが気になる。素直に喜べる理由ならいいが――そんなことを考えた。もしも、無理をしているなら、後々彼に負担がかかってしまうだろう。
「うん、じゃあ……あとでね」
九十九は飲みかけていたペットボトルのキャップを締めて、立ち上がる。刹那――九十九は、ふっと蓮と華の視界から消えた。
「――九十九さんっ⁉」
九十九は消えたのではない。倒れ込んでしまったのである。糸が切れた操り人形のように、静かに崩れ落ちるような倒れ方をしたので、体を強打はしていない。しかし、九十九の顔は真っ青で、ただならない様子だった。
「大丈夫ですか⁉」
「……大丈夫、ただの立ちくらみだよ。僕、貧血気味で……よくあることなんだ」
「でも……肌が真っ白っていうか……いや元々だけど、それ以上に」
心配になった蓮は、九十九に肩を貸そうとしゃがみ込む。蓮の手が、九十九の腕に触れる――その、瞬間だった。
「――おいおまえ、兄ちゃんになにしてんだよ!」
「……へっ」
蓮が九十九を抱える前に、蓮が引っ張り上げられた。いきなり首根っこを掴まれるようにして立たされたので、蓮の口からは「ぐえっ」とカエルのような声がこぼれ出てしまう。
「おまえ、兄ちゃんに暴力振るったな?」
「い、いやいやいやいや、誤解誤解! 九十九さん、立ちくらみ起こしてたから、肩貸そうとしただけっていうか……兄ちゃん? って、あ……おまえ!」
突然現れて突然蓮を怒鳴りつけたのは――なんと、先ほど見かけた、初々しさ満点の青年。あの愛らしい表情はどこへ行ったのか、敵に食らいつこうとする猛犬のごとく、猛々しい顔つきで蓮を睨んでいる。
「なんかキャラ違くね⁉」
「何意味わかんねえこと言ってんだ」
「意味わかんないのそっち! 人の話を聞きましょう!」
彼は話を聞く様子はない。どこからどう見ても、彼はさきほどホールで見かけて華が紹介してくれた、九十九の弟――
蓮は喧嘩には慣れていないので、たじたじになるしかなかった。蓮は赤髪のせいもあってか不良のイメージを持たれることもあったが、少なくとも人を殴ったことはない。怒鳴ったことはあるにはあるが、昔、華を虐めていた相手に怒鳴りつけたくらいで、自分のことで他人に暴言を吐いたことはなかった。そのため、この状況にはただただ参ってしまっていたのだ。
「……百波、待って」
蓮が「やばい」と思いかけたところで、九十九が声をあげる。華が「大丈夫ですか?」と手を差し出せば、九十九はその手を取ってふらふらと立ち上がった。
「蓮くんは、立ちくらみで倒れた僕に肩を貸してくれようとしただけだよ」
「……立ちくらみ?」
「蓮くんもそう言っていたでしょ?」
「……言ってねえよ、そんなこと」
「百波は頭に血が昇ると、人の話を聞かなくなっちゃうから……悪いくせだよ?」
九十九が窘めると、百波は急激にトーンダウンした。しゅーんと勢いよくしぼんでいく様子に、蓮は思わず彼を二度見してしまう。
「え、えーと……ほら、百波くんは多分九十九さんのことを心配してくれたんだし……九十九さん、あんまり百波くんのことは怒らなくても……」
百波はおそらく、カッとなって蓮を怒鳴りつけてしまったのだろう。そう理解した蓮は、怒られている彼を不憫に思って、九十九に声をかける。しかし、蓮がトン、と軽く九十九の肩に手を乗せると――
「おい、兄ちゃんに気やすく触ッ――」
「ゆーわ」
「……うっ」
また百波は怒りだし、それを九十九が窘める。ジ……と蓮のことをうかがっている様子は、猛犬というよりはポメラニアンのようである。
「……悪かったよ」
百波はしばらく蓮を見つめていたかと思うと、ぼそ……と小さな声で謝ってきた。
変わったやつだな……と、蓮は内心思ってしまう。
「……騒がしくさせちゃってごめんね。僕は仕事に戻るから……また、あとでね。百波、ちゃんと蓮くんと仲良くしてね」
九十九は申し訳なさそうに笑うと、身支度を整えて部屋を出ていってしまった。残された三人の間には、気まずい静寂が訪れる。
「えー……と、」
蓮の顔には、苦笑いが浮かぶ。視線の先には、いつの間にやら隅っこに移動している百波が。
「俺……一星 蓮。一昨日からここに入ったんだ。よろしくな」
「……よろしく。おれ、百波」
「声ちっさ!」
九十九がいなくなった途端にちんまりと縮こまっている百波の姿に、蓮も困惑してしまう。さきほどの噛みつく勢いの威勢を思い出すと、こうしてもじもじとしている彼が別人のように思えてきてしまうのだ。蓮が思わず華に視線を送れば、「百波くん、照れ屋だから」という言葉を贈られた。そういう問題ではないのでは? と言いたかったが、蓮もここで言い合っている時間はない。
「百波、今日ラストまで?」
「……おう」
「じゃあ、今日はよろしく。ここでは、百波のほうが先輩だろ?」
「……まあ」
百波は視線を泳がせながらも、蓮の言葉に応えてくれる。蓮は苦笑しながらも、仕事の支度を始めるのだった。
その日も、無事に仕事は終了した。蓮にとっては3日目となるが、ようやく板についてきたというところである。
閉店後、スタッフルームには蓮と華、そして橘兄弟が残る。各々が身支度を整えている中、話を切り出したのは九十九だった。
「例のプロジェクトのことなんだけど……」
蓮と華は咄嗟に百波のことを見てしまう。門外不出の話だったので、百波がいるこの場所で話してもいいのだろうかと考えてしまったのだ。しかし、その心配はいらないようである。
「昨日、オーナーがもう一人いるって言ってたでしょ? そのもう一人、百波のことだったみたい。昼に店にきたオーナーが言ってた」
「……まじか」
プロジェクトメンバー最後の一人は、この猛犬ことポメラニアンの百波だという。蓮にとっては強烈なインパクトのある彼だったので、素直に驚いてしまった。
「なんだよ、おれが一緒だと嫌なのか?」
「……いや、別にそんなことは」
つんっ、と生意気なことを言っている百波を見て、蓮は苦笑いをする。彼は兄の前ではこの様子らしい。
「それで、百波が参加するなら、僕も参加しないとなって思ったんだ。……ほら、百波ってちょっと危なっかしいでしょ? 心配だなって……」
「……ちょっ、兄ちゃん! おれは兄ちゃんが心配だから参加するんだよ。兄ちゃんはおれが護ってやらないとなんだからさ。逆だろ」
蓮と華は、ちらりと横目で視線を交わす。
これは――弥勒が上手くけしかけたようだ。この二人はお互いがBrother complex――いわゆるブラコンというやつのようである。九十九が参加するなら百波は参加するし、百波が参加するなら九十九は参加する。どちらかが「参加しない」と明言したときはどうなるのか、それはわからないが、現状この二人は、お互いの存在が参加理由になっているらしい。
「九十九さんの不幸体質も、百波がいれば安心ですね! こいつ、体でっかくて強そうだし、不幸なんて吹っ飛ばしてくれるでしょ!」
「う~ん……そうかなあ……」
「あれ、やっぱり不安ですか?」
九十九はプロジェクトに参加する決心はしているようだが、やはり不幸体質のことは気になっているらしい。話題にあげてみれば、暗い表情を浮かべてしまう。
「兄ちゃん、こいつの言う通りだよ。俺がいれば大丈夫だって」
「はは……ありがとう、百波」
不幸体質と言葉にしてみれば軽いものだが、九十九にとっては幼い頃から抱えてきた深い深いコンプレックスだ。それを、たった一晩で解消できるわけがない。九十九は百波の言葉にも、空返事しか返さない。
しかし、蓮は少しだけ安心した。彼は、まだ弱気になってしまっているが、一緒にいられるのなら手助けすることだってできる。なにより、九十九と一緒に仕事ができるのが嬉しい。もちろん、百波という新しい仲間とも。
蓮はついっと百波の側にいって、ガッと彼の肩を抱く。
「でも、ラッキーだぜ。オーナーが俺をメンバーにいれてくれてさ! 二人と仕事できるの、楽しみだ!」
「は……放せっ……!」
「百波、お兄ちゃんをちゃんと支えてやれよ!」
「言われなくたって……!」
そんな二人のやりとりを、九十九が見つめている。呆けたような顔をしているので、華が「どうしましたか?」と尋ねてみた。
「……いや、……僕と仕事ができるのを、ラッキーって言われたのは……初めてっていうか」
「……、」
ぼそ、と零れた言葉に、華がふっと笑う。
――ああ、蓮の何気ない言葉が、彼は嬉しかったのだろう。
そんなことを思って、華は百波とじゃれている蓮を眺めた。
「……みんな言わないだけで、思っていますよ。ここにいるみんなは、九十九さんとの出会いを幸福だと感じていますから」
「……、」
ぱち、と九十九の瞳が瞬く。睫毛がかすかに揺れる。
――疫病神。
それを初めて言われたのは、子どもの頃。意味がわからなくて調べたら、人に不幸をもたらす嫌われ者という意味だった。ずっと、その言葉を言われ続けていたような気がする。避けられていたような気がする。実際のところはどうだったのか……それは、わからない。思い込みだったのかもしれない。けれど、その言葉は呪いのようで、ずっとずっと、九十九を縛り付けていた。側にいてくれたのは、家族だけだった。九十九の世界には、家族しかいなかった。
だから、ラッキーとか、幸福とか、そういった言葉を九十九は知らなかった。少なくとも、自分の周りにはなかったのだから。しかし、もしかしたら……目に見えないところに、幸せは光り散っていたのかもしれない。今まで、気付かなかっただけで。
そんなことを、蓮と華の言葉で、気付く。
「華く、」
「――お疲れ様です。まだ残っていたんですね」
九十九が口を開こうとした瞬間、部屋の扉が開く。突然のことに驚いた4人が扉へ視線を向ければ、そこには弥勒が立っていた。
「オーナー……どうしたんですか」
「べつに。忘れ物を取りに来ただけですけど」
華が声をかければ、弥勒は不愛想に返事をして、すたすたと部屋の中に入っていく。そして、机の上に乗っているファイルを手に取って、「あった」とつぶやくと、そのまま部屋から出ていこうとした。本当に、忘れ物を取りに来ただけのようだ。
「……オーナー!」
弥勒を引き留めたのは、九十九だった。「はい。どうかしましたか?」と弥勒は振り向いて、九十九を見つめる。
「……僕、プロジェクトに参加します」
「そうですか、よかったです。やっぱり、百波くんがいたほうがよかったですよね」
弥勒は九十九の言葉を聞いても、驚いた様子はなかった。やはり、わかっていたのだろう。百波が参加するなら、九十九も参加するのだろうと。表情を変えることなく、淡々と返事をしている。
しかし――
「それもあるんですけど……」
九十九は言葉を続ける。ちら、と華を見やり、続いて、百波と蓮を眺め。
そして、はにかんだように笑った。
「……少し、楽しそうだなって思ったから」
「……、」
――今度は弥勒の表情に変化が訪れた。……とは言っても、かすかに瞳が揺れただけだったが。弥勒は、どこか眩しそうに九十九の笑顔を見つめている。
弥勒はまた、「そうですか」とつぶやく。先ほどの声色よりも、ほんの少しだけ温かい。
「――じゃあ、メンバーがそろいましたね」
その日から、本格的にプロジェクトは始動した。蓮、華、九十九、百波、与流、そして弥勒の6人による、新しい物語が始まろうとしていたのである。
弥勒からプロジェクトの決行を言い渡されてから数日、蓮と華はいつものように大学に行っていた。
Flow Riderではカフェ店員となる二人だが、店からひとたび出れば普通の学生となる。プロジェクトという言葉の実感も湧かないままに、のんびりと講義を受けて、のんびりと昼休憩をとっていた。
「蓮、次の連休どうするの?」
「連休? ああ~、千葉に帰っかな~と思ってるけど」
「そうなんだ? 誰かと会うの?」
「いや? 特に予定は決めてないっていうか。うーん、誰か空いてるやついるかな」
蓮はスマートフォンをいじりながら、おにぎりをかじっている。華はそんな彼を横目で見ながら、「ふうん……」とぼやいた。
「俺も帰ろうかな」
「お! じゃあ誰か誘って飲みでもしようぜ!」
「そうだね。あ~、そうだ、蓮と一緒に千葉に戻ったら、行きたい場所があったんだ」
「行きたい場所?」
蓮が顔を上げて、華に視線を送る。そうすれば、華はにこっと笑って、蓮にスマートフォンを見せてきた。その画面には、おどろおどろしい写真が映っている。
「……え?」
「心霊スポット。俺たち、もう車も運転できるじゃん? 簡単にこういうところにも行け――」
「行かねえよ⁉ 誰が行くか! ぜってぇヤダ!」
写真は、その地域では有名な心霊スポットの写真だった。蓮は写真の正体を知った瞬間、ズサッとスライドして隣の席に移り、華から距離をとる。
蓮は、心霊系の話がとにかく苦手だ。理由という理由はない。子どものころに観たホラー映画があまりにも恐ろしかったので、それがトラウマになっているのかもしれない。
しかし、そうして心霊系の話を拒む蓮に相反して、華は心霊系の話が大好きだ。蓮と華が、唯一相性が合わない点といえば、この点と言えるだろう。
「ええ~、どうしてもダメ?」
「他の人と行け、俺はイヤだ!」
「他の人と行ってもなあ……蓮がびびってくっついてくるのが面白いのに」
「悪趣味か?」
蓮が断れば、華は実にわざとらしい、残念そうな表情を浮かべた。
「冗談冗談。飲みに行こうよ。高校の友達でも誘ってさ」
「そうだな! ……っていうか、本当に冗談だろうな? 俺、マジで心霊スポットには行かないからな⁉」
蓮がぴるぴると警戒すれば、華がふっと笑う。
華にとって、蓮は昔からの親友だ。こうしてコロコロと表情を変える蓮を見ているだけでも、楽しいと感じていた。
その日、蓮は夕方まで講義があった。そのため、一足早く講義が終わった華が先にFlow Riderに到着する。
スタッフルームへ入れば、中では弥勒が一人で仕事をしていた。ほかのスタッフは、キッチンやフロアに出ているようだ。
「おはようございます、オーナー」
「おはようございま~す」
華は荷物をロッカーに入れて、制服に着替える。ちらりと時計を見やれば、まだ少し時間に余裕があった。
仕事が始まるまでいたずらに時を過ごしてもいいのだが、視界に弥勒が入ると、足が彼に向いていた。弥勒はパソコンで事務処理をしているようで、華のことは全く気に留めていない。
華は静かに弥勒に近づいてゆく。彼の背後に立つと、するりと弥勒の肩に手を這わせた。
「――み・ろ・く・くん!」
「ひぁッ⁉」
ぎゅ、とツボ押しをしてやると、弥勒は甲走った声をあげてしまう。ゾワゾワと生ぬるい電流が首回りを這いずる気持ち悪さに、耐えられなかったのだろう。勢いよく振り向いて、きっと華を睨みあげる。
「ちょっと、華くん! 驚かせないでください!」
「ごめんごめん、こんなに驚くなんて思わなくて」
弥勒は恥ずかしそうに顔を赤くしている。珍しい表情だ。華は思わぬ収穫にくすくすと笑いながら、弥勒の隣に座る。悪びれる様子もない華に、弥勒は不服そうな表情を浮かべていた。
「……なんですか、暇そうですね」
「暇~。まだ時間あるし」
「はあ……だからって僕にだる絡みしないでくださいよ。一応僕は仕事中で、」
「ええ~? いいじゃん。それよりさ、弥勒くん。弥勒くんは蓮のこと、どう思う?」
「一星くん?」
弥勒の片眉がぴくりと上がる。彼が「弥勒くん」と呼んでくるときのパターンは大体わかっていた。
「え~……一星くん、……一星くんですね」
弥勒はため息をついて、チラッと壁に貼ってあるシフト表を見る。
蓮がFlow Riderに来てから、二週間ほど。それなりにシフトに入ってもらって、彼も仕事がそこそこできるようになってきた。
「まあ……悪くないと思いますよ。目立ったミスもないし、スタッフたちとの関係も良好……いいんじゃないですか?」
弥勒は当たり障りのない蓮の評価を述べる。しかし、華が求めているのは、そういった言葉ではないと、内心わかっていた。
「……やっぱり? やっぱりそうだよね。蓮はすごいんだよ」
「そうですね、すごいんじゃないですか」
「だよね! ねえ、弥勒くん。蓮、かっこいいでしょ?」
「……始まりましたね」
“気配”を感じた弥勒が構える。
華は、蓮のことを語りだすと止まらなくなる。いつも、彼はこうなのだ。自慢の幼馴染の話を弥勒に語り聞かせることが大好きで、それはもうマシンガンの如く、次々と蓮をほめたたえる言葉がその口から溢れ出てくる。
ただ、さすがにこのような話を所構わずするわけにもいかないと、華自身も理解しているのだろう。この話は弥勒にしかしていないようだ。
ではなぜ、華がこんな話を弥勒にだけするのかというと、弥勒が華のことをある程度理解しているからである。
そんなこともあり、華は蓮の話――つまりはプライベートの話をするときは、親しみを込めて、弥勒を「弥勒くん」と呼ぶのだ。
「昨日、蓮が俺の家に泊ったんだけど、相変わらず、ずっとゲームをしていてね、昨日はソシャゲ? をやっていたのかな、それで新キャラのガチャが始まったとか言って、俺に『触媒用意して』とか言ってきてさ、俺、蓮が何言ってるのかわからなかったけど、その新キャラの好物がシュークリームだからシュークリームを用意すれば当たるみたいなこと言ってて……願掛けってやつ? 俺の家にシュークリームなんてあるわけないからさ、俺、コンビニで急いで買ってきてあげたんだよ、そうしたら蓮、一発でそのキャラクター当てたみたいで、俺、蓮が何をやってるのか正直全く理解できなかったけど、やっぱり蓮ってすごいなって思って、」
「へえ、一星くんは運がいいんですね」
「そう! 運と言えば、蓮の運と言えば……! 俺たちが小学生のころ、町内会の集まりでじゃんけん大会をやったんだ、そのときの景品が、俺が欲しかったもので……えーと、なんだっけ、ああ、そう、腕時計だったかな、子どもがつけるようなプラスチックのやつね、蓮が俺の代わりに景品とってやるっていって、本当にじゃんけん大会を優勝したんだ、参加者20人以上いたのにだよ、すごくない? そのときの蓮は本当にかっこよくて……」
「そうなんですね、すごいじゃないですか」
饒舌に蓮のことを語る華に、弥勒は相槌を打ってやる。
弥勒は蓮とは出会ってまだ二週間なので、そこまで彼のことを知らない。出会った瞬間のことは今でも鮮明に覚えているが、彼の人となりについては、ほぼ無知と言ってもよい。
ゆえに、華の言っていることはほとんどわからない。
「相変わらず、華くんのヒーローはかっこよくてよかったじゃないですか」
「でしょ? 俺のヒーローはかっこいいんだよ。だから、弥勒くんも気に入ってくれるかなって思ったんだ」
「はあ……まあ、なるほど」
しかし、共感だけはできていた。
弥勒も、彼の気持ちはわかるのだ。かっこいいと感じた人に憧れる気持ちも、それを誰かに語り聞かせたいと思う気持ちも。ただ、弥勒はあまりその気持ちを口にするタイプではないので、彼のようにたくさんの言葉を紡ぐことはできない。
「何より、弥勒くんは蓮の赤髪が気に入ると思ったんだよね。戦隊モノと言えば赤! でしょ?」
「べっ……べつに、髪色だけで選んだわけじゃないですから! いや、一星くんが髪を染めた経緯は、まあ……その、……華くんがかっこいいって言う気持ちもわからないこともないですけど……っていうか、戦隊モノとか大きな声で言わないでください! 聞かれたらどうするんですか……!」
「大丈夫大丈夫、周りに人いないし。あ、蓮の髪の話、聞く?」
「いや、もうその話は100万回聞いてるので結構です」
「ええ~?」
二人が話しているうちに、華の始業時間が迫っていた。華は話し足りなそうな、物足りなそうな表情を浮かべながらも、仕事の支度を始める。
「あ、ていうか、オーナー。ちょっと気になっていたんですけど……プロジェクトのメンバーって、何を基準に選んだんですか? 顔面?」
「違います」
「即答」
「……ああ、それも言った方がいいですかね。今日はこれから5人揃うので、店を締めたらみんなに教えます」
「はいはい、りょーかい」
制服を整えた華は、いつものひょうひょうとした調子で弥勒に声をかける。そのまま華がスタッフルームを出ていけば、弥勒はやれやれとパソコンに向き直った。
本日の営業時間が終了し、スタッフも帰宅を始める。残るようにと声をかけられていたプロジェクトのメンバーは、スタッフルームに集まっていた。
「オーナー、さっき言ってた話?」
口を切ったのは、華だった。プロジェクトメンバーの選定理由を教える、という話を、弥勒から聞いていたからだ。弥勒は「そうですね」とつぶやく。
「たぶん、気になっている人もいると思うので、話しておこうかなと。みなさんを、このプロジェクトに選んだ理由についてです」
「……ああ、それ……教えてくれるんですか」
以前、尋ねても教えてもらえなかった九十九が、真っ先に反応する。聞きたいような、聞きたくないような、複雑そうな表情を浮かべながら。
「まあ、これを見てください」
弥勒が机の上に乗っていた小箱を、九十九に手渡す。九十九は頭上にはてなマークを浮かべながら箱を開けた。そして、中に入っていたものを見て、さらにはてなマークの数を増やしてしまう。
「えーと、これは……」
箱に入っていたのは、メッセージカードである。Flow Riderに来店した客が、自由に書き込むことができるものだ。その時々にコラボしている作品への愛が書き込まれることが多い。
しかし、箱に入っているカードをよく見てみると、いつものカードとは様子が違っている。
「カードのほとんどは、キャラクターや作品へのメッセージが書き込まれていますが……そこには、そうではないものを集めました。具体的に言うと、きみたちへのメッセージです」
「……僕たち?」
「ここにいるメンバーは、”ファン”がいるメンバーってことですね」
「ファン⁉」
驚いたのは九十九だけではない。蓮と華、百波も驚愕の表情を浮かべている。与流だけはすでに知っていたのか、そうして驚いているメンバーを見て、愉快そうに笑っていた。
「え、ええ……ファンなんて、たかがスタッフにすぎない僕たちに……って、あ……百波宛てのメッセージがある」
「えっ、おれ⁉」
九十九は信じられないといった様子だが、事実、カードにはここにいるメンバーへのメッセージが書いてある。その中に、百波にあてたものと予想されるメッセージがあったので、九十九はそれを手に取ってみた。
「読んであげるね。えーと……金髪の店員さんが……顔を赤くしながら一生懸命に接客してくれていたのが、とても可愛」
「どぅあー⁉⁉⁉」
「わあびっくりした」
九十九がメッセージを読み上げると、百波が目を白黒とさせながら声を上げた。そして、疾風の如く、シュバッとカードを九十九から取り上げてしまう。
九十九が目を丸くしていれば、百波は顔をひきつらせながら言う。
「おっ……おれは接客するときに緊張したりしねえぞ! 一生懸命でもない、余裕だ!」
兄に不甲斐ない姿を見せたくない、その気持ちで突っ走る百波にとって、そのメッセージカードは密告状のようなものである。百波は大慌てで、誤魔化すのだった。
――とは言っても、ここにいる全員が、百波の本来の性格を知っている。百波を囲む5人は、にっこり……とほほえましく百波のことを見守っていた。
「お、おまえら! あったかい目をおれに向けてんじゃねえぞ!」
「はい、それでは仕切り直しで。ここにいる5人を選んだ理由ですね。きみたちには、ファンがいます。なので、きみたちが主体となったプロジェクトも、上手くやれるんじゃないかと……そういうことです」
百波が九十九に背を向けながら、奪い取ったメッセージカードを眺めて、へへ……と笑っている。一同は、そんな百波を見て見ないふりをしながら、話し合いを進めていた。
「主体って言ってもねえ……ますますメイド喫茶的なものをイメージしちゃうな。いっそキャラのコスプレでもしちゃう?」
「コスプレ⁉ 俺、コスプレしたことないけど大丈夫⁉」
「……うーん、蓮はコスプレだめそうだね……キャラになりきれないような……」
「俺もそう思うぜ!」
スタッフが主体になるプロジェクト、というと何があるだろうか。
メイド、執事、和装、軍服……6人は色々と意見を出してみるが、どれも目新しさがない。そもそも今の内装を大きく変えることができないので、ただスタッフがコスプレをしたところで雰囲気を出し切れないだろう。
アイデアが頭打ちになったころ、蓮が「あ!」と声をあげる。
「いっそ、俺たちがそのままキャラクターとしてコラボカフェやっちゃえば? ファンがいるみたいだし、できないこともないだろ? 華なら、『華のおすすめ☆きさらぎ駅の駅弁』みたいな!」
「……蓮、この前、俺がきさらぎ駅の話をしたこと根に持ってる? っていうか、俺たちのコラボカフェ?」
蓮がアイデアとして挙げたのは、「自分たちのコラボカフェ」というものだった。華も九十九も百波も与流も、このアイデアにはびっくりだ。
「ぼ、僕たちのコラボカフェ……? さすがにちょっと恥ずかしいっていうか……」
「へえ、なるほど。ちょっとばかしこっ恥ずかしい気はするが、物珍しさはあるな。上手く宣伝すれば、話題にはなるんじゃねえか?」
「ええ……与流さん、意外と乗り気……?」
蓮の意見は賛否両論だった。自分たちを売り出すような……言ってしまえば、アイドルに近いことをするというアイデアである。抵抗感を抱いてしまうメンバーがいるのも、仕方がない。
ただ、プロジェクトコンセプトである『今までにないカフェ』というものに、今までの意見の中では唯一当てはまる。メンバーが意見を交わしていれば、ようやく弥勒が口を開く。
「――うん、じゃあ、一星くんの意見を採用で」
弥勒が、蓮の意見に賛同した。これはもう、このアイデアでほぼ決定確実だ。与流と華は、「オーナーが言うなら」といった調子で、このアイデアに同意を示す。動揺を見せたのは、橘兄弟である。
「ま、待ってください、オーナー……! 与流さんとか華くんとか、蓮くんとか……百波も、……みんなならわかりますけど……僕はちょっと……」
「兄ちゃんなら大丈夫だろ、でも、おれは……」
目立つことが苦手な二人は、このアイデアには乗れないようである。弥勒にも反論の言葉を投げかけた。しかし、弥勒は二人の言葉に動じる様子を見せない。
「いや、いいと思います、一星くんのアイデア。こういうアイデアを待っていました。きみたちの個性を十分に活かせますからね」
「えぇ……で、でも、僕の個性なんて……」
「べつに、みんながみんな、一星くんみたいに暴虎馮河である必要はありませんよ。九十九さんや百波くんの個性も、魅力があるんじゃないですか」
「個性って……」
突然名前を上げられた蓮は、華にこそっと「ぼうこひょうがって何?」と尋ねた。「向こう見ずな馬鹿ってことだよ」と返されたので、「おい!」と思わず突っ込んでしまう。弥勒はそんな蓮に、視線ひとつ送らない。
「九十九さんは優しくて、柔らかに接客してくれているところが素敵だと思いますし。百波くんも一生懸命にがんばっているので、見ていると応援したくなりますし。自分で悪いところもあるって思っているかもしれませんけど、そこだって個性ですから。個性あってこその、輝きってものです」
「なっ……」
急に褒められた橘兄弟は、恥ずかしくなったのか、二人で赤面してうつむき、黙り込んでしまった。そこから自分を卑下する言葉は出てこなくなったので、もう反対するつもりはないらしい。
「では、プロジェクトの方針は決定で。きみたちのコラボカフェを作っていきましょう」
なんとか意見がまとまり、プロジェクトの方針が決定する。話し合いも終わりという雰囲気が出てきたところで、華が「ねえねえ」と弥勒に声をかけた。
「オーナー、俺も褒めてよ」
「はあ?」
華は、弥勒に褒められた九十九と百波が羨ましかったようだ。
ただ、弥勒は、華が子どものように純粋に「羨ましい」を感じているわけではないと、なんとなく察していた。奴は、ただただ弥勒に褒めさせたいだけなのだ。
弥勒は面倒に思って、はあー、とため息をつく。
「……えーと、じゃあ……」
「わかった、顔!」
「華くんは周りをよく見ていますね。気配りも上手なので、一緒にいて楽です。たまに腹立ちますけど」
「冗談スルーされた上に、ディスり入ってるんだけど……」
弥勒があきれ顔で華に返事をしてやると、今度は与流がガッと弥勒の肩を抱く。弥勒がいやな予感がして視線を与流に送れば、与流はニッと弥勒に悪い笑顔を向けた。
「弥勒、俺は?」
「……、」
弥勒は苦々しい表情を浮かべる。指の背でペチンと与流の頬を軽く叩き、「いつも頼りにしてます」と雑に言い放った。
「はい! オーナー! 俺も褒めて!」
今度は蓮が声をあげた。挙手をしながら、元気いっぱいだ。しかし、弥勒は蓮を見つめると、ム……と何とも言えない表情を浮かべてしまう。
「……きみは……言うと調子に乗りそうだから、言いません」
「なんで⁉」
「ま、きみはいつもみたいに笑っていればいいんですよ。もう、いいでしょう。プロジェクトの方針も決まったし、今日のところは、これで解散ってことで」
「俺の対応雑!」
騒ぎ出したメンバーを、弥勒はぞんざいにあしらうと、あっさりと話し合いを閉じてしまった。一同が時計を見てみれば、すでに日が変わりそうになっている。
「では、これからは詳しいことを決めていきます。実際に何をするのか、計画をたてていきましょう。今日はもう遅いので、また明日から。はい、お疲れ様でした」
「お疲れ様でーす」
メンバーが散り散りに帰っていく。どこかに食事をしにいこうか、などと話しながら部屋を出ていくメンバーを、弥勒は見送るのだった。
Flow Riderを出て、すぐのこと。帰る前に秋葉原のラーメン屋にでも寄っていこうと、蓮と華は秋葉原の街をふらふらとしていた。
たまにはいつもは行かないような店に行こうと考えた蓮は、ラーメン屋を検索しようと、スマートフォンを取り出すべくポケットに手を突っ込む。
「……あれっ」
「どうかした?」
しかし、ポケットには何も入っていない。慌ててすべてのポケット、鞄の中を探ってみたが、スマートフォンはどこにも入っていなかった。
「やっべ、店にスマホ忘れてきたかも」
「あらら、おっちょこちょいだね」
「戻っていい?」
「うん。鍵、今日はオーナーが持ってるから、早くいかないと店閉まっちゃうよ。急がないと」
「まじか、ちょっと走る! 華はゆっくり来ていいから!」
「あ……、うん」
焦った蓮は、走ってFlow Riderに向かう。あっという間に背中が小さくなってしまった蓮を、華は苦笑しながら見つめていた。
息を切らした蓮がFlow Riderにたどり着くと、まだ店は施錠されていなかった。暗くはなっているが、完全には電気が落とされていないところを見ると、まだ弥勒が残っているのだろう。蓮はほっと安堵の息をついて、店の中に入っていく。
スタッフルームの扉から、灯りが漏れている。念のためノックをしてみるが、中からは返事がない。静かに扉を開けてみれば、予想通り、弥勒が机に向かって作業をしている。
「……どうしたんですか?」
「忘れ物しちゃって」
「相変わらず、そそっかしいですね」
「いやあ……はは、」
蓮はそそくさとロッカーに向かっていき、扉を開けた。やはり、スマートフォンはここに忘れたようだった。ロッカーの中には、スマートフォンがぽんと置いてある。
「よかったあ……」
蓮はスマートフォンを手に取って、ポケットに入れる。すぐにスタッフルームを出ようと思ったが、ふと、弥勒の姿を見た瞬間に、彼に訊きたいことがあるのを思い出した。
「……あのさ、オーナー」
「?」
弥勒は、声をかけられると思っていなかったのか、少しばかり驚いた様子で振り向いた。丸い目が、さらに丸くなっている。
「なんで、俺のことをプロジェクトに選んだんだ?」
「……それは、さっき言ったはずですけど。聞いていませんでしたか?」
「ああ、ファンがいる人、だろ? でも……あのメッセージカードの中に、俺宛てのものはなかったからさ」
「……!」
蓮が気になっていたこと――それは、弥勒が蓮をプロジェクトのメンバーに選んだ理由である。
さきほど、弥勒は「ファンを抱えている人」をメンバーに選んだと言っていたが、蓮には、ほかのメンバーのようにメッセージは来ていない。それもそのはず、蓮はFlow Riderに入ってからまだ二週間だ。ほかのスタッフに比べればたどたどしい接客になっていることは否めない。
弥勒の言った選定条件に、自分は当てはまらない――蓮はそう考えていたのである。
弥勒は蓮の言葉を聞くと、あからさまに動揺を見せた。顔を引きつらせて、キーボードを叩いていた手をぴたりと止めてしまう。
「……ファンのすべてが、あのカードを送ってくれるとは限らないでしょう」
「ん~? じゃあ……直接、聞いたとか? でも……オーナーもたまに接客してるっぽいけど、俺とオーナーの接客のタイミング被ったことなくね? 俺の噂話されていたとしても、オーナーがそれを聞ける機会なかったような……」
「……ッ、妙に鋭いのがうざいですね……言っておきますけど、僕は別に嘘はついていませんので」
「ファンがいるのは本当ってことか?」
「……」
すい、と弥勒が顔を逸らす。
蓮は”ファン”と聞いてさまざまな人物を頭に思い浮かべてみたが、特にそれらしい人物に心当たりはない。華のように、登場の瞬間に女子が色めき立つようなわかりやすさがあるならまだしも、蓮にはそうして持て囃された経験はない。
うんうんと考えて、結局答えは見つけられなかった。考えても無駄そうだな、と思った蓮は、最後に、冗談のつもりで一言、言い放つ。
「わかったぜ、俺のファン。オーナーだろ?」
「!」
その瞬間、机からばさばさと書類が落ちてしまった。弥勒の肘が当たったようだ。弥勒は「あっ」とひっくり返ったような声をあげたかと思うと、ガクリと脱力したようにうなだれる。床に散らばる書類を眺めながら、弥勒は大きくため息をついた。
「あ、悪い、普通に冗談だから……」
蓮が慌てて弥勒のもとに駆け寄って、書類をかき集める。量は少なかったので、それほど大変ではなかった。集めた書類の束を、膝にとんとんと叩いて揃え、蓮は顔を上げる。
「……えーと、オーナー?」
視線を上げた先の弥勒の表情に、蓮は思わず息を呑む。その表情は、不可解だった。
弥勒は、苛々としているようだった。眉間と唇に少しばかり力がこもっている。しかし、その顔は赤く、怒っているという様子でもない。
「……まったく、一星くんは、」
「え、」
蓮がわけもわからずたじろぐと、弥勒は蓮から書類を奪い取る。そして、べし! と書類を机に叩きつけた。
「ああ、そうですよ、悪いですか、ファンだったら悪いですか……あのときのきみが、ちょっとヒーローっぽかったとか、そう思ったら悪いですか!」
「へっ、あ、あのとき……? あれっ、俺、冗談のつもりで、」
「冗談? 冗談で僕がこんなバカみたいなこと、言うとでも?」
「いや違う、そうじゃなくて、悪い、誤解!」
弥勒の勢いに、蓮はたじたじになるしかない。
「あのとき」と言われても、蓮はすぐに何のことだかわからなかったが――ふと思い返してみれば、彼と出会った日のことだろうか、と気付く。
雨の日の、秋葉原。一つの傘の下で、会話を交わしていた。
むしろ、傘に入れてくれたそっちのほうがヒーローみたいだったよ、そんなことを思う。声をかけられて振り向いたときに、彼が差すビニール傘の上を、雨粒がきらきらと転がっていたのをよく覚えている。しかし、そんなことを言える雰囲気ではなさそうだ。
「こんなこと言うつもりなかったのに、きみは、どんだけ空気読めないんですか!」
「わ、悪い! ごめんって!」
「言ッ――ておきますけど、僕はこの店のスタッフ全員のファンであって、きみだけのファンではないので、勘違いしないように! きみを特別扱いするつもりは、これっぽっちもないですからね!」
「は、はい、すみません!」
「ただ……!」
弥勒はぜえぜえと息を切らして、じ、と蓮を睨んでいる。蓮はここまで感情を昂らせた弥勒のことを初めて見たので、ただただ驚いてしまった。
弥勒の視線が揺らぐ。はあ、と大きく息をつくと、ふ、と蓮から視線を逸らした。
「……ただ、一星くんの笑顔に、救われる人がいると思ったんです。僕だけじゃなくて、たくさんの人が、きみの笑顔に――……」
弥勒が視線を落とす。疲れ切ってしまったのか、取り繕うことが馬鹿らしくなってしまったのか。はたまた、心の奥のぬかるみに、はまり込んでしまったのか。
その睫毛が揺れた瞬間。表情の刹那の変化に、蓮の心がざわめいた。重たい何かがのしかかってくるような、息苦しさを感じる。
うつむく彼は、暗がりで雨に打たれていた、あの仔猫のようだ。
「……」
蓮は黙って立ち上がる。
ずいぶんと大人びているのですっかり忘れていたが、弥勒は蓮の年下だ。その年でこの店のオーナーだなんて、その苦労は計り知れない。顔に出さないだけで、色々なものを重ねてきたのだろう。
蓮はふうと息をつくと、「オーナー!」と声を上げる。弥勒は弾かれたように顔を上げて、目を丸くして連を見上げた。視線が交差すると、蓮は目を細めて、くっと口角を上げる。
「俺、がんばるぜ! プロジェクト、絶対に成功させてみせる! オーナーの、それからみんなのヒーローになるぜ、俺! ファンの想いに応えるのが、ヒーローってもんだろ!」
「……、」
蓮は満面の笑みで、宣言してみせた。
弥勒の瞳に、わずかな光の膜が揺らめく。
「――……」
雨に濡れて笑っていた彼を見た瞬間のような――曇天をかき消すような、そんな輝きが、瞳をかすめる。
弥勒は、ふ、と疲れたように笑って、うつむく。額に手の甲をあてて、しばらく黙り込んだ後、はあーと大きくため息をついた。そして、もう一度、蓮を見上げる。
「……そうですね。じゃあ、僕の想いに応えてもらいましょうか」
「あ、」と蓮は声を出しそうになった。その、ほどけかけた表情は、初めて見るものだった。
「……応援してますよ、ヒーローさん」
「――おう!」
弥勒の表情を見た蓮は、もう一度笑顔を返してみせる。そうすれば、弥勒も少しだけ、困ったように笑ってくれた。
少しばかりスタッフルームに長居してしまった蓮は、華を待たせていることを思い出し、急いで部屋を出る。おそらく、店のどこかで彼は待っているだろう――そう思っていたが、彼は扉を開けてすぐのところで待っていた。
「うわぁっ⁉ 華⁉」
「スマホはあった?」
「えっ⁉ あ、ああ、うん」
スタッフルームの出入口のそばにいた華は、にこ、と蓮に笑いかける。そして、部屋の中にいる弥勒に軽く声をかけて、「いこっか」と蓮に言うのだった。
「べつに、中に入ってきてもよかったんだぜ?」
「いや、俺が立ち入る話でもないかなって」
「?」
蓮がじっと華の横顔を見つめる。華が、いつもよりもわずかに早口になっているのが気になった。
「おまえ、なんかあった?」
「……なんで?」
「いや、なんとなく」
「べつに、何もないけど?」
「ふうん?」
蓮が首をかしげる。しかし、華は依然としていつもの調子を崩さない。ただの勘違いだろうか、と蓮は思い直したところで、華が言う。
「――蓮、みんなのヒーローなの? かっこいいね」
からかわれているのか?――そう思った蓮は、「なんだよ」と笑いながら華を小突く。華はへらっと笑いながらも、その視線は蓮には向けていないのだった。
昼間は作品愛に溢れた客で賑わうFlow Riderも、夜になると静寂が訪れる。閉店後の店内には、スタッフが数名残っているだけ。蓮も、そのひとりだ。
「よし、大体終わった! 華~、そっちは終わったか?」
床のモップ掛けをあらかた終わらせた蓮は、テーブルを拭いていた華に声をかける。そうすれば、華は顔を上げて「あともう少し」と答えた。
「手伝うか?」
「いや、大丈夫だよ。キッチンの方、手伝ってきなよ」
見たところ、華ももうすぐ掃除を終えそうだった。キッチンの片付けの手伝いに、と言われるのは理にかなっているのだが、蓮はどうにも華の様子が気になってしまう。また作業を再開した華を見て、「うーん」と眉をひそめてしまった。
華の態度が、いつもと違うような気がする。「何が」と問われれば明確な答えは出てこないが、違和感があるような気がしてしまうのだ。
華からそうした違和感を覚えるようになったのは、最近のこと。たまに目を逸らされたり、表情が硬く見えたり、そんな些細な変化が見られるようになった。
蓮は華に近づいていき、「なあ」と声をかける。華はいつものように「ん?」と柔らかく反応してくれたが、やはり、何かがひっかかる。
「おまえ、最近、なーんかおかしくねえか」
「……へっ? おかしいって、何?」
「いや、なんとなく。悩みでもあんのか?」
「いや~、そんなことはないんだけど……」
問いかけてみれば、華はわかりやすく動揺した。視線を泳がせながら、口ごもってしまう。
困ったような表情を浮かべたかと思えば、わずらわしそうな表情を浮かべ、そして「ン~」とぼやきながらはにかむ……と百面相を見せてくる。
めったに見せない様子だったので、蓮がもう一度「華……?」と声をかけて見れば、華は、手に持っていた布巾をテーブルに置いて、じ、と蓮を見つめてきた。
やはり、何かある――蓮が確信した瞬間だ。華は、振り切ったようにずんずんと距離を詰めてきた。
(――えっ、なんだ、殴られる⁉ もしかして、華との約束破って課金したのバレたか⁉)
突然接近された蓮は、思わず身構えた。もしかしたら、華は何かに怒っているのかもしれないと、そう思ったのだ。
しかし、それは杞憂に終わる。
「蓮~……」
「おわっ、なんだなんだ⁉」
華が、ぐにゃりとしなだれかかるように蓮に抱き着いてきたのだ。モップを持っていた蓮は身動きが取れず、目を白黒とさせることしかできない。
「だめだ~俺~~」
「ほんとどうした⁉」
「人生初の自己嫌悪だ~~」
ぐでんぐでんとはんぺんの如く体重をかけてくる華に、蓮はたじたじだ。そして、驚愕した。
あの華が――「イケメンですよね」と言われて「俺もそう思います」と当然のごとく返事をするあの華が、「顔もよくて頭もいいなんてすご~い!」と言われて「俺だからね」とさらっと返すあの華が、「自己嫌悪」などという発言をするなんて。
「はあ~」
「なんだっ、ほんと何⁉ 大丈夫か⁉」
「大丈夫だよ、蓮~~」
「なんなんだ、お、重っ……重い!」
ぐぐぐ、と体重をかけられて、蓮はぷるぷるとしながら華を支える。身長180センチメートルの男の体重は、決して軽くない。
地味に辛くなっていたので、せめてモップを片付けさせてくれ、と言いそうになったところで、華がパッと離れていった。
「は~、スッキリした」
「何⁉ なんでひとりでスッキリしてるんだ⁉」
華の不可思議な行動に、蓮は困惑する。しかし、当の本人は気が済んだようで、何事もなかったように中断した掃除を再開してしまった。
蓮は彼の奇行に首をかしげながらも、あまり突っ込んで訊いてしまうのも悪いような気がして、それ以上言及することはなかった。本人が言いたくなるのを待った方がよいだろうと思ったのだ。
「……ん?」
そのとき、どこからともなく、ふわりと甘い香りが漂ってきた。焦がしたバターを思わせる匂いだ。
「なんか……甘くていい匂いが……」
「え、俺の匂い?」
「いやおまえの匂いではなく」
華はすっかりいつもの調子である。そんな彼の様子に、蓮はとりあえずほっとしたが、この匂いの正体は気になるところだ。もう閉店しているので、本来であればキッチンも片付けを始めてしまっているはず。
「なんか、キッチンで作ってる?」
今日は与流と百波がキッチン担当だ。匂いの正体が気になった蓮と華は、誘われるようにしてキッチンへ向かって行ったのだった。
二人がキッチンに着くと、そこには不思議な光景が広がっていた。
与流が、パンケーキを百波に食べさせているのである。先ほどの甘い匂いの正体は、このパンケーキのようだ。百波は口に運ばれるがままに、もぐもぐとおいしそうにパンケーキを食べている。
「与流さん……何してるんですか?」
「見てわかんねえか? 餌付け」
「餌付け⁉」
よく見てみるとそのパンケーキは、今の時期にFlow Riderで出しているパンケーキとは少々異なっていた。余った材料をすべて使って作られているのか、大幅にアレンジが加えられている。それでも店で出しているパンケーキのように見事な出来栄えになっていたので、蓮も華も感心してしまった。
「これ与流さんが作ったんですか?」
「ああ、余った材料捨てるのも、もったいねえしな」
蓮と華が、まじまじとパンケーキを見つめる。たっぷりのクリームと、色とりどりのフルーツを使った華やかなパンケーキ。余りものだけを使ってここまで綺麗に盛り付けができるかと言えば、なかなか難しいだろう。
「すげえ~、ほんと、与流さんって作るの上手いですよね。こういうのを即興で作れるなんて、なかなかできないですよ」
「作るのは好きだからな」
「そうなんですか?」
「まあ……たまに趣味で作ったりもするしな。つっても、俺は自分では食わねえから、こいつみたいに、うまそうに食べてくれるやつに食べさせるのが好きなんだ」
こいつ、と言って与流は視線だけで百波を見やる。与流が「もっと食うか?」と尋ねれば、百波がこくりとうなずいて「食いますっ」と返事をした。与流は「食いっぷりがいいな」と笑いながら、再びフォークでパンケーキを百波の口に運ぶ。
蓮は、そんな二人を羨ましそうに見つめる。
「与流さん~、俺にもちょっとだけ」
甘い匂いですっかり食欲を刺激された蓮は、与流におねだりをした。そうすれば、与流が意地悪そうにニッと笑う。
「なんだ、蓮も俺に餌付けされたいのか?」
「はっ……、きゅんっとしてしまった……! はい、餌付けよろしくお願いします!」
蓮がわざとらしく胸に手をあてると、与流はくしゃっと笑う。そして、百波にしたように、フォークで蓮の口にパンケーキを運んでくれた。
バターの香りがふわっと舌の上に溶けていく。甘いクリームと酸味のあるフルーツとの相性が抜群だ。自分で作った焦げパンケーキとはえらい違いだな……なんてことを思いながら、蓮は絶品パンケーキの味をかみしめる。
「あ~……やばい、うまい」
「そうかよ、おまえもイイ顔して食うな」
蓮の表情を見て、与流は満足そうだ。そんな与流の前に、すっと華が躍り出る。自分に人差し指を向けながら、「与流さん、俺も餌付けして♡」と、にこっと微笑んだ。
「おう、食え食え」
華も加わって、あっさりとパンケーキは平らげられた。そこそこのボリュームがあったパンケーキだったが、仕事終わりで空腹になっていたということもあり、3人には物足りないくらいである。
「ごちそうさまです~!」
食後の余韻に浸りたいところだったが、まだ掃除は終わっていない。余った材料もしっかりと片付いたので、4人でキッチンの掃除を始めた。すでにある程度片付いていたこともあり、さくさくと進められていく。
「そういえば、あのプロジェクト……コラボカフェって言うからには、今のパンケーキみたいなものを自分で考えないとなんですよね」
洗い物をしながら、華がふと思ったことを口にする。
いつもはすでにメニューがある商品を作っているが、今回はメニューからある程度自分たちで考える必要がある。与流のように、即興でオリジナルのパンケーキを作れるような料理の知識を持っていない華は、プロジェクトのことが心配になったのだ。
「だよな~、俺、料理苦手だから、うまい組み合わせとかわかんねえし、大丈夫かな。百波は? 料理できるか?」
「人並みには。でも、与流さんみたいには、できない」
華のぼやきに、蓮も百波も同意した。二人も、与流のようにメニューを考えられるかと問われれば、首を縦に振ることはできないのである。
「え、百波、料理できんの?」
「まあ……兄ちゃんと交代制でごはん作ってるから」
「すげえな。俺一人暮らしだけど、ほとんどコンビニ飯だ。たまに華に作ってもらうけど」
「すげえって言われるほどでも。おれより、兄ちゃんのほうが上手いし」
「九十九さん、料理上手いのか? あ~、でもそんな感じするなあ。百波はなんとなく、男の料理! みたいなもの作るイメージ」
「男の料理……?」
「野菜炒めとか丼もの的な?」
「野菜炒めおいしいよな……」
華は二人の会話を聞きながら、(話が逸れていってる……)と苦笑いをする。与流に相談をしたほうがよさそうだ、と視線を与流に移したところで、与流が口を切った。
「創作料理すんなら、方向性みたいなもんがあったほうがいいと思うぜ。そのほうが、考えやすいだろ」
「方向性?」
「料理を作れって言われるよりも、洋食を作れって言われたほうがメニューを考えやすいし、洋食を作れって言われるよりも、パスタを作れって言われたほうがもっと考えやすいだろ」
三人が与流に視線を送る。彼の言うことは、もっともである。
そもそもプロジェクトのメンバーには、今までコラボカフェで取り扱ってきたキャラクターたちのような、明確なイメージやエピソードといったものがない。そのため、自分に関する商品を考えると言っても、選択肢が多すぎて、かえってアイデアが思い浮かばないのだ。
「方向性っていうと、たとえば?」
「たとえば、……イメージカラーってやつだな。アニメのキャラってイメージカラーみたいなもんが大抵あるだろ。俺たちそれぞれにもイメージカラーみたいなものがあれば、まだ考えやすくなるんじゃねえか」
「……たしかに! イメージカラーが赤なら、赤い食材を使ったメニューを考えるとかできますよね!」
与流のアイデアに、一同が賛同する。
イメージカラーについては、まだ考えたことがなかった。イメージカラーさえ考えることができれば、プロジェクトも進めやすくなるだろう。
「じゃあ、まずはそれぞれのイメージカラーを考える方向でいこうぜ。弥勒にも伝えておくけど、いいか?」
「はい、お願いします!」
イメージカラーを考える、という目標ができたからか、先行きが明るく感じられた。メニュー考察やこれからの展開など、まだまだやることは多いが、まずは一歩進めるだろう。
各々、自分のイメージカラーのことを考える。片付けもスムーズに進み、その日は解散するのだった。
*
「……うーん」
カップラーメンコーナーの品ぞろえが、先週とは変わっていた。
春が訪れたからだろうか、柚味や塩味など、さっぱりとした味の商品が増えている。冬の濃厚な味わいのラインナップも好きだったが、これもまた悪くない。
「ん、」
新商品を手に取ろうとしたところで、ポケットの中でスマートフォンが震える。取り出して画面を見れば、「与流」の文字。「うげ」とうっかり声が漏れてしまう。
今は真剣にカップラーメンを選んでいるので、正直なところ電話には出たくない。しかし、今の時間に彼から電話がかかってくるということは、無視をしないほうがよさそうだ。仕方なく、「応答」ボタンをタップする。
「はい、陸です、どうかしましたか」
『よう弥勒、今日の晩飯は何食った?』
「な、なんですかいきなり!」
弥勒が電話に出ると、脈絡もなく夕食のメニューを尋ねる質問が飛んできた。絶賛カップラーメン選定中だった弥勒は、一瞬、言葉に詰まってしまう。
与流は、無類の世話焼きだ。とりわけ弥勒に対しては厳しめで、何かと口を出してくる。一昨日は宅配ピザ、昨日はハンバーガー、今日はこれからカップラーメンです!――などと答えたら、どんなことを言われるかは想像に容易い。
弥勒はフッと笑って、「焼き魚定食です。もちろん、自分で作りました」と答える。嘘である。魚など、久しく食べていない。というより、魚の調理法など知らない。
続いて、「僕は規則正しい生活を送っているので、もう寝ないといけません。手早く要件をどうぞ」と伝える。早寝早起きアピールだ。ついでに話を早く切り上げられる。完璧だ。本当はこれからカップラーメンと共にMytubeで動画三昧の予定だが。
しかし、弥勒が脳内で勝利を確信した瞬間――コンビニエンスストアの入店チャイムが鳴り響く。残念ながらこの音は、与流にも聞こえているだろう。
『へえ、これから寝るのにファミリーカートにいる、と』
「……」
弥勒は、真顔で新商品の鶏白湯味カップラーメンとコーラを掴んでレジに向かう。開き直って、レジの女性に「ファミチキンもお願いします」と与流にも聞こえる声で伝えた。スマートフォンからは、『おまえなあ……』と呆れ声が聞こえてくる。
『おまえはまた、体に悪いもんばっかり食ってよ、たまには自炊しろよ自炊』
「いいじゃないですか、おいしいんだから」
『そうかあ? たまにはいいけど、毎日なんて食えねえよ、俺』
「いやいや、僕にはこれが贅沢なんですって。毎日のようにお行儀のいい料理を食べさせられればわかりますよ、カップラーメンの真のおいしさが」
弥勒は、会計を済ませてコンビニエンスストアを出る。外に出れば、生ぬるいビル風が頬を撫でてきた。カップラーメンとコーラ、そしてファミチキンが入った袋をぶらぶらとさせながら、帰路に就く。
「そんなに言うなら、与流が僕に、おいしいごはんを作ってくれてもいいんですよ。僕専属のシェフになりません?」
『断る』
「え~、結構いい条件だと思うんですけど。うち広いから、そのまま住んでもいいですし。家賃光熱費は僕負担。どうです?」
『いや、断る』
「はあ~つまんないな。はい、それで、要件は?」
コンビニエンスストアから出てしばらく歩いたところで、ようやく本題に入る。
尋ねれば、与流はFlow Riderであったことを一通り報告してきた。今日一日、特に問題といった問題もなく、いつもどおり平和だったようである。最後に、「イメージカラーを考えることになった」と伝えられれば、弥勒は感心したように「へえ」と返事を返した。
「いいんじゃないですか。イメージカラーがあると、いろいろとやりやすいと思います」
『だろ? つっても、俺、自分で提案しておきながら、自分のイメージカラーがてんで浮かんでこないんだよな』
「与流のイメージカラーですか……」
『なんかあるか?』
弥勒も、イメージカラーの案には賛成だ。問われるままに、与流のイメージカラーを考えてみる。
与流といえば、何色だろう。特に好んでいるという色もなさそうなので、彼と過ごした日々から何か拾ってみようか。
彼の実家の鳥居のような、真紅?――いや違う。
彼があのとき貸してくれたハンカチの色、群青?――いや、違う。
彼が初めて作ってくれたスイーツはアップルパイだったから、あの煮詰めた林檎のような、黄金?――いや違う。
色々と考えてみるが、どれもぴったりと当てはまるような気はしない。
「う~ん……」
会話を重ねながら、夜道を歩く。回想を重ねれば重ねるほど、たくさんの色が浮かんできて、候補ばかりが増えてゆく。
「……なかなか、決められませんね。きみとの思い出は、色鮮やかすぎて」
ふと、弥勒は空を見上げる。そこにはただ一色、黒がある。
都会の空は、星があまり見えない。それでも、昼間とは違う静謐がそこにはあって、この夜空を好きだと言う人もいるだろう。弥勒もその一人だ。
「――……」
あの色は彼に似合うかもしれない。なんとなく、そんなことを感じた。
*
「ただいまー」
日付が変わる直前、百波は自宅に帰宅する。街も眠り始める時間だが、家の中は当然の如く灯りがついていた。
帰宅したときに部屋が明るいと安心はするが、それはまだ彼が起きているということだ。(早く寝ろよ……)と考えてしまうのも、仕方がない。
「百波、おかえり」
「ただいま、兄ちゃん。まだ寝ないのか?」
「ああ、うん、ちょっと」
リビングでは、九十九がノートパソコンを開いて何かをしていた。百波に挨拶だけをすると、すぐにパソコンの画面に視線を戻してしまう。
「……?」
九十九は、そこまでパソコンをいじるタイプではない。そのため、こうして夜中までパソコンと向き合っている彼を、百波は珍しく思った。好奇心のままに、彼に近づいていってみる。
「兄ちゃん、何してんだ?」
「DVD観てて。華くんが面白いっておすすめしてくれたから、気になって借りたんだ」
「へえ~、映画か何、か……」
何を観ているのだろう。興味を持った百波が、九十九の背後に回り込んでパソコンを覗けば――そこには、妙に荒い映像が映っている。
ホコリっぽい空気の、廃墟。いかにも「ヤバイ」オーラが放たれていて、百波はあまりのショックに固まってしまった。
「に、にに兄ちゃん、それ」
「『恐怖のビデオ』だよ!」
「ばかかよ! なんでそんなもん……って、ぎゃーーーーーー⁉⁉」
「百波、近所迷惑」
「い、いや、いやいやいやいや」
百波が声をあげれば、九十九が「めっ」と顔をしかめる。しかし、百波としてみれば、「めっ」などとされている場合ではない。
九十九が見ていたのは、投稿型のホラービデオだった。身の毛もよだつような恐ろしい映像がそこに映し出されている。百波は衝動のままに勢いよく後退して、ドン! と壁に背中から突進してしまった。
「どうしたの、百波? 怖い?」
「ば、ば、ばかっ、怖いわ! 『おわかりいただけただろうか……』じゃねえんだよ! わかるか! わかりたくねえよ! なんで兄ちゃん、笑ってんだよ!」
「え、よくできた映像だな~って……華くんが楽しそうに話していたのも思い出して、おかしくて……」
「兄ちゃんってそっちの人間⁉」
「どっち?」
「そっちだよ!」
百波はすっかり腰が抜けて、ずるずるとその場に座り込んでしまう。九十九はそんな百波を見て苦笑すると、椅子から立ち上がって百波に近づいてくる。そして、「大丈夫?」と言いながら、手を差し出してきた。
「だ、だい、大丈夫、……って、兄ちゃん、先にビデオ止めて! そいつ、『もう一度ご覧いただこう……』とか言ってるから、このままだと、さっきの映像がリピートされ……ア゛ーーーー⁉」
「……」
テーブルに突っ伏して黙り込む百波を、九十九がにこにこと微笑みながら眺める。
19年同じ屋根の下で暮らしてきたが、弟がここまでホラーがだめだとは知らなかった。
思い返せば、橘家では食卓でホラー番組が流れるということもなく、ホラー映画を家族で観に行くということもなく、お化け屋敷……そもそも遊園地にほとんど行ったことがなかったので、百波のホラー耐性の低さを知る機会がなかったのである。
百波の新たな一面を知るきっかけをくれた華に、九十九はこっそり感謝していたのだった。
しばらくすると、百波はようやく落ち着きを取り戻したようだ。のっそりと顔を上げて、「そういえば」と話を切り出す。疲れ切っているようで、顔は真顔だ。
「Flow Riderで、それぞれのイメージカラーを決めようってなった。あのプロジェクトのやつ」
本当は、家に着いたらすぐにこの話をしようと、百波は考えていた。しかし、うっかり恐怖映像を見てしまったせいで、頭からすっかり吹っ飛んでしまっていたのだ。もう夜は更けてしまっているが、これだけは伝えておいたほうがよいだろう。
「イメージカラー?」
「ルビィが赤でソロが緑、ナミコがオレンジみたいな」
「ああ、なるほど……それを僕たちにもやるってこと?」
「そう」
イメージカラーの話を伝えられると、九十九は難しそうな顔を浮かべる。突然、自分にイメージカラーができます、と言われても、すぐに呑み込めないのは仕方がない。
「イメージカラーかあ……百波はもう決まったの?」
「いや、まだ」
「イメージカラー……百波はそうだなあ……」
九十九は真剣な表情で、じ、と百波の顔を見つめた。百波は「あ?」と困惑しながらも、一応見つめ返してみる。
「百波は……んん? 難しい……」
「なにやってんだ、兄ちゃん」
「――ブルべ夏」
「は? なんだって? ブルーベリー?」
「ブルべ夏なら、ビリジアンとかデイドリームとかモスグレイとかオールドオーキッドとか……」
「な、なになに⁉ ストップストップ! え、それ色の名前⁉」
突然唱えられた呪文に、百波が戸惑う。しかし、あくまで九十九は真面目に言っているようだ。
「百波に似合う色は何かなって、パーソナルカラーを、」
「いやいや、イメージカラーな、兄ちゃん。おれに似合う色じゃなくて、おれっぽい色」
「……は! そっか……難しい話なんだね」
「兄ちゃんが言ってたブルーベリーのほうがよっぽど難しいと思う……」
二人はお互いのイメージカラーについて考える。しかし、その日のうちに決まることはなかった。
*
あくる日、Flow Riderスタッフルーム。そこには、げっそりとうなだれている蓮がいた。理由は単純明快、同じ部屋で華と九十九がキャッキャウフフと恐怖のビデオの話をしているからである。
「いきなり45巻からいったんですか、さすがわかってますね九十九さん! やばくないですか、あの映像!」
「すごくおもしろかったよ~、思わず笑っちゃった」
二人が話している『恐怖のビデオ45巻』は、蓮と華を含めた、大学の友人グループで一緒に観たものだ。蓮にとってはとんでもなく恐ろしいものだったので、その話を同室でされると、そのビデオの映像が脳裏に浮かびあがってきてしまう。
「なんだこのホラー同好会……」
蓮は一人でその話を聞いていることができなくなり、いつものようにパソコンで作業をしている弥勒にすり寄っていった。突然にピタッとくっつかれたためか、弥勒は「わっ」と驚いて声をあげる。
「オーナーオーナー、オーナーは怖い話は得意系ですか?」
「え、なんですかその口調、キモッ……別に得意でも苦手でもないですけど。興味ないし」
「なんでそんなにたくましいんだよ~……」
「一番怖いのは人間ですから」
「オーナーはそっち系か~……」
このスタッフルームには、味方がいない。それを悟った蓮は、「聞きたくない!」と言って、弥勒の脇腹に頭を突っ込むようにして体を丸める。弥勒は腹部にもぞもぞとした中途半端な刺激を与えられて不快だったのか、苦々しい顔をしてペシッと蓮の頭を軽くはたいた。
「フィクションの幽霊ごときに情けないですね。僕にあんなことを言っておきながら、情けない」
「あんなこと……?」
「そう、あんなことです」
「……って、あっ! それとこれは話が別! っていうか、今それを言われると、ちょっと恥ずかしい!」
弥勒が何を言っているのか、それを察した蓮は、咄嗟に弥勒から離れた。蓮が少しばかり顔を赤くしていたからか、弥勒がくっと笑う。その笑顔が楽しそうだったので、蓮は文句を言うにも言えない。
蓮がぐぬぬ……としていると、弥勒は目を細めながら頬杖をついて、尋ねてきた。
「そういえば、イメージカラーを決めるんですよね? 一星くんは、決まったんですか?」
イメージカラー、と言われて、蓮は「あっ」と声をあげる。まだ、はっきりと決まっていなかったのだ。「未定」と答えれば、華と九十九が反応して、二人の会話に混ざってくる。
「蓮は絶対赤だよ、俺の中では蓮は赤」
「そうだね、髪の色も赤いし」
二人は即決で、「蓮は赤」と言ってきた。そして、蓮が返事をする間もなく、二人は蓮の赤髪の話に花を咲かせていく。
「蓮くんは、いつからこの色に染めたの?」
「蓮が小学生の頃ですよ。それから、ずっと赤」
「へえ、ずいぶんと前からなんだね。すごい」
「おじいちゃんになっても赤! って言ってて、俺、すごくファンキーでかっこいいなあって思って……」
華と九十九は、当人を置き去りにして話を進めてしまう。いつのまにか思い出話が始まっていて、もはや二人の中では蓮のイメージカラーが「赤」で確定しているようだった。
とんとん拍子でイメージカラーが決まってしまった蓮は、唖然として二人を眺めていることしかできない。
ただ、「赤」はいいと思う。蓮は、赤が好きだ。二人が会話に入ってこなかったとしても、イメージカラーは赤がいい、と弥勒に言っただろう。
「じゃあ、俺、赤な! オーナー、どう思う?」
蓮に問われると、弥勒はその丸い目でじっと蓮の髪の毛を見つめる。
実のところ、弥勒は「赤髪の青年」という存在を、蓮がFlow Riderに入ってくる前から知っていた。華が繰り返し繰り返し、蓮の話を弥勒に語って聞かせたからである。蓮が赤髪になった経緯から、その後の立ち振る舞いまで、すべて。
弥勒が、見たこともない「赤髪の青年」について、意図せず博士のように詳しくなってしまったころに出会ったのが、蓮である。聞いていたとおりの赤髪に、目を奪われたのが記憶に新しい。
でも――多分、彼は髪色に関係なく赤が似合う人だ。そんなことを、弥勒は感じていた。
「いいんじゃないですか? 赤」
「よし、俺のイメージカラー決まりだ!」
蓮は一番乗りでイメージカラーが決まったのが嬉しくて、ガッツポーズをしながら喜んだ。そうすれば、華と九十九も焦燥感を抱いたのか、「早く俺たちも決めないとな~」とぼやく。
「九十九さん、俺のイメージカラー、プリズムとかどうですか? 全能感あってかっこよくないです?」
「華くんはプリズム似合いそうだね。あ、そうだ、ほかにも……まつざきしげる色とか憲法色とかは?」
「え、なんですかその色……」
イメージカラーの話が盛り上がるなかで、ふいに蓮と弥勒の視線がぶつかった。そうすれば、弥勒がふっと笑う。
「ヒーローには、赤が似合いますよ。怖がりの一星くん?」
「……!」
少しだけいたずらっぽいような弥勒の微笑みに、蓮はぱちくりと瞬きをする。
なんとなく、Flow Riderに入ったばかりの頃のことを思い出した。
髪の色のせいでバイトの面接を何度も落とされて、それでもこの髪の色だけは変えたくないと思っていて。この髪は、蓮のプライドのようなものだった。誰かに否定されようと、それだけは曲げたくなかったのだ。
だから、Flow Riderに入れてもらえたときは、嬉しかった。
なぜ、この髪の色でも受け入れてくれたのか、と尋ねようと思ったこともある。しかし、そんなことを訊く必要はないだろう。
「――おう、そうだろ!」
蓮が笑顔を返すと、弥勒も笑ってくれた。
こうして彼が笑ってくれていることが、答えなのだから。
カーテンを開けると、白っぽい空が広がっているのが見えた。
朝日が気持ちいいなあ――そんな感想は出てこない、中途半端な朝の空。ここ最近は、すかっと突き抜けるような青空を見ていないような気がする。
別に、東京だからということはないだろう。千葉から上京してきたときには、ビルに囲まれた空を仰いで目を輝かせたものだ。では、なぜこんなにも空は晴れていないのか――そんなことを考えて、華は腕を組む。
――俺の心が晴れていない?
「やば……ポエミーな俺、かっこよすぎでは……?」
「――ちょ、……華……カーテン閉めろ、まぶしい……」
「あ、蓮。おはよ~」
華が独り言をつぶやくと、後ろで蓮がもごもごと呻いた。外の光がうっとうしいのか、布団を頭から被っている。
「蓮~? そろそろ起きないと一限遅れるよ?」
「……まだ、いける……」
「いけないと思うけど……」
華はため息をついて蓮を見下ろす。
蓮は、朝が弱い。それは春でも冬でも変わらない。冬のほうが酷いが、春であっても充分に酷い。とにかく酷い。
朝の蓮を初めて見た人は、大層驚くだろう。普段は太陽のような笑顔を輝かせているというのに、寝起きの蓮は見た者を奈落の底へ引きずり込むような勢いで、とにかくテンションも声も低いのだから。
華が呆れていれば、蓮のスマートフォンのアラームが鳴り響く。蓮は布団からにゅるにゅると手を伸ばすと、手探りでアラームを止めてしまった。
「蓮、起きなさい」
華が無理やり布団をひっぱがせば、蓮が「う……」と唸り声をあげる。そうすれば、ようやく諦めたのか、体をのそのそと起こし始めた。しかし、まだ光に眩しさを感じるのか、顔を上げようとしない。俯き、額に手をあてながら、「あ~」と気怠そうに声をあげている。
「まったく……」
ここまで寝汚い彼を見ていると、心配になってしまうものだ。大学の授業ごときに出席できないようで社会人になれるのか、と親のような気持ちになってしまう。普段は見られないような機嫌の悪い彼を観察していると、それはそれで面白いのだが。
「蓮、大学生になってからすっかり堕落したね。これ、大学卒業してから大丈夫? 朝、起きれる?」
そろそろアラームで早起きできるように訓練しておけよ、という意味も込めて、華が言う。しかし、寝ぼけまなこの蓮に、そんな華の真意など、読み取れるわけがない。
「華が俺の面倒みればいいじゃん……」
はあー、と重々しくため息をつきながら、そんなことを言うのだった。また何も考えずに言っているのだろう。というよりも、半分夢の中で言っているので、何を言っているのかを自覚すらしていないのかもしれない。
やれやれと思いつつ、華は苦笑する。
「……大人になったら、離ればなれだよ」
*
プロジェクトのメンバーが全員揃う日は、Flow Riderの閉店後に自然と集まるようになっていた。特に話し合いをするという名目があるわけでもなく、とりとめのない話をして解散、となることも少なくない。
いつものように仕事終わりにメンバーがだらだらと話していると、弥勒がシフト表を見て「あ」と声を上げる。
「与流、明後日から3日間、よろしくお願いしますね」
「ん? ああ、了解」
――3日間?
二人の会話が気になった蓮がシフト表を覗けば、弥勒の行に赤線が引いてある部分がある。よくよく見てみれば、赤線の上には「出張」と書いてあった。
「オーナー、出張ってどこに行くんだ?」
「大阪です」
「大阪?」
「大阪の店舗ですよ。あちらの様子をうかがいに行こうかと」
大阪、と聞いて蓮が「へえ~」と声をあげる。大阪にも店舗があるということは知っているが、知っているだけでどんな店なのかがいまいち想像できなかった。
「おみやげ買ってきて!」
「おみやげ? たこ焼きでも買ってきましょうか?」
「いやそれ、ここに戻ってくるころには冷えッ冷えじゃん⁉」
弥勒がけらけらと笑うので、蓮はぐぬぬ……と唸る。
そうすれば、横から華が「俺、長崎屋のクリスタルポンポンね♡」と言ってきた。蓮はそれが何のことだかわからなかったが、弥勒は「また難解なリクエストを……」と渋い顔をしている。珍しいものらしい。
「――大阪のスタッフさんって、どんな人なんですか?」
おみやげの話に盛り上がっていると、ふと、九十九が呟いた。そうすれば、蓮と華、そして百波も、”大阪のスタッフ”が気になるのか、一斉に弥勒に視線を送る。視線を浴びた弥勒は、一瞬黙り込み――与流と視線を交わす。
「どんな……? どんなですかね?」
「……なんというか、変わった性格をしてるっていうか、なあ?」
「……そうですね、きみたちがカフェオレなら、あの人たちはさしずめ、アイスショートエクストラシロップソイエクストラソースアドホイップキャラメルマキアートってところですかね」
「よくその呪文唱えられるな」
「ふふん、余裕です。カフェのオーナー舐めてもらっては困りますね」
よくわからないたとえに、4人からは大量のはてなマークがほとばしっている。与流はそのたとえに納得しているのか、異を唱えない。余計に謎が深まるばかりだ。
「ま、そういうことなので。3日間僕はいなくなりますけど、与流がいれば大丈夫でしょう。よろしくお願いします」
*
今日は特に話し合いのようなものはなかったので、あっさりと解散となった。3日間の打ち合わせをするのか、弥勒と与流はまだ店に残るようだ。残りの4人で店を出る。
「そうだ、蓮と百波くん、今日は俺のうちにくる?」
駅に向かっている途中で、華がそんなことを蓮と百波に尋ねてきた。二人は、一緒に首をかしげてしまう。日常的に華の家に泊まっている蓮だけではなく、一度も華の家に行ったことのない百波にも問いかけてきたからだ。質問の意図がよくわからない。
「今日、九十九さんがうちに泊まるんだ。一緒にホラービデオ鑑賞会しようって」
「――ッ⁉」
衝撃の事実を聞かされた二人は、揃って顔を青ざめさせる。九十九はにこにこと微笑んでいて、「どうしたの、二人とも」とぼやく。語尾にハートマークが付いているように聞こえたのは、幻聴だろうか。
蓮と百波は、勢いよく華と九十九から距離をとった。二人で示し合わせたかのように、息はぴったりだ。
「誰が行くかっ! 恐怖のビデオとか、俺は二度と観ねえからな!」
「お、おおおおおおおれも結構です、そういうのは結構です、まじで」
「よし、百波はいい子だな! おまえ、今日俺んちこい!」
「なんでっ⁉」
「いや、なんか思い出したら一人で家にいれなくなったっていうか……」
「……わかるかもぉ……」
二人は恐怖のビデオというフレーズだけで震えあがってしまった。蓮も百波も、その恐怖を植え付けられた記憶があるのだ。蓮が家に来るようにと誘ってみれば、百波はへにゃっとしながら首を縦に振った。
そんなこともあり、4人は駅のホームで二手に分かれることになった。蓮と百波は、妙にハイテンションな華と九十九を、苦々しい顔をしながら見送るのだった。
*
レンタルショップでDVDを何枚か借りた華と九十九は、帰路に就いていた。電車から降りて、華のアパートに向かう。
「そういえば九十九さん、イメージカラー決まりました?」
「うーん、まだ決まってないかなあ。華くんは?」
「俺は……ピンク、かな」
「ピンク……いいんじゃない?」
「う~ん……」
「? どうしたの?」
まだイメージカラーが決まっていない二人は、アパートまでの道中、お互いのイメージカラーについての話をした。華は「ピンク」と自分で言ったが、その様子はどこか歯切れが悪い。九十九はそんな華の様子が気になってしまう。
「いや~、これ提案してきたの、オーナーと与流さんなんですよ。色はピンクで問題ないんですけど、その理由がよくわからないっていうか」
「どんな理由なの?」
「……その、性格的に、柔らかい色が合うんじゃないかって……それで、ピンクなんですけど、」
華は難しい顔をしながら、言葉を濁らせる。
「……俺は、えーと……素直な性格をしているからって……オーナーが」
華のイメージカラーの案が出たのは、数日前のこと。華と与流、そして弥勒が3人になったときに、二人が提案してきたのだ。
明確な色のイメージがないなら、性格から決めればいいだろう――そんな話になったのだが、そこで弥勒が言ってきたのが、「華くんは素直な性格だから」という言葉である。
どこが?――そう尋ねてみても、弥勒は「全体的に」としか言わない。
『僕よりは素直ですよ、確実に』
『おまえと比べたら、全世界の人間が素直な人間になるだろうが』
『はは、与流、あとで店の裏に来てもらえます?』
『お~、怖い怖い』
――素直? 俺のどこが?
華は、「素直」という評価を呑み込めない。賞賛の言葉ならば、いくらでも受け止められる。しかし、「素直」はわからない。特に、今は。
「でも、華くんは優しいし……素直って言われればそんな気がするよ。そんなに考え込む必要はないんじゃないかな?」
「……」
九十九は、なぜそこまで華が悩んでいるのかがわからなかった。素直という評価を受けたなら喜ばしいことだろうし、九十九から見ても華は気のいい青年だったので、「素直」という言葉と華の性格は相違ないものだと感じていたのである。
「そうですかね。俺、結構ひどい性格してると思いますけど」
「そんなことはないと思うけど……どうしたの? らしくないね」
「――あ、やっぱなし。今のなし。うん、俺、オーナーが言うように素直だと思います! ピンクでいいや!」
「……?」
一瞬、華の表情が陰る。しかし、すぐに華はにこっと笑顔を作って、いつもの調子に戻ってしまった。九十九はそんな華の横顔を見て、ぱちくりと目を瞬かせる。
「華くん、何かあった?」
「何もないですよ。九十九さん、もうすぐ俺のアパート着きます。行きましょう!」
「……うん」
華が逃げるようにして先に言ってしまった。九十九は慌ててその背中を追いかける。
なんとなく、彼の背中が華奢に見えた。
*
「なあ~、百波! おまえ、何飲む?」
蓮のアパートに向かうことになった二人は、夜食を買うべくコンビニエンスストアに来ていた。声をかけられて百波が振り返れば、蓮は飲み物コーナーの前で仁王立ちしている。
「百波って甘いのが好き? それともビールとか飲める感じ?」
「……蓮サン、おれ、未成年」
「あっ、そうだっけ! タメの感覚だった」
蓮はたはは、と笑いながら、自分の分のお酒をかごに入れていた。百波が蓮に近付いてかごの中を覗けば、ごろごろとお酒の缶が転がっている。百波はかごのすみっこに、そっ……、といちご牛乳を入れた。
「蓮サンって、結構飲むんだ」
「あ~、父親が酒豪だから? 遺伝?」
「へえ~。じゃあ、華サンってどうなんですか」
「あいつは全然だめだよ、飲めない飲めない。いや、みんなで飲めば結構強いんだけど、俺と二人で飲むとほろよう一本で顔赤くするから」
「なんすかそれ」
おつまみやお菓子をいくつか選んで、レジへ向かう。百波が肉まんをガン見していたので、蓮は肉まんも追加で頼んだ。百波は少しだけ顔を赤くして、「あざっす……」とつぶやく。
コンビニエンスストアから出れば、閑静な住宅街が広がっている。このあたりはアパートが多く立ち並んでおり、蓮のような大学生がたくさん住んでいる。いわゆる、学生街というものだった。
「前から気になってたんすけど、蓮サンって華サンと長いんですか?」
「あ~、華? そうだな、幼馴染だよ。小さいころから、ずっと同じ学校」
「へえ、すごいっすね。おれ、幼馴染みたいな人はいても、今は離ればなれでそこまで深い付き合いをしていないから」
「あ~、まあ、そうだよな。俺も、さすがに会社までは一緒にならないと思うから、大学卒業したら離ればなれだ。ま、ずっと今みたいに一緒にいたいなあとは思うけどさ」
百波がじっと蓮の顔を見つめる。こんな話をしているときでも、この人はからっと笑っているなあと感じたのだ。だから、少しだけ気になった。「……さみしい?」と聞いてみたくなったのだ。
「べつに」
問えば、思った答えと違うものが返ってきたので、百波が驚いて蓮の表情を伺う。しかし蓮の顔は晴々としていて、いつものように爽やかに笑っていた。
「会う時間が減ったって、親友であることには変わりねえし」
「……そんなもん?」
「そんなもんだろ! 環境が変わっても、俺とあいつはずっと友達だよ」
百波は肉まんをかじりながら、「ふうん」と呟く。
少しだけ、自分と比較してみる。
もしも、自分と九十九が離ればなれになったら?
ずっと一緒ということは、きっとないだろうけれど。まだそのときを想像はできないが――考えてみれば、何があろうと九十九が兄であるという事実は変わらない。蓮と違って「さみしくない」と言い切れる自信はないが、絆が切れるということはないだろう。
「……なんか、いいっすね。そういうの」
「おう、持つべきものは友達ってな。あいつは一番大事な親友なんだ」
蓮の笑顔につられて、百波も笑う。
他愛のない話をしながら、二人はアパートに向かうのだった。
*
深夜四時。肌寒さを感じて、華は瞼を開ける。
気怠さの残る体を起こしてみれば、「やっちゃった……」とため息が出てくるような光景が。照明はつけっぱなし、テレビもつけっぱなし、夜食のごみがテーブルに散らかっている。床には、座椅子を枕にして丸まって寝ている九十九。
たしか、恐怖のビデオを2本ほど観たところで眠気が襲ってきて、いつの間にか寝てしまったのだ。お互いに仮眠をとるつもりで、ぐっすりと寝てしまったらしい。
華はベッドから降りると、音を立てないように部屋を片付けた。床で寝ている九十九を見て、しっかりと寝るなら布団を出してあげればよかったな、と後悔する。しかし、気持ちよさそうに寝てしまっているので、今更起こせない。
「……、」
カーテンの隙間から、群青がこぼれている。もうすぐ、夜明けの時間だ。
華は九十九に毛布をかけてやると、静かに窓を開けてベランダに出る。有明け時の風は、まだ少しだけ冷たい。
――俺のどこが素直なの?
素直と言われたのが納得できなくて、弥勒と二人きりになったときに、改めて尋ねた。どこが素直なのか、と。
たしか、その瞬間の彼は、呆れたような顔をしていた。自覚していないのか、とでも言いたげ表情だった。
『華くんって、他人のことを素直に好きになれるでしょう』
『そんなの、普通でしょ』
『いやいや。他人を好きになることを難しく感じる人もいますから』
彼は年下のくせに、悟りでも開いているのかと言いたくなるようなことをたまに言う。趣味は合うけれど、何を考えているのかはよくわからない。ただ、あのとき言った言葉が、たぶん一番よくわからない。
『一星くんのこと、本当に大好きですよね。まっすぐに』
わからなくはない。
でも、わからないのだ。
彼がああ言うのは当然だ。何度も何度も、蓮の話を語り聞かせたのだから。けれど――今の華には、その言葉を受け入れることができなかった。
自分の感情は、――おかしいものなのではないかと、そんなことを思っている。
「――華くん」
「ッ⁉ はぁ~、びっくりした!」
後ろから、声がした。驚いた華が振り向けば、いつのまにか、そこに九十九が立っている。
夜の名残の星々は薄れて。もうじき、暁星が消えるだろう。
「な、なんですか九十九さん。黄昏てる俺に見惚れちゃいました?」
「みとれ……? うんうん、絵になっているよ。ていうか華くん、黄昏てたんだ?」
「……、」
痛いところを突いてくるな、と華は苦笑い。九十九は華の横にやってきて、同じ空を眺める。九十九は華に何かを問いただすわけでもなく、手すりに腕を乗せて、遠くを眺めていた。
「えーと……」
華は視線を泳がせながらも、九十九を見つめる。頭をかいて、唇を舐めて、胸の中のもやをどうしても無視できないとようやく判断して、「九十九さん」と彼の名前を呼ぶ。
「もしも……もしもですよ。自分の彼女が、自分以外の男と仲良くしていたら、どう思いますか?」
質問を投げかければ、九十九はきょとんとする。
「……え? やきもち焼く……かなあ?」
「ですよね。もしも、俺がそれをやっていたら、どう思います?」
「う~ん……いきすぎていなければ、可愛いものなんじゃないかな」
「ですよね。ふつうですよね」
九十九は華の質問の意図がわからないのだろう。ぽかんとした表情を浮かべながら、問に答えている。華はそんな九十九の表情を確かめると、今後は彼から顔を逸らして――かすれ声で問う。
「じゃあ……自分の友達が、自分以外の人と仲良くしているのを見て嫉妬するの、どう思いますか」
九十九は、華が誰の話をしているのか、すぐにわかってしまった。華はそんな九十九の気配を悟ったのか、九十九に視線を戻し、困ったように笑う。
「変だなっていうのは……わかってるんですけど。でも、そもそも、なんで変なんでしょうね。恋人なら嫉妬していいのに、友達に嫉妬するとドン引きされるのって、なんでかな……」
「……、」
九十九は華の言葉を否定できず、戸惑ってしまった。九十九が華に嫌悪感を抱くなどということはないが、だからといって、本人に伝えたらどうなるだろうか。「正直に伝えてみたら」などということを無責任に言えるような――そんな話ではない。
「たぶん、あれですよ。恋人って……一緒に人生を歩んでいくじゃないですか。でも、友達ってそうじゃない。人生の一番になることはないし、下手したらどんどん優先順位なんて下がっていくし。だから……縛っちゃだめっていうか。だから……嫉妬が気持ち悪いっていうか。うん、……」
華はベランダの手すりに突っ伏すようにして、ぼそぼそと話している。
こうして、吐き出すように話している彼を見たのが初めてだった九十九は、少しだけ驚いてしまった。しかし、きっと今までで一番素直な彼の言葉は、九十九の胸に強く響く。
「……俺の一番は、蓮なのに」
声が、震えているように聞こえた。
「……少し前に、聞いちゃったんですよ。蓮とオーナーが話しているところ。蓮……オーナーに、『みんなのヒーローになる』って言ってました」
「……ヒーロー?」
「ああ、いや、それは言葉の綾っていうか。うん、でも……蓮はヒーローだった。蓮って昔から、困った人に手を差し伸べるようなやつだったんです。でも、昔の蓮は、俺の……『華のヒーローになる』って言ってくれていた」
「……」
「蓮にとっても、たぶん俺が一番の親友で、一番の存在だったと思うんです。それが、いつのまにか、蓮はみんなのヒーローになってて。俺だけの蓮じゃないんだなって……あのとき思っちゃって」
華は、スタッフルームの外で、中にいる蓮と弥勒の会話を盗み聞きしてしまったときのことを思い出す。あのときは、激しく動揺した。それと同時に自分が嫌になった。
あの性格の蓮ならば、たくさんの人に手を差し伸べたいと考えるのは当然なのだ。それなのに、いつの間にか自分は、彼のことを自分だけのものだと思い込んでいた。
「あたりまえのことなんですよ。俺はもう大人だから、どっちかっていうと手を差し伸べる側であって。……それに、子供のころよりも大人の世界は広がるから、蓮がいつまでも俺だけに向き合っていられるわけがない。それなのに、いつまでも……蓮の世界には俺だけならいいのにって思って……」
「……でも、蓮くんは……たしかに、みんなに優しくしてくれるけど、華くんのこと大事な友達だって思っていると思うよ」
「まあ、今は……一緒にいますからね。でも、……蓮に大切な人ができて、そのうち結婚して、子ども産んで、家族ができて……そうしたら、蓮の中で俺って何番目なんですかね。圏外かもしれない。っていうか……蓮の中から、俺、消えるかも」
つらつらと、浮かんできたことを吐き出しながら、華は気付く。
ああ、俺は怖いんだ。
親友が自分以外と仲良くしていることが憎たらしいのでもなく、親友を独り占めしたいのでもなく。
ただ、大切な人の中から、自分の存在が消えることが怖い。
「――華くん」
ふ、と心の中に空いた穴が見えたとき、目が覚めるような九十九の声がした。は、と華が顔を上げれば、九十九が少しだけ怒ったような顔をして、華を見つめている。
「消えないよ」
「九十九さん……」
「蓮くんの思い出から、華くんが消えることはないよ」
ちか、とまぶしい光が華の目をかすめる。暁光だ。夜明けの太陽の光。
九十九はふ、と華に笑いかける。こんなときだというのに、この人もこんな風に笑うようになったんだ――そんなことを、華は思ってしまう。
「……華くん、覚えているかな。華くんが僕に、Flow Riderのみんなは、僕との出会いを幸せに思ってるって言ってくれたこと
」
「……はい、言いました、けど……」
「あの言葉――本当に、嬉しかったよ。あんなこと言ってもらえたの、初めてだったから。僕……あの言葉を、ずっと忘れないと思うんだ」
「……、」
華はぱちぱちと瞬きをする。
朝日が昇り始める。空を染めていた闇は少しずつ光に切り裂かれ、おぼろげな世界に煌めきをもたらした。
光は九十九を照らし、髪の毛をきらきらと輝かせている。
「たぶん、華くんも僕も、それぞれ大切な人ができると思う。別々の人生を歩むと思う。でもね、僕は華くんが言ってくれた言葉も、こうして話している時間も、……思い出の全部を、一生忘れないと思う。永遠に、消えないよ」
「――……、」
「蓮くんも、同じでしょ。華くんのこと、忘れたりなんかしないよ」
九十九の笑顔が、朝の青空に映える。
久々に、青空を見たかもしれない
――おかしなことを考えていたのかもしれない。
当然のように、自分の存在がいつか親友の中から消えるものだと思い込んでいた。自分だけが、彼を大切な存在だと信じ続けるのだと思っていた。
けれど、――それはおかしなことだ。
何度だって彼は笑いかけてくれたし、何度だって彼と同じ時間を過ごしてきた。数えきれない写真が心の中を埋め尽くしている。どうしてそれが消えてしまうと思っていたのだろう。
消えるわけがない。彼との思い出も――それに、こうして九十九と話している時間も。
怖かったのだ。それほどに、大好きな友達だったから。
おかしなことを、考えていたのだ。
「なんか俺、馬鹿みたいですね」
「そう?」
「……消えるわけないじゃん、俺と蓮は親友なんだからさ」
安心したように九十九が笑うので、華も笑ってしまった。
少しだけ滲む光が、眩しい。
今日の青空は、とても綺麗だ。
*
その日のFlow Riderも、いつものように忙しかった。ようやく休憩にありつけた九十九は、くたくたになりながらスタッフルームに向かう。
「あ、おはよう」
扉を開けると、そこには華と蓮、そして弥勒がいた。弥勒が作業をしているその後ろで、二人が喋っている。
「おはようございます、九十九さん」
二人は九十九に挨拶をしてくれた。いつものように二人の仲がよさそうだったので、九十九はほっとする。華の表情は、どこか晴れやかだ。
「蓮くん、昨日は百波がお世話になりました」
「いやいや! ていうか、あいつ、スマブル強くないっすか⁉ ピンクの悪魔にあそこまでぼっこぼこにされたの、初めてなんですけど!」
九十九は蓮の話を聞いて、苦笑する。今朝は百波といれ違いになってしまったので、まだ蓮の家に泊まったときの話を本人から聞いていない。楽しく過ごせたようでよかった、とそんなことを思う。
「そうだ、九十九さん」
九十九が蓮から昨日の話を聞き終わったタイミングで、華が声をかけてくる。九十九が華に視線を向ければ、華がにっと笑った。
「俺、九十九さんのイメージカラー考えたんですよ」
「えっ、何色?」
華の言葉に、蓮と弥勒も興味を持ったようだ。二人も、じっと華を見つめている。
「――空色」
空色、華がそう言えば、蓮が「なるほど~」と声をあげる。
「なんで? 九十九さんの透明感的な?」
「それもあるけど、――……」
華は九十九と視線を交わすと、くしゃっと笑う。その子供っぽい笑顔が珍しかったので、九十九は呆気に取られてしまった。
「――九十九さんと一緒に見た空が、忘れられないから」
「……!」
一生忘れない空の色。
九十九は華の言葉を聞くと嬉しくなって、笑顔がこぼれてしまった。
蓮はそんな二人を怪訝に思ったのか、不思議そうな顔をしながら「何? 何?」と華に尋ねる。しかし、華は余裕の笑みで、「秘密」と返すのみ。
「あと、俺のイメージカラーはやっぱりピンクでいいかなって」
「あ、それでいいんだ?」
華は立ち上がって、服装を整える。もうすぐ、始業の時間だ。
「今朝の俺、超素直だったでしょ?」
華が照れ笑いをする。九十九がふはっと笑えば、蓮はますます意味がわからないようで、「めっちゃ気になるんだけど⁉」とわたわたとしていた。そして、蓮も華と同じくフロアに向かわなければいけなかったので、慌てて立ち上がる。
「はい、じゃあ九十九さんが空色で、華くんがピンク。あとは与流と百波くんですね」
順調にイメージカラーが決まっていき、弥勒は上機嫌である。
華と蓮が、談笑しながら部屋から出ていく。その姿は、どこにでもいる友達同士のようだ。
二人が部屋から出ていく背中を見送りながら、九十九は微笑む。この光景も、たぶん忘れることはないんだろうな――そんなことを考えながら。
橘 百波は、思い悩んでいた。
この悩みについて解説するためには、まずはめくるめく百波の日々を辿っていく必要があるだろう。
――それは、百波が幼かったころのこと。何かのアニメだっただろうか、兄弟が離ればなれになってしまう物語を観た。
幼い子どもは他感なもので、そういった物語を見ると自分と重ねてしまう。百波は九十九に泣きついて、『兄ちゃんはいなくならないよね?』と尋ねたのだ。
そうすれば、九十九は答えた。
『いなくならないよ。ずっと一緒。だって、百波は僕のかわいい弟だからね』
――それは、百波が中学生、九十九が高校生だったころのこと。
その日は、バレンタインデーというもので、思春期の男子共が浮足立っていた。
百波も年ごろだったので、『はっ、チョコとかもらっても嬉しくねーし』と言いながらも、机の中やロッカーをその日のうちに24回確認した。
残念ながら机にもロッカーにもチョコは入っていなかったが、しゅん……としながら学校から帰ろうとしたところで、クラスの女子にチョコをもらえた。
それはそれは舞い上がってしまったので、帰宅するなり九十九に報告したのである。
『兄ちゃん、おれ、チョコもらった!』
そうすれば、九十九は平然とした顔で『そうなんだ、よかったね』と返してきた。百波としてはもっと驚いてほしかったので、『なんでそんなふつーな反応?』と尋ねてみれば、九十九は言ったのだ。
『百波ならチョコをもらえるって思ってたんだ。だって、百波は僕のかわいい弟だからね』
――それは、百波が専門学校に合格し、地元からの上京が決まったときのこと。
当時、九十九はすでに上京していて、東京にアパートを借りていた。東京の生活に不安を抱いていた百波は、『少しの間、一緒に住んでいい?』と九十九に尋ねたのだ。そうすれば、『少しだけと言わずに、ずっと住んでてもいいよ』と返されたのである。
『え、でも、兄弟で同じアパートに住んでいるっていうのもちょっと不便だろ? ほら、兄ちゃんにカノジョとかできたとき、邪魔じゃない?』
百波は、本心では九十九とずっと一緒に住んでいたかったが、そこは遠慮した。しかし、そのときの九十九の返答はこうだった。
『邪魔なんて思うわけないよ。だって、百波は僕のかわいい弟だからね』
――そして今。
ひさびさに、百波と九十九の休みが重なり、夜に二人で鍋をつついていた。旬のキャベツと豚肉を使った、ミルフィーユ鍋だ。春に入ってからはあまり鍋を作っていなかったので、二人とも食が進んでいた。それなりの量を作ったはずだったが、あっという間に具はなくなってしまう。
最後に1人分の量が余ったので、百波は九十九に譲ろうとした。九十九がいつもよりも食べるのが早かったので、おいしいと感じていたのだろう――そう思って。しかし、九十九は言ったのだ。
「あ、百波が食べてもいいよ。だって――」
ハッと百波が閃く。
この雰囲気は。なんでこんなタイミングで例のアレを言うのかは知らないが、この雰囲気は。もはやただの口癖になっていないかと思うが、この雰囲気は。
(くるぞ――くるっ……)
「百波は、僕のかわいい弟だからね」
「――ハイ! ハイハイ、予定調和! お決まりの展開! ストップ、あのな兄ちゃん、そろそろそれはやめよう⁉」
「?」
思惑どおりのことを言った九十九に、思わず百波はガタッと立ち上がる。思い切りツッコミをいれてやれば、九十九は不思議そうに百波を見上げた。
「……? それ?」
「だから、その、『かわいい弟』ってやつだよ!」
「……?????? だって、百波は僕のかわいいお」
「言ってるそばから!」
うがー! と百波が頭を抱える。
そう、百波の悩みとは。もっぱら、兄である九十九に、いつまでたっても「かわいい弟」扱いをされることだったのである。
*
「兄ちゃんのブラコンっぷりにはまいっちゃうっていうか……おれもう19歳なのに、かわいいって言われても困るって言うか」
百波のぼやきを、日本酒を飲みながら聞いていたのは蓮だった。「え、おまえがそれ言う?」という言葉を必死に飲み込んで、「うん、うん、なるほどな」と相槌を打ってやる。
華と九十九のホラー鑑賞会から逃げたあの日から、百波は蓮の家に行くことが増えてきた。数度目の訪問となった今日、百波は蓮にちょっとした相談をしてきたのだ。
曰く、九十九がいつまでも「かわいい弟」扱いをしてくるので、むずがゆいとのこと。
「かわいいって、べつに女の子みたいに思ってるとかじゃなくて、家族としての愛情みたいなもんだろ。気にしなくていいんじゃねえの」
「いや、それはそうだけど。おれは、どっちかっていうと、頼ってほしい。可愛がられるんじゃなくて、頼りにされたいっていうか」
「はあ、なるほどね」
蓮は百波の横顔を眺めながら、(でもこいつ生粋の弟気質なんだよなあ……)と考えていた。視線の先は、百波のおでこの上で揺れている、前髪をまとめたちょんまげである。百波が話すたびにぴよんぴよんと揺れているので、ついつい視線を奪われてしまう。
「おれ、蓮サンみたいになりたいんすよ、同い年の華サンからすごく頼られてるじゃないですか」
「え、そうだっけ」
「あの人、蓮サンの見てないところでやべえですよ。蓮サンのことを讃える言葉がガンガン出てきて、ちょっと怖えですもん。いや、それはどうでもいいや。とにかく、蓮サンみたいに、周りの人から「すごい」って言われるような大人になりたいんですよ、おれ」
百波はぐっと両手でこぶしを握りながらそんなことを言っている。
蓮としては、そう言われるのは嬉しいことだが、普段から何かを意識して行動しているわけでもないので、アドバイスのしようがない。そもそも、華はちょっと変わっているから奴の言うことは気にしない方がいいぞ、と言いたかったが、話が逸れそうなので黙っておく。
「……イメージカラーの話あったじゃないですか。おれ、はじめは黄色って思ったんす。ほら、この髪の色。染めたんすよ、強そうに見えたらいいなって思って」
「へえ~。じゃあ、黄色でいいんじゃねえの?」
「でもですよ、おれ、強そうって感じになれてないじゃないすか。染めたのは結構前ですけど、そのころからずっと、強そうな……兄ちゃんに頼られるような『大人』に憧れるばかりで……でも、そうなれていなくて。まだまだ、染めたときに定めた目標に、近づいていないっていうか」
「あれか、その髪、願掛けっていうか。まだその色をイメージカラーにするには、早いって思ってるみたいなやつね」
「そうそう、そういうこと」
髪色をもとにイメージカラーが決まった蓮としては、なんとなく百波の言っていることも理解できた。蓮も、少々事情は異なってはいるが、誓いを髪色に乗せたということでは変わりない。
「ちなみに、百波はどんな人が『大人』だと思ってるんだ? 頼られている人っていうことじゃなくて、たとえば『リーダーシップがある』とか『落ち着きがある』とか」
「えっ……」
「こうなりたいっていう目標があれば、目指しやすいんじゃねえの。大人ってだけだと、曖昧過ぎ難しいし」
「な、なるほど」
蓮が立ち上がる。百波の前に置かれている空のグラスを持って、キッチンへ向かった。「お客さん、何飲みます?」と聞いてみれば、百波が「オレンジジュースロックで」と返してくる。
「周りの人の、どこが大人っぽいのか観察してみたら。flow riderの人たちも、みんないい人たちばっかだし」
「……、そうっすね。ちなみに蓮サン的に、この人は大人だな~って感じる人いますか」
「俺? そうだな~」
尋ねられて、蓮はflow riderのメンバーの顔を浮かべてみる。年齢問わず全員のことを尊敬しているが、あえて大人っぽいと感じる人をあげるとしたら……と考え、一人の人物が脳裏に浮かんだ。
「与流さんかな。包容力やばくね?」
【百波の大人計画~春~】
「はあ、包容力」
困ったような顔を浮かべる与流に、百波がにゅにゅっと近づいていく。「包容力の秘訣は?」と尋ねてみたものの、与流は困惑するばかりだ。
「俺にそんなもんあっかな。よくわかんねえ。弥勒、どう思う?」
「なぜ僕に話を振るんだか」
「おまえが俺んとこ一番知ってんだろ~?」
「そうですね、背が高いのでそばにいてもらうと安全な気がしますね」
「安全って……おまえ、俺のこと避雷針かなんかだと思ってねえか?」
弥勒は与流に背を向けたまま、作業を続けている。よくわからない話を振ってくるな、とでも言いたげだ。
与流は「あ~」とぼやきながら頭をかいた。与流が戸惑うのも当然のことで、たいていの人は自分の美点などよくわかっていない。自覚もしていないことを「どうやっているの?」と言われても、答えようがないのだろう。
そんな与流に、蓮が言う。
「与流さんって、THE・大人って感じてかっけえなあって思うんですよ。何がってわけじゃないですけど、包容力高いな~って。安心感あるじゃないですか」
与流の包容力というものにはじめに言及したのは蓮だ。蓮は、初めて与流を見たときから、与流に憧れていたのである。与流を大人っぽいと思う理由をすべて挙げていけばキリがないが、まとめて言えばそれが「包容力」になるのだった。
「包容力包容力言うけどな」
「包容力は包容力です」
「抱擁でもすればいいのか?」
「包容?」
しかし、与流にそのようなふわっとした蓮の気持ちが伝わることもなく。与流は考えることをやめたようだった。ニッと悪そうに笑って、蓮の腕を引き、ぐいっと抱き寄せてきたのである。
「ほ、ホウヨウ違いです! 与流さん!」
「抱擁力だろ?」
「あーっ! いけませんいけません! 女の子になる!」
「キメェなおまえ……」
ぎゃいぎゃいと騒ぐ与流と蓮を、百波はぽかーんと見つめていた。
――これが、包容力……!
そんなことを思いながら、じーっと与流を観察する。
「百波も抱擁してやろうか?」
「よろしくおねがいしぁっす!」
「よし、こい」
与流がぱっと腕を開くと、百波はその胸に飛び込んでいった。その様子を眺めていた蓮は、(飼い主と犬……)などと思ってしまったが、黙っておく。
「はっ……これは……!」
ガシッとハグをされて、百波は瞠目する。
――ぬくもりっ……! なんというぬくもり……! 木漏れ日のような……安心感っ……! これが大人のっ……包容力っ……!
「……おい、あいつなんか宇宙猫みたいな顔してるけど大丈夫か」
「僕に話を振らないで下さいよアホらしい……」
与流の抱擁を受けて呆然とする百波を、蓮が見守る。弥勒は呆れたような顔をしながらも、作業をする手を止めない。
しばらくの茶番ののち、百波は開放された。百波はあわわ……となってしまっていて、言葉が出てこないようである。
「で、包容力が何かわかったか、百波」
「胸の広さと体温の高さ……」
「それただの身体的特徴じゃねえか」
結局、抱擁では包容力のことはわからなかった。あたりまえだが。
しかしそれはそれとして、百波は、自分は大人になれないと感じてしまった。与流に比べて背が低いし、他人を包み込むほどの懐の広さもない。
もしや生まれたときから自分には包容力が備わっていないのでは……? イコール大人にはなれないのでは……? と思ってしまったのだ。
う~ん……と悩んでいる様子の百波を見て、与流がため息をつく。
「つーか、大人らしくなりたいんだっけ? そんなら、包容力とやらにこだわらなくてもいいだろ」
「!」
たしかに、と百波は思った。あくまで包容力は、蓮の考える大人らしさである。ほかにも、大人らしい要素があるなら、それにならってみてもよいだろう。
「弥勒とかどうよ。大人らしいと思うぜ、俺は」
「……はっ⁉ なんですか急に」
「大人っつったら、社会性ってやつだよ。こいつ、今はなんかアレだがよ、人前に出たらかなりしっかりしてるだろ。大人には、メリハリも大事だぜ」
「今はなんかアレって言いましたか?」
「言ってねえなあ。ところで弥勒、おまえも抱擁してやろうか」
「寄るな」
「ガチ拒絶かよ」
ほう……と百波は納得する。
弥勒と百波はたった1歳しか離れていない。しかし、百波から見ても、弥勒は落ち着きのある大人のように見えた。彼を参考にしてみるもアリだなと思ったのだ。
「オーナー、おれ、オーナーのこと参考にしてみる……!」
「え、なんで僕まで巻き込まれてるんですか?」
【百波の大人計画~夏~】
その日もflow riderは客で賑わっていた。
今日はフロアに入れるスタッフが少なかったため、百波もフロアの仕事を補助することになった。しかし、百波はフロアの仕事に慣れていない。緊張で、落ち着きなくそわそわとしていた。
「百波くん、人前に立つのが苦手ですか?」
そして今日は、弥勒も現場に出ていた。弥勒は基本的にflow riderの経営をしているので現場に出ることは少ないが、たまにこうしてスタッフと共に仕事をしているのである。
「あ~……おれ、ちょっと人見知りするから……」
「なるほど、まあ、慣れですよ慣れ。どうにでもなりますから」
「そうかな……」
百波は弥勒を見つめながら、はあ~とため息をつく。歳がほとんど変わりない彼がここまでしっかりとしていると、どうしても自分と比べて落ち込んでしまうものだ。
「ま、でもファンがつくくらいだし、百波はしっかりできてるってことだろ。緊張なんてしなくてもいいと思うぜ!」
久々のフロアの仕事に緊張している百波を、蓮が励ます。そうすれば、百波は「うす……」と呟いて、なんとか自分を鼓舞していた。
「っていうか、俺、オーナーがフロアの仕事するの、初めて見る」
「そうでしたっけ」
「オーナーの制服姿、すげえ新鮮だなあ」
「それはどうも」
蓮はフロアに立つ弥勒を物珍しげに眺める。いつもとは全然雰囲気が違うので、驚いたのだ。
スタッフルームで椅子にもたれかかって怠そうにしている彼からは考えられないほど、ビシッとしていて制服がさまになっている。なるほど、これはたしかに大人のメリハリというものかもしれない、そんなことを考えた。
「ああ、お客様が呼んでいますね。ちょっと行ってきます」
客に呼ばれた弥勒は、すたすたとフロアに出ていってしまった。ついつい、蓮と百波はその姿を目で追ってしまう。
弥勒は、二人からちょうど見える位置のテーブルに向かっていった。到着して、弥勒が客と顔を合わせれば、その表情が二人からよく見える。
「――ご来店ありがとうございます。ご注文はお決まりですか?」
「⁉」
蓮は驚きで目を見開いてしまう。見たこともない爽やかな笑顔、まっすぐに伸びた背筋、はきはきとした話し方――あそこにいるのは、本当に弥勒なのだろうか。
そんなことを思ってしまうほど、接客中の弥勒は別人のようだった。普段の様子と接客姿が変わるのは当然だが、弥勒は普段が普段なので、そのギャップが凄まじい。
「……誰?」
「オーナーの接客、すごいっすよね……めっちゃキレイな接客」
唖然としている蓮の横で、百波が感嘆している。百波は何度か弥勒の接客を見たことがあったので、蓮のように驚くということはない。しかし、何度見ても見惚れてしまうその接客姿に、百波は感動してしまったのだ。
オーダーをとった弥勒が戻ってくる。視線に気付いていたのか、苦々しい表情を二人に向けてきた。先ほどの笑顔は幻のように消えている。
「オーナー、俺にもあの笑顔見せて」
「はあ? お断りします」
「なんでだよ~俺もオーナーのスマイルが欲しい! 減るもんでもないだろ」
「減りますね」
「減るの……?」
弥勒は蓮をあしらいながら、さっさとキッチンに入ってしまった。蓮ががっかりとしていれば、また、客がスタッフを呼ぶ。蓮が注文を取りに行こうとすると、百波が「おれが行く」と蓮を制した。
「おれも、オーナーみたいに頑張る」
「お、よし、いってら~」
弥勒を見た直後だからか、百波の接客へのやる気が上がったようである。どきどきとしながらも、客のもとへ向かう。
「お、お決まりでしょうか……」
(……っ、あ~、だめだ! やっぱ緊張する!)
やはり噛んでしまった自分に、百波は悔しさでいっぱいになった。同時に、かあっと顔が赤くなるのを感じて、羞恥心も覚えてしまう。
人前に出ると緊張してしまう性格は、気合だけで治せるようなものではない。すぐにできることではないとわかっていても、いざできないとなると落ち込んでしまう。
とりあえず注文をとることはできたので、百波はキッチンに戻る。がくっとうなだれている百波に、弥勒は「べつに変でもなかったと思いますけど」とフォローをした。
「でも、やっぱりオーナーみたいにビシッとした接客がしたい……」
「はじめのころに比べたら、ずいぶんとこなれてきたと思いますよ。そのうち、もっとよくなるでしょう。そんなに悲観的にならなくてもいいんじゃないですか」
「……フォローの仕方まで大人だ~オーナー……」
「別に、大人ってわけでも……僕だってできないことはいくらでもあるし」
できないこと、それを聞いて百波も蓮も驚いた。弥勒のことを、なんでもこなす天才肌のように思っていたからだ。目を丸くする二人に、弥勒は居心地悪そうにため息をつく。
「大人っぽい人、でしたっけ。僕は、個人的に華くんがそれだと思いますね」
「あれ、そこ与流さんじゃないんだ?」
「与流はシードです。まあ。なんというか。僕的には、華くんのあの性格はうらやましいなって」
「性格?」
蓮と百波が首をかしげる。
華の性格? ちょっとぶっ飛んでる? ナルシス……いや自己評価が高い? ホラー大好きマン?
二人は弥勒が華のどの性質のことを言っているのか見当がつかなかったが、弥勒はすぐにその答えを言う。
「素直でしょ、華くん」
【百波の大人計画~秋~】
素直な人は大人っぽい――そんな弥勒の理論も、百波はなんとなく理解できた。
たとえば思春期のころは素直になれなかった家族に対して、大人になれば素直に接することができるようになるというもの。百波も心当たりがないわけではないので、弥勒が言うこともわかるのだ。
ただ――
「え? 俺が大人? 大人の魅力ってやつ? もっと褒めていいよ、百波くん」
「……」
この人は少々素直すぎないか、と百波は感じていた。
ある日のバイト終わり、百波は華と共にファミリーレストランにきていた。そこで、今まで蓮や与流、弥勒と話してきたことを華に伝えたのである。オーナーが大人って言ってましたよ、と言ってみれば、このとおりだ。
「俺も知ってたけど、改めて言われると嬉しいな。弥勒くんも可愛いところあるね」
「……」
弥勒は、華のどのあたりが素直なのかをはっきりと言っていなかったが――言われてみれば華は素直である、と百波も感じていた。たとえば、こうもはっきりと自分を賛美するあたりとか。
「百波くん、チベットスナギツネみたいな顔で俺を見つめないで」
「あ、すみません。つい」
百波は、にこにこと笑顔を浮かべる華を、観察するように見つめる。
華は、よくナルシズムあふれる発言をするが、それゆえに常に堂々としているように見えた。そして、だからこそ何事もスマートにこなすし、余裕があるように見える。
このくらい自分に自信を持てれば、自分も大人らしい振る舞いができるようになるのだろうか……そんなことを百波は思う。
「華サンって、どうやって自信をつけてます? おれ、もっと男らしくなりたいんすけど、どうしてもひよっちゃうときがあって」
「自信?」
「ほら、華サンって、自分のこと信じてる感があって、すごいな~って」
「なるほど」
華はきょとんとした表情を浮かべる。百波の言葉に驚いたようだ。まるで、そんな自覚はなかったというように。
「いや、実際に華さんはイケメンだし、気が利くし、自分に自信持てるのが当然な人って感じはするんすけど、それでも自尊心ってなかなか持つのは難しいっていうか」
「なるほど? そんな風に思う? 俺のこと」
「?」
華の反応は半端なものだった。ここは「知ってる! 俺イケメンだし気が利くよね!」のような反応が返ってくるものだと百波は思っていたのだが、華はどうにも歯切れの悪い様子だ。どうしたのだろうと百波は思ったが、その理由は華がすぐに口にした。
「べつに俺、自分のことイケメンとも気が利くとも思ってないよ?」
華の言葉に、百波は仰天する。それならば、今までのきざな物言いは何だったというのか。
「……え、ええええ? あれっ? でも、いつも『イケメンですけど何か?』みたいなこと言ってるような?」
「いや、だって……俺、蓮の友達じゃん? 蓮の友達である俺が、完璧じゃないわけがないよね?」
「――……な、斜め上すぎる」
華の答えには百波も驚愕である。華が蓮のことを大好きなのは知っていたが、そこまでだとは思っていなかった。参考にならないというより、これ以上突っ込んで聞かないほうがいいのでは? と感じた百波は、思わず閉口してしまう。
しかし、華はそんな百波の困惑も無視して、語り始めたのだった。
「弥勒くんにも『それはちょっと僕にもわからないですね……』って若干引き気味に言われたんだよね。でも、ほら……推しの好きなものって自分も好きになりたいでしょ? 好きなアイドルが苺好きだったら、自分も苺ばっかり食べたくなるじゃん? それと同じみたいな? 蓮が俺のこと好きなら、俺も俺のこと好きになろうかと」
「はあ、なるほど……」
それとこれは微妙に違うような、とは百波は言えない。華も百波が納得していないのに気付いたようだ。ふっと笑うと、「じゃあ、たとえばさ」と続ける。
「ねえ、百波くん」
「?」
華は改まったように、百波を正面から見つめた。顔面については文句なしの彼なので、こうして真面目な顔で見つめられると、ここがファミリーレストランであることを忘れそうになる。ここは三ツ星レストラン? 洒落たカフェ? それにしてもこの人、顔面強いな!
「俺は百波くんのこと、好きだよ」
「……へ? へぇえぇぇええ……? なんすか急に」
華は頬杖をつきながら、どこぞのドラマのワンシーンのようなことを言ってきた。突然そんなことを言われて理解できるわけもなく、百波は唖然として腑抜けた声をあげることしかできない。
そのタイミングで店員が「おまたせしました~! ミラノ風グラタンでございま~す!」とやってきたので、謎に作られていた雰囲気はぶち壊しになったが。
店員が去っていくと、華はさっそくミラノ風グラタンを食べ始めた。「あっつ!」とぼやいている様子を見ると、彼は猫舌のようだ。
「どう? 好きって言われれば、百波くんも百波くんのこと、好きになれるでしょ?」
「……?」
「もっとわかりやすく言ったほうがいいかな? 俺は、がんばってる百波くんも好きだし、面白い百波くんも好きだし、照れ屋な百波くんも好きだし、怖い話が苦手な百波くんも好きだし、朝食用の牛乳が一番安く買えるスーパーを知ってる百波くんも好きだし、中学の卒業式に第二ボタンを女子からねだってもらえなくて九十九さんに見栄をはるために自分で第二ボタンを引きちぎった百波くんも好」
「す、ストップストップ、もういいっす、大丈夫です、っていうか絶対兄ちゃん変なこと華サンに吹き込んでますよね⁉」
百波は顔を赤くしながら、華を制止する。
華の言いたいことを、百波はようやく理解した。たしかに、がんばっているところ、面白いところ、照れ屋なところ――それらは、自分自身では美点だと思っていないが、「好き」と言われれば、そう悪いことでもないように思えてくる。
自分を自信づけるのは、自分自身とは限らない。華は、何も強い精神力を持っていたというわけではなく、友人の存在に支えられてきたのだろう。少々蓮への矢印が太すぎるのが危ういが。
ただ、それはそれとして。
百波は、もう一つのことに気づいた。弥勒の言葉の真意だ。
――オーナーが言っていたのは、これか!
華の口から歌うように流れ出てきた、百波への好意的な言葉(牛乳と第二ボタンのことは聞かなかったことにする)。弥勒は華のナルシ発言のことを素直と言っていたのではない。自分の感情に素直なことを言っていたのだ。
華は、他人への好意を示す言葉、自分を褒める言葉、照れくさくていいにくいような言葉であっても、ためらわずに口にする。自分自身に、とにかく素直だ。
「でもさ、自分の気持ちはちゃんと伝えたほうがいいと思うんだよね。いいことなら、言われたほうも嬉しいでしょ? 好きって気持ちは、ガンガン伝えないとね」
「ま、まあ……そうですけど」
「百波くんもお兄ちゃんに言ってみたら?」
「ドゥッ……どえっ⁉ む、むり」
「え~、九十九さん、喜ぶと思うけどなあ~」
百波はシュッシュッと首を横にふる。
自分の感情を相手に素直に伝える――それは、難しいことのように思う。簡単なようでいて難しいから、弥勒はそれを「大人」と表現したのだ。
現に、百波はそれができない。もしも九十九に素直な気持ちを伝えるなら――「いつもありがとう」あたりだろうか。それくらいなら言えるかもしれないと思うのだが、実際に自分が言っているところを想像すると、かあ~っと顔が熱くなってきてしまう。
「ど、どうやったら素直になれますかね……おれにはまだ、難しいかも……」
「今すぐじゃなくてもいいんじゃない? まだ先は長いんだし、いいタイミング見つけて言ってみたらいいよ」
「う、うっす……」
たしかに、今すぐにできるかと言えば、百波にはできなかった。いつか絶対言おう……と決心しながらも、やっぱり自分はまだまだ子どもなんだな、と考えてしまう。
「大人……大人って難しいっすね……おれには足りないことばっかりだ……」
「え~?」
「……ちなみに、華サンが大人って感じる人、いますか?」
「蓮かな」
「あ、うす、っすよね。特にどのへんです?」
「どのへん? どのへん……全部? そうだ、あえて言うなら……一緒にいると、元気になれるよね、蓮は。そういう人ってすごいなって思うよ、俺」
【百波の大人計画~冬~】
「なんか一巡してきたな?」
「……うっす」
蓮にこの相談をするのは、2度目だ。九十九に頼られるような大人になるにはどうすればいいのか。
今まで、与流に弥勒、華、と相談してきたが、百波は「大人になる」ことが難しいという結論にたどり着いてしまいそうだった。自分はいつまでも子どもっぽいままなのだろうか……そんなことを、蓮に伝えてみたのである。
そうすれば、蓮はくつくつと笑いだした。わりと真面目に相談していたので、百波は「なんで笑うんすか!」と少しだけ怒ってしまう。
「いや、わりぃ、馬鹿にしてるわけじゃなくてさ。……大人っぽさっていうか、みんなのいいところ知ってきたんだなって思って」
「?」
「与流さんがいると安心できるところとか、オーナーの仕事への想いとか、華の色々すごいところとか、大人っぽいところというよりは、みんなのかっこいいところじゃん?」
「かっこいいところ……」
百波ははっとする。今まで、大人とは何かということを探しにいろんな人に相談してきたが――思い返せば、出てきた答えはみんなのよいところだった。
あれ、じゃあ、大人ってなんだ? そんなことを思えば、蓮が言う。
「俺もあんなこと言ったけどさ、大人が何かなんて結局よくわかんねえじゃん? いやなことを我慢することが大人なら、大人って不幸せだなって思うし。俺は与流さんに憧れるけど、与流さんのようになれなかったら大人じゃないとは特に思わないし。結局さ、自分にないものに憧れて、それを大人っぽいって思っちゃうんじゃねえかな」
「じゃあ、大人になりたかったら、どうすればいいと思います?」
「――自分らしさを見つけてみたらいんじゃね?」
「自分らしさ……」
蓮はうんうんとうなずきながら、ビールを飲んでいる。少しだけ酔っているのか、わずかに肌に朱が差している。
「自分らしさを見つけて、そのまま生きていけば、かっこいい百波になれると思うし、きっと誰かがそんなおまえのことを好きになってくれるよ。そんで、そんな大人になりたいって思ってくれると思う」
「――……」
「お客さん、リンゴジュースロック?」と蓮が聞いてきた。百波がうなずけば、氷の入ったグラスにリンゴジュースが注がれる。
「……でも、おれらしさってなんだろ。おれ、兄ちゃんのために強くなりたいって思ってるけど、全然うまくいかないし。うまくいってないから、ダサいし。これ、いいところでもなければ、大人っぽいところにもならなくないっすか?」
「そうか? 九十九さんのために頑張ってるおまえ、かっこいいよ」
「えっ、で、でも」
かあっと顔を赤くしながら、百波はちびちびとリンゴジュースを飲む。蓮は華と似ているのだろうか、容赦なく褒めてくる。百波はそういったことを言われるのに慣れていないので、どうしても面映ゆい。
「うまくいってるとかいってないとか、そういうことじゃなくてさ、大事な人のために何かするって、すごいことだと思うけどな、俺」
「……そう、すかね」
「そうそう。九十九さんが『かわいい』って言ってくるのだって、嬉しいんだよ、百波がそうして自分のために何かやってくれてるの。大切な弟がそうやってがんばってるのを見て、かわいいって思わないわけねえだろ」
かわいいという言葉にとらわれすぎていたが――九十九は、ただただ弟のことが大切なだけだ。百波が、その言葉に反応してしまったのは、自分に自信がないからだった。頑張っているけれどうまくいかなくて、だから子どもっぽいと思われるのが嫌で。
しかし、たしかに百波は、今までずっと頑張ってきた。そんな自分を、認めてもいいのではないだろうか。ここまでいろんな人に相談してきたなかで、百波はそんなことを思い始めていた。
「……じゃあ、おれ……このままでも大丈夫、すかね」
「あたりまえだろ」
蓮がぐしゃっと百波の頭をなでる。「ちょっと、蓮サン……!」と百波が顔を赤くしても、蓮は手を止めない。
「みんなも、俺も、今の百波のことが好きだぜ!」
百波の金髪がぐしゃぐしゃにかき混ぜられる。
「……、」
そうだなあ、頑張ってきたもんなあ。「お兄ちゃんを守るために強くなりたい」って、ちょっとワルに見えるようにこの髪を染めて、ここまできたんだもんなあ。もう、髪を染めてから何年経っただろう。あのときの想いがまだ続いているんだから、まあ、そこそこすごいことかもしれない。
「……おれのイメージカラー、黄色でいいかな」
「いいんじゃね? 似合ってるぜ!」
「……そ、すか。あざっす」
よくよく蓮の顔を見てみれば、酔いですっかり赤くなっていて、それなりに出来上がっているようだ。
あ、これ、これからめんどい絡みされそう……そんなことを思って、百波は笑う。
【百波の大人計画~了~】
春のわりには、少し暑いくらいの日だ。
再び九十九と休みがかぶった百波は、だらだらとテレビを観て過ごしていた。そうしていれば、九十九が冷蔵庫から何やらとってきて、百波の隣に座る。
(あ……アイス! なんか視界に入ると無性に食いたくなるな……)
九十九と百波も、朝と晩のごはん以外の食べ物は、特に共有していない。お菓子もアイスも、各自食べたいものを買っておいて、勝手に食べる。
そのため、九十九が百波の隣でアイスを食べているのはいつものことなのだが――暖かすぎる陽気も手伝ってか、つい百波の視線は九十九の手の中のアイスに向けられてしまった。
「ん? 百波、食べる?」
「はっ……! い、いや、いらねえ!」
九十九は、そんな百波の視線に気付いたようだ。百波は恥ずかしくなって、ぱっとアイスから目を逸らす。
「え~? 遠慮しなくていいのに」
「いや、ビノとかのシェアならまだしも、雪見だいふくもちのシェアはダメだろ! 2分の1じゃん!」
「そうだね~」
九十九は百波の言葉を聞いているのかいないのか、テーブルの上に乗っているプラスチックのボックスに手を伸ばす。そこからつまようじを取り出して、ぶすっとだいふくもちの片割れに刺した。
「はい」
「……、さ、サンキュー」
渡されてしまったので、百波は素直に受け取った。はむ、とかじれば、もちもちとした触感と、甘いバニラアイスが口の中に溶けていく。やっぱり最高に美味い――百波がしみじみとしていると、九十九がくすくすと笑った。
「ほしかったら、全然言ってくれていいんだよ。シェアするの好きだからね。だって、百波は――」
「で、」
「――僕のかわいい弟だからね」
「でた! でたなそれ!」
九十九は「でましたね~」と言いながら、もぐもぐとアイスを食べている。
百波はむう~っとしながらも、前ほど「かわいい」に抵抗感を覚えていなかった。だって、九十九と仲がいい証拠だし。おれはおれのままでいいし。
「――つうかさ、聞いてよ兄ちゃん。この前、蓮サンちにいったとき、蓮サン超酔っぱらってさ――……」
橘 百波は、思い悩んでいた。
――というのは、少し前の話。
夜にはそこを通るなと、俺は言った。太陽が隠れると神さまが眠り、そこを通るのは世にも恐ろしい悪鬼羅刹、百鬼夜行。太陽の下で生きる者が、そんなところを通るんじゃない。俺は、そう言ったんだ。
けれど、ソイツは軽い足取りで一歩一歩とそこに近づいていく。馬鹿かおまえ、信じる信じないはおまえの勝手だが、縁起でもねえって言葉をおまえは知らないのか。俺が止めてやれば、ソイツは振り返る。
『大丈夫、僕が百鬼夜行の仲間入りすればいいだけですから』
また、変な冗談を言うやつだ。俺はわりと洒落は嫌いじゃねえけど、おまえのそれはどうかと思うぜ。冗談を言うなら笑える冗談を言えってもんだ。
そんな、おまえ自身がつまんなそうに言う冗談、笑えねえよ。
*
「はい、全員のイメージカラーが決まりましたね。じゃあ、次の段階に行きましょうか」
全員がそろったある日、弥勒はそんなことを言った。それを聞いた蓮も華も九十九も百波も、「ん?」と首をかしげる。一人、足りなくないかと。
蓮は赤、華はピンク、九十九は水色、百波は黄色。そのようにイメージカラーが決まったところだが――そう、与流のイメージカラーがまだ決まっていない。
そんな4人の疑問を弥勒は感じ取ったのか、けろっとした調子で言う。
「与流はもう決めました。黒です」
「へえっ、いつの間にか決まってたんだな! ちなみに、なんで黒?」
「なんとなく。与流が決めるの遅いので、僕が決めました」
「なんとなくかよ! まあ……合ってると言えば合ってるけど」
与流のイメージカラーは、黒に決まっていたという。特に細かい理由はないのだと、弥勒は言った。弥勒の隣に立っている与流も特に表情を変えていないので、二人の間で決まっていたことなのだろう――4人は、そんな風に察するしかない。
とりあえずは5人のイメージカラーが決まったということで、弥勒は次の段階に移行するつもりのようだった。パソコンの画面を開いて、5人に見せてくる。
「さっそく、具体的な計画に移ります。まずは、ドリンクメニューの考案です。いきなりフードメニューを作って大々的にカフェをやるのもリスキーなので、ドリンクから作っていきます」
「じゃあ、俺たちはドリンクを考えればいいってこと?」
「そうです。華くんのイメージカラーはピンクなので、華くんならピンクの色合いになるようにドリンクを考えてください」
「なるほどね。って言っても、俺、自分でメニュー作るのは初めてだからなあ……」
「そのへんは、過去のメニューもある程度参考にしていいので。でも丸パクはだめですよ」
なるほどね~、とうなずきながらも、蓮と華、そして九十九に百波は不安そうだ。Flow Riderの社員である弥勒や与流はともかく、4人は企画に立ち会う機会などなかったのだから。
「はい、オーナー!」
「なんですか、一星くん」
メンバーは一様に悩み始める。そんな中、蓮が声をあげた。弥勒が視線をやれば、蓮は挙手をしながら言う。
「オーナーのイメージカラーも決めようぜ!」
弥勒はじっと蓮を見つめ返し、あからさまな虚無の表情を向けた。「はあ? 何言ってんだコイツ」と言わなくても伝わってくるような、そんな表情である。
「やっぱり、オーナーも一緒にやってほしいっていうかさ」
「……僕はサポートってはじめに言ったじゃないですか。僕はプロジェクトのメンバーにはならないですよ」
「オーナーは緑とかどう? 緑っぽい服をよく着てるし」
「勝手に話進めてるし……」
はあ、と弥勒がため息をつく。自身がプロジェクトに加わるつもりがない弥勒は、蓮に冷ややかな視線を送るばかりだ。しかし、ほかのメンバーはそうでもないようで、二人の会話に混ざってくる。
「オーナーは忙しいからプロジェクトに入らないの?」
「ええ……まあ、たしかに忙しいからって理由もありますけど……」
「じゃあ、たまに顔を出すレアキャラみたいなの、どう? 今もフロアの仕事については、そんなスタイルでしょ?」
「いやいや……あくまで僕はサポートに徹しますから」
華にまで詰め寄られて、弥勒はたじたじとしてしまう。華は弥勒が迷惑そうに顔をしかめているのも無視して、ぐいぐいと弥勒に近づいていった。そして、きゅっと弥勒の手を握ると、にこっと微笑みを浮かべる。
「え~? でも、オーナーは顔も可愛いから、いけると思うんだけどなあ。俺とツートップ目指さない?」
きらきらとした眼差しを向けられて、弥勒は露骨に顔をしかめた。ぺし、と華の手を払うと、すうっと椅子ごと後退して華から距離をとる。
「きみとツートップになるのなんてまっぴらごめんですし、色々余計なお世話ですよ」
「え~? じゃあ俺、誰とツートップしようかな。蓮? 九十九さん? 与流さん? 百波くん!」
「絶対にツートップに自分が入ってるあたり、華くんって感じですね……」
弥勒にフられた華は、残念そうな表情を浮かべる。そして、そのまま百波に近づいていくと、百波の肩を抱いて「百波くん、俺とツートップしよ……?」と耳元で囁いた。
百波が顔を赤くしたり青くしたりを繰り返している横で、九十九は「ツートップが隠語みたいになってる……」とぼやく。
「オーナー、ほんとにメンバーに入んねえの?」
「一星くんは一星くんで、なんでそこまで僕のメンバー入りにこだわるんですか」
「え? オーナーが好きだから!」
「……はあ」
「そんな白けた目で俺を見んなよな~。嘘じゃねえぞ、好きなメンバーとプロジェクトができたら楽しいじゃん! だから、オーナーにも入ってほしいって思ってるってだけ」
「はいはい、きみの気持ちはわかりました。でも僕はメンバーには入らないので、さっさと次の計画に移ってください」
「ええー!」
弥勒は蓮をいなし、話を進めてしまう。
メンバー5人で、ドリンクを考案。結局は、この計画で進んでいくのだった。
*
ドリンク考案の話を受けてから数日後、閉店後の厨房には与流が残っていた。フロアの片づけを終えた九十九と百波が、与流が何かをやっていることに気付く。片づけ作業をしているわけではなさそうだ。
「何か作ってるんですか?」
「ん? ああ……例のドリンク、色々試しててな」
与流の手元には、カップに入った飲み物がある。どうやら与流は、自分のドリンクメニューを考えていたようだ。
そのカップには、黒と白の二層のドリンク。興味を持った九十九がまじまじと見つめていれば、与流がふっと笑う。
「むぐっ」
カップにストローを差して、与流はそのままそれを九十九の口に突っ込んだ。色だけでは味が全く想像できないドリンクだったので、九十九は恐る恐る吸ってみたが――
「……これは、コーヒー? ですか?」
どうやら与流が作っていたのは、コーヒーをベースにしたドリンクのようだ。仕事終わりの疲れた体に染み込んでいくような味に、つい九十九は笑みをこぼす。
「ああ、黒い飲み物っていうと、このあたりだからな。まだ試行錯誤中だが」
「へえ。飲みやすくて、これ美味しいですね」
「おれもおれも」と、百波も九十九に続いて与流の作ったドリンクを飲む。そんな百波の様子を眺めながら、与流はじっと黙っていた。「どうかしましたか?」と九十九が尋ねてみれば、与流は神妙な面持ちを浮かべる。
「……、黒って何だと思う?」
「何って言うと?」
唐突な質問に、九十九はきょとんとした顔をする。与流は頭をかきながら、珍しく困ったような表情を浮かべた。
「いや、弥勒が俺のイメージカラーは黒って言ってたんだが……なんでっていうのを教えてくれなくてな……なんとなく、でも全然いいんだが、俺ってそんなに黒のイメージあるか?」
「……黒……黒……」
与流のイメージカラーについて。
弥勒が決めたというので、九十九も百波も納得していたのだが――与流は、その理由がわからず、気になっているようだった。
九十九と百波は、てっきり与流と弥勒の間でその話は済んでいるものだと思っていたので、意外に思ってしまう。
「まあ、イメージカラーはなんとなくそれっぽいっていう感じでも全然いいと思いますけど……そもそもなんで与流さんが黒かっていうと……えーと……持ち物が黒い、とか?」
「いや、髪の色とかじゃねえ?」
「あ、それともコーヒーとか。与流さん、よくコーヒー飲んでますし……」
「それを言ったら兄ちゃんはどどめ色だな!」
「ど、どど……? 僕、そんなに変なものばっかり飲んでるかな……?」
与流は二人の話を聞きながら、なるほどな、と頷く。しかし、二人が挙げたどの理由でも納得がいくので、余計に弥勒の真意が気になってしまった。自分はどんなイメージを弥勒に持たれているのだろう、そんなことを考えてしまう。
「黒と言えば……この前、華くんと心霊スポット行ったとき、外が真っ暗で楽しかったな~。都心を離れると、東京でも真っ暗になるね。黒い空は久々に見た」
「うげえ……まあたホラー同好会かよ……なんかおばけとか妖怪とか、憑いてたりしないよな、兄ちゃん」
九十九はにこにこと微笑み、百波は顔をしかめている。与流は仲のいい二人をほほえましく眺めていたが……なんとなく、九十九の話が気になってしまった。
そういえば俺も、弥勒と一緒に暗闇の中で――
「与流さん? どうかしましたか?」
「もしかして与流サン、ホラーがダメなタイプっすか⁉ おれの仲間?」
二人に名前を呼ばれて、与流はハッと目が覚めるような心地になった。何かがひっかかるような気がしたが、何が気になっているのかが自分でもわからない。与流は誤魔化すように笑って、ぺし、と軽く百波にでこぴんをする。
「馬鹿、バケモンが怖くて神社に住めっかよ」
「そういえば与流サンの実家、神社でしたっけ」
「ああ。たま~に近所の大木にワラ人形刺さってるぜ。クソ迷惑、木が痛むだろうが、なあ?」
「わっ、ワラ人形!」
ひえ~っと震えた百波を見て、与流が笑う。
なぜ、黒がイメージカラーに選ばれたのか。それは、まだまだわからなそうだ。3人はドリンクメニューの作り方などを話しながら、いつもよりも少し遅い時間まで店に残っていたのだった。
*
結局のところ、なぜ与流が黒のイメージを持たれているのかはわからず。与流もそこまで気になっていたわけではないのだが、なんとなく、その日一緒にシフトに入っていた蓮と華にも尋ねてみた。黒と言えば何を思い浮かべる? と。
「黒? 黒と言えば……蓮が作る唐揚げとか」
「さりげなく俺の料理ディスるのやめね?」
「あはは、本当にダークマター作る人初めて見たから面白くて」
華がけらけらと笑っている。華はスマートフォンを与流に見せてきて、「やばくないですか」と言う。
画面には唐揚げの「か」の字も感じさせない、黒こげの何かが映っていた。鶏肉が可哀想すぎる。つい与流が顔をしかめれば、蓮は話を逸らすようにして「ほかにも黒いものあるだろ!」と声をあげた。
「ほら、黒い料理と言えば……この前、与流さんが作っていた黒ゴマプリン! あれ、美味かったな~」
「え~、俺、それ知らないんだけど……いいなあ~。そうだ、与流さん、何か黒い料理とか作ってたりしたんじゃないですか? それをオーナーに食べさせたとか……」
華に尋ねられて、与流は記憶を辿ってみる。
黒い料理……? 弥勒には色々と食べさせたが、その中に黒い料理はあっただろうか。ガトーショコラ? 黒いチーズケーキ? たしかにそれらは喜んでもらえたが、一番反応がよかったのは普通の黄金色のアップルパイだったような……。
「黒い料理ってほかに何かあるか?」
蓮も黒い料理について考えてくれているようだが、思い浮かばないようである。華に質問をパスすれば、華は「あ」と何かを思い浮かべたようだ。
「この前、九十九さんが食べてたナマコとか……」
「え、あの刺身、白くなかったか?」
「生命体の方は黒だよ。なんかウゴウゴしてるアレ。ほら……この写真!」
「グロッ!」
「ええ? 可愛いじゃん」
「……そうかあ? 俺はナマコ食えねえ~……いや、てかナマコは違うだろ」
華のスマートフォンには、今度はナマコが映っている。黒光りする体ににょきにょきと生えたツノのようなもの。蓮と与流が渋い顔をする中で、華だけがにこにこと笑っている。
「じゃあ……黒……イカスミパスタとか?」
「それ、名前はよく聞くけど、美味いのか?」
「さあ……」
なんだか珍妙な料理ばかり挙げられていくな、と考えながら、与流はますます混乱していた。やはり、黒といってイメージされるものが、自分とはなかなか結び付かない。
「まあ、オーナーですし。本当になんとなく考えただけって感じじゃないですか?」
「……まあ、そうだな。あいつの考えることは、たまに突拍子もねえことだったりするし」
弥勒が悪いイメージを提案してくる、ということはないだろう。実際のところ、気にする必要がないことではあるのだが――どうしても、与流は気になってしまったのだ。
彼にとって黒はどんな色で、なぜ黒を自分に当てはめてきたのか。
長い付き合いゆえに、彼の気持ちが気になってしまう。
「ナマコとかイカスミじゃねえといいんだが……」
「大丈夫ですよ、与流さん! 黒ゴマプリンのほうですって!」
「俺にも黒ゴマプリン作ってください♡」とせがんでくる華の額をぐりぐりと指で押しながら、与流は苦笑した。
むしろ、この珍妙な料理のことを指しているなら面白いんだけどな、なんてことを考えながら。
*
誰かが一緒にいるときでは、教えてくれることはないだろう。与流はそう思って、弥勒と二人きりになれるチャンスを狙って、ようやく本人に尋ねてみた。なぜ、黒をイメージカラーに選んだのか、と。
「なんでだと思います?」
「質問に質問で返すなよ……アレか? ナマコとかイカスミのイメージでもあんのか、俺に」
「な、ナマコ? イカスミ? なんでそんな海洋生物を挙げてくるんですか……?」
弥勒は苦笑いしながら与流をちらっと見つめる。
今日は、久々に二人で店から駅に向かって歩いている。駅に向かうまでの道中は、他のプロジェクトのメンバーも一緒になることが多く、二人で帰るのは久しぶりだ。
この街は、夜でもそこそこに賑やかだ。そのためか、また、なんとなく話をはぐらかされるのではないか、と与流は考えていた。実際に、弥勒は与流の話をかわしては逸らして、なかなか質問の答えを言おうとはしない。
しかし、駅にたどり着いたところで、弥勒が「あの色ですよ」と呟く。
「あの色?」
のらりくらりと答えを避けてきた弥勒が唐突に色の話をしたので、与流はすぐに反応できなかった。与流がぽかんと呆けていれば、弥勒は人差し指を上に向ける。
与流がその指を辿るように視線を上に向ければ――そこには、何もない。妙に賑やかな電化製品屋のビルが囲う、暗闇。そこには、何もない。あえて「在る」ものを挙げるとすると――
「……夜空?」
与流が呟けば、弥勒はすたすたと駅に入っていってしまう。
返事がない。つまりそれは、正解ということだ。
夜空? なぜ?
すぐにその理由がわからなかった与流は、慌てて弥勒を追いかける。
「なんで俺が夜空の色?」
「え~? いいじゃないですか、夜空」
「いや……そうじゃなくてな、」
弥勒は背が高い方ではないが、早足だ。あっという間に改札を抜けて、二人の別れ道であるホームへのエスカレーターに近づいてゆく。
結局、よくわからない。しかし、ここで今日はお別れだ。与流が諦めようとしたその瞬間、弥勒は振り返る。そして、
「僕が愛してやまないものの色を与流のイメージカラーにして、何か不都合が?」
とだけ言って、さっさとエスカレーターを降りていってしまった。
「はあ?」
愛してやまないって、それ、おまえがただの夜更かし野郎ってだけだろ! ――そう突っ込みたくなったが、ふいに思い出す。
――『夜は、すべてをゆるしてくれるような気がする』
「……あ~、そういうことか……」
与流は、はあ、とため息をつく。
たしかに弥勒は、夜が好きだったのだ。ほんの少し、寂しそうな理由で。
*
いつの話だったか。それは夜、静かな場所での会話。
『夜の神社っていうのも、なかなか悪くない雰囲気ですね』
『……あんまり縁起のいいもんじゃねえんだけどな』
夜になれば真っ暗になる田舎だった。街灯も少ないので、この闇の中を灯なしで歩くのは心もとない。それでも怖気づかないのが、与流と弥勒という人物である。
ここは、神社。夜になれば真っ暗の神社だ。
『その、縁起のいいものではないっていうのは?』
『夜になると、神社からは神さまがいなくなる。その代わり、夜に生きるやつら……まあ、悪い霊とか妖怪が、この鳥居をくぐっているんだ』
『へえ、なるほど』
弥勒は鳥居を眺めて、ふうん、と納得したようにうなずいていた。真っ赤な鳥居は夜の闇の中でもぼんやりと浮き上がり、まるでそこで狐が躍っているように、本当に何かがいるかのような錯覚を覚える。
『じゃあ、僕が通っても大丈夫ですかね』
『……いやいや、どういう理屈だそりゃ』
『大丈夫、僕が百鬼夜行の仲間入りすればいいだけですから』
『……はあ~? 馬鹿かおまえ』
ふふ、と笑いながら、弥勒は鳥居に近づいていった。与流は信仰がないというわけではないが、敬虔というわけでもないので、弥勒を止めはしない。『祟られても知らねえぞ~』とだけ、声をかけておく。
『というのは冗談で。僕も、どちらかと言えば、夜に生きる側の人間ってだけですよ』
『……まるっきり昼間に起きてたじゃねえか』
『やだな、言葉のままに受け取らないでくださいよ』
『俺は小難しい会話はできねえタチだ』
弥勒が振り向いて笑う。あまり、よい笑顔ではない。与流から見ればまだ若すぎる彼は、妙に大人びていて、疲れ切っている。
『……本当は、太陽が昇っているときに生きていたいですよ。けれど、誰もが太陽ばかりを仰いで、追いかけて、そんなまっすぐに生きられるわけじゃないでしょう。僕も同じなんですよね。まっすぐに生きるふりはしているけれど、たぶん、僕にそんな生き方は向いていない。別に悪いことをしているわけでもないのに……太陽に後ろめたさを感じるというか。本当は、太陽に憧れているんですけど。憧れれば憧れるほどに、ちょっと辛い』
『……』
『ただ楽しく生きられたらいいんですけど、そうしようって頑張っている自分が逆に虚しいっていうか。だから、たまに陽のもとを歩いていると、疲れるっていうか。夜はすべてをゆるしてくれるような気がするので、好きです。夜ならちょっと休憩しても、誰も怒りませんからね』
弥勒が立ち止まって、鳥居を見上げた。
与流はふうと息をついて、弥勒の側に寄る。くい、と弥勒の腕を引けば、弥勒は「?」と不思議そうに与流を見上げた。「鳥居の真ん中歩くな」と言えば、「そういうこと?」と笑われる。けれど、鳥居をくぐってほしくない、という与流の真意も、おそらく伝わっている。
『……なるほどな。ま、いいんじゃねえの。誰にだって、休む時間は必要だからな。でも、百鬼夜行に加わるのはどうかと思うぜ』
『どうしてですか?』
『おまえが連れていかれたら、困るだろうが。俺が』
『――……』
ぽかん、とした顔で弥勒が与流の顔を見上げる。与流が『なんだよ』と声をかければ、弥勒がおかしそうに笑う。
『――そんなこと言ってくれる人、きみが初めてだったから』
夜の闇に溶けようとして、嗤う。弥勒には、今まで、寄り添ってくれる人が、いなかった。
*
弥勒がプロジェクトのメンバーに加わらない理由は、与流も何となく察していた。忙しいというのは嘘ではないのだが、ほかにも理由があるのだ。ただ、与流は彼を無理にメンバーに引き入れるつもりがなかった。
――おそらく、そんな与流の性格が、弥勒にとっての夜空だったのだろう。
側にいてくれるし、相談すれば乗ってくれる。しかし、無理に前に進めさせようとはしない。まっすぐに生きるために必要になる、安息の時間。それが、弥勒にとっての与流の存在だ。与流自身も、弥勒がそういう態度を求めていると知っていたので、それに合わせていた。
しかし――その考えが少しだけ変わる光景が、目の前にあった。
「なあ~オーナー。一緒にプロジェクトやろ~」
「きみもなかなかにしつこいですね、一星くん……」
その日、ラストまで残っていたメンバーは、与流と弥勒、そして蓮だった。蓮はまだ弥勒をメンバーに引き入れることを諦めていないようで、弥勒に迫っている。
与流は弥勒に助け舟をだすかどうか迷ったが、なんとなく、蓮の行動を見守りたくなった。それは、ただの気まぐれ。
「華も言ってたけどさ、たま~に顔出すだけのレアキャラでいいから!」
「いや、だからやらないって言ってるじゃないですか」
「どうしても?」
「どうしてもですよ」
「なんでー!」
くう、と悔しそうな顔をする蓮だが、猛攻を止める様子はない。ねえねえと駄々をこねるように、弥勒の服の裾を引っ張っている。
「……っていうか一星くん、このプロジェクトのメンバーの選定理由忘れたんですかね。『ファンがいる人』ですよ。僕にファンとかついていないんで」
あまりのしぶとさに――弥勒は、初めて口にする「理由」を蓮にぶつけた。「ファンがいないから」――それが、蓮をいなすために投げかけられた「理由」だ。そしてその「理由」こそが、弥勒がプロジェクトに参加しない、真の理由である。
至極当然のように聞こえる理由だが、その言葉はどこか寂しさを湛える。誰も、自分のことなど見ていないだろう――そんな考えが、ごく自然とそこに在る。
昔からだ。弥勒は昔から、そうだった。彼が夜を愛する理由も、根っこを辿ればそこに着く。誰も彼も、自分のことなど見ていない。そんな、彼の中のあたりまえ。
与流は、やっぱりな……と思いながら、そろそろ蓮のことを止めようと考える。これ以上、弥勒に自傷の言葉を言わせないほうがいいだろう、そう思った。
「それを言ったら、俺がオーナーのファンだよ」
しかし、与流は蓮の言葉に立ち止まる。
「……そういう社交辞令は結構ですので」
蓮から逃げるように顔を逸らす弥勒は、珍しい表情を浮かべていた。うっとうしそうに、いつものように気怠い表情を浮かべてはいるが、その目にわずかな期待が浮かんでいる。
――ああ、違う。今の彼に足りないものは……
与流は気付く。
「社交辞令? 俺はそんなの言えねえよ。言っておくけど、俺、オーナーと出会ったときからオーナーのファンだからな。あの土砂降りの雨の中、傘を持って現れたオーナー、すっげえかっこよかったもん。なんか、オーナーがきらきらして見えたんだよ、あのとき」
「……、あ、あれは……たまたまなので、べつに、……」
「たまたまでもなんでもいいじゃん。ていうか、オーナーのファンは多いと思うぜ! オーナーがずっとここを支えてくれていること、みんな知ってるし! 俺も、みんなも、オーナーの……弥勒のことが好きで、ファンだぜ!」
「――……、」
弥勒が固まる。真顔になって、黙り込んでしまった。
弥勒のこの表情は、感情がオーバーヒートしているときだ、と与流は弥勒の様子を観察する。ストレートすぎる好意の言葉に、やられてしまったのだろう。何しろ、弥勒はこうした言葉を言われたことがほとんどなかったのだ。
しばらくすると弥勒はかあっと顔を赤くして、がたっと立ち上がる。
そして、「おわっ」と声をあげる蓮に向かって、「――もう、この話は終わりで! 今日もそろそろ遅いので、店を閉めます! お疲れ様でした!」と告げて、踵をかえしてしまった。店の鍵を与流に押し付けると、そのまま部屋を出ていってしまう。
「……」
「……」
弥勒が出ていったスタッフルームには、与流と蓮が取り残された。沈黙が流れると、蓮が気まずそうに「しつこすぎたかな……?」と恐る恐る与流に尋ねる。
「いや……」
しつこいかと言えば、しつこいかもしれない。しかし、たぶん、あれこそが弥勒が心の奥で求めていた言葉だった。
与流はくつくつと笑いだして、ばし、と蓮の肩を叩く。
「若干積極的すぎる気はするが、アリだ。あいつにはああいうのが足りてなかったのかもな。まあ、いい。あとは俺に任せとけ」
「えっ、与流さん⁉」
与流はカギを蓮に渡す。「明日、俺と一緒に朝からだったよな、鍵よろしく」と言って、そのまま弥勒を追ってスタッフルームを出ていった。
*
弥勒に追いつくのは簡単で、与流は店から少しだけ離れたところで弥勒を捕まえた。弥勒は「げっ」という顔をしながら、与流に向き直る。
「よお、拗ねてんのか」
「……拗ねてなんかいませんけど」
「じゃあ、照れてる」
「……っ、うるさいな」
与流はへらっと笑うと、弥勒の隣につく。
誰でも、朝と夜の両方が必要だが、弥勒は少しだけ夜の割合が多めだ。
弥勒はよく他人を評価しているが、その評価の中に自分が入ることはない。当たり前のようにプロジェクトのメンバーから自分を外し、当たり前のように自分にはファンがいないと思っている。自分を認めるすべを知らない。だから、歩き続けることに疲れてしまう。夜が必要なのだ。
与流もそれは知っていたから――見守っていた。今までは。だから、こうして与流が追いかけてきたことに、弥勒は驚いたようだ。今までの与流なら、弥勒が逃げれば放っておいてくれたのだから。
「おまえ、プロジェクトに参加しちまえば」
「……あ、与流までそんなこと言うんですか?」
「そんなにイヤなのかよ」
「……イヤだと思っていることを、みんなにさせるわけないでしょ。ただ、僕はこのプロジェクトにふさわしい人材ではないし、」
ああ、もう、こいつは相変わらず。
与流は弥勒の性格を難儀に思いつつ、自身も彼にもっと声をかけてあげられていれば、と反省した。蓮ほどの剛速球を投げる必要はないだろうが、少しだけ、言葉が足りていなかったのかもしれない。
「……このプロジェクトのコンセプト、なんだっけ」
「えっ、なんですか急に」
「誰でも輝けるって、信じたかったんじゃねえの、おまえ」
「……それが? ちゃんと信じてますよ、みんなのこと。だからこうして――……」
このプロジェクトが発足した当時のことを思い出す。弥勒が想いを語っていたことを、新鮮に思ったのが記憶に新しい。けれど、そこに弥勒はいなかったのだ。誰でも輝けるのだと信じるその想いの中に、弥勒はいない。
そんなの、いいわけがないよな――そう思う。
「いやだからな、その『誰でも』に、なんでおまえ自身が入っていないんだっての」
「……、誰でもって……それは向き不向きはあるだろうし、できない人が無理にやったところでどうしようもないし、僕がやったところで……」
「大丈夫だよ、おまえ」
弥勒は拗ねたような難しい顔を浮かべて、与流を見上げる。この先の言葉は、与流も言い慣れていない言葉だったので、いつものように堂々とは言葉を紡げなかった。少しだけ、たどたどしい。
「……蓮も言ってたけどよ、みんな、おまえのことが好きだよ。そんな風に慕われているんだから、おまえは大丈夫だ。それに、ずっとここまで頑張ってきたんだし、そろそろ、自分に報いてやらねえとな?」
「報いて……?」
「おまえがおまえを否定しっぱなしじゃ、おまえはいつまでも苦しいままだ」
弥勒は目を丸くして黙り込む。
太陽のようになりたいと、たしかに思っていたのだ。けれど、当然のようにそれは自分が叶える夢ではないと思って――夢を、みんなに託した。
自分が叶えるだなんて、思ってもみなかった。子どものころ、ヒーローに憧れていた自分とは違う。現実を知った自分が見る夢などないと、そう思っていたというのに。
「でも……」
「いいぜ、俺がおまえの夜空になってやる。たまに疲れちまったら、俺を頼ればいい。泣きべそかくってなら、俺だけが見ててやる。けど、夜があるからには朝がある。俺がいるからには、おまえはちゃんと、前を向いて進んでいけ」
「――……、」
もう一度。――そんな言葉が、弥勒の中に浮かぶ。
弥勒はしばらく黙り込んでいたが、やがて、はあーと大きなため息をついた。ふっと零れるような笑顔を見せると、「らしくないことを言って、一星くんにでも毒されましたか」と悪態をついてくる。「そうかもな」と与流が答えれば、さらに弥勒はため息。
「仕方ない、そこまで言われて蹴るほど僕も薄情じゃないので。参加すればいいんでしょ、プロジェクト。でも、華くんとか一星くんが言うように、僕は参加頻度は少ないのでその辺はご理解いただかないと」
「……ああ!」
ようやく弥勒が頷けば、与流がニッと笑った。弥勒がどこか面白くなさそうにしているので、ひねくれているのは相変わらずだ、と与流はまた笑う。
「大丈夫だ、おまえには俺がついている」
*
ある日のスタッフルームには、何やらファイルを眺めている弥勒が椅子に座っていた。仕事が終わった蓮が弥勒の持っているファイルを覗けば、そこにはいままでのコラボメニューがファイリングされている。
「みーろく、それ何?」
「今までうちで作ってきたメニューです。ドリンクメニュー考案の参考になればと。っていうか一星くん、きみはいつの間に僕をそう呼ぶようになったんですか」
「いいじゃん? オーナーって呼び方、ちょっと距離があって好きじゃないんだよ」
「……べつにいいですけど」
弥勒は蓮にファイルを手渡す。そこには、蓮がFlow Riderに入る前からのコラボメニューがずらっと載っていて、思わず蓮も「すげ~」と声をあげてしまった。
弥勒はファイルを眺める蓮を見上げながら、ふっと笑う。そして、ぼそっと呟くのだった。
「……緑色の飲み物って考えるのが難しいんですよね。どうしようかな」
――緑?
ふいに耳に入った色の名前に、蓮が反応する。緑がイメージカラーのメンバーって誰だ……? と記憶を巡っていれば、弥勒がふんと息をついた。
「あれ、言ってませんでしたっけ。僕もメンバーに入りましたよ。イメージカラーはいつだかきみが言っていた緑です。イメージカラーは合っていればなんでもいいですしね、きみの案を採用しました」
「……。……まじか! やったぜ弥勒!」
「うげっ、近い、距離が近い!」
ぐいーっと蓮が弥勒に抱き着こうとすれば、そのタイミングでスタッフルームの扉が開く。プロジェクトメンバーの、ほかの4人。与流と華、九十九に百波だ。蓮よりも少し遅れて、スタッフルームに戻ってきた。
「弥勒、それ、俺が前に言ってたやつか。メニューの一覧」
「……与流。ああ、はい、ファイリングしておきました。ご自由に、ご覧くださ……って一星くん鬱陶しいな!」
平和そうな光景に、4人が笑う。
与流は蓮の手からファイルを奪うと、ぱらぱらと中身を眺めた。華と九十九、百波も、与流の横から覗き込む。
「まあ、とりあえず。それとか、その他もろもろを参考にして、一人1つのドリンクメニューを考案するように。全員が準備できたら、5つ……じゃない、6つの、ドリンクメニューを販売する予定です。はい、よろしく」
5人が「は~い」と気の抜けた返事をする。
Flow Riderに6つのドリンクメニューが並ぶ日は、近いのかもしれない。
*
いつだったか、百鬼夜行に加わろうとした馬鹿がいた。
アレ、痛ましく見ていたんだが、正直なところ、こいつは夜になるとテンションが上がるだけなんじゃないかと最近思い直している。見ろよこの不健康児、いつもこの時間にメシ食って動画サイト巡ってるからか知らねえが、夜になった瞬間にハイテンションだ。
秋葉原の街に、百鬼夜行など現れないだろう。ここにいるのは、有象無象の人間の群。もちろん俺たちも、その一員だ。
ここでなら、あいつが百鬼夜行に連れていかれることなどないだろうが、単純に人混みに紛れる。言っちゃなんだが、あいつは背丈が高いほうじゃねえから、紛れられると探すのがめんどくさい。
おい、あんまり早足で行くなよ、迷子になるぞ。
ちょっとからかって言えば、ソイツは振り返る。
『大丈夫、僕が人混みに紛れても、与流が見つけ出してくれますから』
また、ふざけたことを言うやつだ。そんなところまで俺任せはどうかと思うぜ。
振り向いた顔は、いたずらっぽく笑っている。ああ、おまえ、そんな風に笑うんだな。
まあ、おまえが楽しそうにしているし。いいんじゃねえの、そういう洒落は嫌いじゃねえよ。
プロジェクトの一環としてドリンクを作ることになった6人は、一日の仕事が終わると厨房に集まっていた。
視線は、テーブルに置かれたひとつのドリンクに集まっている。一足早くドリンクメニュー案を作っていた、与流のドリンクだ。
コーヒーの上に白いホイップが乗った、二層のドリンク。このドリンクを始めて見ることになる蓮と華は、「おお……」と感嘆の声をあげた。
「うまそうですね! 与流さん、俺も二層になっているドリンク作ってみたいんですけど、これどうやったらいいんですか?」
質問を投げかけたのは蓮だ。
Flow Riderのコラボメニューにも、多層になったドリンクメニューは存在する。しかし、Flow Riderで働き始めてから日が浅い蓮は、レシピ通りに作るばかりで、その原理を理解していなかった。そのため、自分で新たに二層のドリンクを作ろうにもできなかったのである。
質問を受けると、与流はオレンジシロップと炭酸水を取り出した。そして、「蓮、この2つなら、どっちが甘いと思う?」と問う。
「……オレンジシロップ?」
「正解。2層のドリンクを作るときには、基本的に糖度が高いものを下にもってくる。重いから沈みやすいんだ。だから、まずはオレンジシロップを注ぐ」
与流はオレンジシロップをグラスに注ぐと、そこに氷をいれていった。
普段は何気なくやっている動作だが、こうして一から自分たちでレシピを作るとなると、ひとつひとつの意味が気になるものだ。蓮がじっと氷を見つめていれば、視線に気付いた与流が「氷は、」と続ける。
「勢いよく注ぐと混ざっちまうからな。氷を伝わせるようにして、ゆっくり上にくるドリンクを注ぐんだ。そうすれば、混ざらない。だから氷は多めにいれておけ」
「あ、氷ってそういう役割があったんですね。かさ増しに使っているのかと思ってた」
「かさ増し言うな」
炭酸水はシロップに混ざることなく、二層のドリンクが出来上がる。オレンジシロップと炭酸の、綺麗な2層のドリンクだ。
「おお、綺麗」
「ああ、2層のドリンクは見栄えもいいからな。おまえらもやってみろ」
与流にならうようにして、一同は厨房にある材料を眺めながらどの組み合わせで作ろうかと考え始めた。それぞれのイメージカラーに合った材料は限られてくるが、組み合わせはたくさんある。すぐには決められない。
「オーナーはもうある程度決まってるの?」
「そうですね。いくつか候補は作ってきたので、あとは試飲してみて決める感じです」
「さすがだなあ……俺は全然決められてないや……」
華はすでにドリンクの案ができている弥勒を見て、少しばかり焦る。蓮も九十九も、百波も同様だ。材料は大量にあるので、その組み合わせは無限大。皆、頭を悩ませるばかりである。
「俺と華って、同じ赤系の色だから被らないようにしないとな」
「あ~……たしかに。赤系っていうと……いちご、グレナデン、アセロラ……意外と種類があるね。味的には被らないようにはできるかな」
「グレナデンって何?」
「ザクロだよ」
蓮と華は赤色の材料を並べる。二人は赤とピンクという違う色ではあるが、同系色なので自然と一緒に考えていた。華は並ぶボトルを眺めながら「う~ん……」と頭を抱えていると、蓮が思い立ったように言う。
「でもさ、ポイント的におそろいの部分は欲しくね?」
「えっ、おそろい?」
「あくまで俺たちのイメージのドリンクなんだし? おそろいの部分を作って俺たちの絆アピールするのありだろ?」
「え、ええ~……おそろい? っていうか……店的にあり? オーナー?」
蓮の提案に、華は少しばかり照れてしまった。蓮に「おそろい」を提案されたこと自体は嬉しいのだが、大々的におこなうと自分の気持ちが可視化されてしまうようで、少し面映ゆかったのだ。
はにかみつつも遠慮の姿勢を見せる華に、弥勒はしらーっと冷めたまなざしを送る。
「きみにつつしみがあったことに驚きですね」
「オーナー、なんか俺にいつも辛辣じゃない?」
「そうですかね。それはそれとして、共通点を作るのはいいと思いますよ。一星くんが言ったように、これはきみたちのイメージドリンクですし。でも、見た目の印象はなるべく変えたいですね。フォトジェニック的に」
「なるほどね。じゃあ……味、そろえてみる?」
弥勒の言葉を聞くと、蓮は「よっしゃ!」と声を上げる。早速といった調子で赤系の材料を持って、「どれにする?」と華に尋ねてきた。
華は並ぶ赤のボトルを見比べながら唸る。同じ材料を使いながら見た目は異なるようにする、というのが難しい。
「見た目はきみたちのイメージを取り入れてみるとかどうです?」
「俺たちのイメージ? たとえば?」
「一星くんは元気なイメージなので弾けるような色合い、華くんは……華くんは……」
「ちょっと、そこ迷わないでよ」
「……まあ、口を開かなければ甘い顔立ちなので、甘やかな……はい、そんな感じの……」
「イヤそうな顔で言うね~あと一言余計だね~」
華はにこにこと微笑みながら、ごす、と肘で軽く弥勒を突く。そうすれば、弥勒から肘打ちの返事が返ってきた。ごすごすとやりあっている二人を眺め、蓮は苦笑いをする。
「兄ちゃん、おれたちも何かおそろいにしようぜっ」
そんな3人の様子を見ていた百波が、九十九に言った。きらきらとした表情で九十九にすり寄るその姿が柴犬のようで、九十九はふふっと困ったように笑う。
「うん、いいと思うけど……でも僕たちは二人と違って、全然違う色だから……」
「えっ、じゃあ、おれたち……おそろはムリ?」
「う~ん……」
ガーン! とショックを受けたような表情を浮かべた百波を、九十九はなだめる。九十九も百波とおそろいの何かをしてみたいとは思っているが、水色と黄色となると、おそろいが難しそうだ。
しょんぼりとした様子を見せる二人に、与流が声をかける。
「じゃあ、メインは普通にそれぞれ別のものにして、サブの部分をそろえたらどうだ? せっかくの二層ドリンクだしな?」
「……というと?」
「九十九は水色の材料と何かをあわせてドリンクを作る、百波は黄色の材料と何かをあわせてドリンクを作るだろ? その『何か』をそろえるってことだよ」
「……! なるほど」
与流のアイデアに、九十九も百波も「これならおそろいでできる」と嬉しそうに顔を見合わせる。
「そうだな……炭酸水とかどうだ? 無難に何とでも合うし……」
おそろいにする部分の案として、与流は炭酸水を挙げた。炭酸水なら、九十九と百波がそれぞれ全く異なるタイプの材料を選んだとしても、堅実なドリンクができるだろう。
しかし、「炭酸水」と聞いた瞬間、百波が「あかん!」と声をあげる。
「なぜ関西弁……」
「炭酸水は、だめです! 炭酸水はだめだ!」
「なぜ関西弁……」
百波はしゅっしゅっと首を横に振って、炭酸水を拒絶する。炭酸水のボトルを持った与流に突っ込んでいって、バッとボトルを奪うと、ばこんっと冷蔵庫の中にしまってしまった。「そんなに嫌いなのか……?」と与流が憐みの目を向ければ、百波はハッと顔を赤くする。衝動的な行動だったようだ。
「だっ……だって、炭酸、……ぱちぱちして痛いだろっ」
「あ、ごめん百波……百波が炭酸嫌いなの、僕のせいだよね……子どものころ、僕がふざけてコーラにメントースいれて爆発させたら、百波が大泣きしちゃって……トラウマだったんだよね?」
「ちょーっ⁉ ち、ちげえよ! 泣いてねえし! あのバチッてるところが苦手なだけで、」
「あ……違ったかな。たしか……僕が12歳で百波が8歳のとき……僕が果汁120%の景品表示法違反の疑いがあるオレンジジュース、百波が三ツ屋サイダーを飲もうとしたときだったかな。僕がペットボトルを振ったのを見て、百波もペットボトルを振ったんだったよね……そう、三ツ屋サイダーを思いっきり。そうしたら、三ツ屋サイダーが爆発して……百波、腰を抜かして『はわわわわわわわわわわ……』って壊れた機械のように……」
「だっ、だからちげーし! っていうか、詳細に語りすぎなんだよっ、わざとだろ兄ちゃん! 俺の過去をひけらかすなー‼」
ふふ……と笑う九十九に、百波がきーっと怒っている。与流はそんな二人を見て苦笑いしながら、炭酸水のほかに二人に合わせられやすそうな飲み物を探してやる。
「やれやれ、もう少し時間が必要ですね」
「だな。ま、初めてなんだしこんなもんだろ」
着々とドリンクメニューの考案が進みつつあるが、時間も限られているのでその日中には決まらなかった。それぞれ仕事の前後に厨房にこもる日々が続くのだった。
*
Flow Riderのプロジェクトが進む中も、蓮と華はいつものように大学に通っていた。
その日は、大講義室の後ろの席で講義を受けていた。講義中にうっかり居眠りをしてしまった蓮を、華は呆れたような顔をして揺り起こす。
「蓮~、講義終わったよ~」
「……はっ、やばい、爆睡してた……悪い、レジュメ写させて!」
「いいけど。昨日夜更かしでもした?」
「え、いや……友達と飲んでた……」
「ほどほどにしなよ~?」
華は苦笑いをして、記入済みのレジュメを蓮に渡す。蓮は「サンキューな!」と手を合わせながらそれを受け取った。
「飲みといえば、おまえ、この前のオンライン飲みのとき、全然飲んでなかったよな」
「……顔赤くなるの恥ずかしいじゃん」
「え~? べつにいいだろ。飲みなんだし、酔うのが普通だって」
「いやいや、俺はあくまでスマートな男でいたい」
「おまえ言うほどスマートなイメージねえけど……」
「蓮までそういうこと言う! ていうか、あのアクスタ好評でよかった――」
講義が終わり、ぞろぞろと学生が退室するなか、ぐだぐだと二人は会話をしていた。そうしていると、ぽん、と誰かが華の肩を叩いてくる。振り向いた華は、「あ!」と声をあげた。
「わ、
そこにいたのは、蓮と華の二人と同じサークルに属している後輩。巴志葉
「どうも、蓮さんに華さん。おはようございます」
「おはようございます! 噂? なんかオレたちの噂でもしてたっすか?」
二人は蓮と華と目が合うと、嬉しそうに笑う。サークルでも懇意にしているので、二人は蓮と華に懐いているのだった。
「うん、二人に作ってもらったアクスタが好評だったよ~って話」
巴志葉兄弟はデザイナーでもあり、すでにいくつかの仕事を受けているという。そこで、Flow Riderで販売するグッズの制作を二人に依頼していたのだった。二人は華の報告を聞くと、満足気な表情を浮かべる。
「そういえば、缶バッチのほうのデザインもできました。データ送っておくので、あとで
チェックしておいてもらえます?」
「もうできたの? 助かるよ。オーナーにも見てもらうね」
「よろしくお願いします。また何かあれば相談してくださいね。あ、そろそろ次の講義始まりますよ。二人は次の教室行かなくて大丈夫ですか?」
翠に声をかけられて、蓮はスマートフォンの時計を見る。次の講義まであと5分だ。次に使う教室は同じ建物内ではあるが階が離れているので、急いだほうがよいだろう。
「やべっ、いかなきゃ! 二人とも、サンキューな! 今度飲みに行こうぜ!」
「蓮ってばまた飲みの話……。じゃあね、二人とも、ありがとう。またね」
蓮と華は慌てて席を立つ。巴志葉兄弟に別れを告げて、次の教室に向かったのだった。
*
「今日はドリンクを撮影します。みんなのドリンクを軽く紹介してくださいね」
ドリンクの考案を始めて数日、ようやくそれぞれのドリンクが出来上がった。今日はプロジェクトのメンバー全員でドリンクメニューを共有するため、こうして集まっていたのだ。
机には6種類のドリンクが並んでいる。色とりどりで、個性豊かなドリンクだ。
「じゃあ、そこの赤系二人からどうぞ」
弥勒はカメラを持ちながら、まずは左端に並ぶ二つのドリンクの前に立つ。蓮と華のドリンクである。
「俺と華は、苺をベースにしてみたぜ!」
「苺でそろえたんですね。じゃあ、一星くんのこの赤はストロベリーエードで、華くんのピンクは……いちご牛乳?」
「正解! 見ただけでわかるんだな、さすが弥勒!」
弥勒はドリンクと二人を見比べながら、なるほどなるほどと頷く。ビビットな赤のドリンクと、可愛らしい色合いのピンクのドリンク。二つのドリンクはどちらも同系色ではあるが、全く異なる印象だ。
「二人の印象ともよく合っていますね。いいと思いますよ」
「俺に合ってる? やったぜ!」
「そうですね……こう、太陽とよく合うような感じ」
「よくわかんねえイメージだな」
「そうですか? きみのイメージをそのまま言ったつもりですけどね」
蓮のドリンクを撮影している弥勒に、華がつつっと寄っていく。華は自分のドリンクを手に取ると、「弥勒くん♡」と弥勒を呼び掛けた。
「俺のイメージとも合ってるかな、弥勒くん」
「口を閉じて」
「……ん?」
「はい、そのまま優しい感じで微笑んで……ああ、よく合っていますね。可愛らしいですよ。しゃべらなければ、大変可愛らしいですね、しゃべらなければ。ドリンクのイメージとよく合っています」
「弥勒くんに可愛いって言われると、ドキッとしちゃうな……」
「しっ、黙って。イメージが壊れるじゃないですか」
弥勒は、ぷんぷんとわざとらしく怒っている華を除けると、次のドリンクの撮影の準備に入った。次は九十九と百波のドリンクだ。二人のドリンクはそれぞれのイメージカラーを使っているが、共通して白色の層がある。この白い層が、二人のおそろいのポイントだろう。
「僕も百波も、カルピスを使ってみたんです。僕のは、ブルーキュラソーとラムネシロップで青い部分作ってみました。あとトッピングでナタデココ」
「なるほど、さわやかで綺麗なドリンクですね。青と白があわさって、空のような雰囲気があります」
「オーナーがイメージに合わせたものを作るといいって言っていたのを聞いたので、僕も真似してみました。でも、自分のイメージってよくわからないから華くんに聞いて……、そうしたら、綺麗な感じって言ってくれたので……ちょっと恥ずかしいけど」
九十九がはにかむと、華がにこっと微笑む。ぽわぽわと花が舞っているような雰囲気に、弥勒は「よかったですね」と無表情に言った。そんな様子を隅のほうで眺めていた蓮と百波は、ひそひそと話していた。
「九十九さんって第一印象は綺麗だけど、根っこのほうアレじゃね? 爆炎の中で微笑みながらお茶をすすって『今日はなんだか騒がしいね……』って言うタイプじゃね?」
「わかるっすよ、格ゲーなら『これ以上人を傷つけたくないんだ……!』って言いながらクリティカル決めるタイプっすよ」
ふっと九十九と華に微笑みを向けられて、蓮と百波はスンッと真顔になる。そのタイミングで「次、百波くん~」と弥勒が呼んだので、百波はそそくさとドリンクの前に立つのだった。
「えーと、おれのはオレンジパインを使ってるぜ。あとパインダイス。カルピスに合うだろ?」
「オレンジパインですか。色合いもきみのイメージに合ってて可愛い感じです」
「か、かわっ⁉ え、おれ、……おれってかっこいいだろ、どっちかっていうと!」
「いいですね、その顔も可愛い! ついでにドリンクと一緒に写真撮りますかね、はい笑って~、はい可愛い~」
「え、ちょ……オーナ~……うう」
百波は弥勒に写真を撮られながら、顔を赤くしていた。ぴるぴると震えている百波を一同が見つめている。
「百波は可愛いね~」
「また九十九さん、可愛い言ってる……」
百波のドリンク(と百波本人) の撮影を終えた弥勒は、次に与流のドリンクをファインダーで捉える。与流のドリンクはある程度解説は済んでいるのだが、与流が改めて説明しようとしたところで、弥勒がパシャッとシャッターをきった。
「与流のはコーヒーとホイップ、と……」
「おまえが解説すんのかよ」
「まあ、与流のは前から知ってましたからね」
「……」
「……何か?」
「いや、俺のイメージは言ってくんないのかなって。みんなには言ってるだろ、可愛いだの綺麗だの」
「えっ」
弥勒はぱっと顔をあげる。視線を感じて見渡せば、蓮と華がにやにやとして弥勒を見つめていた。ひやかすような視線に、弥勒は舌打ちをしてやる。
「知りたいなあ? 俺のことどう思ってんだ? 可愛いか?」
「可愛くないですね、まったく! 微塵も!」
「じゃあ綺麗?」
「……綺麗、……綺麗? きみはどちらかと言えば精悍というか」
「精悍? ダメだダメ、そんな難しい言葉使われてもわかんねえ。もっとわかりやすく」
「与流は精悍くらいわかるでしょう……何がさせたいんですか与流は!」
「いや、楽しんでるだけだ」
「このっ……」
弥勒はくっと苦虫を嚙み潰したような顔をしながらも、かすかに頬を染める。やがて、諦めたようにため息をつくと、苛立ち紛れに与流を連写し始めた。
「うお、俺を連写するな!」
「かっこいいって言えば満足ですかね! めんどくさいな! かっこいいから大量に写真を撮ってあげます」
「連写をするな! 満足、満足だよ、この」
十分に与流を撮り終えると、弥勒はチッと再び舌打ちを打って、最後に自分のドリンクを写す。弥勒のドリンクは、透きとおったグリーンとイエローの二層ドリンクだ。
「弥勒! それ何使ってんだ?」
「これは……下がリアルゴールド、上がキウイシロップ諸々。飾りにライムです」
「いいな~、美味そう」
弥勒は早々にドリンクの撮影を済ませ、カメラを片付けようとしたが、その手を与流が阻む。弥勒が驚きの表情を浮かべると、弥勒の手から蓮がカメラを奪った。
「え、ちょ、何するんですか」
「いや、せっかくだから弥勒の写真も撮りたいじゃん?」
「はあ~? いらないですよ、そんなの」
「いやいや、はい笑顔!」
弥勒は怠そうな顔をして、蓮を睨む。しかし、蓮がカメラを向けた瞬間だ。弥勒はにこっと完璧な笑顔を向けてきた。目がくらむような錯覚を抱いた蓮は、ぎょっとして思わずカメラを落としそうになってしまう。
「えっ、び、びびった、な、なに?」
「……撮るなら早く撮ってくださいよ、鬱陶しい」
「笑顔完璧なのに口が相変わらずすぎる……」
そういえば、弥勒は客の前だと完璧な笑顔を見せていたな……と蓮は思い出し、さすがオーナーだ、と感心してしまう。慣れない弥勒の笑顔に動揺しすぎて、手元がぶるぶると震えてなかなかシャッターをきれない。やっとの思いで写真は撮れたが、ピントはぶれぶれだ。
「な、なんだこの感情は……恐怖⁉」
「笑顔で蓮を畏怖させるオーナーおそるべし」
「いや、もしかしたらトキメキかもしれねえ……」
「トキメキで冷汗はでないかなあ」
なんだかんだでようやく全員分のドリンクを共有できたところで、なぜか6人はどっと疲れてしまった。ここでひと段落といったところだろう。達成感のようなものがあったのかもしれない。
「とりあえずドリンクはできたので。まずはプロジェクトの第一段階はオッケーってところですね」
弥勒は与流のドリンクをずーっと飲みながら、そんなことを言う。
「うーん。せっかくなので、これから食事でも行きますか。決起会みたいな感じで」
「弥勒からメシの誘い、珍しいな! せっかくだから飲みに行こうぜ~!」
「また蓮、飲みの話してる……」
「百波はノンアルコールだよ?」
「わ、わかってるよ! 兄ちゃんこそ、潰れたりすんなよ!」
「何気に初めてか? 全員でメシ食いに行くのは」
ドリンクは近々Flow Riderで発売するということで、ようやくプロジェクトが現実味を帯びてきた。メンバーの面々はそれぞれ想いを巡らせる。
ドリンクが店頭に並ぶまで、もう少しだ。
開店の準備ができたら、扉を解錠する。これはFlow Riderのルーティンのようなもので、特別なことでもない。しかしその日は少しだけ、違うような気がしたのだ。
「一星くんは、扉が重いと感じたことはありますか?」
扉を見つめながら尋ねたのは、弥勒だ。蓮が「体育館の扉とか」と答えれば、「そういう意味じゃない」と弥勒は笑う。
「僕は、昔そういうことがあったんですよ。一日のはじまりが怖くて、なかなか家の扉を開けて外に出られなくて……扉が、とても重くて冷たいものに感じたことがありました」
「――……、」
「まあ、今はそんなことはないんですけど。扉なんてただの一枚板ですからね。ただ――今日は少し、重い」
蓮は「え?」と思わず声を漏らしてしまう。
弥勒の言う「扉が重い」。その意味は、蓮もなんとなく理解した。しかし、今もそれが当てはまるというのなら、彼は何か心配事があるのだろうかと、そんなことを考えてしまう。思わず不安そうな表情を浮かべてしまった蓮を見て、弥勒が「誤解しないでください」と呟く。
「扉を開けた先にある今日が、ずいぶんと眩しいもののような気がするんです。眩しい光って質量があるじゃないですか、なんとなく」
扉の先をまっすぐに見据えた弥勒の瞳を、蓮は見る。こうしてまじまじと彼の瞳を見ることはほとんどなかったが、こうして見てみると、思ったよりも綺麗な瞳だ。彼の体温を感じさせるような、そんな瞳をしている。
「ああ、つまり……プロジェクトが始まるからワクワクしてるってこと?」
カチ、と錠が開く音。
弥勒は蓮を見上げて、ふ、と笑う。
*
「だ、だめだ――……」
厨房でズン、と重い空気をまとっているのは九十九だった。九十九は手元にあるドリンクを見下ろしながら、暗い表情を浮かべている。
「どうしたんですか? 九十九さん」
気になった華が声をかけてみれば、九十九はギギギ……と首を回して華を見つめる。
「い、いや……明日からプロジェクトが始まると思うと緊張して……」
「べつにそんなに緊張しなくても。明日のはドリンク売るだけですし」
「で、でも……僕はこういうの慣れていないから……また不幸が降りかかってきたらどうしようって不安なんだ。今だってカルピスだと思った飲み物がスポドリで間違えちゃったし……今朝も僕の前を三毛猫が横切ったし……」
「三毛猫はべつに問題ないような……」
華はうーん、と腕を組む。最近の九十九は悲観的な部分をあまり見せなかったが、人前に出るのが苦手なところは変わっていないらしい。プロジェクトのスタートを目前にして、緊張してしまっているようだ。
その様子を見ていた与流と弥勒が側にやってくる。与流はポンと九十九の背中を叩いて、ニッと笑った。
「ああ、不幸体質が不安か? なんなら、お参りにでもいくか?」
「仕事後に行ったら真っ暗じゃないですか……夜の神社は危ないんでしょ?」
「たしかにこれから行ったらかえって変なのが憑くかもしんねえな」
「与流、なんか魔法使えないんですか?」
「残念ながら神社の息子は魔法使いじゃねえんだな~」
二人が夜の神社の話をすると、近くで話を聞いていた蓮と百波が「怖いから神社は却下」と即座に反応する。そして蓮は「神社に行かなくても大丈夫ですよ~、九十九さん」と言いながら、ぐいっと百波を九十九の前に突き出した。百波は「なにすんだよっ」と蓮に戸惑いの目を向ける。
「ほらここに、御利益のありそうな百波神さまが」
「百波神さまってなに⁉」
百波は困惑していたが、九十九は「なるほど」と小さく呟いた。九十九はじっと百波を見つめ、両手を百波の頭にピタリと当てる。百波は「は?」と呟けば、九十九は百波の頭を両手で撫で繰り回した。
「これは……本当に御利益があるかもしれない……」
「あるわけねーだろ! やめろ兄ちゃん!」
「百波神さまは御頭の形がお綺麗ですね」
「百波神さまってなんだよまじで!」
百波はパパッと九十九の手を振り払い、与流の後ろに隠れる。与流に「おまえ神様だったのか」と訊かれて、「ちがうっ!」と声をあげた。
そんな様子を見た弥勒は、やれやれとため息をつく。
「前日で気分が高揚するのもわかりますけど、きみたちはもう少し落ち着いたらどうですか」
「でもテンション上がるのは仕方ないだろ。そうだ、今日も飲みにいこうぜ!」
「勘弁。一星くんは飲みに行くと明け方まで何かしらするでしょう。一応きみたちは主役なんですから、夜更かしして目元に隈を作らせるわけにはいきませんので。今日はさっさと帰って寝る!」
「ええ~、なんかモデルとかアイドルみたいだな」
「アイドル、ねえ」
アイドル、という響きに弥勒がぱち、と目を瞬かせる。
このプロジェクトはアイドルとはまた違う立ち位置にあるが、アイドルという響きそのものは弥勒は好ましく思っている。
アイドルとはたくさんの人の憧れの的となる存在。輝きをまとい、選ばれた人だけがなれるもの。ステージの上でライトと喝采を浴びる彼らのことを言うのだろう。自分たちがなれるものだなんて、弥勒は思っていない。
しかし、輝きだけは誰もがまとうことができる。誰もが憧れてやまないアイドルのように、誰もがなれるのだろう。このプロジェクトは、きっとそれを証明できる。弥勒はそれを信じて、ここまでやってきた。
「アイドルなんて大きくはでれませんけどね。でも、そのくらいに楽しい存在でいてもらいます。きみたちはきみたちらしく、精一杯でいればいいだけです。そのための、きちんとした休息ですよ」
弥勒の言葉に、蓮は納得したように笑う。
「ああ~……でも僕、大丈夫かな。やっぱりいざ本番となるとどきどきしてくる……」
「もはやどきどきしたまま頑張ればいいんじゃないですか? オーナーも”らしく”って言ってるし、そういうところもさらけ出しちゃえばいいんですよ」
「華、いいこと言うな! 俺もそれでいいと思うぜ!」
「兄ちゃんが大変そうならおれが駆けつけるし、大丈夫だぞ!」
「むしろ百波が九十九に支えてもらうんじゃねえか?」
「……うん、こんな感じでいいんじゃないですか。完璧である必要はないので、明日はありのままでいきましょう」
結局いつものようにワアワアと騒ぎ出す。きちきちと一人で心を整理するよりも、こうしてみんなで話している方が、心がほどけてゆく。”らしい”自分が見えてくるからだろうか。
明日は、ここまで準備してきたドリンクが解禁される。プロジェクトの第一歩の日だ。それぞれがそれぞれの想いを抱え、今日もいつものように過ぎていく。
*
――あれは、いつの話だったか。与流を東京に引っ張りこんで、この店を始めることになったときのことだ。空は快晴。涼やかな風がシャツに入り込み肌を撫ぜる、爽やかな日だったと思う。
『Flow Riderです』
『フロー……ライダー? 意味は?』
『そのまま。流れに乗れって意味です』
店の名前は?――そんなことを尋ねられて、僕は答える。Flow Rider。流れに乗れ。僕がオーナーとなるこのカフェの名前は、Flow Riderに決めた。
『またどうして、その名前にしたんだ?』
『べつに、流しそうめんのように流されろって意味じゃないですよ。そこは誤解のないように』
Flow Riderという名を聞くと、与流は興味を示したように僕を見つめる。
僕は自分の志とか気持ちとか、そういうものを人に話すのは好きじゃない。僕にこんな話をさせるのは、彼の潜在能力と言うべきか。厄介な男だと思いつつ、彼のそんなところが僕はたぶん気に入っているのだろう。
自然と零れる言葉が、心音のように心地よい。
『この世界は、海のようなものじゃないですか。海の果てに行くのにも、波に乗っていただきの景色を見るためにも、流れに乗る必要があるでしょう』
『つまり、おまえは果てやいただきに行きたいって?』
ふうん、と与流が笑う。彼はこういうところがある。無謀をせせら笑いながら、無謀を賞賛する。なかなかにタチが悪いと思う。僕についてきた時点で、彼のこういう性格はわかっていたけれど。
『行けるなら、果てにでもいただきにでも行きたいですけど、まずは乗りたいんですよね。どこかにたどり着けなくてもいいから、どんな荒波にでも乗ってみたいんです』
『荒波? おいおい、難破したらどうすんだよ』
『壊れた船を与流が直して、無人島に漂流します』
『ふざけんな、俺を無人島暮らしに巻き込むんじゃねえ』
べつに、果てやいただきに興味があるというわけではない。もちろん行けるなら行ってやりたいところだけど、そういうことではなく。だって、乗ってみたいじゃないか。ただ静かに波を眺めて終わる人生なんてつまらない。
『――輝いてみたいって思うんです。僕は何者でもないけれど、もしかしたらどこにもたどり着けないかもしれないけれど、それでも輝いてみたいんです。だから、乗るんです』
さて、僕の人生のカーテンコールには、喝采は送られるだろうか。観客席には何人の人間がいるのだろうか。もしかしたら、意外と轟くような喝采が送られるかもしれない。もしかしたら、しんとした静寂が送られるのかもしれない。けれど、そんなことは些細なことだ。
精一杯に生きたのなら、この人生は輝かしい。
まずは踏み出す一歩が欲しい。そんな気持ちをこの名前に込めて。
『なるほど。じゃあうちのスタッフになった連中は、全員が流れに乗って、輝くと』
与流は相も変わらず笑っている。こういうところを見ていると、彼が側にいてくれてよかったと思う。
『そういうこと。きっと、誰でも輝けますよ』
プレジデントやアイドルになれる人間なんて限られている。しかし、輝きは誰だって持っている。それを信じて、僕はここをFlow Riderと名付けた。
『まあ、まずは仲間探しってやつだ。さすがに俺とおまえだけじゃあどうしようもねえからな』
『それはそうですね。メンバーがそろってきたら、何か面白いことでもできればいいんですけど』
『面白いこと?』
『いや、まだ考え中』
いつか、この名前に込めた願いが煌めく日がくると――ずっと、信じていた。
*
そんな、昔のことを思い出して。弥勒は店の施錠をする。
あの日から少しばかり時が経つ。鍵を閉めると、後ろのほうから「弥勒~!」と名前を呼ぶ声がする。駅まで一緒に帰るので、メンバーが待っていてくれているのだ。
「はいはい、今、鍵閉めたので」
5人の輪の中に戻り、最後に弥勒は店を顧みる。
Flow Rider――掲げられた看板を見て、思う。
この6人で、流れに乗れ。
*
開店の準備ができたら、扉を解錠する。これはFlow Riderのルーティンのようなもので、特別なことでもない。しかしその日は少しだけ、違うような気がしたのだ。
「――ああ、つまり……プロジェクトが始まるからワクワクしてるってこと?」
プロジェクト当日。とは言っても今回はプレのようなもので、ドリンクの販売だけをするのだが。それでも、プロジェクトの始まりに奮い立ってしまうこの気持ちを蓮に悟られた弥勒は、彼も意外と目ざといなと笑う。
「一星くんはしていないんですか?」
「……! してるぜ! もちろん!」
扉を開ければ、Flow Riderは開店し、プロジェクトがスタートする。
扉が重い。ワクワクと、期待と。ほんのちょっぴりの緊張と。さまざまな感情が扉に乗っている。
そうしていると、ばたばたと後ろから音が聞こえてきた。何事だろうかと弥勒が振り向けば、そこには店内で待機していたはずの華、九十九、百波、与流がいたのだ。
「な、なんですか。ただ鍵を開けるだけなのに仰々しい……」
大方想像はつく。彼らも待ち遠しいのだ。
弥勒はため息をつきながら、笑う。
扉が少しだけ軽くなったような気がする。いや、開けたくてたまらなくなったのだろうか。よくわからない。
弥勒がドアノブに手をかける。
「じゃあ、今日もがんばろうぜ!」
「蓮~? あんまり突っ走っちゃだめだよ?」
「やっぱり、少し緊張しますね……」
「大丈夫だよ、兄ちゃん! おれがいるからな!」
「おまえら、今日も賑やかだな」
「……そろそろ開店ですからね。あまり騒がしくしないでください」
そして、Flow Riderの扉は開かれる。眩しい光が、入り込む。
「いらっしゃいませ、Flow Riderへ!」
第一部 完
ガタンゴトン。揺れる電車の中は静かで、東京の喧騒を夢のように思わせる。青春18きっぷを使って北へ北へ。適用外のローカル線に乗り継いで、さらに北。さて、青春18きっぷの範囲を超えたこの旅は、青春とは呼べないのだろうか。そんなことはどうでもいい。
車窓の外には真っ青な海と空。窓を隔てても風を感じるような、透明な景色。この地に生まれたとある文豪は、この場所を「風の町」と呼んだという。なるほど、その名前はこの地にふさわしいだろう。
「……そろそろ降りるか」
目的地は特に定めていなかった。ただ、ただ――遠くへ行ってみたかったのだ。
ずっと、敷かれたレールの上を歩くような人生だった。空は遠く高いのに、僕の視界には一本の道しか見えていない。学校も、将来も、すべて親が決めてしまった。
大学を卒業して帰国してみれば、言い渡されたのは「カフェ事業を任せる」というもの。はあ、べつに構わないけれど。僕の意思は聞いていただけないのでしょうか。
今まで当然のように親の人形のように生きてきたが、急に、ぷつん、と心の中で音がした。気付いたら東京の家を飛び出して、本州の最北端を目指して電車に飛び乗っていたのだ。
なぜ北なのかと言えば特に理由はなく、暑いよりも寒いほうが好きという、それだけの理由である。とにかく僕は、逃げ出したかったのだ。
電車に乗っているのも飽きたので、下車してみる。知らない地だが、どこか懐かしく感じた。東北と縁がなかった僕はこの地に来たことはないのだが。郷愁を覚えるのは、このようなまっさらな空に焦がれていたからだろうか。
「さて……」
これから、どこに行こうか。錆びれた駅名標に周辺地図。あてもなく、新たなる目的地を探し出す。
*
適当にバスに乗ったり、歩いたり。ぶらぶらとしていると見つけたのは、ひとつの神社だった。真っ赤な鳥居に綺麗な石段。変わりない町並みを歩いていた僕が惹かれるのには、十分な存在感だった。
ほどほどに長い石段を登っていけば、立派な拝殿が見えてくる。特に神様に祈りたいことは――ない、……ないのだが、なんとなく僕は拝殿の前まで来ていた。
「……」
何を願えばいいだろう。
頭の中は、真っ白だ。ここまで僕は、願いがない人間だったのだろうか。せっかくだから何かを祈ってみればいいのに、何一つ願いが思い浮かばない。テレビや本では、好きな人と両想いになりたいとか、試験に合格したいとか、そういうことをみんな願っていた。僕にはそういった望みはなくて、……強いていえば、
「――……?」
遠くのほうから、何かの音がした。ざ、ざ、と地面を掻くような音だ。振り向いてみれば、そこには背の高い男がほうきを持って掃除しているのが見えた。
ああ、この神社の人だろうか。それだけの感想を抱いて、僕はすぐに目を逸らそうとした。しかし、彼もこちらに気付いたのか、ちら、とこちらを見てきたので、目が合ってしまう。
「……」
遠くからでもわかる。ずいぶんと、まっすぐな目をした男だと思った。
先に動いたのは、彼のほうだった。彼は、すたすたとこちらに歩み寄ってきたのである。彼から見たら僕はただの参拝客。目が合っただけなのに、一体全体、僕に何の用があるというのか。
「――参拝か?」
「……、えっと」
彼はごくごく普通のことを僕に尋ねてきた。余計にわけがわからない。彼はいちいち参拝客にこうして声をかけているのだろうか。
「べつに、お参りにきたわけじゃないです。神社があったからなんとなく寄っただけで」
「なんとなく? 迷子か?」
「ま、迷子……? 迷う子どものように見えますか。僕、17ですけど。歳」
近づいてみてわかったが、彼も僕とそう歳は変わらない、若い男だった。僕よりも上には見えるが、精々20代といったところ。彼に子ども扱いされるほど、歳は開いていないように思う。
「いいや、悪い。そういう意味じゃあねえんだが……」
「じゃあどういう意味です?」
「……なんか、難しいことでも考えてるんじゃねえかと」
「……」
図星といえば図星。難しいことといえば難しいことを僕は考えているのかもしれない。特に意味もなく家を飛び出して、あてもなく北に向かって、ふらりとたどり着いた神社でぼんやりとして。探す答えもないこの旅は、答えがないので「難しい」と言い表すのがおそらく最も適切だろう。
ただ、そんなことを彼に指摘されるいわれなどなく。なぜきみにそんなことを言われなければいけないのかと、つん、と冷たい眼差しを彼に向けてみれば、彼は表情も変えることなく僕を見つめてくる。
「なにか」
「おまえ、今、暇?」
「なぜ?」
「いや……ちょっとな、今朝、暇だったもんでアップルパイを作りすぎて、処理に困ってたんだわ。食ってもらえねえかなって」
「はあ? まあ、時間はあるので別にいいですけど……」
変な奴だな、と思った。けれど、彼のまっすぐな目に見つめられるのは居心地が悪いわけではなく、むしろ引き寄せられるような感覚を覚える。
僕が了承すれば、彼はほっとしたように笑った。案外、笑うと可愛い表情に見えた。
*
彼の家は境内にある一軒家だった。社務所を兼務している家らしく、それらしい雰囲気がある。
聞けば、彼の父親がここの神主をやっているという。彼の兄がこの神社を継ぐ予定なので、彼は特に神職の仕事をしているというわけではない。今はこの家から、地元の会社に通って働いていると言っていた。今日は仕事が休みだったので、父親の仕事の手伝いをしていたという。
茶の間に通されて、さっそくと言わんばかりにアップルパイを並べられた。見るからに新鮮な林檎を使った、黄金色のアップルパイ。市販されているものと遜色ない、見事な出来栄えである。
「ちなみに、なぜアップルパイを作ろうと?」
「趣味なんだわ、甘いもん作るの。つっても、作るのが好きなだけで食うのは苦手でな。作ったら適当に知り合いに配ったりするんだが……今日はなかなか人が捕まらなくて」
「だから、ただの参拝客の僕にふるまおうと」
「あ~……まあ、それもあるが。なんつうか」
がりがりと彼は頭をかいて、口ごもる。言いづらいことでもあるのかと思ったが、彼はすぐに僕に視線を戻してきた。
「おまえに話しかけてみたくなって」
「……え? ナンパ?」
おおいに意味がわからず、つい、らしくもなく突っ込んでしまう。そうすれば彼は顔をしかめて、「ンなわけねーだろ」と言ってきた。そんなことはわかっている。
「直感だよ直感。いや、神さまの啓示かもしれねえな。おまえに声をかければ、面白いことが起こるかもしれないって気がしたんだ」
「……残念ながら何もありませんけど。僕はなにものでもない人間ですので」
「つれねえなあ」
話せば話すほどにかみ合わない、と感じた。彼は何を僕に期待しているのだろう。たしかに、神社にぽつんと17歳の少年がいれば気になるかもしれないが、僕自身は大した人間なんかじゃない。肩書きだけならば色々あるかもしれないが、それはすべて、親が言う通りにした結果である。
あまり、そのまっすぐな目で見つめないでほしい。恥ずかしくなるのだ。僕の空っぽさがさらけ出されてしまうのは。
「……おまえ、学生? どこの学校に通ってんの?」
「……学生じゃないです。もう大学卒業しました」
「あ? 17歳じゃなかったか、おまえ」
「だから、アメリカのほうで飛び級で……」
「ええ、マジかよ、超すげえやつなんだな、おまえ」
すげえやつ。そうだろうか。自分の意思もなく生きてきた僕が、すげえやつだとは到底思えない。
「……すごいって言ってもらえるのは、まあ、ありがたいですけど。学歴なんて、だからなんだって感じじゃないですか? 飛び級で大学卒業したところで、……老人になるころには、みんな同じでしょ」
「そりゃそうだろうけどよ。じゃあ、おまえにとってすごいってなんだ?」
「え?」
問われて、僕は言葉に詰まってしまった。
すごいこと――つまりは、僕の持っていないもののこと。それってなんだろう……考えれば考えるほど選択肢が増えていくが、ひとつ、ぽんと頭に浮かんできたものがあった。僕にとっての遠い憧れのようなものである。
「今を……輝いていること、ですかね」
「――……、」
閃光のような人生を生きてみたい。
輝きに憧れを抱いたのは、いつだったか。母親が、今の父親と結婚する前のことだったと思う。ヒーローショーに連れて行ってもらって、そこで見たヒーローが太陽のようで、あまりにも眩しくて、憧れたのだ。自分もこんな風になりたいと。
けれど、母親が再婚するやいなや、僕は新しい父親のいいなりのような人生を歩むこととなった。やたらと学歴にこだわって、やたらと彼の優秀な実子と僕を比べて。彼は僕個人のことなどどうでもよく、ただただ僕を「優秀な子ども」にしたいだけのようだった。僕の意思を尊重されたためしなどない。
だから、僕はなんのために生きているのかわからないような人生を送るほかなかったのである。
歳を重ねても、僕は成長していない。ただがらんどうの人型が大きくなるだけ。輝きには程遠いのだ。今を生きている実感がないのだから。父親の権力と、シールのように張り付けた学歴だけが、僕という人間を構成している。
「輝き……あ~、なるほど?」
「……馬鹿にしているでしょう」
男は、僕の言葉を聞いて釈然としないような表情を浮かべている。青臭いとでも思われたのだろうか。面倒になったのでこの話を切り上げたほうがいいだろうかと考えたところで、彼はまた、じっと僕を見つめてくる。
「いや? それなら、おまえも十分眩しいだろって思って」
「……やっぱり、馬鹿にしているでしょう」
この男、なんなんだ。
じっと僕を見つめてくるわりには、全然僕のことを見抜けていない。
僕があからさまにイラッとしたからか、彼は困ったように笑う。
「いや、直感でおまえに話しかけたって言っただろ? なんか、おまえが眩しく見えたんだよ。だからついつい話かけちまった。そんなわけで、おまえも輝きってやつ、持っていると思ってよ」
「はあ?」
やはり、馬鹿にされている。そう受け止めてもよいのだろうか。軽々しくそのように言われると腹が立つ。何も知らないくせに、知った風な口をきくなと。楽しい人生を送ってきた人間は、そうやって前向きな言葉で人を傷つけるのだ。
「意味がわからない。僕にそんなものがあるわけないでしょう。熱中できるものもなくて、なんとなく生きているだけの僕が、輝いているわけ……」
つい切り捨てるように言えば、彼は頬杖を突きながら、やはり僕を見つめる。僕の目を覗き込むように見てくるので、居心地が悪い。
「熱中できるものがなくてなんとなく生きてるっていうのは、俺もわかる。俺もそんなモンだしな。つまんねえよなあ、人生」
「……きみもそういうの、わかるんですか? アップルパイ作ってるのに?」
「アップルパイは関係ねえだろ……いや、だってよ。毎日会社と自宅を行き来してさ、なんもおもしれえことねえんだよ。兄さんが神主になるために色々勉強してる話を聞くと、うらやましくてさ。俺も、何かのために頑張ってみてえなあと思いつつ、なんも変化のねえ日々を送ってるし」
こういう男も、そんな風に悩むのか、と意外に思った。働いていて、趣味を持っていて、家族の手伝いもしたりして、そんな彼でも人生はつまんねえらしい。
「まあ、だから、自分に輝きなんてねえって感覚も理解できる。実際、俺もそう思ってるしな。でも、おまえはなんか違うんだよなあ」
「さっきから煮え切らないことばかり言って……。僕のどこがそう見えるんですか」
「なんつうか。そうやって、迷っているところ?」
「……迷っ、」
彼の言っていることは、よくわからなかった。
そういえば、さきほども彼は、僕を「迷子」などと言ってきた。そんなに僕は迷っているように見えるのだろうか。そして、なぜ、迷っているところが輝きにつながるのか。いまいち理解ができず、僕はじろっと彼を睨んでしまう。
「おまえは偶々ここに来たんだろうけど、俺には何かを探しているように見えてな。それこそ、おまえの言う輝きを探しているみたいにな」
「……」
「本当になにもかもどうでもいいやつって、迷うこともないだろ。俺だってそうだ。今後の人生は不変で、まあ、もしかしたらイイ出会いでもあって変わることもあるかもしれねえな、くらいに投げやりに考えていたからさ。でも、おまえは……諦めきれてねえように見えた」
――諦めきれていない?
そんなこと、考えたこともなかった。僕はなんとなく家を飛び出してここまでやってきたのだ。つまらない人生、つまらない日々。それが嫌になって、ただ、なんとなく――……
ほんの少し前の自分を振り返り、あれ、と思う。たしかに僕は、飛び出したのだ。今の自分が嫌になって。本当にどうでもいいなら、そのまま家で腐っていればいいのに。
飛び出したのだ。
「……僕って、諦めきれていないと思います?」
少しだけ、驚いた。自分でも知らない自分が、ふと突然見えてきたからだ。
すっかり僕は、枯れきった人間だとばかり思っていた。熱を知らないままにいつの間にか老いて、風がふけばぱらぱらと砕けて誰も知らぬままに死ぬのだと。そんな僕が、諦めきれていないなんて。
「ああ、すげえ諦めの悪そうな奴に見えるぜ。まだ終わんねえって目をしてる」
「……」
まっすぐな目だ。彼の目はまっすぐで、僕のことを真正面から見つめてくる。僕の知らない僕でさえ、見つめてくる。
僕なんてつまらない存在だと思っていたのに、彼はそう言わない。僕の奥深くで溺れていた僕を見つけ出してくれる。
「……そうですね。僕は、」
「――うん?」
「僕は……諦めていないかもしれません。小さいころからずっと、つまらない人生を送ってきたけれど……本当は人並みに楽しい人生を送りたいし、誰かに強制されてなんて生きたくないし、誰かと比較なんてされたくないし……もっと、輝いてみたいし」
彼の瞳に引っ張り出されるようにして、言葉が止まらない。言い出すと、言葉がとめどなくあふれてくる。こんなに僕は願望を持っていたのかと、自分自身で驚いてしまう。
楽しく生きたい。自分らしく生きたい。燃えるような感情が息を吹き返したように、僕を急き立てる。
「どうして僕ばかりって思っていたし、もっと自由に生きてみたいって思っていたし、それでも……与えられた義務は果たしたいって思っていたし。もう、わけがわからないし……! それでも最後には絶対に、輝いてみたいって――……絶対に、……思っていた……!」
支離滅裂な言葉が出てきて、言葉を吐き出すごとに心が震えるような心地だった。自分で思っていたよりも僕は色んなことを考えていたようだ。
「……っ」
ぼろ、と目から何かが出てきて、慌てて目を手で覆う。手が濡れていて、それが涙だと理解した瞬間に、またぼろぼろとあふれてきた。頬が濡れてゆく感覚に、僕も泣くんだなあとなぜか他人事のように思ってしまう。
今まで感情が昂ったことなどなかったので、こんな風に泣いたことはなかったのだ。泣き方がわからなかった。だから、この涙はまるで――産声のようだな、なんて思った。
「ほんと、おまえ……眩しいやつだな」
彼がハンカチを差し出してきたので、僕はそれをひったくるようにして受け取った。さすがに泣いているところを見られるのは恥ずかしい。目元を隠すように涙を拭けば、群青色の布地はみるみると色濃く染まってゆく。
ああ、もう、見るな。
僕のことをまっすぐに見つめてくるその目は、優しく感じる。こうして子どものように泣く僕の胸の内すらも、すべて彼は見えているのだろう。けれど、こうして泣いているところは見られたくない。そう思うほどに涙は止まらないのだから、人間の身体は不出来なものだ。
*
何年振りに泣いたのか、泣き方が上手くない僕は、しゃくりが止まらなくなって大変だった。ようやく涙が止まったころには、アップルパイのお供にと淹れてもらった紅茶がすっかり冷めてしまっていた。
泣き顔を見られた恥ずかしさを振り切るようにして、冷たい紅茶を口に含む。紅茶は冷めると渋くなる。
舌に苦みが響いたので、アップルパイを一切れかじった。さく、と口の中でほどけて、砂糖と林檎の味がじわっと染み出してくる。見た目だけでなく、味も完璧だ。なんだか、むかつくなあ。
「おまえ、大学卒業してるんだろ? これから何すんだよ」
彼は何事もなかったように、僕に話しかけてくる。この態度は、さすが年上というべきだろうか。ありがたい態度ではあるのだが、妙に腹立たしい。けれど、ここで拗ねるのも馬鹿らしいので、僕も彼に合わせて何事もなかったように応答する。
「親にカフェ事業を任されているので、カフェやります」
「カフェ?」
「……これも、押し付けられた仕事ではあるんですけど。でも、やるからにはしっかりやるつもりです。そうですね……きみと話していたら、なんとなく道が見えてきましたし。わりと、やる気ありますよ、今は」
「道?」
正直なところ、カフェ事業について、僕は思い悩んでいた。仕事まで親の言いなりになって、それで上手くいくのだろうかと不安だったのだ。こんな、息をしているのかもわからないような人間が経営者になったところで、失敗するに決まっていると、そんなことを思っていた。
けれど、今は少しだけ、道が開けて見える。
「輝きを探してみようかと。カフェ事業が上手くいくかはまだわかりませんけど、せっかく経営を任せられたんだし。僕なりのカフェを作って、親をあっと言わせてみたいですね。仕事の中でそういうものを探してみても、いいでしょう?」
「へえ。そっか……おまえ、経営者か」
「……? なにか?」
彼は思案するように視線を落とす。そして、しばらく黙っていたかと思うと、再び視線を上げて僕を見つめた。
「なあ、おまえのカフェで俺の事雇ってくれよ」
「……え⁉」
突然の申し出に、思わず僕は声を上げてしまった。彼は冗談を言っているという風でもない。口元は笑っているが、その目は真剣そのものである。
「一目見たときから、なんとなく思ったんだ。これから先も、俺はおまえと一緒にいるんじゃねえかってな。それに、……おまえについていけば、俺も輝きってやつがわかるかもしれねえ。俺も、今のままじゃつまんねえってさ、諦められねえんだよ」
「……」
彼の言葉は純粋に、僕の胸を打つ。
僕も彼も、もしかしたらこの瞬間がスタートラインになるのかもしれない。突然こんなことがあるのだろうかと思うのだが、奇跡というものはあるらしい。僕も、彼も、今日この瞬間に、知らない自分に出会ったのだ。
「――っていうか」
ふと思い立つ。僕たちは、大切なことを忘れている。
「今更ですけど、自己紹介していませんよね。それなのに、入社希望って。僕――陸 弥勒です。きみの名前は?」
「たしかに、すげえ今更だな。俺は神来社 与流だ。で、どうだ? 面接は合格か?」
「……ふん。見られたくないところ見られましたからね。きみには責任とってもらいますよ。合格です。僕に一生付き合ってもらいます」
「へえ、そりゃあ……面白そうだな」
彼――与流は、僕の言葉に不敵に笑う。
「よろしくな、弥勒」
「こちらこそよろしく。与流」
*
僕が与流の家を出ることになったのは、次の日のことだ。アップルパイをごちそうしてもらったあと、すっかり夜遅い時間になってしまったので、泊めてもらうことにしたのだ。一応、家の使用人には連絡しておいたので、問題ないだろう。
日が昇り、空が明るくなる時間に外に出る。朝はまだ肌寒く、鳥の鳴き声がどこからか聞こえてくる。この光景に名残惜しさを感じながらも、僕は与流に別れを告げた。
「じゃあ、頑張れよ。弥勒」
「……⁉」
ぽす、と頭に何かが乗る。一瞬、何が起こったのかわからなかったが、これは……彼の手のひらだ。
与流は優しく微笑んで、くしゃくしゃと僕を撫でてきた。
僕はしばらく茫然としていたが、状況を理解すると、か、と顔が熱くなるのを感じた。
最後に撫でられたのはいつだったか。もはや記憶の中に存在しないこのぬくもりに、頭の中がエラーを起こしている。嬉しいのか面映ゆいのか、よくわからない感情がこみあげてきて、爆発しそうになった。
「……っ、あの、僕はオーナーですから! 立場はきみより上! 撫でるな! 子ども扱いをするな!」
「おっと、そりゃ悪かったな」
「……まったく」
ばし、と与流の手を払えば、彼はわざとらしく肩をすくめる。アメリカの大学にいた学生を思い出すリアクションだ。
最後にとんだことをやってくれたな、と彼を憎らしく思ったが、正直なところ少しだけ惜しい。けれど、もう一回撫でてよ、なんて言えるわけもなく。そもそも、経営者としての面目が立たないので、金輪際彼に頭を撫でさせるつもりはない。
「じゃあ……本格的に僕が事業を引き継いだら連絡するので。そのときは、よろしくお願いします」
「ああ、了解。待ってるぜ」
一旦は、これでさよならだ。再開はそう遠い日ではないだろうが、その日すらも待ち遠しく感じる。与流が言っていた、『一目見た瞬間に、これからも一緒にいると感じた』というのは、僕も同じようだった。彼と別れることが、すでに僕の非日常になっているのだろう。
彼となら、きっと見つけられる。輝きというものを。そう感じる。
確信のような未来を感じて、僕たちは握手を交わす。
*
――時計を見る。もう店は閉店の時間だ。
FlowRiderのオーナーになって、しばらく経つ。すっかりスタッフも増えて、カフェ事業はそれなりに成功していると思う。プロジェクトを始めて、新しい風がここに吹き込んできている。
いつもならこの時間にも書類やデータの整理をおこなわないといけなかったのだが、今日はある程度仕事が片付いていた。たまには厨房の片付けの手伝いでもしようかと、僕はスタッフルームを出る。
「やべー、与流さん! 今日のは一段と美味そうっすね!」
なにやら、厨房が騒がしい。厨房をのぞいてみれば、そこには与流を取り囲むようにして4人のスタッフが騒いでいた。例のプロジェクトのメンバーだ。楽しそうでなによりです。
「――おう、弥勒。弥勒も食うか?」
「何か作ってきてたんですか?」
「ああ、ほら、これ」
きゃっきゃとはしゃいでいる彼らをかき分けて、与流のそばへ行く。そうすれば、そこにはアップルパイが皿に乗せられていた。
「……与流がアップルパイを作るのは久々ですね。懐かしい」
「ああ、実家から大量に林檎が送られてきてな。悩んでいたら、腕が勝手にアップルパイ作っちまってた」
「へえ……林檎はご実家の。じゃあ、本当にあのときと同じアップルパイですね」
「あのとき?」と赤毛の彼が首をかしげているが、これを彼に教えてやる義理はない。こればかりは僕と与流の秘密だ。
カットされたアップルパイを手に取って、ひとかじり。本当に、あのときと同じ味がする。僕は、あのころと比べて成長できたのだろうか。
「俺も食べたい!」
「俺ももらいま~す」
「ぼ、僕もいただきますね」
「おれも!」
――それは、愚問だ。
アップルパイを頬張る彼らを眺め、思わず笑う。
成長しているとも。思い描く未来に近づいているとも。だって、僕と与流のそばには、こんなに眩しい彼らがいる。輝きを、得ている。
たしかに目の前にある光景なのに、フィルムを観ているような気分になった。とても綺麗な光景だったからだ。
陽の光が透けるカーテンは揺れて、柔らかい風が部屋に吹き込んでいる。テーブルに置かれたマグカップの上に、白々と湯気が立つ。
ベッドの上には、笑う母がいた。腕は骨のように細く、絹のようであったはずの髪の毛はなくなって、それでも笑っていた。
母は、ベッドの傍らに座っている父と笑い合っていた。
ここからは、父の表情は見えない。見えるのは、父の広い背中。ほどけてそのまま崩れてしまいそうな母が向日葵のように笑うのは、そこに父がいるからだ。
『――百波? こっちにおいで』
扉の隙間から覗く少年に、母が声をかける。同時に父が振り向いた。
カーテンが大きくはためく。たゆたう記憶の中、光が広がってゆく。
*
「おはよう、お母さん」
九十九の朝の日課は決まっている。まず、身支度を整えて。続いて母親に挨拶を。そして朝食を食べて、歯を磨く。
制服に着替えた九十九は、仏壇の前に正座をしていた。そして、そこに祀られている人に、いつものように語り掛ける。
「今日は気温が30度近くまで上がるんだって。まだ4月なんだけど……そのうち春が日本からなくなっちゃうんじゃないかって感じるよね。あ、そういえば最近、ちょっとした悩みがあって………」
九十九が言いかけたところで、家の奥のほうからドタドタと音がする。朝から元気だなあ……と感じながら、九十九はそっと呟くのだった。
「――百波が、反抗期です」
ガチャッとリビングの扉が開いて、百波が現れる。ああ、また百波は制服のボタンをきちんと留めないで……と九十九が眉尻を下げると、百波は顔をしかめながらテーブルに乗っている食パンの袋を開ける。
「おはよう。そのパン、これから焼いてあげるから、百波は待ってて」
「いい」
「あっ……百波~……」
百波は食パンを一枚引っこ抜くと、そのまま家を出て行ってしまった。食パンをくわえながら登校するなんて昔の少女漫画のヒロインみたいだな……と九十九は考えながら、はあ、とためいきをつく。
最近、百波は一緒に食事をしてくれない。九十九と顔を合わせて食事をするのが恥ずかしいのか、それともイヤなのかはわからないが、とにかく一緒に食事をとろうとしない。いわゆる思春期というものだろう。百波はもう中学二年生。年頃なので、兄弟と仲良くするのをむずがゆく感じてしまっても仕方ない。
ただ、百波のこうした態度の理由は、思春期だからという一言で片付けられるものではないことを、九十九は察している。百波は、たぶん寂しいのだ。
母親は、二人が幼いころに亡くなってしまった。父親は昔から出張が多い人で、今も家に帰らずに遠くで働いている。この家には、九十九と百波しかいない。たまに親戚の人が面倒を見に来てくれるが、この家は静かだ。
静かな家で育ち、百波は寂しかったのだろう。賑やかな家族と過ごす周囲の友人たちを見て劣等感を抱き、それなのにそんな友人たちとつるんでは夜まで帰ってこない。揺れて、回って、バランスを保てなくなって。彼の心は少しだけ歪んでしまった。
「う~ん……僕がもっとおいしいごはんを作れたら一緒にご飯食べてくれるかな。ハンバーガーばっかり食べてるからニキビできるんだよ、百波~」
百波の心の皮はぺりぺりと捲れささくれ立っていて、自分でも知らないうちに掻きむしって、ピリピリと不愉快な痛みの中で。彼は喘いでいる最中。仕方のないこと――九十九は自分に言い聞かせているが、ちょっぴり寂しい気持ちも持っている。
「まあ、思春期の男の子なんてこんなもんだよね。あれ、なんか全国のお母さんの気持ちがわかったかも……」
昔のように、仲良く過ごしたい。九十九はそんなことを考えながら、一枚のパンを焼き始めるのだった。
*
なんだか、ここに見えない壁があるようだ。
自分を囲む友人たちの話を聞きながら、百波はそんなことを思う。
「ゴールデンウィークさ、俺んち遊園地行こうとか話しててさ、ぶっちゃけ怠ィわ~」
「えーなんで、いいじゃん! 絶叫乗りてェ~」
「並ぶの怠くね? 母ちゃんとか姉ちゃんがああいうの好きだからってさ~、俺も道連れかよって」
「おまえ絶対モテないわ~」
「はあ? どういうことだよ!」
へえ、家族で遊園地か。そういうのって、テレビの中だけの話じゃなかったんだ。
百波はぼんやりとしながら、会話には混ざらない。不用意な発言が、自分と友人たちの間にある格差をさらけ出してしまいそうに思ったからだ。
「――なあ、百波ってゴールデンウィークはどっか行くの?」
「えっ」
不意に話を振られて、百波はぎょっと目を剥く。
連休に予定なんてあるわけないだろ。おれはおまえたちと違って家族なんていねえんだよ。
言葉に詰まって、百波は目を泳がせる。そうすれば、話を振ってきた友人の脚を、その隣に座っていた友人が軽く蹴った。そして、彼は百波に笑顔を向けてくる。
「俺、連休の終わりごろ暇なんだよ! 百波、空いてね?」
「……あ、うん。空いてるぜ!」
「じゃあどっか行こう! みんなでさ!」
――気遣われた。
彼は、百波の家庭の事情を知っている。だから、気が利かないことを言ってきた友人を制して、こうして声をかけてくれたのだ。
正直なところ、胸の軋みが緩むような心地だった。けれど、同時にプライドを傷つけられた。
周りの人には恵まれているほうだと思う。百波の家庭事情を知っている人もいない人も、みんな優しい。けれど、“ふつう”の家庭で育ってきた彼らの発する“ふつう”の言葉は、ときに百波を傷つける。百波はそれが嫌でたまらない。だって、それは百波にはどうしようもないことだ。誰も悪くないことなのだ。
誰も、悪くない。そうだ――兄も悪くないことを、わかっている。
今朝も、九十九に冷たい態度をとってしまった。百波は決して九十九のことが嫌いじゃない。それなのに、九十九のことを見ると、内臓が黒くよどんでゆくような心地に駆られてしまう。
自分と同じ境遇のはずなのに、なぜ彼は気丈に振舞えるのだろう。なぜ、笑いかけてくれるのだろう。彼の表情に曇りがないことが、無性に腹立たしい。彼だけが、「寂しいよね」「どうして置いていかれちゃったんだろうね」と共感してくれる存在のはずなのに、彼は強い。自分だけが惨めに感じてしまって、つい、九十九に八つ当たりをしてしまう。
みんな、嫌いだ。心優しい兄も、側にいてくれない父親も、自分たちを置いていった母親も。そして、心の中にあるぐちゃぐちゃとした気持ちを抑えられない自分が大嫌いだ。
「学校終わったら、ゴールデンウィークの計画立てようぜ! いつものとこでな!」
「それいいな! でも、百波さ、お兄ちゃん心配しない? 最近ずっと夜まで俺たちと一緒じゃん」
「……知るか、あんなやつ」
みんな、みんな、むかつく。優しくて、明るいのがむかつく!
ただの暖かな日常の中、百波の心は少しずつねじれてゆく。
*
父の手のひらは大きい。
父はよく母の面倒を見ていた。ベッドで寝たきりの母を甲斐甲斐しく世話をして、笑い合っていた。その光景を百波がこっそり見つめていると、決まって母が『こっちにおいで』と声をかけてくる。百波が二人に近付いていけば、父が百波の頭を撫でてくる。
父の手のひらは大きい。温かくて厚みがあって。百波は、父の手のひらに憧れていた。
父は、百波の頭を撫でながら、時折こんなことを言う。
『おまえは、兄ちゃんのことをしっかり護ってやるんだぞ』
ぐしゃ、ぐしゃ。頭を撫で繰り回されながら、百波は父を見上げる。
『おれのほうが弟なのに?』
『ばか、兄とか弟とか関係ない。家族だから護るんだ』
『ふうん。わかった、おれ、兄ちゃんのことまもる!』
『おう、さすが、百波だ。これなら母ちゃんも安心だ』
父が笑う。そうすれば、母も笑う。
母は見るからに衰弱していて、本当は起きているだけでも苦しいことを、百波は幼いながらに理解していた。それでも母がこうして笑っているのは、父が彼女を支えてくれているからだと、百波はわかっていた。ひとつだけわかっていなかったことはあったが、それは母が教えてくれた。
『百波、お母さんね――』
*
百波が帰路に就いたのは、空が薄暗い黄昏時だった。家に帰れば、いつものように九十九が「おかえり」と言ってくれるのだろうと思うと、憂鬱な気分になる。
「……?」
玄関の扉を開けると、家の中は真っ暗だった。いつもなら、先に帰っている九十九が灯りを点けておいてくれる。つまり、今は九十九が不在ということだ。九十九は夜遊びをするタイプではないので、百波は不思議に思った。
いないならいないで気が楽だ。しかし、なぜ彼はいないのか――それが気になって仕方ない。いてほしくない、けれどいないと不安。二つの気持ちを乗せた天秤は、ぐらぐらと忙しなく動く。
リビングに行くと、電話がチカチカと光っていた。留守電が入っているようだ。百波は嫌な予感がして、受話器を掴み取る。妙に息があがり、心臓がばくばくとして苦しい。再生ボタンを押してみると、知らない人の声が流れてきた。
――内容は、九十九が交通事故にあったというものだった。
今、九十九は病院にいるという。それを聞いて、ふと、百波の脳裏に浮かんだのは、常にベッドの上で寝ていた母親の姿だった。
兄ちゃんまで母ちゃんと同じところへ逝ってしまったらどうしよう。
「……ッ」
百波は慌てて家を飛び出した。
頭の中で再生されるのは、母親の傍らにいた父親の背中。母は病に伏しながらもずっと笑っていた。それは、父がいたからだ。そばで、父がずっと見守ってくれていたから。
たぶん、あの頃、あの二人が一緒にいるところを何度も何度もこっそりと見てしまったのは、父に憧れていたからだと思う。背中が広くて、大きな手のひらを持っている。母の顔に花を咲かせてくれた、力強い人。最近は仕事ばかりで自分たちに構ってくれないからと、百波は父を嫌悪していた。けれど、本当は父のようになりたかったのだ。強くて、優しい人に。
今、九十九は一人で病院にいるのだろう。どのくらい痛いのだろうか。どのくらい寂しいのだろうか。そもそも、無事なのか。それなのに今、彼は一人。そう考えると、恐ろしくてたまらない。
ただただ、怖い。たくさんの後悔で胸が押しつぶされそうだ。
家を飛び出せば、空には夜のとばりが下りかけている。闇がとろけて体の中に入り込んでくるようだった。
*
なんとか病院にたどり着いて、百波は息を切らしながら九十九のいる病室へ入る。大きな音をたててはいけないとわかっていながらも、焦る気持ちを抑えられない。
「兄ちゃん、」
九十九の名前を見つけて、カーテンを開ける。そうすれば、横になって眠っている九十九がそこにいた。まるで何事もないようにすうすうと寝息をたてているので、現実であることを疑いそうになる。
百波は恐る恐る、九十九の顔を覗き込んだ。よくよく見てみれば細かい傷が頬についていて、交通事故にあったことは確かなようだった。そっと傷に触れてみれば、かさぶたになっていて、血はすっかり止まっている。頬は温かい。
「――ん……?」
ゆっくりと、九十九の瞼が上がる。びく、と百波の手が震えた。慌ててここまで来たのはいいものの、九十九と何を話せばいいのかわからない。
九十九はぼんやりとしながら百波を眺めていたが、やがて百波のことを認識できたようで「百波」とその名を呼んだ。
「あれ、百波……どうした――だッ⁉」
「に、兄ちゃん、起きなくていいから……」
九十九は起き上がろうとしたらしいが、体が痛いのか悲鳴のような声をあげる。手をぴろぴろと虚空をかいていたので、百波はベッドの柵にかかっていた電動ベッドのリモコンを握らせてやった。
「えーと、なんで百波がここにいるの?」
「留守電……」
「留守電? ああ、うちの電話に入っていたんだね。交通事故って言っても、そんなに大きな怪我はしていないよ。心配しなくても大丈夫」
ベッドがゆっくりと起き上がると、視線が近くなる。九十九が微笑みかけてきたので、百波はつい目を逸らしてしまった。
「百波は夜ご飯食べた?」
「……うん」
「それはよかった。僕ももう食べたんだけど、病院食はやっぱり好きじゃないかなあ。まずくはないんだけど、なんだかいい気分になれなくて」
「……つーか」
九十九は何事もないようにぺらぺらと話している。電動ベッドの力を借りないと起き上がれないところを見ると怪我をしているのだろうが、はたから見ればほんのかすり傷程度にしか見えない。
百波はてっきり、目も覆いたくなるような惨状を想像していたので、こうして無事な九十九の姿に、膝から崩れ落ちてしまうくらいに安堵しているというのに。九十九はそんな百波の心配を知って知らずか、いつもの調子で話している。
「つーか、全然無事じゃん……」
「え? ああ、うん。相手もそんなにスピード出していなかったし、乗り上げられたわけでもなかったから……打撲と軽い骨折くらい? 痛いけど、全然大丈夫だよ」
「……心配して、損した」
百波はうつむいて、呟く。
――嘘だ。
心配して損をしたなんて、思っていない。本当に無事でよかった。九十九まで失わずに済んでよかった。本当は泣きつきたいくらいに嬉しいのに――言葉が、うまく出てこない。
やっぱり、こんな自分が大嫌いだ。
「百波。お見舞いに来てくれて、ありがとね」
「お見舞いなんて、おれは――……ッ、……おれは、……」
どうしてこの人は、こんなおれにずっと優しくしてくれるのだろう。
百波は自分が情けなくてたまらなくなった。九十九を失いたくないのなら、普段から彼ときちんと向き合っていればよかったのに。なぜ、こんなにも九十九から逃げようとしていたのだろう。本当は、九十九も、父も母も大切に思っていたのに。九十九を失いたくなかったのだと、今更気付いたなんて。
優しい九十九の声に、百波の目からは涙が零れる。そうすれば、決壊したようにぼろぼろと大粒の涙があふれだした。
「……兄ちゃんは、……おれのことが、嫌じゃねえのかよ……いつも兄ちゃんにひどいことばっかり言ってるおれに、どうして……」
「え? ひどいこと?」
「いじわるなことばっか言っちゃうしっ……遊んでばっかだし……何も手伝わないし……なんで、おれのこと、そんなに……」
「ゆ、百波~? どうしたの? 大丈夫?」
泣き出してしまった百波に、九十九は苦笑いを浮かべた。その困ったような笑い方がまた優しくて、余計に百波の心を揺さぶる。
「僕が百波のこと嫌いになるわけないでしょ? 僕は百波のお兄ちゃんなんだから……何があっても百波の側にいるし、護ってあげるよ」
「まっ……護るのはおれのほうだっ!」
「へっ?」
咄嗟に百波は声をあげる。百波の言葉に、九十九がぱちくりと瞬きをした。呆気に取られているようなその表情に百波はたまらなくなって、吐き出すように言葉を連ねる。
「おれは父ちゃんから言われてんだ、兄ちゃんを護るのはおれの役割だって言われてんだ! 兄ちゃんはおれに護られていればいいんだよ、弱っちいんだからさ!」
「――……」
それは父との約束だった。兄を護ると、母の前で、二人で約束したのだ。いつか父のような人になるために。大切な人を護れる男になれるように。そう、約束したのだ。
――そんな大切なことを、今の今まで忘れてしまっていた。子どものように拗ねて、子どものようにひねくれて。父を嫌悪し、兄に八つ当たり。ばかみたいだ。
*
九十九は変わらず、ほけーっとした表情を浮かべている。突然こんなことを言われたら、驚くのは仕方ないだろう――そう百波は思う。
「……なんだ、百波も約束していたんだね」
「……へ?」
しかし、九十九の反応は思ったものとは違っていた。からっと笑って、百波の言葉をすんなり受け入れてしまう。
「僕もお父さんに言われているんだよ。百波のことをよろしくって」
「はあっ⁉」
どうやら、百波の知らないところで、九十九も同じ約束を父としていたようだった。言われてみれば、兄とか弟とか関係ないと言われていたので、九十九も同じことを父に言われていてもおかしな話ではない。
百波があんぐりとしていると、九十九が笑う。その笑顔には、少しだけ、母の面影がある。
「じゃあ百波は、お母さんとも約束したんじゃないかな」
「……母ちゃん?」
「……『ずっと仲のいい兄弟でいてね』って。しなかった?」
「あ……」
ふ、とあの頃の光景が再生される。
『百波、お母さんね。百波と九十九が生まれてきてくれたから、今も幸せなんだよ。だから、ずっと――仲のいい兄弟でいてね』
花のように笑う母は、なぜいつもそんなに幸せそうなのだろう。少しずつ命の灯火が翳っていくことを、その身で感じながら、なぜ。その答えは、母が教えてくれたのだ。父がいて、そして百波と九十九がいて。家族がいてくれるからだ、と。
ああ、母との約束まで忘れていた。
百波は母の笑顔を思い出し、ぐ、とこみ上げてくるものを感じてしまう。
「……兄ちゃん、ごめん。おれ……母ちゃんとの約束……」
「たまに喧嘩するくらいでお母さんは怒らないよ。それに僕は全然気にしてないし」
「……」
もうずっと九十九に対して悪態をついてきたので、百波は申し訳なく思ってしまった。しかし、九十九は平然とした調子でいる。九十九が、百波は思春期だし仕方ないよね~と呑気に考えていたことは、百波には知る由もない。
百波が鼻をすすっていれば、九十九が「そこにティッシュあるよ?」と声をかけてきた。百波は顔を赤くしながら、素直にティッシュを拝借して鼻をかむ。
「百波は、お母さんもお父さんもそばにいてくれないから、寂しかったんだよね」
「……いや、……べつに……」
「でもね、百波。僕はいなくならないから、安心していいよ」
「……、」
ぴた、と百波が顔を上げた。
たぶん、その言葉は――百波が一番欲しかったもの。
母にも父にも置いていかれて心をすり減らしてしまった百波にとって、九十九の言葉は強く響いたのだ。
「い、いなくならないって……危なっかしいくせによく断言するぜ。今だって事故ってんじゃねえか」
「じゃあ百波が僕を護ってくれる?」
「……ッ」
ぐ、と百波がうつむく。
こんなところで意地を張るな――百波は必死に自分に言い聞かせる。そして、ため込んだものを吐き出すようにして、言った。
「おれが護ってやるから、絶対にいなくなるなよ、おれを置いていくな」
「……」
九十九は目を丸くして百波を見つめる。百波の精一杯の素直な言葉に、九十九は破顔した。その笑顔に、百波は母の面影を感じてしまう。
「じゃあ、約束しようか。お父さんとお母さんとは約束していたけれど、僕たちはまだ何もしていなかったよね。だから、僕たちの間の約束――いだッ⁉」
九十九は腕を上げようとしたのか、また声をあげた。百波は「あー、大丈夫かよ、」と言いながら、上げようとしていたその手を取る。
九十九は、小さく小指を立てていた。百波はむすっとしながらも、自分の小指をそれに絡める。そうすれば、心の中でぷつぷつと途切れていた糸が、繋がっていくようだった。一人じゃない――そんなことを、百波は思う。
九十九はふふっと笑って、「これで寂しくないね」と言った。
まあ、たしかに。そうかも――そんなことを思って、百波も笑う。
*
「おはよう、お母さん」
橘家の朝は、いつものように早い。制服に着替えた九十九は、仏壇の前で手を合わせていた。
「不幸にも車にはねられてしまい……お母さんには心配をかけました。不幸体質は相変わらずで……これ、どうしたらいいかなあ。あ、そういえばお母さんにひとつ報告があって――」
少し遠くのほうから、ドタドタと音がする。ああ、今朝も元気だなあ……そんなことを思いながら、九十九はひそひそ声で報告するのだった。
「――百波が、大人の階段を昇りました」
「誤解を招くようなこと言ってんじゃねえよ兄ちゃん!」
ばん、と勢いよく扉を開けて現れたのは、百波だった。九十九は小首をかしげながら、「おはよう、百波」とあいさつをする。
「っはよ。ていうか母ちゃんにろくでもねえこと言うな」
「ん~? そんなに変なこと言ったかなあ」
「言った! 絶対母ちゃん誤解する!」
九十九としては、反抗期の報告をしたばかりだったので、それが終了したよ、と母に言いたかっただけなのだが。そんな九十九の事情など百波は知らず、ぷんすこと怒っている。九十九は苦笑しながら、「ごめんね。今、朝ごはんの準備するから」と百波の主張を受け流した。
「いや、おれがやる。兄ちゃんまだ怪我、完治してねえじゃん」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
九十九はトースターの前に立っている百波を眺めながら、微笑む。
*
「あれ?」と九十九が思ったのは、九十九が怪我を完治して、歩いて学校に行けるようになったときだった。
今までは、九十九と百波はそれぞれで学校に行っていた。しかし、今日は百波がぴったりと九十九の横について離れない。途中までは同じ道なのでそれは構わないのだが――百波は何が何でも自分が車道側を歩こうとするし、車や自転車がくれば大袈裟なほどに九十九を庇う素振りをする。ずいぶんと過保護だなあ……と九十九は感じたのである。
「百波、そこまで僕のこと心配しなくても大丈夫だよ? 事故はたまたまだし……」
「あ? おれが兄ちゃんを護るっつったろ! おれは有言実行の男だ!」
「……そっか」
護るってそういうことじゃないような気がする……というのは、九十九は言わなかった。面白いのでそのままにしておこう、と考える。
「そういえばあそこのコンビニが潰れて、あとからラーメン屋が入るらしいよ。こってり系。できたら一緒に行こうね」
「ら、ラーメン屋⁉ てか兄ちゃんってそういうの食うのか?」
「脂もモヤシもマシマシしたのが好きだよ?」
「ま、まじか」
流れる景色を見ながら、どうでもいい会話をする。ささやかなことを共有できるのが、嬉しいと感じた。
父も母も、残してゆく子どものことが心配だったのだと思う。だから、二人と約束をしたのだ。けれども、もう心配はいらない。
新しい約束を二人でしたのだ。
だからもう、大丈夫だよ――彼方へと、呼びかける。
子どもに混じって、大人がちらほら。ショーが終わると、親に手を引かれた子どもたちが劇場を出てきた。
ヒーローショーというものを、華がこうして観るのは初めてではない。大学生になってからも、何度か観に来ていた。特に特撮が好きというわけではない。しかし、ヒーローという存在には憧れる気持ちは理解できるので、「一人ではヒーローショーに行きづらい」という彼のお供をすることが多くなったのである。
「……まだ時間がありますね。華くん、何か食べます? お礼もかねて、おごりますよ」
「お礼なんて別にいいのに。俺も楽しかったし。あ、そうだ、ジョジョ苑の焼肉が食べたいなあ~♡」
「おごってもらう気満々じゃないですか……でも焼肉は却下。臭いがつくので。これから仕事があるんですから」
周囲には特撮好きであることを隠しているらしい彼は、Flow Riderのオーナーである弥勒である。隠さなくてもいいのに……と華は言っているのだが、本人は何が何でも隠し通すつもりらしい。秘密を共有しているようで楽しいので、華もそれはそれで構わないと思っているのだが。
「じゃあ、ファミレスでサッとごはん食べようか。すぐそこにあるしね」
夕方からはFlow Riderに行って仕事。それまでの腹ごしらえ。ヒーローショーでそれなりに燃焼したので、華も弥勒も空腹でたまらなかった。
*
日替わりランチを食べながら、華はじっと目の前の弥勒を見つめる。深い事情は知らないが、彼はかなり裕福な家で育ったという。そのせいだろうか、ファミリーレストランのハンバーグを食べているだけでもブルジョワ感が出てしまっている。それが妙にツボに入ってしまって、華はなかなか箸が進まなかった。
「そういえばさ。弥勒くん、スタッフがほしいみたいなこと言ってたよね」
「ん、言ってましたね。人手が足りないってわけじゃないんですけど。こう……快活な人がほしいっていうか。うちの店も若干マンネリ感がでてきたので……」
「それさ、俺の友達はどうかなって思ったんだけど」
「華くんの友達?」
自分を落ち着けようと、華は口を切る。切り出した話は、少し前に弥勒がぼやいていたことについてだ。
弥勒が経営するFlow Riderはそれなりに上手く回っているのだが、弥勒は物足りなさを感じているようだった。たまに、「面白いことをしたい」とぼやいている。つまるところ、その面白いことについてきてくれる新しいスタッフがほしいらしい。
「そう、俺の大学の友達で、幼馴染の……」
「ああ、レンくん」
「えっ、なんで名前を……⁉」
「いや、一万回くらい聞かされたので……」
Flow Riderに新しい風がほしいと言っていた弥勒の言葉で、華の脳裏に浮かんだのはとある人物。華にとっての幼馴染である青年だ。
「そのレンくんが、華くんのおすすめなんですか?」
「そうそう、弥勒くんも気に入ると思うよ?」
「……そうなんですか?」
弥勒はなんだかんだと言っているが、要するに彼が求めているのはヒーローのような人だ。この状況をパッと変えてくれるような、夜を裂く太陽のような人。
ヒーローのような人物――そのような人物は、華の中ではたった一人しかいない。
「うん。なんたって――蓮は、俺のヒーローだからね」
愚直で、笑顔の似合う彼。一星 蓮という青年だけだ。
*
『また蓮、先生に怒られたの?』
『あきらめて髪、黒に戻しちゃえばいいのに~』
教室にすごすごと戻ってきた蓮を、クラスの女子たちが笑う。蓮は彼女たちにへらっとした笑顔を返すと、疲れたように席についた。
千葉のとある高校――このクラスでは、蓮が教師に怒られるのは日常茶飯事だった。理由は課題を忘れたとか屋上に立ち入ったとか他愛のないものだが、蓮がこうして教師に目をつけられているのは、とある理由があるからだ。
蓮の髪の色は、赤である。地毛ではない。髪を赤に染めていた。
この高校にはそこまで厳しい校則はないが、赤い髪はさすがに目立つということで、蓮は以前より注意を受けていた。しかし、蓮はかたくなにその注意を聞き入れない。何度怒られても、髪を黒にすることはなかった。
『蓮って赤にこだわりでもあるの~?』
『え? だって赤、かっこいいだろ?』
『マジでそれだけの理由? こだわりが強すぎる!』
『こだわってこそ男ってもんだろ?』
『いや意味わかんないし。バカなだけじゃん?』
クラスメイトが何度か、蓮に理由を尋ねたことがある。「なぜ、髪を赤にしているのか」と。しかし、蓮はそのたびに「かっこいいから」としか言わなかった。だから、みんなこう思っていたのだ。「蓮はバカ」と。
『――……』
クラスメイトにからかわれている蓮を、華は少し離れた席から見つめる。
華は、蓮がなぜ髪を赤に染め続けているのか――その本当の理由を知っていた。だから、本当はここで「違う」と声をあげたかったが、彼がこうして言葉を伏せている理由を考えると、どうしてもそれができなかった。
*
華が蓮と出会ったのは、小学生のころだ。そのころは特に仲がよいというわけではなく、華が一方的に蓮の名前を知っている程度の仲だった。一方的、というのは、蓮は活発な少年で目立っていたからである。
対して、華はどちらかといえば静かな子どもだった。それには、一つの理由がある。華は、髪の色が周囲の人とは違うという悩みを持っていた。地毛が明るい色をしていたので、周囲の子どもたちから浮いてしまうのだ。からかわれたり、嫌なことを言われたりすることが続いたせいもあり、華は幼いながらに人間不信に陥ってしまっていた。だから、友人というものが欲しいとは思わなかったし、一人でいたほうが楽だとすら思っていたのだ。
ある日、決定的な出来事があった。
『なあ、なんでおまえって変な髪してんの?』
『……』
教室の隅で本を読んでいた華の周りに、何人かの少年が集まっている。みんな悪意よりは好奇心に満ちたような表情をしていて、その言葉が人を傷つけるものだとは露ほども思っていないのだろう。無邪気な言葉だったからこそ華は傷ついてしまって、何も反応できなかった。
『染めてるの?』
『……元々』
『元々⁉ ふつう黒じゃね?』
『……そんなふつうはないよ』
面倒くさいな、と思いつつも、胸元がざわざわとして落ち着かない。正直なところ、自分でも、どうして黒髪に生まれられなかったのだろうと考えたこともあったので、それを他人に言われるとひどく辛かったのだ。そんなの、俺が一番聞きたいよ、と。
ニヤニヤ、よりもニコニコ、が合う笑い方。それが余計に気に障った。誰も、少年たちを止める者はいない。クラスメイトは腫れ物を見るような目で華と少年たちを遠巻きに見つめている。そうして見て見ぬふりをされると、恥ずかしい気分になった。哀れに思われているのだと感じてしまった。
華は耐えきれなくなり、席を立とうとした。しかし、その瞬間に誰かが「おい」と声をかけてくる。
『やめろよ、みっともねえぞおまえら』
声をしたほうに華が目を向ければ、そこには、今までほとんど話したこともないクラスメイト――蓮が立っていた。
『はあ? みっともねえってなんだよ』
『ダセェって言ってんだよ』
『ダセェのはこいつの髪じゃん!』
『そうやって見た目のことしつこく言ってるほうがダセェだろ!』
『はあ? なんだよおまえ!』
蓮が徐々に口調を荒げていったせいか、少年たちも喧嘩腰になってゆく。
ああ、庇われているのかな――といたたまれない気持ちになる。庇われるのなんて、嬉しくない。惨めなだけだ。華は、耐えきれずにとうとう立ち上がり、彼らをかき分けて教室を飛び出してしまった。
『あっ……待って!』
蓮の声が聞こえてきたが、華は立ち止まらなかった。廊下を走って、必死に蓮から逃げる。しかし、蓮のほうが足が速かったせいか、あっという間に追いつかれてしまった。
『ちょ……ちょっと、待ってってば……』
『……、なに』
ぐいっと服の裾を掴まれて、華は渋い顔をしながら振り返る。そうすれば、蓮はぜえぜえと息を切らして、まっすぐに華を見つめていた。その眼差しが、華の胸をざわつかせる。
『な、なんか嫌なことしちゃったかな、俺』
『……べつに』
『むかつくことあったら、謝るからさ』
『べつにないから、関わらないでよ』
華はべし、と蓮の手を払う。
こういう純粋ないい奴は、みんなに好かれるんだろうなあ、と考える。自分と比べては劣等感が生まれてきて、胸がきりきりと痛くなる。
彼は、わからないのだろう。他人から嫌なことを言われてばかり、他人と接してみたいという気持ちも殺されて、ただ、他人には興味がないというふりをしなければいけない惨めな人間な気持ちなど。「救ってあげるよ」と上から言ってくる人間は、本当に嫌味だと思う。純粋な善意が、本当にうっとうしくてたまらないのだ。
『俺のことなんて何もわからないのに、味方になったような態度とらないでよ!』
『へっ……あ、……華……!』
むしゃくしゃして、華は蓮を振り切って駆け出してしまった。その後、華を探しにきた教師につかまってしまったのだが。
*
翌日、華が学校に向かうと、その道中で、また意地悪な少年たちに囲まれてしまった。昨日、蓮に邪魔をされたのが不満だったのか、いきなり乱暴な口調で華に声をかけてきたのである。
今度は、昨日のようにクラスメイトの目がない。この状況で囲まれるのはいやだなあ……と華が思っていれば、少年たちは構わず華に絡んでくる。
『なあ、なんでそんな髪なの? なんで俺たちと一緒じゃないの?』
『……だから、元々だってば。黒にするほうが大変なんだよ、俺は』
『嘘つくなよっ、おまえが変な嘘つくから、昨日めんどくせえのに絡まれたんじゃん!』
『嘘じゃないし……』
たぶん、彼らは華が「髪を染めている」と言わないと納得しないのだろう。華がそう言うまで、ずっとこうしていびってくるつもりだ。
しかし、華は生まれつきの髪の色を否定したくなかったし、嘘をつきたくもなかった。しつこく迫ってくる彼らへの苛立ちと、何もできない自分への悔しさで、徐々に目頭が熱くなってくる。
せめて、蓮のように一人でも歯向かっていけるような強さがあればいいのに、と昨日の蓮の姿を思い出しながら、華がうつむくことしかできなかった。
『――おい』
一人の少年が華の肩に手をかけたとき、後ろから声がかかる。
あ、この声は――
どこか温かみのある声に、不本意ながら安心感を覚えて華が振り向けば――
『……へっ』
『なあっ……⁉ 蓮? 蓮だよ……な?』
そこにいたのは、蓮だった。蓮なのだが――昨日とは別人のような姿をしている。
華も、少年たちも、目を丸くして固まってしまった。
蓮はズカズカと華と少年たちの間に割り込んでいき、ふんっと誇らしげに笑う。華も少年たちもわけがわからないという顔を浮かべて、唖然と蓮を見るばかりだ。
『正義のヒーロー、ライダーレッドの一星 蓮が参上したぜ!』
『ら、ライダーレッドって何……?』
バシッとポーズを決めた蓮……よりも、特撮と特撮を適当に鍋に放り込んで煮詰めたようなライダーレッドという謎の言葉よりも、そこにいた者すべての視線を奪っているのはその髪の色である。昨日までは黒かったはずの蓮の髪は、なんと真っ赤に染まっていたのだ。
『えっ、おまえ、その髪ヤバくねっ⁉』
『べつにヤバくねえだろ! かっこいい色に染めただけだし!』
突拍子もない蓮の行動に、少年たちは喧嘩をしていたことも忘れてゲラゲラと笑っている。華は茫然として、赤い髪の毛の蓮を見つめることしかできなかった。
『……れ、蓮くん、それ……』
『ん? 染めたぜ! 俺もほかのやつとは違う色にしてみた!』
『……俺のことバカにしてる?』
『んあ? んなわけねえじゃん! おまえが俺に『俺のこと何もわからないのに』って言うから、おまえの気持ちになってみようと思って染めただけ』
『や……やっぱりバカにしてるでしょ。地毛と染めた髪じゃ全然違うから!』
『……た、たしかに……』
華の指摘に、蓮は「しまった」という顔をして染めた髪をいじっている。
華は怒っているわけではない。
実際のところ、蓮が髪を染めたことによって、あれほどしつこかった少年たちが華の髪色に興味をなくしたようにどこかへ行ってしまった。この赤髪のインパクトの前では、華の髪色をいじる気分もなくなってしまうのだろう。
蓮のおかげでうんざりしていた彼らから解放されたので、一応感謝はしていた。よい方法だったのかと訊かれれば首をかしげるところだが、結果オーライというやつである。
ただ、華は心の整理がつかなかった。こうして体を張ってまで自分に寄り添おうとしてくれた人は、蓮が初めてだったからだ。なかなか素直になれなくて、ぶちぶちと文句を言ってしまう。
しかし、蓮はそんな華に嫌な顔ひとつすることなかった。ちょいっと赤く光る毛先をつまんで、笑ってきたのだ。
『でもさ、おそろいみたいでよくない? この髪!』
『……おそろい?』
『ラッキーなことにさ、ここまで明るい髪したの、この学校では俺と華だけだぜ! おそろいじゃん!』
『な……』
華は言葉を失ってしまう。
おそろい、なんて自分とは無縁の言葉だと思っていた。他人と何かを共有したことがなかったのだ。そして、これからもすることはないと思っていた。まさか初めてのおそろいが、悩みの種であった髪の色になるとは思っていなかったけれど。
『お……おそろいってさ……それ、友達同士とかでやるやつだよね……』
『? 俺と華って友達じゃないの?』
『友達じゃないっ! ろくに話したこともなかったでしょ!』
『じゃあ、今から友達! いいだろ?』
『えっ……』
蓮はぱっと手を差し出してきて、笑う。
華が何重にも張った拒絶の網をするすると掻い潜って、蓮はあっさりと「友達」宣言をしてきた。華は拒否する気力もわかなくて、おずおずとその手の指先に触れる。そうすれば、ぎゅっと手を握られて、華は「うわ」と声を出してしまった。
『よろしく、華!』
『……、こ、……こちらこそ。蓮くん……』
『蓮でいいよ?』
『じゃあ……蓮』
華が「蓮」と呼ぶと、蓮はまた、にこっと笑った。それが太陽のような笑顔だったので、華は思わず目をみはる。
人の目が怖かったから、顔を上げたことがあまりなかった。だから、太陽を仰ぐことはなかったのだ。そんな華の目に、燦然たる太陽が映る。
友達、と言って笑う、蓮という少年だ。
*
蓮は小学生のころに髪を赤に染めて以来、一度も髪の色を元に戻したことはなかった。小学校はもちろん、中学校でも高校でも髪の色を注意されるのだが、黒に戻そうとはしない。どうしても、というときだけ、渋々スプレーで黒にするようだったが、赤髪であることを譲るつもりはないようだった。
とはいえ、高校生になった蓮が、いまだに赤髪にしている理由が、華にはよくわからなかった。高校には華の髪色を揶揄するような人はいないので、蓮が赤髪である理由などないのである。
今日も、先生に髪色のことで怒られた蓮を見つめながら、華は少しだけ罪悪感を抱いていた。もしも自分のために赤髪のままでいるのなら、もう彼を解放してあげたい。そんなことを思う。
――空は夕焼けで、赤く染まっている。
学校が終わり、二人で帰宅していた。自転車を引いて坂道を歩けば、チャリチャリと車輪が回る音がする。周りには、あまり人がいない。
遠くで淡い光芒が、空に線を描く。赤く輝くそれが蓮の髪のように思えて、ふいに華は言葉を紡いだ。
『ねえ、蓮さ、髪……黒にしないの?』
華の言葉を聞くなり、蓮は不思議そうな顔をして自分の髪をいじる。
『え、なんで?』
『いや……その髪、俺が昔いじめられていたときに、俺を庇うために染めたやつじゃん。もう昔とは環境が違うし、蓮がそうして髪を染めていても、蓮が嫌な思いをするだけじゃないの?』
『……』
蓮はじっと華のことを見つめて、怪訝そうに眉を寄せる。珍しい表情だった。
『俺がおまえのために髪染めてると思ってる?』
『え、違うの?』
『違えよ、なんで俺がおまえのためにそこまですんだよ』
『えっ、ひどっ』
予想外の返事に、華は戸惑ってしまった。てっきり、小学生から高校生の今まで、自分のために髪を赤にしているものだと思っていたからだ。
『そりゃあさ、染めたきっかけは、まあ、華のためだけど。でももう華の髪のことどうこう言うやつなんていないし。華のために染めてるわけじゃないんだよな』
『じゃあ、なんのため?』
自分のためではないと言われて、華は驚いてしまった。自惚れていたわけではないが、それ以外の理由が思い浮かばなかったのだ。
うろたえる華に向かって、蓮は『俺のためだけど?』とあっけらかんとして言う。それこそ意味が分からなくて、華はますます困惑してしまった。
『赤がそんなに好きなの?』
『……おまえ、にっぶいやつだな?』
『え?』
ガチャン、と音が響く。蓮は自転車を止めて、すたすたと華の前に躍り出た。華が驚いていれば、蓮ははあ、とため息をつく。
とん、と体が揺れる。
困ったような、照れているような。蓮はそんな表情をしていた。まっすぐ伸びた腕は、華の胸元に。その拳は、優しく華の心臓を突く。
『この髪は、俺とおまえの友達の証。おそろいって言っただろ? だから、俺はずっとこの髪のままだよ』
『――……、』
華はパ、と目を見開く。
夕日を浴びて、蓮の輪郭が燃えるように赤く染まっていた。久々に見事な夕焼けなので、少しだけ気分が高揚しているのかもしれない。拳を押し込まれた胸がドクドクと鼓動して、血の巡りがよくなっているような気がする。
友達、――友達かあ……。
蓮のことは友達だと思っていたが、明言されると少しだけびっくりしてしまう。
もしかしたら、今まで、蓮のことを「友達」だと信じ切れていなかったのかもしれない。彼のことは好きだが、いつか友情など切れるだろうと心のどこかで思っていた。
華は、自分のことが好きじゃなかった。幼いころの記憶にいつまでも引きずられて、自分を好きになるすべを身に付けることができないでいた。だから、彼にもそのうち見放されるだろうと思っていたのだ。
けれど、彼は自分を「友達」だと言う。
この言葉はきっと、信じてもよい言葉なのだろう。
こうして、夕日の中で語らったときのことも、彼の中で大切な思い出になってくれるのだろうか。そう考えると、友達、とはずいぶんときらきらしたもののように感じた。
嘘のようだ。世界が回ったような心地だ。信じることとは、こんなにも心地よいことなのだろうか。初めて知った。
『……ハゲたらどうする?』
『あっ⁉ 俺はハゲねえからな? もし俺がハゲたらおまえもハゲろ。それでおそろいだ』
『やだよ。まあ、俺は坊主でもイケメンだけど』
蓮はヒーローを自称したことがあったが、それは多分、あっていると思う。笑っている蓮を見ながら、華はそんなことを思う。
彼は、いじめっ子から救ってくれたこととか、手を差し伸べてくれたこととか、ヒーローらしい行動はたくさんしてきたのだが。なにより、華の人生に光を照らしてくれたことが、一番のヒーローらしい行動だと思う。ヒーローって、世界を変えられる。そういう存在だ。
まぎれもなく、蓮は、華にとってのヒーローなのだ。
*
「――THE・END」
「……今回も感動の大傑作でしたね。もう百回くらい聞かされていますが」
「何回でもきちんとリアクションしてくれる弥勒くん、最高に愛してるよ」
「どうも」
弥勒はハンバーグを食べ終えて、食後のパフェを食べている。話を聞いているのかいないのかわからない曖昧な弥勒のリアクションだが、華は語りたいだけ語れたので満足していた。
「で、そのレンくんをFlow Riderのスタッフにしたいと?」
「そうそう。どうかな? 弥勒くんもヒーロー、好きでしょ?」
「……べつに僕にとってのヒーローになるわけじゃないでしょ。まあ、それはそれとして、いいんじゃないですか? 適当に声かけておいてください。サッと面接してサッと採用しておきましょう」
「あ、採用? よかった~、蓮、髪の色のせいで何回もバイトの面接落とされてるらしくて……これで蓮も安心するよ」
上機嫌の華を見つめながら、弥勒が苦笑いをする。仕事のときは非常に流麗な所作をする華だが、ひとたび「レンくん」の話が始まればこのとおりだ。弥勒としても、この皐月 華という男を狂わせる「レンくん」にお目にかかりたいと思っていたのだった。
「Flow Riderにとってのヒーローになれるといいんですけどね、彼」
「なれるよ! 俺の蓮だからね!」
「……じゃあ、お手並み拝見といきましょうか」
ふ、と笑った弥勒を見て、華が思う。
結構なキメ顔をしているが、コーヒーに大量のミルクと砂糖をいれている仕草のせいで台無しだぞ、と。
*
その日は、雨が降っていた。ざあざあと雨が降りしきる秋葉原の町。
友人に誘われて、カフェのアルバイトの面接を受けることになった青年が、その街に降り立つ。
その――赤髪の青年を待っているのは、Flow Riderという風変わりなカフェだった。
年々、春が短くなってきている。そんなことを思いながら、蓮はカッと降りそそぐ太陽の光にうなだれる。暑いのは嫌いではない――嫌いではないが、暑いものは暑い。まだ春うららを堪能していないというのに気付けば初夏の香りが漂っていて、季節の急ぎ足っぷりにはさすがに「ちょっと待て」と言いたくなる。
はやく、Flow Riderにたどり着かねば。この暑い日差しの中をいつまでも歩いていたら、干からびてしまう。涼しい店内に行きたい一心で蓮は速足で歩いていたが――ふと、あるものが目に留まり、立ち止まった。
「……ビール祭り?」
ビール祭り――頃良い季節になると日本各地で開催されている、ビールを楽しむお祭りだ。そのお知らせを見ていたら、暑い日といったらビールだよな……と蓮はついつい考えてしまった。
さて、行くとしたら、誰を誘おうか。華――は、よくない。彼はお酒を好むたちではないし、中でもビールは苦手なほうだ。じゃあ、大学のサークルの友人……? 誰がいいだろうか……。うんうんと候補を脳内で巡らせながら、蓮はFlow Riderへ向かって行くのだった。
*
Flow Riderにたどり着いた蓮がまず出会ったのは、九十九だった。スタッフルームで着替えをしている途中の彼を見て、ふいに蓮は思う。九十九をビール祭りに誘ってみよう、と。彼はお酒に弱いというわけでもなさそうだし、考えてみれば彼とプライベートで遊んだことがない。せっかくだから、彼と一緒に遊んでみたい、と考えたのである。
思い立ったが吉日、ということで、蓮はさっそく九十九をビール祭りに誘ってみた。そうすれば、九十九はシャツのボタンを中途半端に留めた状態で、「ビール祭り?」と驚いたような顔を浮かべる。
「それって……駅前に貼られていたポスターの?」
「そうそう! 行きませんか!」
「いいけど……僕、あんまりお酒飲まないから、蓮くんのペースについていけるかなあ
「えっ、お酒飲まないんですか?」
「いや、飲めないわけじゃないけど。蓮くんみたいにガンガンお酒を浴びるタイプじゃないというか。たしなむ程度?」
「別にそんなに飲め飲めするわけじゃないですよ。雰囲気楽しいんで、行きません?」
「うん……そうだね。そういうのには行ったことないし……じゃあ、一緒に行こうか」
九十九は蓮のことを酒豪か何かだと思っているようだ。大方、華や百波あたりから話を聞いているのだろう。間違いではないが、蓮は人にお酒を押し付けるタイプではないので、その誤解だけは解いておいた。
「華くんとは行かないんだ?」
「華はだめっすよ、あいつ、お酒飲むと寝るから。ビールだめだし」
「寝るの?」
「うん、猫みたいに丸まって寝ます。人前で飲むときは気張っているくせに、俺と飲むと遠慮なく寝るんですよ~」
「え~そうなんだ……今度その写真撮ってきてよ」
「えっ、そんな写真いります?」
「なんか、可愛いなあって……蓮くんの側だから安心しているんだね~」
可愛いか? と言いそうになったのを呑み込む。安心、しているのだろうか、彼は。まあ、長い付き合いだしなあ……と遠慮のない友人のことを考える。
そういえば、九十九は酔うとどうなるのだろうか。ふいに、蓮は気になってしまった。泣き上戸? 普段は言えないような秘密の話を聞かせてくれる? 考えれば考えるほど、気になって仕方ない。
「じゃあ、次に僕たちが休みの……金曜日? とかどうかな?」
「いいっすね! いきましょう!」
あまり強引に飲ませるつもりはないが、九十九が酔っている姿は気になる。
蓮は、二重の意味でビール祭りに胸が弾ませるのだった。
*
金曜日の夜は、仕事帰りの大人たちがお酒をあおっている。明るい東京の夜の中、その場所は一層ぎらぎらと炎を灯したように賑わっていた。
今日は、暑い。もはや初夏である。人の熱気も手伝って、夏夜のように熱が肌にまとわりつく。ほんのりと肌は汗ばんで、シャツがいやな感じに背中に張り付いていた。
ビール祭りは、広場を丸ごと使って行われる盛大な催しだ。至る所に出店が立ち並び、ステージでは楽団が歌を歌っている。溢れかえるほどの人の中を、蓮と九十九は波をかき分けるようにして進んでいくのだった。
「すごい人だね……ビールのお店もいっぱい……」
「何か買いましょう!」
「そうだね、……あ、フルーツのビールもあるんだ。僕はあれにしようかな」
二人で気になるビールと食べ物を買って、なんとか空いている席をみつけて、そこに座る。ビール祭りといえばブルストというところはあるが、九十九は海鮮のほうが好みなようで、ムール貝蒸しを選んだようだった。対して蓮は王道を進むタイプなので、ブルスト盛りを購入した。つやつやと輝くおつまみと、ジョッキに汗をかかせた冷たいビール。暑い夜に最高の組み合わせ。
「じゃあ、乾杯!」
「かんぱ~い!」
カツン、とジョッキを合わせると、蓮は一気にビールを喉奥に向かって注ぎ込んだ。
冷たいビールがなみなみと喉を通っていき、グビリと呑み込めば肺いっぱいに染み渡るような爽快感が広がる。苦みと炭酸がわずかにひりついて、その刺激が心地よい。こののど越しがたまらないのだ。5回ほどビールを呑み込む快感を堪能したあと、蓮はジョッキから口を離して、はあ、と息をつく。不愉快な蒸し暑さとは違う、気持ちの良い火照りがじわじわと体内から膨れ上がってくるようだ。
「――はあーっ! うめえっ! 九十九さん、そのビールは――……ってもう飲み切ってる⁉」
「えっ? あはは……美味しくてつい……」
ふ、と九十九に視線を移した蓮は、九十九の手の中にあるジョッキが空になっていることに驚愕する。たしかに、九十九が頼んだフルーツビールは、ほかのビールよりも一回り小さなジョッキではあるのだが……一気飲みをするとは。彼は思ったよりも「イケる」たちらしい。
「九十九さんって、お酒強い?」
「さあ……酔うまで飲んだことあまりないから、どうだろう。でもここのお酒は美味しいね」
「……俺も負けてられねえぜ!」
「えっ、何が?」
蓮も負けじとグイッとビールを飲み干せば、九十九が「蓮くんってすごいね……」とほうけたように言ってくる。その手に持っている空のジョッキは完全に棚にあげているようだ。
「次! 次のビールいきましょう! 俺、九十九さんの分も持ってきますよ! 何飲みます?」
「ありがとう。じゃあ……あそこの、エーデルワイスっていうのを……」
*
「それで、あのときの百波がね……お茶と間違えてめんつゆを飲んで……ふふっ……悲鳴が……ふふふっ……ふ、……ふふふっ」
「めんつゆ⁉ やばくないっすか?」
「ほんとうにヤバくて……あっそうだ、お茶といえば、華くんが……――ふっ、ふふっ、華くんが、このまえ、一緒に心霊スポットに行ったときにぬかるみにはまって、ふふっ」
「それ、お茶関係あります?」
衝動のままに何杯かのビールを飲むと、蓮も九十九もそこそこに出来上がってきた。蓮はまだ頭がはっきりしているのだが、九十九はそうではないらしい。肌を赤くして、ふわふわとした調子で呂律がまわっていない。蓮は、そんな酔った九十九を見ながら気付いたことがある。
「あ、蓮くん。あの人たち、歌ってるね、すごい。ふふっ、あはは、こういうのって楽しいね、ふふっ」
九十九は酔うと笑い上戸になる。
これは、意外な発見だった。てっきり、彼の性格から考えて大きな変化をするタイプではないと蓮は思っていたが、転がるように笑う今の彼は、平常とはとてもじゃないが言えない様子だ。しきりに笑っている九十九は完全に酔いが回っていて、普段よりもずっと陽気な雰囲気が漂っている。
「蓮くん、お酒足りないでしょ? 僕が持ってくるよ」
「い、いや! 俺はこれくらいにしておきます!」
「え~? もっと飲もうよ。僕も足りないし」
「九十九さん、まだそのグラスにビール残ってますよ」
「……あれ、ほんとだ。よかった~」
九十九はにこにことしながら、ジョッキに口を付けた。体はもうアルコールを求めていないのか、ちびちびと舐めるように飲むだけだったが。
蓮は九十九の様子が若干心配だったが、正直なところ、新鮮な彼の姿にわくわくとしてしまった。普段は、けらけらと声を上げて笑うタイプではない彼。心から楽しいときは、このように笑うらしい。大声で笑うのではなく、くふくふと噛みしめるような笑い方をする。なるほど、これが九十九さんのひとつの姿。
「蓮くんのブルスト一個もらお~」
「どうぞ。ガンガン食べてください」
そして、遠慮もなくなる。
すいっと箸を伸ばしてきてブルストを一本、かぷっとそのままかぶりついた九十九を見ながら、蓮は笑いをこらえていた。九十九がブルストを食べ終わることを見計らって、さりげなくブルスト盛りの皿を彼のほうに寄せてみれば、九十九は当然のようにまた一本取っていく。わんこそばの如くブルストを食べている彼の姿が、あまりにも普段の彼の姿から乖離しているので、なかなかに見応えがある。
「蓮くんっ! あそこ、あそこに行こう!」
「えっ、あそこっすか?」
ブルストを食べて満足した九十九が、ステージを指さした。楽団が陽気な歌を歌っていて、その周囲では酔った者たちが肩を組みながらわいわいと騒いでいる。
普段の九十九なら絶対に近付くことを拒否しそうだが、これは好機と蓮は立ち上がった。ちゃちゃっとグラスと皿を片付けて、九十九の手を引いてステージに近付いてゆく。九十九は覚束ない足取りながらもるんるんとした調子で蓮についていき、ステージの近くまでたどり着くと「わ~、すごいね」と他人事のように呟いた。
「九十九さん、はい」
「?」
「こう!」
「ああ! こう!」
蓮が周りにならって九十九の肩を抱いてみれば、九十九も蓮の肩に腕を回してきた。周囲の人たちは楽団の曲に合わせて歌っているようだったので、二人で真似をして歌ってみる。乾杯の歌、のようだ。乾杯はとうの昔に済ませ、もうすっかりお腹は膨れているのだが、ふわふわと体を巡る酩酊感に、乾杯の詩は心地よい。
「あははっ、楽しい」
「九十九さんめっちゃテンション高いっすね!」
おかしくてたまらないといった様子で笑っている九十九を横目で見ながら、もしかして、彼は本当はこういうのが好きなんじゃないか、と感じる。また、誘ってみようと思った。
*
「蓮くん……あの……昨日の事よく覚えてないんだけど……僕、変なことしてないよね?」
次の日、Flow Riderに出勤してきた九十九は、青白い顔をして、開口一番そんなことを蓮に言ってきた。記憶が飛ぶとは、やはり相当酔っていたようである。
「……ふっ、さあ、どうでしょう」
「ええっ⁉ だ、大丈夫だったよね?」
「ふふーん」
蓮がニマニマとしていれば、九十九がかあっと顔を赤くしながら、蓮をゆさゆさと揺する。そうしていると、二人の話を聞いていた与流が話に加わってきた。
「なんだ、蓮。おまえ、九十九のこと潰したのか」
「潰してないっすよ! 一緒に飲んでただけで!」
「本当かよ~、九十九、アルハラはちゃんと断るんだぞ?」
「アルハラしてないってば!」
九十九は、難しい顔をして、自分の記憶を辿るように指でぐるぐると虚空に円を描いていた。いくら頭の中を探っても、記憶が出てこない。楽しかった感情だけは残っているのだが、具体的な行動はまるで思い出せないのである。
「ちなみに九十九って、酔うとどうなるんだ?」
「九十九さんは酔うと……、」
「れ、蓮くんっ! ストップ! 秘密にして!」
「へへっ、わかりましたよ、俺と九十九さんだけの秘密で」
わーっと九十九に詰め寄られ、蓮は苦笑いをした。言いふらすつもりはないし、実際のところ、あの彼の姿は実際に見たほうがよいものだろう。彼の満開の笑顔は見ていてこちらも楽しい気分になる。
「つーかよ、蓮、おまえは全然酔わないよな。俺もおまえが酔ってるところ、見たことねえんだけど」
「あー、遺伝? 結構強いから、いつも介抱役に回ってるかも」
「おまえを酔わせてみて~。つっても、下手したら俺より強いよな、おまえ……」
「ふふんっ、勝負しますか、与流さん!」
わいわいとお酒のことを話していれば、ぽん、と蓮の両肩に手が乗る。蓮が振り向けば、そこにはにっこりと笑っている弥勒が立っていた。
「一星くん、僕のことも誘ってくれればよかったのに」
「お、なんだ、弥勒もビール好きか? じゃあ、今度一緒に行こうぜ!」
「――そうですね、じゃあ、二人で」
あっ、と小さな声をあげたのは、九十九と与流である。今の会話の流れで――間違いない、弥勒は蓮の酔う姿を見る気満々である。
「おい、蓮、フラグフラグ! フラグたってんぞ!」
「え? 何が?」
「蓮くんが第二の僕になる未来が見える……」
「楽しみですね、一星くん。僕とのデート」
「え、なに、なんか怖ぇんだけど⁉」
――後日、にまにまと笑っている弥勒に、蓮が土下座をしている光景が見られたとか。
「あれ、弥勒くん、それ――」
出勤してきた華の目に入ってきたのは、弥勒が珍しいものを飲んでいる光景だった。プラスチックカップの中には、薄ピンクの液体。底には黒い丸々としたモノがゴロゴロとうごめいている。あれは……少し前に流行ったアレだ、と華は一目でわかった。
「珍しいね、タピオカ?」
「……ん、華くん。おはようございます。タピオカですね、見ての通り」
弥勒が飲んでいたのは、タピオカドリンクだ。普段はコンビニで買ってきたパックの飲み物とか、自販機で買ってきた缶ジュースとか、インスタントな飲み物ばかり飲んでいる弥勒にしては、珍しい。
「へえ~。どう? おいしい?」
「まあまあ」
「弥勒くんは甘いものが好きだからね~」
もちもちとタピオカを食べている弥勒に、華がカメラを向ける。私生活が雑な印象のある彼だが、意外とタピオカが似合う。じろっと睨まれながらも構わずシャッターをきれば、弥勒はむすっとした顔で華を見つめた。タピオカをタピタピとしながら睨まれても、あまり迫力はない。
「行列ができているときは買う気が起きなかったんですけど、今はほとんど並ばなくても買えるので……ふと甘いものがほしくなって買ってみました」
ああ、それわかる……と華はうんうんと頷く。華は並ぶことに楽しみを見いだせないたちなので、行列ができる流行りものにはあまり近寄らない。ラーメンは別腹。わりと価値観の合う彼なので、彼の話には頷きたくなることが多い。
華と弥勒がタピオカ談義をしていれば、話を聞いていた与流が「甘いもんが食いたいなら、俺に言ってくれりゃあよかったのに」と弥勒に声をかけてきた。そうすれば、弥勒が顔をあげて、うーん……ともちもちしながらつぶやく。
「タピオカが食べたくて仕方ないときもあるんですよ」
「……な、」
「?」
きょと、と弥勒が瞬く。与流の反応が妙だったので、気になったのだ。変なことを言っただろうか、と弥勒は自分の発言を反芻してみたが、特に思い当たることはない。
与流は眉を寄せて、難しそうな顔をしている。どうしたのだろうと弥勒と華が首をかしげていれば、与流は深刻そうに、
「――俺よりタピオカなのか?」
などと言いだした。
「……え、なんですか?」
急に与流がトンチキなことを言い出したので、弥勒も思わず素になってしまった。しかし、与流は冗談を言っているわけでもなさそうだ。
「おまえが俺よりタピオカを選ぶなんて夢にも思わなかった……」
「いや、今日はたまたま、」
「……よし、決めたぞ。すげえ美味いスイーツ作ってやる。タピオカに浮気したことを後悔させてやるぜ、弥勒」
「タピオカに浮気って何ですか?」
弥勒はすっかり意気消沈した様子で、冷たいまなざしを与流に向けている。
うわ、なんか面白いことになっている。華は笑っていいのかよくないのかわからない雰囲気の中、「嫉妬深い男は嫌われますよ、与流さん~」と野次をいれておいた。
「明日……俺、休みだからな。とびきりの甘いもん作ってきてやるぜ」
「え……そ、それはどうも」
「あ、俺も休みだ。与流さん~、俺も一緒に作りたい!」
「おう、華も作るか。いいぜ! 俺んち来いよ!」
「何なんですかきみたち、暇なんですか?」
弥勒はハア、とため息をつきながら、ズゴゴゴとドリンクを飲む。与流は何のスイッチが入ったのか気合が入っているし、華は悪ノリで与流と一緒に何かをするようだし。ろくなことにならなそうだ、と弥勒はこっそり思うのだった。
*
翌日、華は与流の家まで来ていた。華は何度か与流の家に来たことがあるが、与流の家は相変わらずすっきりとしていた。凝るものは凝るが、あまりモノは持たないほうなのだと彼はいう。実際に、ベッドと小さなテーブル、テレビにパソコン……と必要最低限のものが置いてある部屋に対して、キッチンにはやたらと調理器具や調味料がたくさん並んでいる。
「今日は何を作るんですか?」
「レモンタルトだ。最近暑いからな」
「へえ~、いいですね! でも、与流さんならアップルパイを作ると思っていました。弥勒くんが特別好きなものを作った方が、ほら……タピオカから弥勒くんを奪還できるかな? なんて」
「アップルパイじゃあ勝ち確定だろうが。勝てる勝負なんて面白くねえだろ」
これは何の勝負だったかな……。与流はそんなにタピオカに負けたことが悔しかったのだろうか、と華は彼の負けず嫌いには苦笑いするばかりである。
そんな華の横で、与流は手際よく材料を出してゆく。まずはタルト生地の材料だ。ビスケットを使った生地にするので、ビスケットとバターを。これを混ぜ合わせて、タルト台を作る。
「華はこういうの好きだったか?」
「そうですねえ……今日は時間があったので、せっかくだから与流さんのスイーツ作りを見てみたいな~って思ったのと……蓮も甘いものが好きなので、こういうの覚えておいて損はないかなって」
「……あいつ甘いの好きなのか?」
「そうみたいですね。意外ですよね~。この前スイパラに誘われたのでびっくりしましたよ、『頼むっ、一人では行きづらいからついてきてくれ!』って言われて」
「スイパラ? ああ、スイーツパラドックスか」
与流に指示されたとおり、華はボコボコと袋に入れたビスケットをめん棒で叩いて砕いてゆく。ここにバターを入れれば、タルト生地ができるらしい。意外と体力を使うなあ……と感じながら、華は無心でビスケットを粉砕していた。
「おまえ、こういうの作って誰かにあげたことはあるか?」
「俺ですか? ん~……あったかな? いや……ないかな? 必要であれば料理はするんですけど、スイーツは……買って食べちゃうしなあ」
「そうか。悪くないぜ、こういうの。甘いもんが好きなやつにスイーツをあげると、嬉しいって顔に出るからな。その顔を見ていると、すごく、満たされたような気分になる」
「弥勒くんのこと?」
「いや、あいつ限定の話じゃなくてな……」
いくらか生地をこねたところで「そのくらいでいいぞ」と言われたので、華は手を止めた。できあがった生地を型につめ、オーブンに入れる。本格的なオーブンがあるのはさすがだな、と華は思った。与流いわく、キッチン回りの家電にはかなり金をかけている、らしい。
「地元にいたときもよ、俺、結構こういうの作って誰かにあげてたんだ。家族とか、友人とか」
「昔からスイーツ作り好きだったんですね」
「ああ。きっかけは……子どものときの、ホワイトデーだったかな。母親からバレンタインのチョコをもらったから、お返しに何かあげようと思ったんだ。まあ、子どもだったし、菓子作りとか全然わかんなかったし、チョコ溶かして固める程度のものだったけどな。それでも、母親はすげえ喜んでくれて。そのときのことが忘れられなくて、気付いたら菓子作りが趣味になってた」
「え~、なんですか、すごいほっこりエピソード。じゃあ、弥勒くんを初めて餌付けしたときのことも教えてください」
「……それはだめだ」
「なんで?」
「……なんとなく」
タルトを焼いている間に、レモンタルトの要であるレモンカードを作る。レモンカードとは、レモン味のジャムより甘くないジャムのようなもの、らしい。材料はレモン、卵、グラニュー糖、バター。お菓子作りをほとんどしたことがない華にとっては、使い慣れない具材ばかり。与流の指示に従いながら進めていっても、本当にこれでいいのかと不安が募る。
わかってはいたが、スイーツ作りは楽ではない。こういうのを趣味にできるなんてすごいなと考えながら、泡立て器でカシャカシャと必死に材料を混ぜる。
「やっぱり、与流さんがスイーツ作り好きなのは、一番はあげた人が喜ぶ顔を見たいから?」
「あ~、まあ、そうだな。作る過程もまあまあ好きだが、美味そうに食ってる顔を見るのが好きだな、やっぱり」
「ふうん……俺、あんまり、そうやって誰かに何かをしてあげるってことやってないかも。やっぱり与流さんってすごいです」
なんだそれ、と与流がつぶやく。
思い返せば華はどちらかといえば「受け取る」側の人間だった。好意も厚意も受け取る側。それはそれで満足なのだが、こちらから「あげる」側にはあまり立ったことがない。あげる側ってどんな気分なんだろう……そんなことを考えてみる。
「べつに、実際に行動に移したり、形があるものをあげたりしなくたって、おまえは十分に誰かを喜ばすことはしてるだろ」
「? そうですか? 俺、何もしてませんけど」
「いてくれるだけでいいってやつもいるんだよ。蓮だって、おまえが友達でいてくれるだけで十分なはずだ」
「……そっ、そうかな~」
「俺も、おまえとこうして一緒にいれて、よかったって思ってるしな」
「……与流さんは、そういうことさらっと言うから……」
華が照れ笑いをしたが、与流は何事もなかったように「そろそろ手、止めていいぞ」と言ってきた。レモンカードはもったりと重くなっていて、タルトに流し込んでもよい頃合いになっている。レモンの甘いような酸っぱいような匂いが、今のなんとなく面映ゆい気持ちに染みるようだ。
レモンカードをタルト台に流し込むと、見慣れたレモンタルトの姿に近づいてきた。あとはこれを冷やして、上にメレンゲを乗せて完成だ。与流は冷蔵庫にタルトを入れると、続いてメレンゲの材料を取り出す。
「結構大きいですね。これ、全部弥勒くんにあげるんですか?」
「いや、さすがにこのサイズは食いきれねえだろ。6号だぞこれ。そうだな、明日出勤の面子にやるか」
「明日は……誰でしたっけ? 与流さんと俺、弥勒くんに九十九さんに百波くん、……蓮。みんなレモンタルト好きそう」
「あいつら、俺が作ったやつ美味そうに食うから好きなんだよな~」
たまに、与流はスイーツを作って持ってくることがある。そのときに目を輝かせる彼らのことを思い出して、華は吹き出した。たしかに、あのような表情が見られるのなら、作った甲斐があるというものだ。
明日は、みんなはどんな顔をしてこのレモンタルトを食べるのだろう。そんなことを無意識に考えて、華は「ああ、なるほど、これがスイーツ作りか」なんて納得してしまう。
冷えたタルトにメレンゲを乗せて、レモンタルトは完成した。小さくカットして味見をしてみると、ドキッとするくらいに美味しい。ザクザクとしたタルトは口の中でほろほろと転がるように砕けていき、ひんやりと冷えたレモンカードが舌にひりっとした甘酸っぱさを弾けさせる。メレンゲは雪のようにとけて、タルトとレモンカードをゆるやかに交わらせる。目がさめるような、美味しいレモンタルトだ。
「これは……傑作ですね、与流さん!」
「だろ? これなら絶対勝てる」
「タピオカに?」
「そうだ、タピオカだ」
「こだわりますね~与流さん、タピオカに」
「そりゃそうだろ。俺と弥勒の付き合いが何年だと思ってるんだ。横からはいって来たキャッサバなんかに負けるわけにはいかねえ」
「はあ……なるほど?」
それはスイーツ職人(?)としてのプライドだろうか。タピオカをライバル視しているのはどうかと思うが、面白いのでそれはそれでよいと思う。
「みんなに食べてもらうのが楽しみですね」
「ああ」
切り分けたタルトを冷蔵庫にいれて、二人はみんなの表情を思い浮かべるのだった。
*
与流がFlow Riderに着くと、すでに華と蓮、橘兄弟がスタッフルームにいた。まだ弥勒は来ていないようだが、もうじき来るだろう。「おはようございます~!」と元気に挨拶をしてくる彼らに、与流は保冷バックを突き出す。
「それなんですかっ、与流さん!」
「レモンタルト。昨日、華と作ったんだ。食うか?」
「食う!」
蓮と九十九、百波はワクワクとした表情で保冷バッグの中をのぞく。そこには、綺麗にカットされたレモンタルトがきっちりと並んでいた。見た目も綺麗なレモンタルトだったので、三人は「すごい」と思わず声を漏らしてしまう。さっそく食べ始めた彼らは、ぱ、と顔を輝かせた。
「――え、やば、うまっ……」
「これ与流さんと華くんで作ったんですか? すごく美味しいです」
「レモンタルト初めて食ったけど、めっちゃ美味いっすね……!」
三人は思い思いの感想を口にしながら、美味しそうにレモンタルトを食べていた。その様子を眺めながら、華は少しばかり感動してしまう。
本当にみんな、嬉しそうに食べている――こういった感覚は華にとっては新鮮だった。これは与流がスイーツ作りにハマるのもわかってしまう、と。また与流に教えてもらうかな、なんて考える。
「――おはようございます。あ、もうみんな来てたんですね」
そうしていると、ようやく弥勒が出勤してきた。与流は「弥勒」とリベンジを果たすべく彼に声をかけたが――その手に持っているものに、絶句してしまう。
「み、弥勒……おまえ、何飲んでるんだ?」
「これですか? これはチーズティーです。知ってます?」
「……ああ、お茶にクリームチーズを乗せたアレだな」
「そうです。どんなものかと思って飲んでみましたが……悪くないですね」
「――って、そうじゃなくて! おまえ一昨日はタピオカだったのに、こんどはチーズティーかよっ!」
「え、チーズティーですけど……何?」
弥勒は大量のクエスチョンマークを頭上に浮かべる。
――こいつ、俺がタピオカと正々堂々と戦うためにレモンタルトを作ったっていうのに、呑気にチーズティーを飲みやがって……。
ジ……ともの言いたげに理不尽なまなざしを向けてくる与流を、弥勒はひらりとかわす。
「む……みんな、何を食べてるんですか?」
「ああ、オーナー。これ、俺と与流さんで作ってきたんだよ。レモンタルト」
「レモンタルト……僕の分は?」
「あるよ、もちろん」
弥勒は「ふーん」と言いながら、すすっと輪に入っていく。そして、残っている一切れのレモンタルトを紙皿にとり、フォークを使って一かけら、口の中にいれた。
「……うん、美味しい。やっぱり与流が作ったものは世界一ですね。あ、今回は華くんも一緒に作ったんでしたっけ?」
弥勒はサクサクと上機嫌にレモンタルトを口に運んでいく。蓮や九十九、百波ほどわかりやすい表情の変化ではないが、ふわっと明るい表情を浮かべていた。与流はその表情を見て、ころっと態度を変えた。満足気に笑って、腕を組む。
「あたりまえだろ、俺がおまえの中で二番手なんてありえねえからな」
「うんうん、与流は僕の一番ですよ」
「へっ……わかってんじゃねえか」
「次はアレがいいです、固いプリン。あ、バスクチーズケーキも捨てがたいですね……」
「任せとけ、全部作ってやるよ!」
先ほどまでの剣幕はどこへやら、弥勒の一言で与流はご機嫌である。意外とこの人、チョロいな……と華は心の中で呟くのだった。
フロアに出ていた弥勒が休憩時間にスタッフルームに戻ると、夕方からのシフトの蓮と華、そして百波が出勤していた。華はにこやかに「おはようございま~す」と弥勒に挨拶をしてきたが、蓮と百波は弥勒に挨拶をするなり、すぐに視線を下に落とす。二人は並んで座っていて、手元にはスマートフォンを持っている。
「あ、おまえ限定SSR引いたのかよ!」
「もちろんっすよ! しかも単発」
「はあ~? ふざけてる……俺、石使い果たしたのにでなかった……」
「課金しちゃえばいいんじゃないすか?」
「課金だけはしねえぞ俺は! あ、嘘。この前の水着ガチャで3,000円だけ課金した……」
聞きなれない言葉が出てくるな、と弥勒は華にこっそり「二人は何をやってるんですか?」と尋ねる。そうすれば、華は苦笑して答えた。
「ソシャゲってやつだよ。スマホにインストールしてするゲーム」
――ソシャゲ。ソーシャルゲームというやつか、と弥勒は理解する。
「オーナーは、ああいうのはあんまりわかんない?」
「うーん……一通りの流行はわかるんですけど、実際に自分でやるということはないので、理解しているとは言い難いですかね」
「ああ、なるほどね。俺も同じ感じかなあ。よく蓮が俺の横でソシャゲやってるけど、何が何だかさっぱり」
弥勒は仕事柄、できる限りサブカルチャーの流行を追うようにしていた。言葉は知っているし、それぞれの作品の概要やキャラクターも大まかには理解している。しかし、実際にコラボしない限りは、その作品を深くまで知ろうとはしなかった。そのため、自発的にはゲームはやらない。
「オーナーはゲームしないんですか?」
百波が話に混ざってくる。尋ねられて、弥勒は少しばかり困った。しないのか、と問われれば、「しない」と答えるしかない。けれど、華のようにゲームに全く興味がないというわけでもないので、しないと言い切るのも違うような気がする。
「しないというより……わからない? やり方が全然わからないので、やろうにもできないというか」
「わからないって? やってみればいいじゃないっすか」
「うーん……未知のものすぎるんですよね。小さいころからゲームとは無縁だったもので……どうやって始めればいいものか」
百波と蓮は驚いたような表情をしている。弥勒の感覚が理解できないのだろう。しかし、弥勒の事情をなんとなく知っている華は、弥勒が感じているものを理解できた。つまりは、「お嬢様がハンバーガーの食べ方を知らない」というやつである。「えっ、手づかみで食べるんですの⁉ ありえないですわ……!」という感覚だ。
「じゃあ、おれがゲーム、教えますよ! どうっすか?」
ゲーム好きな百波は、ゲームのやり方を知らないという弥勒にどうにかゲームの楽しさを知ってほしいのだろう。弥勒にそんな提案をした。そうすれば弥勒は、ゲームそのものには興味があったのか、「じゃあ、ぜひ」と快諾する。
「ゲーセン行きましょう! 楽しいっすよ!」
蓮も華も二人と一緒にゲームセンターに行きたいところだったが、4人の休みが重なることは当分ない。そのため、百波の「弥勒にゲームを教え隊」計画は、結局二人でおこなうことになったのだった。
*
新世界だ、と弥勒は思った。
百波に連れられてゲームセンターに入ると、そこには耳をつんざくようなけたたましい音が鳴り響いていた。設置されているゲームにライトがギラギラと反射して、目がちかちかとする。どこかざらついた空気は熱気でむわっとしていて、呼吸をすると肺に煙が溜まるような感覚に陥った。
「だ、大丈夫っすか、オーナー……なんか洗濯物の匂いを嗅いだ猫みたいになってますけど」
「誰がフレーメン反応ですか。いや……すごいですね、ゲーセンっていうのは」
「すごいでしょ! さっそく何かやりましょう!」
百波はゲームセンターに慣れているようで、すいすいと進んでゆく。年下の彼だが、今日は頼もしく感じられた。弥勒はきょろきょろとしながら、百波の後ろを着いていくのに必死だ。
まずはわかりやすいゲーム、ということで、ガンシューティングゲームをすることになった。敵を銃型のコントローラーを使って倒すゲームだ。「敵に向かって引き金を引くだけだから簡単っすよ!」と言われたので、それくらいならばできるだろうと、弥勒も思ったのだ。
「……これは、」
選んだのは、ゾンビを撃つゲームだった。流れているデモの映像を見てみると、なかなかにリアルなゾンビがうじゃうじゃと動いている。
「……百波くんって、ホラーだめなんじゃ?」
「ゲームは別腹っす」
「ええ……?」
百波の真似をしながら、弥勒はコインを入れて、ガンコントローラを握る。よくわからないままにゲームが始まれば、さっそくゾンビが画面に現れた。映像も音も非常にリアルだったので、弥勒は驚いて固まってしまう。
「うわ、ゲームって結構グロテスクなんですね……、ってヤバ」
弥勒がゾンビにたじたじとしている横で、百波はノリノリでガンコントローラを操っていた。景気よくゾンビを撃ち殺しては、「っしゃあ!」と声をあげている。
「なんでゲームのゾンビには強気なんですかっ?」
「そいつはゾンビじゃねえっすよ、エネミーっす!」
「……そういうものなんですか」
百波の勢いに押されるようにして、弥勒もゾンビを撃ってみた。撃ってみると爽快感があり、思ったよりも楽しい。そして、なにより、玄人のような動きをする百波が見ていて面白い。特にリロードの仕草がこなれすぎている。
「よっしゃ、殲滅してやるぜ!」
「殲滅っ⁉」
「臓物ぶちまけてやんよォ!」
「百波くんが悪役のように……」
百波はゲームをやると人が変わるタイプなのだろうか。普段は彼の口からは聞けないようなアグレッシブな発言に、弥勒は新鮮な気持ちになる。
結局、百波のおかげで随分とよいスコアを出すことができた。Flow Riderでも百波にガンコントローラ持たせれば、ハキハキと接客できるのでは? なんて考えて、弥勒は一人笑ってしまう。――だめだ、「お待たせしましたお客様ァ! ヒャッハァ!」なんて言われても困る。
ガンシューティングが終わった後も、二人は色々なゲームをやってまわった。太鼓の玄人という太鼓ゲームや、バスケットボールをシュートするゲーム。バスケットボールのゲームはスポーツと勝手が似ているので、弥勒も百波といい勝負ができた。
ほどよくお腹も空いてきて、そろそろ食事にでも行こうかというころ。そろそろゲームセンターを出ようと、二人は出入り口に向かっていた。そこで、弥勒はあるものが視界に入り瞠目する。クレーンゲームだ。正しくは、クレーンゲームの景品となっていた、フィギュアである。
(あ、あれは――ライダー仮面 花鳥風月のフィギュア⁉)
クレーンゲームの景品として並んでいたのは、現在日曜朝9時から放送している戦隊モノのヒーローのフィギュアだった。毎週リアルタイムで見ているし、録画もしている大好きな戦隊モノのフィギュアが、不意打ちで視界に入ってきたので、弥勒は思わず動揺してしまったのだった。
しかし、「あれが欲しい」なんて、百波には言えない。なぜなら、弥勒は戦隊モノが好きなことを周囲に隠しているからである。与流と華だけは知っているが、ほかの面々には知られていない。もしも戦隊モノが好きなんてバレたら、子どもっぽいと思われてしまう――ということで、百波を引き留めることができない。
「あ、ライダー仮面 花鳥風月じゃないっすか」
「⁉⁉⁉⁉⁉」
弥勒がもよもよとしていると、百波が声をあげる。心を読まれたのかと、口から心臓が飛び出そうになった弥勒は、ビクッと体を大きく震わせた。
「おれ、ライダー仮面観てるんっすよ! 毎週録画して!」
「え、え、ええ~? そ、そうなんですか~?」
口の端がひきつる。弥勒は、無邪気にライダー仮面の話をしてくる百波に、どう反応を返せばいいのかわからず冷や汗をかいた。
「いや、ライダー仮面って、めっちゃ面白いんすよ。意外とストーリーが大人向けみたいな? むしろアレ、子どもわかってんのかな? みたいな? 大人になってから観ると、子どものころに観ていたときと感じ方変わるっていうか? 毎週ハラハラして観ちゃうんですよね~」
「……」
「あ、すみません! つい語っちゃいました」
「いや……わかる……」
「へ?」
百波のライダー仮面語りに、全面同意。ああ、それそれ、僕もそう思う。その頷きを心の中で100回ほど繰り返し、ついに弥勒の口から言葉がこぼれる。
「め――ッちゃわかる……」
噛みしめるように呟いた弥勒に、百波は首をかしげる。
他人と趣味を共有できたときの喜びといったら。これはもう、恥ずかしいからフィギュアを我慢するなどと言っている場合ではない。
弥勒はキリッとクレーンゲームを見据えると、財布を取り出す。
「財布には今、キャッシュが5万円があります」
「つまり……?」
「100回できます」
クレーンゲームは1回500円。現金はあまり持たない主義の弥勒も、今日は一応現金を持ってきた。財布には、諭吉5枚。つまり、弾は100発。あの取りづらそうなフィギュアも、100回挑戦すればさすがにとれるだろう。勝算は、ある。
弥勒が決戦に挑むが如く、クレーンゲームに向かおうとすると、百波が「待ってください」と静かに呟く。
「――何言ってんすか、オーナー……」
百波はぽん、と弥勒の肩を叩くと、ニッと笑う。
「――500円で十分っすよ」
「――ッ‼」
――百波に、後光が差しているように見えた。これぞ、歴戦のヒーロー。弥勒がトゥンク……としていれば、百波が一枚コインを取り出して、クレーンゲームの前に立つ。
その背中は、あまりにもたくましかった――。
*
「おはようございま~す」
いつものように出勤してきた華は、まっすぐにロッカーに向かう。すでにスタッフルームには、弥勒と百波が来ていた。華は二人を見て、そういえばこの二人で昨日はゲームセンターに行ったんだったな、と二人に昨日の感想を尋ねようとした。
しかし、その前に、あるものが目に入ってきて固まってしまう。
「あれっ……オーナー、それ……」
弥勒がいつも座っているデスクの上に――ライダー仮面 花鳥風月のフィギュアがある。
――あんなに戦隊モノオタクであることを隠していたのに⁉ なんで急に⁉
驚きのあまり、華はすいっとデスクに寄っていった。そして、「どうしたの、それ」と尋ねてみる。
「百波くんがとったんですよ、クレーンゲームで!」
「……クレーンゲーム」
ちら、と華が百波に視線をやれば、百波が誇らしげにふふんと笑った。
「たまたま俺もオーナーもライダー仮面観てたから、ついノリでとっちゃいました!」
「一発でとるとはさすが百波くんですね」
……なるほど、たまたま同じ番組を観ていたというていがあり、そしてそのフィギュアを百波にとってもらったから、こうして堂々と戦隊モノのフィギュアを飾っているのか。
弥勒の複雑なオタク心をなんとか理解した華は、苦笑した。好きなものを堂々とできるのは、彼にとっても嬉しいことだろう。ここにフィギュアがあれば、仕事もはかどるのではないだろうか。
「弥勒くんが楽しんだようでなにより。今度は俺も一緒に連れていってよ、百波くん」
「もちろんっす!」
華と百波はシフト表を見ながら遊びに行く計画をたてている。そんな二人を横目に、弥勒は百波にとってもらったフィギュアをにまにまと眺めているのだった。
なんか楽しいことないかな、なんて考えながら一日をすごす。自分の一日はわりと充実しているほうだけど、無意識にそんなことを考える。
「よし、……うん、今日もカワイイしカッコイイ!」
写真を撮って、SNSに投稿して、いつも通りの朝。やっぱり、考えてしまう。
いいこと、振ってこないかな。
神様頼り? 楽しいかどうかなんて、結局神様が決めるんじゃない?
よくわかんないけれど。
「はあ~、な~んか楽しいことないかなあ」
*
無表情でパソコンの画面を見つめ、キーボードを叩く彼は、虚無のようだった。パソコンの横には、リアルゴールドの缶が2つ。ふわふわとした猫っ毛の頭の上に、ぐるぐると渦巻きが浮かんでいるように見える。彼――弥勒は、相当疲れているようだ。
ミルクたっぷりのカフェオレを作ってやれば、「気が利きますね」と妙な笑顔を向けられる。うわ、怖い。随分と根を詰めているようだな、と与流は苦笑する。
「はあ……染みる……」
「おっさんくせえこと言うなあ」
「失敬な。まだ僕は20歳ですよ」
「でもおまえ、20歳にしては、たまに悟り開いてること言ってんだよなあ」
「ふん、経験値が多いと言ってほしいものですね」
弥勒はぐいーっと背伸びをして、カップを受け取った。そして、背もたれに寄りかかりながらカフェオレに口を付ける。「あちっ」と呟いていたので、そういえば彼は猫舌だったから、少し冷まして持ってくればよかった……と与流は少しばかり後悔する。
弥勒はカフェオレを飲みながら、スマートフォンをいじっていた。与流はそんな弥勒をちらっと見下ろして、ふいに視界に入った彼のスマートフォンの画面に、ぱちくりと瞬きをする。与流にスマートフォンを覗かれていることに気付いた弥勒は、不可解そうに眉をひそめて与流を見上げた。
「……? 何か?」
「いや、おまえがそういうの見るの、意外だなと」
「え? ああ、いや、違いますよ。そういうのじゃなくて」
画面に映っていたのは、SNSの画面だ。流れてくる投稿は、きらびやかな女性の写真。弥勒が女性アイドルやモデルに興味を持っているイメージがなかったので、与流は驚いてしまったのである。
しかし、弥勒は彼女たちのファンというわけではないらしい。
「インフルエンサーってやつですよ。SNSを使って流行を作る仕事をしている人たち。うちもある意味ではSNSの力を借りているところがあるので、こういう方たちの投稿も少し参考にしたいなと」
「……はあ、なるほどね。勉強熱心だな」
「最近はこのリオンって子が随分と注目されていますね。フォロワー数もえげつないですし」
休憩を始めてくれたのかと思いきや、結局仕事をしている。弥勒が休む気配を見せないので、与流はハアとため息をついた。頑張りすぎて体を壊されても困る。せめて、日報だけでも代わりに書いてやろうかと、与流は机の上の業務日誌を手に取った。
ぱらぱらと日誌をめくれば、几帳面な字がびっしりと並んでいる。黒々としている日誌を眺めていると、彼の仕事量に改めて驚く。この文量だと、書くだけでも時間を食いそうだ。ただ、日報は上のほうはびっちりと書かれているが、下のほうはスカスカである。フリースペースの欄は、みみずのような文字で一言書いてあるだけだ。
「……おまえ業務記録はすげえ細かいけど、この……最後のフリースペースのところ、なんで一行……? しかも毎回『何事もなかった』で統一されてるし」
「何も問題ないんだから、『何事もなかった』でいいじゃないですか」
「まあ……そうだけどよ」
少し変わったことがあった日も、すべて「何事もなかった」で締められている。もしや、と思ってプロジェクトを実行したあの期間のページを開いてみても、「何事もなかった」である。
「こう……おまえが前々からやろうと思ってたことなんだし、プロジェクトをやった日くらい……」
「うん? ああ、あれはいい思い出でしたね」
「なおさら、そう記録しておけばいいだろ」
「別にいいじゃないですか、覚えてるんだし。それはあくまで業務上の日誌だし、僕個人の感想なんて書く必要ないでしょ」
「ふうん? じゃあ、もし自分の日記に書くとしたら、なんて書くんだ?」
今から少し前、一星 蓮・皐月 華・橘 九十九・橘 百波・神来社 与流・陸 弥勒の6人のメンバーを中心に実行されたプロジェクトは、盛り上がりを見せた。
ドリンクメニューのみではあったが、同時に発売されたグッズは売り切れが出たほどである。端的に言えば――プロジェクトは成功である。
忙しかったような、騒がしかったような、そんな日々を思い返しながら、弥勒はふっと笑う。
「そうですね……『楽しかった』って書こうかな」
弥勒は記録はマメだが、日記となると筆無精なのかもしれない。そんな彼が「楽しかった」というのだから、彼なりに最上級に楽しいという意味なのだろう。
「さて、次は本格的なカフェですね。計画を立てないと」
カフェオレを飲み終えた弥勒は「ごちそうさま」と言って、パソコンに向き直る。与流は苦笑して、カップを持って部屋を出て行ったのだった。
*
ある日のFlow Riderのスタッフルームに、見慣れぬ二人が立っていた。顔つきは瓜二つ、雰囲気は対照的。身長差は結構開いている。そんな二人は、蓮と華に連れられて、ここまでやってきたのである。
「弥勒! こいつら、俺が言ってた二人! 翠と翼!」
彼らの名前は、
今まで、二人とはメールで仕事のやりとりをしていたので、弥勒をはじめとしたFlow Riderの面々は、彼らと会ったことがなかった。プロジェクトも落ち着いてきた今、しっかり挨拶をしたいと、蓮と華に二人を連れてきてもらったのである。
「初めまして、オーナーさん。巴志葉 翠です」
「オレ様は巴志葉 翼だぜ! 改めてよろしくな!」
挨拶を受けると、弥勒はすっと手を出しだして、微笑んだ。周囲にいたFlow Riderの面々は、(うわ、猫かぶりスマイルだ)と弥勒の笑顔に苦笑い。
「初めまして。陸 弥勒です。その節はお世話になりました。お陰様で、大盛況でしたよ」
弥勒と握手を交わす二人を、与流と九十九、百波は興味津々といった様子で見ていた。あのグッズを作っていた者が、自分たちと同年代のデザイナーとあれば、興味を抱いてしまうのも仕方ない。
「デザイナーやってるってことだが、二人でやってるのか?」
先に声をかけたのは与流だった。問いかけられると、翠がにっこりと微笑む。
「はい。二人でアパレルもやっているんですよ。色々と、協力し合いながら頑張っています」
「ヴィリディティウイングってブランドだぜ! よろしくな!」
翼は自分たちのブランド――『ヴィリディティウイング』の名前を挙げると、意気揚々とスマートフォンの画面を掲げた。画面には、SNSのプロフィールページが映っている。ヴィリディティウイングのアカウントのようだ。
「あ、ヴィリディティウイングって……あれだよね、V&Wって略するブランド。二人がやっていたブランドなんだ?」
「お、知ってる?」
「うん、僕は結構アパレルとか興味あるから……そのアカウント、フォローしてるよ」
ヴィリディティウイングのアカウントを見て真っ先に反応したのは九十九だ。その反応を見て、翼は嬉しそうに笑う。
「百波に似合いそうな雰囲気のブランドだよね」
「おれ? ふうん、店どこにあんの?」
百波がにゅっとスマートフォンを覗く。「へえ~」と画面に映る商品を見つめている百波を見て、翠が目を細めた。
弥勒はじっとカレンダーを見つめる。そして何かを思い付いたように「うん」と呟くと、「また、何か依頼するかも」と翠に言う。
「はい、ぜひ……また、声をかけてください。いつでもお待ちしています」
「ありがとうございます。そうですね、また新しい展開も進めていくと思うので、協力を頼むかもしれません」
少しの雑談を交わしながら挨拶を終え、翠と翼はFlow Riderの面々に別れを告げた。華が二人を出入口まで送っていくということで、二人と一緒にスタッフルームを出ていく。
「あの二人、すげえよなあ。兄弟でデザイナーって。っていうか仕事も一緒にできる仲のいい双子って、なんかかっけえなあ」
巴志葉兄弟が出ていったスタッフルームで、蓮がそんなことをぼやいた。閉められた扉を見つめていた弥勒は、蓮の言葉に「え?」と驚いたような声をあげる。
「あの二人、仲いいんですか?」
「そりゃ、あのとおり。すげえ仲いいぜ」
「……ふうん」
「?」
煮え切らないような弥勒の反応に、蓮は首をかしげる。
*
「今日は来てくれてありがとう。これから、二人でどこか行くの?」
出入口まで翠と翼を送った華は、にこやかに二人に尋ねる。まだ陽は高く、帰宅するには早い時間だ。
「実は、これからモデルをスカウトに行こうかなと」
「モデル?」
「俺たち、アパレルやっているでしょう? もっと知名度を上げたいんです。なので、ヴィリディティウイングをもっと魅力的に見せてくれるような、女の子のモデルをみつけようかと。インフルエンサー的な役割を担ってくれる人がいたらいいなあって」
へえ~、と華が唸る。つまり、二人はこれから街を回るということか、と二人のこれからの予定を察した。
「華くんが着いてきてくれたら、スカウトの成功率上がりそうなんだけどな! イケメンだし!」
「いや、ナンパじゃないんだから……」
「ええ? そうっスか? イケメンに声かけられたら嬉しくなるでしょ! スカウトでも!」
「そういうものかな……」
華が翼にたじたじとしていると、翠が軽く翼を小突く。「華さんが困っているよ」と呟いて、ふ、と華に微笑みかけた。
「じゃあ、華さん。お世話になりました。何かあったら声をかけてください、って、みなさんにもよろしくお伝えください」
「ありがとな、華くん! また大学で会おうな~!」
「うん、じゃあね。気を付けて帰ってね」
華はひらひらと手を振ると、踵を返して店の中に戻っていった。翠と翼はその背中を見送り、華が完全に店の中に入ったことを確認すると――ふいっとお互いに視線を逸らす。
「で、モデルだっけ? カワイイ子見つければいいんだよな?」
「ああ……うちのブランドイメージに合う子な」
「オレ様のほうが翠より早く見つけるぜ! 競争、だろ?」
「競争~? 俺一人で探すって言ったと思ったけどな」
「おいおい、オレ『たち』のヴィリディティウイングだろ? 翠一人に任せられるかよ! オレ様も探す! とりあえず、見つけたらメッセージ送るから!」
「はあ。まったく、おまえは……」
翠はため息をつくと、すたすたと足早に歩いて翼の前から去ってしまった。翼は翠の後ろ姿を眺めながら、ぽりぽりと頭をかく。
二人のブランドのモデルなのだから、二人で一緒にモデルを探したほうがよいだろう。しかし、なぜだかこうなってしまった。別行動で、どちらが早く見つけるかを勝負をする。別行動な理由は、お察し。――二人で、一緒に行動したくないからである。
翠と翼は、いつもこの調子だ。
*
一人になると、いくぶんか楽になる。
翼と別れて街を歩いていた翠は、ふう、と息を吐く。
――昔から、翼のことは苦手だ。
苦手、というのは、翼がイヤなやつだからとか、そういう理由ではない。翼は翠のことを気遣ってくれるし、仕事でも彼がいてくれて助かる面もある。ただ、一方的に翠が、彼に苦手意識を抱いているだけだった。
翠は幼いころ、あまり体が強くなかった。家にこもって絵を描いていることが多く、外で遊びまわっている翼が羨ましくて仕方なかった。
ただ、ずっと絵を描いていたこともあり、周囲に比べてずば抜けて絵が上手くなった。中学生になるころには体も丈夫になっていたが、それでも絵を描くことはやめなかった。
いつしか翠は、絵とデザインの道で生きてゆこうと考えていた。周囲からはさまざまな面で出遅れてしまっていて、けれども絵とデザインだけは人より長けている。自分で選んだ道というよりは、気付けば一本道を歩んでいたような夢の選択だったが、それでも翠はその仕事をしたかった。
絵やデザインは翠の人生であり、アイデンティティのようなもの。だから、その才能は大切にしていこうと、そう思っていた――のに。
『翠、すげえセンスあるよな! オレ様も翠みたいになりたい!』
双子の弟、翼。彼は翠に憧れて、翠の真似をしてデザインの勉強を始めるようになった。そして、そのままデザインの道に進むと言いだしたのである。
憧れられること自体は嫌な気分はしない。問題は、相手が翼ということだ。
体が弱く、家にいるしかなかった翠とは違って、自由に遊びまわっていた彼が。たくさんの選択肢を持っていたはずの彼が。その道しかなかった翠と同じ道を征くと言った。なぜだか、翠は侮辱を受けているような気持ちになってしまった。
無邪気に『翠と同じことをやりたい』と言われたときに抱いた感情は、黒くゆらめく蜃気楼のようだった。めきめきと力を付けてゆく翼を見ていると、組み上げた高い硝子の塔が、ひらひらと壊れて崩れてゆくようだった。
それでも、翼の夢を否定する権利など翠にはなく、気付けば彼の手を引いて、ひとつのブランドを立ち上げていた。
仲が悪い兄弟なんて思われたら、気を使われてしまう。だから、人前では翼と仲がよいふりをする。けれど、そうしていると、感情が搾り取られていくような気分になる。
楽しそうに笑う彼を見るたびに、嫉妬する。
ああ、いいよな、自由気ままに、楽しく仕事をできるやつは。
「……あいつより、早く見つけないと」
秋葉原から出て、池袋の街にたどり着いた翠は、キョロ、とあたりを見渡してみる。
ヴィリディティウイングのモデルは、自分たちで探そうと決めた。活躍しているファッションモデルや芸能人と交渉するという手もあったのだが、自分たちの目で探そうと決めたのだ。ヴィリディティウイングは大切なブランドだったから。
ヴィリディティウイングをもっとはばたかせてくれそうな人。翠が死に物狂いで見つけ出した道を、拓いてくれる人。そんな人を探して、翠は視線をさまよわせる。
「――あ」
ふいに、視界の端がちかりと光ったような気がした。焦るようにしてそこへ目をやれば、そこに――翠が求めていたひとが、いた。
*
「あ~、ったく翠はよ、いっつもあの調子だよな~」
ぶつぶつ文句を言いながら池袋をぐるぐると徘徊しているのは、巴志葉 翼。翠と秋葉原で別れたあと、池袋までやってきたのだ。理由? なんとなく。
モデルは一緒に探そう――翼はそう翠に提案した。結果は、却下。翼には、どうしてあんなに翠に避けられているのかが、わからない。
いつからあんな態度をとられるようになったのかは覚えていないが、昔から彼がひねくれものだったのは確かだ。幼いころの彼は、体のこともあり自由がなかったから、そのせいで性格に影が差してしまった――というのは、なんとなく翼もわかっていた。
しかし、基本的に翠は外面がよく、穏やかなふりをしている。自分にだけあのような態度をとられるのは、解せない。
ただ、翼も「翠のことを好きか」と問われれば、首を縦に振れないだろう。嫌いなところがあるというわけではない(あの態度はどうにかしてほしいが)。彼には、素直になれないのだ。
翼がデザイナーを志してからは、翠のことしか見ていなかった。翠は、翼が知っているデザイナーの中でも頭一つ抜けている。彼は、元々持っているセンスが周りとは違うのだ。
どんなに追いつこうと思っても、彼には決して届かない。翠は、ただただ前だけを見ている。とてつもないスピードで、翼を置いて、どんどん進んでいく。
――ちょっとくらいオレ様のことを見ろよ! ライバルだって思ってくれてもいいじゃねえかよ。どうせおまえは、オレ様のことなんて、身内だから世話してやっているデザイナーの卵とか、そんな風にしか思っていないんだろうけどさ!
自分が彼の足元にも及ばないことはわかっている。それでも、翼は翠に追いつこうと必死になっていた。そこまで強烈な羨望を抱く相手に、易々と「大好きな兄弟です」なんて言えるものか。
「最高のモデルをオレ様が見つければ、翼もオレ様のことを少しは見直すかな」
――モデルがほしい。そう言ってきたのは、翠だった。
翠は、翼のことを一応は同じブランドを運営する仲間として見てくれているようで、相談はきっちりしてくれる。モデルを雇うということはつい昨日言われたことだが、そのときは翠が自分だけで探すつもりだったらしい。「俺にまかせておけ」とでも言いたげに、翼にそれ以上の話を振ってこなかった。
翼はそれが腹立たしかった。だから、「オレ様が見つける」と言ったのだ。もちろん翠は渋い顔をするだけで頷くことはなかった。――結果として、これである。競争という形になってしまった。
ただ、やるからには絶対に勝ちたい。そんな思いで、翼は池袋の街を歩く。
ヴィリディティウイングをもっとはばたかせてくれそうな人。一緒に高みを目指してくれる人。きっとどこかにいるはずだ。
ふ、と視線を揺らしたとき、胸を撃ち抜かれたような感覚を覚えた。ああ、あの人だ――。すべての感覚が、そのひとに反応していた。
*
輝く目が自分を見ている。嬉しそうに笑う顔が眩しい。そう、コレコレ! これが最高!
「リオンちゃんですよね! 私、ほんと大ファンなんです!」
「ほんとぉ? ありがと!」
「あの、写真……一緒に撮ってもいいですか?」
「いいよ! とびっきりの写真撮ろうね!」
SNSではフォロワーがたくさん、今をときめく最っ高のインフルエンサー。ある日突然、彗星のごとく現れたそのひとを、リオンという。芸能活動をしているわけではないが、SNSでは抜群の知名度を誇っている。
さらさらの髪の毛に満開の笑顔、どんな服でも完璧に着こなすパーフェクトなスタイル。リオンに憧れる女性は多く、リオンはこうして街に出るとよく声をかけられるのだった。
「あっ……ありがとうございます……! 宝物にします……!」
「うん、大切にしてね! バイバイ!」
リオンと2ショットを撮って幸せそうに去っていった女性に、リオンは大きく手を振る。彼女の笑顔を思い返すと、たまらない気持ちになる。けれども。
女性が見えなくなると、リオンは「うーん」と唸って空を見上げた。
すごく、楽しいんだけど。な~んか足りない。なんだろう?
悶々と考えながら、どこかに服でも買いに行こうかと考えていると――視界に、あるものが飛び込んできた。
右から一人。左から一人。別方向から合わせて二人の人間が、勢いよくリオンに接近してくる。どちらも男性だ。ナンパだろうか? ナンパはよくあることだが――それは困るなあ、そんなことを考えていると。
「きみ!」
「あの!」
ほぼ同着で二人はリオンのもとにたどり着いて、同時にリオンに声をかけてきた。
「きみっ……! 俺と一緒に来てくれないか!」
「オレ様に着いてきてくれ! 一目惚れした!」
二人してずいぶんと情熱的なナンパだな……とリオンが驚いていると、二人はようやくお互いの存在に気付いたのか、顔を見合わせてギョッと目を見開く。
「――え? なんで翼がここに?」
「オレ様のセリフだよ! 翠、なんでいるんだ!」
二人はまさかの知り合いらしい。よくよく見てみると、二人はよく似た顔をしている。身長は差があるようだが……双子? だろうか。そんな雰囲気がある。
二人はリオンの困惑をよそに、お互いに苦い顔をして見つめ合っている。偶然にリオンを同時に見つけて、偶然に二人同時に声をかけてしまったようだ。
「……翼、ここは下がっていてくれ。彼女は俺が見つけた」
「下がるのは翠のほうだろ。オレ様が先に見つけたんだ」
「いや、俺だって」
「オレ様!」
「絶対、俺!」
「オレ様だっつの!」
「おーれ!」
「オレ様!」
喧嘩ならよそでやってほしい……。
リオンはす……す……と少しずつ後退していく。逃げていいかな? いいよね! あとは、お二人で仲良くどうぞ!
そんなリオンの思惑はむなしく、二人はバッとリオンに向き直る。逃亡は失敗だ。
やだあ、リオンを面倒ごとに巻き込まないでよ。
「俺、ヴィリディティウイングというブランドを運営している巴志葉 翠です。実はヴィリディティウイングのモデルになってくれる人を探していて……貴女にやってほしいと思って声をかけました」
「オレ様は巴志葉 翼! オレ様と一緒にヴィリディティウイングを盛り上げてくれる女の子を探してるんだ! ……って声被せてくんじゃねえよ、翠」
「被せてきてんのはおまえだろ!」
「すーいーのーほーうーでーすー!」
「いや、俺のほうが先に発言したから、被せたのはおまえだ」
「はあ? オレ様のほうがコンマ1秒速かったし!」
「はんっ、俺のほうがコンマ2秒速いわ。耳のメンテナンスしろポンコツ」
「んだと~⁉ ポンコツはおまえだろ! オレ様のほうがコンマ3秒速い!」
「コンマ4秒」
「コンマ10秒!」
「いやそれ1秒だろ」
「問題あるかよ⁉」
「……ねえな」
「だろ~!」
逃げたい~! なにこの二人!
リオンはめそめそとしながらも、彼らの発言を反芻してみる。――モデルのスカウト。二人はそんなことを言っていた。
というか同じブランドのモデルを探しているなら、一緒に探せばいいのでは……? というツッコミをしたくなるが、彼らには彼らの事情があるのだろう。ツッコミたいけれどツッコんだら何かが終わるような気がする。
どうしようもなくリオンが黙っていると、二人はさらに迫ってきた。
「一目見たときから、貴女しかいないと思いました。だから、どうか俺の手をとってください」
「いや、あんたを先に見つけたのはオレ様だ! オレ様の服を着こなせるのは、あんただけだ! だから、オレ様のモデルになってくれ!」
――いやだから、同じブランドでしょ!
言いたいことが喉の奥までやってきて、リオンはぐっとこらえる。
この二人、仲悪いのかなあ……。それとも、仲がいいのかなあ……。うん、そんなことはどうでもいい。
申し訳ないけれど、二人の気持ちには答えられない。だって――
リオンは差し出された手を軽く押し返すと、にこっと二人に笑いかける。
「え~と、二人はヴィリディティウイング? ってブランドをやっていて、そのモデルになってくれる『女の子』を探してる……で間違いない?」
「はい!」
「ああ!」
「二人は……リオンのこと知ってる?」
リオンは二人に尋ねてみる。二人は同時に首を傾げたので、答えは「NO」ということだろう。
二人が自分のことを知らないことについては、リオンは特に何も思わなかった。リオンのフォロワーの7割は女性だ。男性である彼らは、いくらアパレルを運営していて流行に敏感であったとしても、リオンのことを知らなくても無理はない。
――あまり、こういうことは言いたくないのだけれど。
リオンは笑顔を作って、二人に告げるのだった。
「ごめんね、リオン――『男の子』だから、二人のモデルにはなれないや!」
「――男……⁉」
驚愕の表情を浮かべる二人に、リオンは苦笑いを浮かべる。熱烈な言葉をぶつけてくれて心は踊ったけれど、二人が探していたのは“女の子”。リオンは二人の手を取ることはできなかった。ホッとしたような、残念なような、そんな気持ちにリオンは揺れる。
「はい、そういうわけだから、リオンは二人のモデルにはなれません! ごめんね!」
なんとなく、二人がきらきらして見えたのはなぜだろう。羨ましく思ったのはなぜだろう。もしも二人と一緒に何かができたら楽しいだろうなって思ったのは――
*
色とりどりのリップが並んでいる。ローズ、コーラル……目が回るほどにある色の種類。ライトに照らされて輝くそれは、宝石のように見えた。
『――贈り物ですか?』
『へっ⁉』
店員に声をかけられて、リオンはひっくり返ったような声をあげた。近所の高校の、男子用の制服。短く切りそろえられた髪の毛と、凛々しい瞳。店員は、その少年が、まさか自分が欲しくてリップを見ていたなど露にも思わないだろう。
『あー……えっと。はい。でも……大丈夫です、高くて手が出ないし』
リオンは逃げるようにして店を出る。どうせ、買うつもりなどなかった。値段が高くて手が出ない、というのは嘘ではない。高校生のお小遣いでは、一本5,000円もするリップなんて買えやしない。
それに、あんなものを買ったら周りからどう思われるだろう、父親に見つかったら、何を言われるだろう。そう考えると、リオンは化粧品を買うことなどできなかった。
*
――ぼんやりとした日々を送っている。
自分の生家は、道場を経営していた。父は厳格な人で、いつも、自分に武の道というものを説いていた。当然のように自分も武道を父から習って、学校の部活も空手部に入っていた。けれど、自分は、そんな毎日に楽しさを見出すことができなかった。
『男は男らしく。いざというときに、大切な人を護れるのが、男だ。おまえもそういう男でないとだめだぞ』
うん、それはかっこいいと思うけれど。
父の教えには、共感できるところも確かにあった。父のことはかっこいいと、確かに思う。けれど――自分は父の教えの通りに生きたいとは思えなかった。
父がかっこいいのは、その信念が彼の根っこから溢れているものだからだ。自分が父の真似をしたところで、父のようにかっこよくなどなれやしない。根っこに、何もないのだから。空っぽの人間が形だけを真似することは、なんだったかな。そうだ、サルマネだ。
何もないままに、気付けば父親の言う通りの生き方をしてきたけれど。サルマネをして生きてきたけれど。空っぽの心のままに体だけが大きくなっていって、成長すればするほどに虚しいと思うことが多くなってきた。
もっと、楽しくなれるようなことないかな。本当に、本心で、楽しいと思えるようなこと。サルじゃなくて、人間として生きたいと、思うのだけれど。
――ぼんやりとした日々を送っている。
初めて自ら興味を持ったのが、化粧だった。はじまりは、クラスメイトの女子がふざけて自分の爪にネイルを塗ったことだった。単純なことだったけれど、自分にとってはとんでもないことだったのだ。
たったひと塗りで自分の爪が別物のように変わったことに、ひどく感動したのを今でも覚えている。そのネイルにはラメが入っていて、光に反射して爪がきらきらと輝き、綺麗だった。小さな爪に、星空を閉じ込めたように見えた。
こんな輝きを、自分もまとえるのだと、泣きそうになった。
それからは、化粧をしている人に憧れるようになった。輝きをまとっているその人たちが、美しく、かっこよく思えた。テレビを観るときは化粧をした女優を食い入るように見てしまったし、街を歩いていれば化粧品売り場に焦がれるようになった。
ずっとずっと、化粧に焦がれて――はじめて化粧品を買ったのは、高校三年生のとき。ひとつ1,000円ほどのラメが入った赤いネイルを買った。自分で買ったネイルを爪に塗った瞬間は、人生の中でも最も高揚した瞬間だったと思う。指先に花が咲いたような錯覚に陥って、世界までもが輝いて見えた。
失敗したのは、ネイルリムーバーを買わなかったことだ。爪を赤くしたのはいいものの、落とすことができなかった。だから、父親にバレてしまった。
あんなに怒られたのは、初めてだった。みっともないとか、男らしくないとか、情けないとか、あと何を言われたのかはもう覚えていないけれど、たくさんたくさん怒られた。結局、母親が持っていたリムーバーでネイルは落とされてしまって、買ったネイルも捨てられた。
ごみが集荷される日、ゴミ袋を漁って、なんとかネイルを取り戻した。それが本当になくなってしまったら、自分が壊れてしまいそうだったからだ。そのネイルは、たったひとつ、ようやく見つけた「自分」。必死になって取り戻したあとは、絶対に見つからないように、ネイルを机の引き出しの奥に突っ込んだ。
――ぼんやりとした日々を送っている。
それなりに勉強をして、部活に励んで、父から武道の教えを享受する。はたから見れば充実した高校生活。けれど自分の中には何もない。
心の中は、見えない何かに憧れる。自分はどこかへ行けるはず、そんなことを夢に見て――そう、叶わぬのだと夢に見て。永遠に自分は、誰かが決めた”普通”を生きるのだと思っていた。
ぼんやり、ぼんやり、ぼんやり。このままぼんやり生きて、ぼんやり消えてしまう。誰も本当の自分を知ってくれないままに、誰も知らないままに土へ還るのだろうか。怖い、というよりも、寂しくなった。心の中に穴が空いていて、その穴に隙間風が吹き込んでゆく。ぼうぼうと音は鳴っているけれど、その音が聞こえるたびに、叫びだしたいくらいに哀しくなる。心に空いた穴を覗いたときに、その奥に何もなくて――自分の人生ってなんなんだろうって、そう思った。
――ぼんやりとした日々を送っていた。
部活を引退し、受験勉強をする期間に入った。それなりに活躍できていた部活を引退すると、いよいよ自分の存在意義がわからなくなってしまった。自分ってなんのために生きているのだろう、そんなことをふと考えてしまって、怖くなった。
その夜は、夢見が悪かった。自分は雑踏の中を歩いている。ぼんやりと歩いていると、いつのまにか自分は雑踏の中に溶けてゆく。そのまま自分は、雑踏という背景の一部になって、消えてしまう。
まるで、自分の未来を預言するかのような夢だった。恐ろしくなって目を覚まし、自分は助けを求めるように、いつか机の中に突っ込んだネイルを取り出した。一瞬だけ見た願いに縋るようにして、ネイルを取り出したのだ。
『――……』
こんな時間に部屋の明かりを点けたら、親にバレたら怒られてしまう。机のライトだけを点けて、ネイルを見つめる。ネイルのプラスチックのボトルが、光に反射しててらてらと光っている。ラメが、きらきらと光っている。
そっとカーテンを開けて、星空と並べてみた。ラメが、星のように煌めいて、綺麗だった。
――星のような輝きを、自分もまとってみたい。”普通”はもう、苦しい。
気付いたら、窓から外に飛び出していた。裸足のまま、土へ降り立つ。感じたことのない感触が、足の裏をくすぐる。こんなことをしたら、怒られてしまうだろう。足が汚れてしまうし、石を踏んだら怪我をしてしまう。
けれど――胸が高鳴った。”普通”がどうした、”普通”なんてもう知らない。ネイルを握り締めたまま、走る。走って、走って、たまに何かを踏んで「痛っ!」って声をあげて笑って、また走って、周りに何にもない場所にたどり着く。
こんな風に、何も気にしないで駆けたのは久しぶりだった。無垢な子どものころ以来。夜風を浴びながらがむしゃらに走るのは、本当に気持ちよかった。生まれ変わったような心地だった。
『はあっ……はあっ――……』
ガクッと座り込んで、顔を上げると、満天の星空が広がっていた。手を伸ばしても伸ばしても届かない、深い夜の中に、無限の星が散らばっている。息が止まるようだった。それは世界を繋ぐ海のように偉大で、今まで自分が”普通”に押し込められていたことがばかばかしく思えてきた。
この星の海は、どこまでも繋がっているのだろう。知らない場所、知らない人々が同じ空の下で生きていて、自分を縛り付けていた”普通”とは違う人生を生きているのだ。
重苦しい閉塞感が、ほどけて消えていくような気がした。立ち上がって、大きな声で叫ぶ。言葉にならない言葉を、自分はここにいるのだと、自分に言い聞かせるように、叫ぶ。
『――はぁっ、……は、……は、ははっ……はははっ――……‼』
叫んだ瞬間に、楽しくなって笑いが止まらなくなった。こんなに大きな声で叫んだのは、何年振りだろう。自分がこんなに大きな声がでるなんて、初めて知った。同時に溢れてきた涙が、まるで、赤ん坊が流す涙のようだった。
*
本来であれば無難に大学に進学するつもりだったが、リオンはとりあえず上京することにした。誰も自分を知らない場所に行って、自分の知らないことをみつけに行きたかったのだ。やはり親には怒られたが、それはもうどうでもいい。
東京に来てからは、色々と大変だった。大変だったが――なんとかなっている。今はSNSで注目を集めるようになってきて、インフルエンサーとして活躍できている。
そこそこに、自由な今を送れている。だが――なんとなく、足りないような気がした。あの頃のような閉塞感は、今はもうない。女装した姿をSNSにアップすれば、たくさんの人が評価してくれるから、もう自分を隠す必要なんてない。「可愛いね」「かっこいいね」っていっぱい言ってもらえる。それなのに……なぜか、まだ、”楽しくない”。何かが足りない。
なんだろう。もっと、もっと――楽しいことがしたい。リオン”らしい”こと。
「俺と一緒に来てくれないか!」
「オレ様に着いてきてくれ!」
どことなくモヤモヤとした日々を送っていたリオンの前に現れたのが――巴志葉兄弟である。二人で一つのブランドを運営しているのに、なぜか各々でリオンをスカウトしてきた変な双子。仲がいいのか悪いのか、とにかくお互いがお互いを認めたくないという雰囲気を感じる。
スカウトなら、数えきれないほどされた。SNS経由でも大量のスカウトDMをもらったし、こうして直接されたこともあるし。けれど、あまり興味が持てなくて、全部断ったのだ。芸能界は憧れるけれど……あの日見た、星の海のような輝きにはかなわないような気がして。
しかし、この兄弟のスカウトに、リオンは興味があった。なぜなのか、それはすぐには自分自身もわからなかったが……しばらく二人のことを見ているうちに、気付いたことがある。
二人の瞳が、星のようにきらきらと輝いていたからだ。
飛び込みたかった星の海。たぶん二人は、彼らが求める夢を必死に追っている夢追人で、だから、こんなに瞳がきらきらと輝いているのだろう。ああ、いいなあ、と思った。こういう人に、ずっと憧れていたから。
でも……二人は「女の子」を求めていたらしい。リオンは少しだけがっかりしながらも、仕方がないとあきらめる。
「じゃあ、そういうことだから! いい人みつけてね!」
「――待て」
後ろ髪を引かれる思い、それを断ち切るようにリオンが二人に背を向けると、ぐ、と手首を掴まれる。振り向けば、背が低い方……翠がリオンの手を掴んでいた。
「見た目で女性だと決めつけて悪かった。きみが男でも女でも何でもいいから、俺と一緒に来てくれ」
「へっ……?」
リオンがぱちくりと瞬きをする。真剣な表情をしてリオンを見上げてくる翠の瞳に、リオンは思わず吸い込まれそうになった。
「でも……探しているのは女の子でしょ?」
「……気の迷いだった」
「はい?」
「俺は、きみを探していたんだ」
「……っ」
う、うお……!
思わずリオンは翠の手を振り払う。
とんでもない口説き文句だ。同性にときめきを覚えるたちではないが、さすがにこの言葉には、リオンもたじろいでしまう。
「おい、翠! この子引いてんじゃねえか! もう少し違う言い方ねえのかよ、怖えよ」
「いきなり『一目惚れした』とかぬかしたおまえより絶対マシ」
「なっ……う、うるせえな! あとそれそういう意味じゃねえから! 魅力に惚れたって言ってんの!」
「それにしても誤解を招く言い方だろ。あれはどうかと思う」
「お・ま・えに言われたくねェ~!」
ま、また始まった! 二人の世界に入ったよこの二人!
相変わらず隙あらば口論を始める二人に、リオンははやくも辟易としていた。仲が悪いですよアピールはもういいから、話を進めてくれ。リオンが心の中で懇願していると、ぱっと二人同時にリオンを見つめる。
「きみ、リオンっていうんだな。さっきは悪かった。俺たちヴィリディティウイングのモデルになってくれないか。リオンに、モデルになってほしいんだ」
「なんでも着こなすってマジかっけーな、リオン! やっぱりオレ様の服着こなせる才能あるぜ! オレたちのモデルになってくれ!」
「――……」
――ああ、すごい。まっすぐに、見つめてくれている。
まっすぐな瞳が、自分を見つめている。星を知らなかったころ、自分がわからなくなって嘆いていたころ、あのころの自分が叫びたくなるくらいに求めていたもの。本当の自分を知ってくれる人。それが、この二人になるのかもしれない。
だって二人の瞳は、星のようだ。二人なら、きっと、自分に「楽しいこと」を教えてくれるんじゃないかって、そんな気がしてたまらない。
まあ……ちょっと難アリといった雰囲気ではあるけれど。
「……ふうん?」
リオンは二人に向き直る。嬉しそうにぱっと見開いた二人の目に、思わず笑みがこぼれる。
「リオンをモデルにしようなんて、いい度胸じゃん? 二人なら、リオンのこと、世界一輝かせてくれるんだね?」
聞いている? 昔の自分。
ようやくきみの願いが叶うかもしれないよ!
「――ああ、もちろん!」
「ったりめえだろ!」
リオンが手を差し出すと、翠と翼が同時にリオンの手を掴んだ。二人はギッとにらみ合って、「先に握手するのは自分」と牽制しあっている。
すぐに喧嘩をするのはどうにかしてほしいけれど。でも、二人ならきっと!
――リオンに、楽しいこと、いっぱい教えてよね!
「あれ? なんか増えた?」
某日、巴志葉兄弟とリオンはFlow Riderに来ていた。3人を迎えた蓮と華は、見慣れぬ者の存在にきょとんとした表情を浮かべる。
「あ、わかった! この前2人が言ってたモデルの子?」
声をあげたのは華だ。巴志葉兄弟がヴィリディティウイングのモデルを探していると聞いていたので、リオンが何者かを察したのである。
「モデル?」
「ヴィリディティウイングのモデルをやってくれる子を探しているって、この前二人が」
「へえ~! モデルか! どおりですげえオシャレだなって思ったわ」
蓮と華は初対面となるリオンに挨拶をしようと、リオンに歩み寄る。そうすると、リオンはすすす……と後ずさって、翼の後ろに隠れてしまった。
「あれっ、リオン?」
「どした? あんた人見知りだっけ?」
リオンはハツラツとした青年で、挨拶を恥ずかしがるような性格をしていない。まだリオンと出会って日が浅い巴志葉兄弟だが、それはわかっていたので、リオンの行動を不可解に思ってしまう。
「き、聞いてないんだけど!」
リオンは目をくるくるとさせながら、二人に耳打ちをする。リオンが何を言っているのかよくわからず、翠も翼も頭上にハテナを浮かべるばかりだ。
「え? 何が? 今日はフロライで打ち合わせって伝えてなかったっけ?」
「そうじゃなくて! あんな! 美形! いるって! 聞いてない!」
「ン? なんだって?」
……美形?
翠と翼はそろって残念そうな視線をリオンに向ける。何かと思えば、ずいぶんとくだらないことを言い出したな、と。
リオンはきょどきょどとしながら一向に翼の背後に隠れたまま。挨拶は難しいだろうか、と翠は諦めたように、自ら蓮と華に声をかける。
「すみません、蓮さんに華さん……この子、リオンっていうんですけど……ちょっと人見知りみたいで。華さんが言ったように、俺たちのモデルになってくれた子です」
「モデルが無事見つかったようで何より。えっと……大丈夫?」
華がおそるおそるリオンに話しかける。華はそれなりに騒がれることはあったが、こうして逃げられることは初めてなので、少しばかり困ってしまった。
リオンも華が困惑しているのに気付いて、まずいと思ったのだろう、にょき、と翼の肩から顔を出し、蓮と華を見ると、ようやく蓮と華の前に出てきた。少し緊張しているのか、ぱぱっと自分の頬を軽くはたいて、そして、こほんと咳ばらいをすると、ニコッと笑う。
「よろしく! リオンだよ! えっと、そっちがレンレンで、」
「レンレン⁉」
「それから――……」
パンダのようなあだ名で呼ばれた蓮は、思わず反応してしまう。華はふふっと笑いながらも、自分も変な風に呼ばれるのだろうと構えた。
「――こっちが、華さま!」
「……様⁉」
予想外の呼び方である。動揺を通り越して固まってしまった華の手を、リオンがパシッとつかむ。キラキラと輝かせた目に見つめられ、華はたじたじだ。
「華さまは、ここのスタッフさん? 芸能活動とかやってたりします? 趣味は? お歳は? 大学生? どこの大学? てかLINEやってる?」
「え、ちょ、……蓮、ヘルプ!」
ナンパか! と言いたくなるようなリオンの強烈なアプローチに、華は参ってしまったようだ。しかし、蓮は(あの華が押されている……)と面白がるばかりで助け船を出そうとはしない。
そのとき、コンコンと扉がノックされた。そしてそのまま間髪入れずに部屋に入ってきたのは、弥勒だ。弥勒は巴志葉兄弟の姿を確認すると、「すみません、お待たせしました」と頭を下げる。
「……!」
弥勒を見た瞬間、リオンがハッと目を見開く。
「えっ、美少年……!」
弥勒にも反応したリオンを見て、一同は「なるほど……」とため息をつく。リオンは美形に目がないようだ。
弥勒は想定外の人物がスタッフルームにいることに少しばかり驚いたようだが、リオンの顔をしばらく見つめたかと思うと、「あれ、」と声をあげる。
「……きみ、リオン……でしたっけ。なぜここに?」
「えっ、リオンのこと知ってる?」
「いや、インスタで……」
「インスタ見てくれてるんだ! 嬉しい!」
蓮が「リオンはヴィリディティウイングのモデルだってさ」と弥勒に伝えると、弥勒は「へえ」と笑う。
「じゃあ、今日はリオンくんも含めてお話ししないとですね」
「――俺たちが、Flow Riderの新衣装を?」
巴志葉兄弟がFlow Riderに来たのは、弥勒に呼ばれたからだった。弥勒は、秋から本格的に開くカフェでスタッフが着用する新しい衣装を、ヴィリディティウイングの二人に制作してほしいと依頼したかったのだ。
「次のカフェでは何か新しいことをしたいと思いまして。僕がそんなことをぼやいていたら、一星くんが『新しい衣装作ろうぜ! 巴志葉兄弟に頼んでさ! 新章って感じするだろ?』なんて言うので、そうしようかと」
「蓮くん、オレたちを推薦するなんてセンスいいっすね! さすがっす!」
翼は、Flow Riderに依頼されたということでご満悦だ。翠も手帳を開きながら、「ぜひ」と依頼を快諾する。
「新しい衣装、何かコンセプトとかありますか?」
「コンセプト……そうですね、僕たちに似合うもので」
「も……もう少し具体的に!」
「じゃあ僕たちの魅力を引き出してくれる感じで」
「もう少し……」
翠が弥勒に衣装のコンセプトを尋ねてみれば、抽象的な返事しか返ってこない。翠が参っていれば、横から蓮が「弥勒はたまに無理難題言ってくるからあきらめろ」とささやく。そんな翠の隣で弥勒の話を聞きながら、翼は「う~ん」と唸った。
「フロライの人たちに似合うものっつっても、オレ様、フロライのみんなのことあんまり知らないんだよな。蓮くんと華くんは別として」
「じゃあみんなのブロマイドをあげる」
「エ゛ッ……ブロマイド⁉」
華がほいほいとブロマイドを翼のポケットに突っ込めば、翼は「どうも……」と苦笑いだ。明らかに6枚を超えているので、ポケットから取り出して見てみれば、華のブロマイドが何枚もある。見知った先輩のブロマイドを大量にもらった翼は、どうすればいいのか本気で戸惑った。「嬉しいでしょ?」と華に尋ねられたので、「ウッス、モチロンッス!」と翼は答えるしかない。
「まあ、まずは店内の雰囲気見ていったらいんじゃねえの? 俺おごるから、3人とも何か食っていけよ」
「……それは確かにそうですね。店との調和性も大事ですし。でも、おごってもらうのは申し訳な」
「マジ⁉ おごってくれるんすか⁉ さっすが蓮くん! かっこいいっす!」
「……」
翠はじっと翼を睨んだが、翼はその視線には気付いていないようだ。そもそも翼と一緒に外食をするのは気が進まなかった翠だが、この雰囲気の中で断ることもできず「すみません」と言いながら蓮の提案に乗ることにした。
「そうですね、食事しながらうちの店内見ていってください。今はアプリゲームとのコラボやっていますよ。あ、お代は一星くんのおごりじゃなくて、交際費で計上するのでご心配なく」
「え、俺、おごる気満々だったのに!」
「そんなにおごりたいなら僕におごってください」
「なんでだ⁉」
「一星くん、恵比寿にある黒毛和牛バーガーのお店を知ってますか? 僕それが気になっていて……あ、僕は来週の木曜空いてますよ」
「いや待て待て、なんで俺がおごる流れを当然のように作る? どっちかっていうと弥勒がおごれ⁉ 上司じゃん!」
「きみの頭に上司という概念があったとは……驚きました」
言い合っている蓮と弥勒をよそに、リオンが「やったー! ただでご飯食べれる!」と嬉しそうに言う。翠はそんなリオンを見て、(リオンが一緒にいるなら翼と同じ席についても大丈夫かな)、なんて考えるのだった。
蓮と華に連れられて、巴志葉兄弟とリオンは店内のテーブルについた。食事を注文すると、翠と翼は華からもらったブロマイドを広げ、うーんと頭を抱える。
「全員雰囲気が違いますね。みんなに似合う衣装を、といっても難しいな……」
「オーナーの言うこと、鵜呑みにしなくていいんじゃないかな。オーナー、ああやって二人を困らせて、どんなデザインが納品されるのか楽しみにしているだけだと思うよ」
「……意地悪な人ですね、弥勒さんは」
はあ、と翠がため息をつく。その横で、リオンはブロマイドを見ながらにこにこと笑っていた。
「これがレンレン! こっちがー……華さま! 弥勒くんもいるね! あとは……黒い人は与流……アタルン! 金髪の子はゆわちゃん? この空色のブロマイドは――……」
リオンが次々と新しいあだ名をつけていく。「空色のブロマイド」を手に取ってあだ名を呼ぼうとしたとき、「お待たせしました」と声がかかった。
「タコライスとパンケーキ、デザートプレートで……あれ、蓮くんに華くん。休みなのに来てたんだ。翠くんと翼くんも。それから……」
「――つくもん!」
「へえっ……?」
注文の品を運んできたのは、九十九だった。リオンはビシッと九十九を指さして、高らかに九十九を呼ぶ。突然あだ名で呼ばれたので、九十九は動揺してしまった。
「わあ、つくもん! ブロマイドと本物はやっぱり雰囲気違うね!」
「つくもん? えっと……きみは……?」
「リオンだよ! ヴィリディティウイングのモデル!」
九十九は驚いたようだが、華が事情を話すと納得したようだった。タコライスを翼、パンケーキを翠、デザートプレートをリオンの前に置いて、「じゃあリオンさんがうちの宣伝大使だ」と笑う。
「宣伝大使? なんか面白い響き! じゃあもっとFlow Riderと、翠と翼のこと知らなくちゃね! リオンがFlow Riderとヴィリディティウイングをビッグにするよ!」
「……俺と翼も?」
「もちろん! 二人の作る服がFlow Riderをブランディングするんだから! 二人がどんな人で、どんな気持ちで服を作るのかを知らないと。リオンはヴィリディティウイングのモデルだからね」
「……」
リオンの言葉に、一瞬、翠の表情が翳る。翠は笑顔を浮かべている翼をちらっと横目で見て、そして、同じように笑顔を作った。本当の自分を知られたら、幻滅されるかもしれない――そんな気持ちを押し殺す。
「ねえねえつくもん! 今日はゆわちゃんとアタルンは来てないの?」
「アタルンに……ゆわちゃ……? ぶふっ……ああ、えっと、与流さんは今日はずっとキッチンだから、会うのは難しいかも。百波……ゆわちゃ……ふふっ、ゆわちゃんは、今日は来てないんだ。また今度おいでよ」
「うんうん! 二人にも会いたいからまたくるね!」
少しばかり会話を交わし、九十九は持ち場に戻っていった。ブロマイドを見ながら「アタルンとゆわちゃんにも会いたいな~」と言っているリオンに、翼が声をかける。
「まあ、まずはフロライのメンツと仲良くなろうぜ、リオン!」
「うん! もちろん、翼と翠とも! まだ二人のことよく知らないし」
「ん~? オレ様は見たまま、オレ様! リオンはもう、オレ様のコト全部知ってる! 安心しろよ!」
「え~? そうなの?」
翠と翼、そしてリオンが各々食事を始めた。その様子を蓮と華が見つめる。
2人は、どことなく凸凹な3人が作る新衣装に期待を膨らませるのだった。
新作の服や小物の写真がずらっと並ぶ。
華は一日に一回程度、インスタグラムをチェックする習慣があった。自分で何かを発信することはほとんどないが、お気に入りのブランドや芸能人、そして友人のアカウントを眺めているのが好きだ。今も、仕事の休憩時間に、こうしてタイムラインを眺めているのだった。
「あ……」
ブランドの写真に混じって、一枚、食事の写真が流れてくる。ハンバーガーの写真だ。アカウントは、蓮のものである。蓮はそれなりの頻度で更新しているので、タイムラインに出現することが多い。
「そういえば蓮……今日、弥勒くんにハンバーガー屋に連れていけって言われていたな……本当に行ったんだ」
少し前に、「ハンバーガー屋に連れていけ」と弥勒にねだられていた蓮を思い出す。弥勒が本気なのか冗談なのか、あのときはわからなかったが……結局行くことになったのか、と華は笑うのだった。
*
同刻、恵比寿の某飲食店。ハンバーガーをメインに扱いながらもジャンクな雰囲気のないおしゃれな店内。その一角に、蓮と弥勒は座っていた。
今日は蓮も弥勒も予定が入っていなかったので、かねてより弥勒が気になっていた店に2人でやってきたのだった。
「……食事中の僕を撮って楽しいですか?」
「うん、めっちゃ楽しい」
「肖像使用料1万円です」
「撮っただけで何も使用してねえし!」
「僕の場合は撮った瞬間に発生します」
「嘘だろ⁉」
運ばれてきたハンバーガーが来るなり写真を撮り始めた蓮を尻目に、弥勒はさっそくハンバーガーにかじりつく。
黒毛和牛を使ったというハンバーグはジューシーで、口を動かすたびに舌の上を肉汁が転がり落ちてゆく。ふわっとしたバンズとの相性も抜群で、ボリューミーなのにくどくなく、ちょうどよい食べ心地。なるほどこれは美味しい、と弥勒はハンバーガーの味に感嘆していたが、どうにも隣で写真を撮っている蓮が気になって仕方ない。
弥勒は何度か彼と食事をしたことがあるが、こうして彼が食事の写真を撮っていたことを、今まで見たことがない。
「……きみは、食事の前に写真を撮るタイプでしたっけ?」
「いや、参考にしたいんだよ。色々と、食事の写真撮りためてんの」
「参考?」
「ほら、そろそろFlow Riderのカフェのメニュー考えないとだろ? 俺、与流さんみたいに自分で新しいメニュー考えたりできないから、参考になるものほしいなって」
「ああ、なるほど」
弥勒は、蓮がやたらと食事の写真を撮る理由をようやく把握した。
Flow Riderでは、秋から本格的にカフェを展開する予定だ。そのため、メニューの考案をしなければいけないのである。そんなわけで、最近の与流はやたらといきいきとしているが、その他の料理が得意というわけでもないメンバーは苦労しているのだった。
「弥勒は? 何かメニュー考えたのか?」
「んー……微妙なところですかね」
「へえ。あれか? ジャンクフードにでもするのか? てかおまえ、育ちよさそうなわりにジャンクフード好きだよな」
「お行儀のよい料理が苦手なんですよ」
蓮も写真を撮り終えて、ハンバーガーにかぶりつく。「うめえ!」とご満悦な蓮を見ながら、(たしかにそろそろカフェのことを本格的に考えないとな……)と弥勒は思うのだった。
*
メンバーがメニュー考案に頭を痛めている中、ちょうど6人全員が出勤する日があったので、仕事終わりに集まることにした。それぞれの進捗の報告をするためである。
メンバーの進捗は弥勒の想像通りだった。与流がぶっちぎりで進んでいて、ほかのメンバーは微妙なところ。結局この集まりは、「みんなも進んでいないから俺も大丈夫♪」と安心感を得るための集まりになってしまった。それはそれで意義があるのかもしれない。
「……いざ僕たちがカフェをやるっていうと、なかなか実感がわかないね」
話し合いの最中、九十九が、ぽつりとそんなことを言う。
九十九の言葉には、ほかのメンバーも同意した。いままでFlow Riderで展開してきたのは、既存作品とのコラボカフェだ。作品のキャラクターや世界観に沿って商品を展開していく今までのカフェと、一からすべてを作り上げる今回のカフェでは勝手が異なる。イメージがわいてこないというのも、仕方のないことだ。
「要するに、あれだろ! 会いに行けるアイドルみたいな!」
がたっと蓮が立ち上がって、ビッと百波を指さす。突然の蓮の行動に、百波は「えっ、なに」と訝し気な表情を浮かべてしまう。
「みんなのアイドル、一星 蓮だぜ! キミのハートを撃ち抜いてやるぞ~☆彡 ……こんな感じ!」
「は? 頭に虫でもわいてるんですか?」
「ひでえ言われよう!」
バキュン☆彡と百波に向かってピストルを撃つジェスチャーをとった蓮に、百波が辛辣な言葉を投げかける。
「蓮~、なんかアイドル像が古臭いよ」
「古いかあ? じゃあ華のアイドル像見せろよ、はいどうぞ!」
「ええ? 俺?」
蓮にパスを渡された華は、困ったように笑う。
彼らの様子を眺める弥勒は、そもそも「カフェ店員」であって「アイドル」ではない……というツッコミをしたかったが、盛り上がっているようなので放っておいた。
「アイドル……アイドルね、乙女の心に寄り添えばいいんだよね」
華はよいしょ、と百波の隣に座ると、すっと百波の肩を抱き寄せる。「げえっ」と声をあげた百波に構わず、華は「キミは俺だけのお姫様だよ……my princess」と囁いた。
「怖い怖い怖い怖い! 鳥肌たった! つーかそれアイドルっていうかホストっぽいですよ!」
「……たしかに!」
「てか二人しておれに向かってアイドル芸してくるのやめてもらえません?」
「え~だって百波くん、面白いんだもん。それにしてもアイドルって難しいなあ。九十九さん! アイドルってなんですか?」
「今度は兄ちゃんに振るのかよ!」
いきなり話を振られた九十九が、「えっ」と目を見開く。蓮と華のようにアイドルの真似をしろと言われても到底できそうになかった九十九は、「ウインクができるとか……?」と言葉を絞り出す。
「ウインク……たしかにアイドルの必須科目ですね。九十九さん、ウインクしてみてください!」
「う、ウインク……? したことがないよ、できるかな……。……」
ウインク――片目を瞑っておこなう合図のこと……と、簡単に辞書では説明されているが、やってみるとなかなか難しい。九十九はウインクをイメージしながらまぶたを動かしてみるが、片目を閉じたつもりなのに視界が真っ暗になってしまう。両まぶたが下りてしまっているようだ。
「九十九さん、両目瞑ってます」
「……えっ、……うーん……えいっ」
「九十九さん、両目瞑ってます」
ぱち、ぱち、と何度かウインクにチャレンジした九十九だったが、ぎゅっと両目を瞑るばかりでそれは叶わない。
「僕は無理だよ……。百波、やってみて」
「えっ、結局おれ? ……ハッ!」
「百波、両目瞑ってる……」
「そんなわけないだろ! ウインクくらいこのおれができないはずが……! ……オラァ!」
「……百波、勢いよく両目閉じたね」
ぎゅーっと両目を瞑っている百波を見て、華がふふっと笑う。
「橘兄弟二人ともできないって……ウインクの可不可は遺伝子が関係しているのかな」
「ウインクって遺伝子関係あんの⁉」
「え~、関係あるんじゃない? ねえ、与流さん? 与流さんはウインクできますよね、神来社遺伝子パワーで」
「神来社遺伝子パワーってなんすか」
ぱち、と華が与流に向かってウインクをすれば、与流は眉をしかめる。そして、「え、俺もやるのか」とぼそっと弥勒に尋ねた。
「やればいいじゃないですか。与流の役割はキッチン、ドリンク、フロア、そしてウインク。オールラウンダーですよ」
「オールラウンダーってウインクも含まれるのか……? つーか、俺たちってアイドルじゃなくてカフェ店い――」
「与流はなんでもできますからね。僕は昔から、きみのことを信じていますよ」
「……やらなくてもいいことはやらない主義だぞ」
「僕がやってほしいと言ってるんですけど?」
「おまえ悪ノリしてんじゃねえよ、オーナーだろ……くそっ」
与流は諦めたようにため息をついて、「ほら」という言葉とともに、ぱち、と一回だけウインクをした。おおっとみんなが沸くと、与流は気恥ずかしそうにがりがりと頭をかく。
「さすが与流さん! さすあた!」
「お手本のようなウインク!」
「よっ! 神来社遺伝子パワー!」
褒められると余計に面映ゆいのか、与流は「うるせえ」とつぶやいた。そんな与流の表情に、弥勒は満足したようだ。「――さて、」と口を切る。
「はじめに言っておきますが、僕たちはアイドルではなくカフェ店員なので、ウインクは特に必要ありません」
「えっ……俺のウインクの意味は……」
せっかく恥を忍んでウインクをしたのに、弥勒はカラッとした調子でそんなことを言う。またからかわれたのか……と与流は落胆するが、弥勒はそんなことはお構いなしだ。
「アイドルっぽいキャラづくりは特にしなくていいので、自分らしさをだしていってください」
――自分らしさ。
そういえば、ドリンクを作るときもそんな話をしたような……弥勒の言葉に、一同はそもそもの発端を思い出す。ひとりひとりの個性を大切にするカフェを作りたい、それがこのプロジェクトのはじまりだ。
「アイドルは夢を見せる職業ですが、僕たちがやっていくのは僕たちを魅せるカフェです。そんなに難しいことは考えないで、いつもどおりの自分でいてもらえれば結構ですので」
自然体ってことか、と華がつぶやく。
「よし、あのドリンクに負けないような俺っぽいフードメニューを考えて、当日も俺っぽい感じでいけばいいんだな!」
「蓮が一番遅れてるからがんばれよ」
「ウッ……了解っす与流さん……」
個々のイメージカラーも決まっていて、ドリンクもできている。あとは流れに乗って進むのみだ。
「……ドリンクのときと違ってテイクアウトじゃないから緊張するなあ~。本当に僕が僕らしいままで大丈夫かな……」
「いやあ……九十九さんは十分愛されキャラですよ、いけるいける」
「それどこ情報なの華くん……」
「俺情報」
「わからないよ~……」
フードメニューを考えて、あとはヴィリディティウイングに衣装を考えてもらう。着々と、秋のカフェへの準備が整いつつある。弥勒はメニュー案(仮)をまとめた書類を眺めながら、ふっと笑うのだった。
室内には、ときたまキーボードを叩く音が響く。そのほかに音は聞こえない。
部屋の隅で、リオンはジッと翠と翼の二人の様子を伺っていた。事務所兼自宅である二人の住居には、仕事部屋がある。部屋には二人それぞれの机があり、翠の机は東向き、翼の机は南向きに置かれていた。つまりはお互い顔を見ないように仕事をしているようで、実際のところ仕事中には会話がほとんど交わされない。
(なんとなく察していたけど、二人はあんまり仲良くないなあ~)
ちょっぴり気まずい雰囲気。仕事関係のことはきっちり話すらしく、仕事に支障はきたしていないようだが、二人に挟まれているリオンとしては居心地が悪い(そもそもリオンは、まだまだ服が出来上がっていない今の段階ではいる必要がないのだが、興味本位で二人の仕事部屋に来ていた)。
「あ、」
翼が立ち上がる。そのまま部屋を出て行くようだったので、リオンは「どこに行くの?」と尋ねてみた。そうすれば「休憩」と彼が答えたので、リオンは彼に着いて行くことにする。
「……」
部屋を出て行く間際、リオンはちらりと振り返る。翠は部屋を出て行く二人のことなど気にせず、リオンにまっすぐな背中を見せるばかり。
(……すっごい集中力)
ぴんと張り詰めた空気から逃げるようにして、リオンは翼の後を追う。
翼とリオンは近くのコンビニエンスストアまで来ていた。それぞれちょっとした食べ物を買って、のろのろと歩きながらまた家まで戻る。
「翠ってすごいよね~。仕事しているとき、すっごい鋭い雰囲気で。ああいう人、モテそう!」
アイスキャンディを食べながら、リオンはぼやく。
翠の印象は、出会ったときとは少々変わった。若干つっけんどんとしているが、温和な雰囲気……と当初は思っていたが、彼は仕事のことになると鋭い雰囲気を醸し出す。「俺はデザイナーになるしか道がなかった」といったことを前に言っていたので、たぶんそれが影響しているのだろう。
「……ああ、そうだな~」
「……翼って、あんまり翠のこと好きじゃない?」
「え? いや別に……」
リオンが翠を褒めてみれば、翼は曖昧な反応を示す。指摘すると、さらに曖昧な反応。これは〝ガチ〟のやつだ、とリオンは苦笑する。気付いてはいたが、翠と翼は仲のよい兄弟……とは言いがたいようだ。
「なんで翠のこと苦手なの?」
「……なんかリオンって、結構遠慮ないよな?」
「ストレートって言ってよ。モダモダしてるの、キライなの」
「え~? オレ様、モダモダしてるかなあ」
翼は困ったような表情を浮かべている。リオンから視線を逸らしながら首のあたりをかいている彼の様子は、リオンの目に珍しく映った。
「いや、ほんと、苦手ってわけじゃねえんだよ。好きかって言うとそうでもねえけど。こう……なんていうか、その……ほら、モヤモヤするヤツあんじゃん。スゲエ相手を見ていると、いやな気分になっちゃうやつ」
「劣等感!」
「まじオマエ遠慮がねえな!」
じとっと翼はリオンを睨んで、ため息をつく。
「なんかイヤになんね? めっちゃすごいヤツが自分の兄弟で、イヤでもその実力を間近で見せつけられて、常に自分はアイツには勝てないんだって意識しちゃうの。こうやって嫉妬みたいなことをして、アイツを避けるのはダセエってわかってるんだけどさ、そう簡単に折り合いつけられねえよ」
「でも、負けられないんでしょ?」
「ンー、まあ……ずっとこのままではいたくねえし」
「じゃあ、いいんじゃない! 翠のことはライバルって思えばいいんだよ!」
「ライバル? ライバルな~……」
翼は煮え切らない反応をして、笑う。おかしなことを言っただろうか、とリオンは首をかしげたが、こうしているうちに二人は家にたどり着いてしまった。翠と翼の関係は、なかなかに難しいなあ、とリオンは頭を悩ませるのだった。
*
「巴志葉兄弟の仲が上手くいっていない?」
ある日、Flow Riderのスタッフルームに来ていたリオンは、それとなく翠と翼のことをそこにいたメンバーに相談した。スタッフルームにいたのは、弥勒と華、そして百波。特に巴志葉兄弟と交流がある華は、リオンの話にすこしばかり驚いたようだ。
「あの二人ってすごく仲いいイメージだったけど」
華が驚くのも仕方がない。翠も翼も、表向きは仲のいい兄弟を演じているからだ。華にとって、二人の不仲は初耳だったのである。しかし弥勒は気付いていたようで「華くんは鈍いですねえ」と呟いていた。
「まあ、兄弟だから仲がいいとは限らないでしょ。そんなに気にしなくていいんじゃないですか? 僕も兄とは仲がよくないですし」
「えっ、オーナーお兄さんいたの⁉」
「血の繋がっていない兄ですが」
「おっと、ヘビーな話の予感。後からゆっくり教えてもらおうかな」
「え~? 別に教えるようなこと何もないですけど。それより、兄弟のことなら百波くんに聞いたほうがいいんじゃないですか?」
「たしかに! 橘兄弟はすごく仲いいもんね」
突然話を振られた百波は「⁉」と驚いたような顔をして、ピンと背筋を伸ばす。リオンが「どうして仲がいいの?」と尋ねれば、百波は戸惑ったように頬をかいた。
「おれは別に……なんで仲がいいとか、理由がないっていうか……フツーにしてるだけっていうか」
「喧嘩もしなそう。つくもんも穏やかな人だし」
「つ、つくもん……? まあ、喧嘩……もあんましねえけど。あ~、でも、昔は上手くいっていないときもあったか……?」
「えっ、そうなの?」
橘兄弟も仲のよくない時期があった。それを聞いたリオンは興味津々といった様子で百波に詰め寄る。翠と翼の仲がよくなるヒントがないか、と気になったのだ。
そんなリオンの後ろで、弥勒と華が驚愕の表情を浮かべている。
「えっ、橘兄弟って仲が悪い時期あったの?」
「二人ともアルティメットブラコンなのに、そんな時期もあったんですね」
「今思い出しても、百波くんが変な勘違いをして蓮に掴みかかったのウケるんだよね~あれ、ブラコン極まってたなあ」
「えっ、なんですかその話。僕、知らないんですけど」
「いや、蓮と九十九さんが……」
「うっせえぞソコの二人!」と百波は声をあげて、二人を無視するようにして話を続ける。
「あれだよ、おれにも反抗期みたいなのがあったっていうか? 一方的に兄ちゃんを避けてた時期があって……。おれが中学生のときの話だし、歳をとって自然と仲直りしたけど」
「ふうん、なるほど。百波ちゃんにもそんな時期があったんだね。でも、翠と翼は自然と……とはいかなそうなんだよね。二人ともめんどくさくて」
「そりゃ家庭によって事情ちげえし。それにあの二人、どっちもデザイナーなんだろ? そういうのでこじれてんじゃねえの」
「お、するどい! うん、なんか色々と難しいみたいなんだよね」
リオンは二人のことを思い浮かべる。同じ屋根の下に住んでいて、同じ職業。やはり、簡単にはいかなそう。細かい事情をここにいる3人に勝手に話すのもよくないような気がしたので、これ以上突っ込んだ相談はできなそうだとリオンは諦める。
「ほっときゃいいんじゃねーの。二人のことなんだし。相談されたときには助けてやれば」
「たしかにそうだよね。リオンが勝手に空回りしてもよくないし。リオンは歌でも歌って場の空気を和ませてあげよっ!」
そうだ、二人のことなんだし。ちょっとお節介だったかも、とリオンは反省する。そろそろ二人のところへ行ってみようかな――とリオンが立ち上がると、弥勒が「ちょっと待ってください」とリオンを引き留めた。
「歌と言いましたね」
「うん? 言ったよ~」
「もう少しここに残る時間ありますか?」
「? 大丈夫だけど……」
弥勒はどうしたのだろう、と華が何気なく弥勒の前にあったパソコンを覗く。「あ、まじ?」とつぶやくと、弥勒が「まじです」と返してきた。
*
Flow Riderの新衣装の制作は、難航しているようだった。たまにリオンが二人のもとを訪れて進捗を覗くのだが、ボツ案が増えるばかりでなかなかデザインが決まらないらしい。
ただ、その日リオンが二人のもとへ行ったときは、いつもと少々様子が違っていた。
「だから、そこをこうするとコンセプトからズレるだろ」
「オレ様はそう思わねえけど」
「いや、絶対、ない」
二人が衣装のデザイン案を巡って言い争いをしていたのだ。二人はお互いに背を向けながら仕事をしているというイメージを持っていたリオンは、珍しい、とつい思ってしまう。
「つーか、そのあるなしもさ、翠のセンスの話だろ。オレ様的にはコレでいいと思うけど!」
「俺のセンスが信用ならねえのかよ」
「……逆におまえはオレ様のセンスを信用できねえの」
「……はあ?」
あ、雲行きが怪しい。
いやな予感を感じ取ったリオンは、二人の間に割って入ろうとしたが、遅かったようだ。翼はガタッと立ち上がると、せきを切ったように翠に向かって言葉を連ねる。
「翠はいつもそうだよな。自分が絶対ナンバーワンだからって、オレ様の意見なんて聞こうとしない。いいよな、翠みたいな天才はさ、自分のセンスを迷うこともなく信じられるからよ!」
「――な、翼……おい、待てよ!」
翼は持っていた紙束をバシッと机に叩きつけると、そのまま部屋を出て行ってしまった。残されたリオンは、「……翠、大丈夫?」と声をかけることしかできない。翠はハアッと息をついて、どす、と椅子に腰を下ろす。
「……翼、追いかけたほうがいいかな?」
「知らない。放っておけばいいよ。リオンが気にかけてやるなら、やってもいいと思う。俺はどうでもいい」
「ええ~、そんな~!」
「クリエイター同士の意見がぶつかるなんて日常茶飯事だろ。アイツがあんなにあっさり折れるとは思わなかった。少しはアイツもデザイナーの端くれくらいにはなったと思っていたのに、拍子抜けした」
「……」
コーヒーを飲みながら何事もなかったようにパソコンをいじりだした翠を、リオンがじっと見つめる。
――翠は、翼と衝突したことに苛立っているわけではない?
翠が翼に抱く想いは、自分が思っているようなものではないのではないか――リオンはそう感じた。
「もっと、翼と喧嘩したかった?」
「……どうせなら。言いたいことがあるならもっと言えばいいのに、あっさり折れるからがっかりした」
「それは……翼が翠のこと、すっごく認めてるからだよ。翠のことを信じているから……自分の意見を押し切れないんじゃないのかな」
「あほか。デザイナーのくせに自分より他人を信じるとか、俺には考えられない」
ああ、やっぱり。翠は、翼が自分自身のセンスをあっさりと裏切って、翠にさじを投げてしまったことを怒っているのだ。
翠の考えもわかるし、翼が翠に対して劣等感を抱いているのもわかる。リオンは板挟みになったような気分になったが、やはり二人が喧嘩しているのを見ているとよい気分にはなれない。
「うーん、デザイナーとしては譲れないところもあるだろうけど、ほら、兄弟なんだし。仲直りはしておいたほうがいいんじゃない?」
「ああ、そういや俺たち兄弟だっけ」
「ええっ、そこから!」
「仕事のライバルとしてしか見てなかったから、忘れてた。ま、あんな調子じゃライバルとは到底思えな」
「――ライバル?」
ふと、リオンは翼との会話を思い出す。翠のことをライバルって思えばいい、とリオンが提案したとき、彼はなんともいえない反応を示していた。今思えば、あれは、自分が翠に認めてもらえていないと彼が思い込んでいたからこその反応だったのだろう。自分に自信がないから。
「それっ! それ、翼に言ってあげないと!」
「はあっ?」
名は体を表すとはよくいったものである。翼は昔から、高い場所が好きだ。子どものころ、高い場所に行く体力もなかった翠は、そんな翼を羨んでいた。羨んでいたので――鮮烈に覚えている。あいつは翼が生えているように、どこにでもゆく――と。
行き詰まったあいつが行くところ。何かがあったときにあいつが行くところ。無限に近い店や施設がある東京だが、翼が好きそうな場所に絞れば候補はかなり少なくなる。東京で高い場所。かつ家からあまり離れていなくて、お金がかからない場所。翠が目星をつけたとある展望台に向かえば、あっさりと翼は見つかった。一件目で見つけられると思っていなかった翠は、自分でびっくりしてしまう。そして思った以上に単純な翼に、呆れてしまった。
翠は静かに翼の背後に近づいていた。そして、ため息をつきながら声をかけた。
「――翼。途中で仕事放棄されると困るんだけど」
「……。……ッ⁉ なんで翠がここに⁉」
ギョッとしたような表情を浮かべて、翼が振り向く。まさか自分がいる場所を翠に当てられるとは思っていなかったのだろう。大げさなくらいに驚いて、言葉を失っていた。
「一応、おまえのオニイチャンだからな? おまえがいる場所くらいわかるよ」
「……」
展望台は、綺麗に整備されたガーデンのような雰囲気があった。草木が植えられていたり、水槽が設置されていたりして、ちらほらと親子連れやカップルがいる。翼がいたのはその一角で、そういったガーデンらしい場所からは少し離れた、柵の近く。東京の街並みを一望できる場所。風が吹き込んでくる、いかにも翼が好きそうな場所だった。
翠は翼の視線を追うようにして、海のように広がるビルの群れを眺める。
「俺、翼にずっと聞きたいことあったんだけど。なんで翼はデザイナーになろうと思ったんだ」
ふと、翠が翼に問いかければ、翼は思い切り顔をしかめて翠を見つめた。答えたくない答えを持っていると、その表情であからさまに示している。しかし、今話さなければ一生話せないと感じたのだろう。翼は、観念したように呟く。
「……翠に、憧れていたから」
「……」
「……っけど! 今は憧れてなんていねえから! 憧れていたのは昔の話で……今はそんなんじゃねえからな!」
恥ずかしそうな、それでいて悔しそうな、そんな表情を浮かべて翼は吐き捨てた。速攻で過去の想いを否定したのは負け惜しみのようなものだろうか。翼も自分でそれを自覚しているのか、ばつが悪そうな顔をしてプイッとと翠から顔をそらす。
また、嫌味でも言われるのだろう。翼はそう思った。しかし、翠から投げかけられたのは意外な言葉だった。
「じゃあ、今は俺のことどう思ってるんだよ。憧れていないなら、どう思っているんだ」
「……、」
ぱ、と翼が翠の顔を見れば、翠は挑発するような顔をして笑っていた。見透かされているのだろうか、そう感じた翼はカッと顔を赤くして翠を睨む。
翼は、咄嗟に「同じデザイナーとしてのライバル」と言おうとした。しかしその言葉がでてこない。「おまえなんかがライバル」と言われるのが怖かったのだ。
今、自分は翠のことをどう思っているのだろうか。憧れ――では確かにない。翠の活躍を素直に喜べないのだから。でも、ライバルというには自分が劣っているように思ってしまう。じゃあ何だろう――そう思って出てくる答えは、あまりにも惨めだ。おまえのことを妬んでいる、なんて惨めすぎて言えるわけがない。
「……知らない。翠のことなんて、どうとも思っていない。オレ様よりも早くデザイナーになったからデザイナーとしての先輩だとは思ってる。それだけ」
「俺は翼のこと、ライバルだと思っていたよ」
「えっ」
「過去のだけど」
はあ、と翠は呆れたように言う。しかし、翼は翠の言葉を聞き逃さなかった。ライバル、と確かに彼は言ったのだ。
「いつか、翼は俺の足をすくうって思っていたんだ。でも、全然だし。いつまでも、俺のことを『天才』なんて言って、どうせ敵わないって諦めっぱなし。一瞬でもライバルって思っていた俺が馬鹿だった」
翼は舌打ちを打つ。
なんで過去形なんだよ、っていうかそんなの今まで一度も聞いたことがない。今まで、一度でもライバルって言ってくれればよかったのに、翠はそんなこと言ってくれなかったじゃないか。
やつあたりのような気持ちが浮かんできて、吹っ切れたように翼は口を開く。
「翠が天才なのは事実だろ……そういうヤツを追いかけるのって、大変なんだよ……オレ様だって、諦めたくて諦めてんじゃねえ」
「『天才』って、言い訳のためにある言葉じゃねえよ。そう言えば、勝てない理由になるとでも思ってんのか。俺だってここまでくるのに努力してるのに、おまえ、俺の技術は何もかも天性のものだと思ってんのかよ」
「そういうの、天才のヤツは言うんだよ。自分だって努力している、おまえは努力が足りないんだって。努力しても勝てないヤツの気持ちなんて、理解しようともしない! 才能は平等じゃねえってそれくらいわかれ! オレ様と翠では、生まれ持ったものが違う!」
「そんなの知るか! おまえが選んだ道だろ! そんなに才能にこだわってなげやりになるくらいなら、やめればいい! おまえはいくらでも選べる選択肢があったんだろ、俺と違って!」
「なっ……」
翠の言葉は、理にかなっている。翼は体が弱かった翠とは違う。子どもの頃からたくさんのものに触れてきたし、知ってきた。憧れる対象は、ほかにもたくさんあったはずなのだ。それでも翼は、翠を追いかけた。自分でその道を選んだのだ。
「やめればいいだって……?」
翠に対して劣等感を抱き、苦しむくらいなら、デザイナーなんてやめてしまえばいいのだ。そうすれば、翠に劣等感を抱くこともなくなって、もっと楽な人生を送れるだろう。兄弟仲だってマシになるかもしれない。何度も何度も、そう思ったことがある。
――けれど、やめるという選択肢を描いたことは、たったの一度もない。
「……やめられたら、やめてるよ」
もしかしたら、もっと向いている職業もあるかもしれない。翠に勝てずにもがいたとき、そんなことをふと思うこともある。しかし、やめようとは何故か思わないのだ。あたりまえのようにデザイナーとして足掻くことしか考えていなくて、たぶん死ぬまで自分はデザイナーだろうという予感もしている。これからもっと苦労するとわかっていても、やめるなんて未来は知らない。
「オレ様に、選択肢なんてねえよ」
「……」
「オレ様は! 翠が兄貴な時点で! デザイナーになるしかなかったんだよ!」
「……え」
翠は、少しばかり驚いたようだった。目を丸くして、翼を見つめている。
「一番近いところにいるヤツがすげえ眩しくて、すげえかっこいいと思っていた……だから、憧れないわけがないし、オレ様もこうなりたいって思うのは当然だろ! 翠がオレ様の運命を決めた! オレ様はやめない――翠に勝ってもいないのに、やめるわけにはいかねえ!」
「……翼」
まっすぐに自分を見つめてくる翼に、翠は黙り込む。
翠が翼を苦手としていた理由なんて、簡単だ。たくさんの選択肢を持っていたくせに自分と同じ道を選んだから。翼がデザイナーを志したのは、子どもながらの憧憬のようなものだと思っていた。彼がそこまで本気だなんて思っていなくて、だからこそ追い抜かれるなんて絶対に嫌だと思っていたのだ。もしかしたら、「ライバル」とは少し違っていたのかもしれない。
でも――彼は本気だ。翠は、翼の想いをようやく知る。
「じゃあ――勝ってみろよ。言っておくけど、俺はそう簡単におまえに負けない」
風が吹きすさぶ。翠の髪が風になびくのが、翼の瞳に映った。ああ、この男が生涯のライバルになるのか――ふと、そんなことを思う。
「あたりまえだ! オレ様は相手が天才だろうと、ぜってぇ勝つ!」
翠がハ、と笑った。そして、
「じゃあ、ライバルだ」
と言う。
「……、」
翠は、ようやく本当の意味で翼をライバルだと認められた。そんな翠の気持ちが伝わったのか、翼はポカンとほうけたような表情を浮かべる。そして、一瞬だけ泣きそうな顔を浮かべたが、ふいっとそっぽを向いて「当然だ!」と返す。
「はぁ~……あれが男兄弟ってやつなのかな……」
二人の様子を陰から見つめていた人物がぼそりとつぶやく。
翠のあとをこっそり追っていたリオンだ。どうなることかとヒヤヒヤして見守っていたが、丸く収まったようでホッと安堵の息をつく。
「ん~……ていうか、勝つも負けるも二人ともヴィリディティウイングじゃん……? 勝敗なくない……?」
ツッコミは野暮だろうか。まあ、あれも兄弟の形なのだろう、とリオンは自分を納得させるのだった。
*
月が綺麗な夜だ。
翠と翼がFlow Riderから衣装製作の依頼を受けてから、しばらく経った。まだ完成には至っていないが、少しずつ進んでいる。
仕事を終えた後、3人は食事に行った。翠と翼は思い切り喧嘩をしたあと、二人とも憑き物が落ちたのか、たまにこうして一緒に食事をするようになったらしい。今日はリオンも一緒に3人で食べて、帰路についていたのだった。
「月が綺麗だね! ねぇねぇ、リオン、歌、歌いたい!」
るんるんと歩くリオンが、そんなことを呟く。破天荒なリオンに慣れてきた翠と翼は、二人で「どうぞどうぞ」と適当に流そうした。しかし、リオンは「そうじゃなくて!」と立ち止まる。
「ヴィリディティウイングで、翠のトラックと翼のDJでリオンが歌うって事!」
翠と翼は、「何を言っているんだろう……」といった表情でリオンを見つめてくる。しかしリオンはお構いなしだ。残念ながら、翠と翼に決定権はない。
(っていうか、もう〝決まってる〟んだよね~! なんて言ったら二人ともびっくりするかな)
ふふふ、とリオンが笑えば、二人がいぶかしげな表情を浮かべる。
これからも楽しいことがいっぱいありそうだ。翠と翼は相変わらず喧嘩をすることがあるようだが、二人ならカッコイイ衣装を作れるとリオンは信じている。
その日も、賑やかな夜が過ぎていくのだった。
カフェの開催も迫ってきて、Flow Riderでは本格的に準備が始まっていた。まずは、メンバーをイメージした食事メニューを考えるところからだ。
「うーん……な~に作ったらいいのか、わっかんないよなあ~……」
スマートフォンの画面を見つめながらため息をついていたのは、蓮だった。画面にはたくさんの写真が映っている。今日まで撮りだめしてきたカフェの写真だ。メニュー考案の参考にならないかとこうして写真を集めてきたが、特にこれといったアイデアが浮かばない。
「何かインスピレーションはわいてきた?」
「いや……写真が増えただけ」
「……だめじゃん!」
蓮はぐだっと頬杖をつきながら、画面をスクロールする。たしかに色とりどりの綺麗なご飯の写真はたくさんあるのだが……そこから何か生まれてくるかといえば、そうでもなかった。元々料理がそこまで得意ではない蓮にとって、料理を創作するのは難しい。
「華はなんかいい感じの写真ねえの?」
「写真? うーん、俺はあまり写真撮らないからね」
「おまえ、インスタとかもほとんどやってないもんな」
「SNSそこまで得意じゃないっていうか」
蓮はインスタグラムのアプリを開き、華のアカウントに飛んでみる。友人たちに言われるままに作ったらしい華のアカウントはほとんど手をつけられておらず、見応えがない。アイコンはたまたま目の前にあったらしい「お~い伊右衛門」のペットボトル、アップされている写真は適当に撮ったと思われる空の写真が1枚のみ。典型的なSNSにやる気がないタイプの人間のアカウントだった。
「そういえば九十九さんはバリバリインスタやってるよな」
「九十九さんおしゃれだからね。ブランドのアカウントとかいっぱいフォローしてたような」
「百波もたま~に更新してたな。……与流さんはSNSやってないんだっけ?」
「与流さん、俺が『料理の写真とかアップしてみたらどうですか?』って言ったら『それいいかもな』っ言ってたから、何か始めてたりして。与流さんってYouTuber向いてそう……」
「それ言えてるな! じゃあ、弥勒は?」
「弥勒くんはTwitter派だね~……主に趣味用……」
「趣味? 趣味って何?」
Flow RiderのメンバーのSNS事情について話していると、ゴト、と二人の前にどんぶりが置かれる。透明感のあるスープとちぢれ太麺――ラーメンである。二人は仕事終わりに、いつものようにラーメン屋に来ていたのだった。
「は~うまそー!」
「いっそ俺たちもラーメン作っちゃえばいいんじゃない?」
「ラーメン? カフェで? ラーメンかあ~……」
割り箸をパキッと割って右手に持ち、左手で持ったレンゲでスープをすくう。煮干し出汁が効いたスープはすっと五臓六腑に染み渡り、疲れた体が喜びの声をあげた。
「……ラーメン、アリかもな」
ずるずる~っと麺をすすりながら、蓮がぼやく。華が「まじで~?」と腑抜けたような返事をした。「カフェでラーメンを作る」はなんとなく言ったことのようで、蓮が思いのほか同意してきたので驚いたらしい。
「いや、いけるぜラーメン。東京のラーメン屋を制覇しつつある俺たちは、ラーメンのパイオニアに近い存在と言ってもいいかもしれねえからな」
「まだ全然制覇できてないし、パイオニアでもなんでもない気がするけど……」
「いや、いける! 俺たちのラーメンを作るんだ!」
グ! と蓮が拳を握る。華はそんな蓮を横目で見て、苦笑いをしながら麺をすすった。
「う~ん、いいんじゃない? 弥勒くんも『ラーメン? いいんじゃないですか? きみたちのやりたいようにやるといいですよ』って言うよ」
「今めっちゃ弥勒の声で再生された……」
「弥勒くんの言いそうなことなら俺わかっちゃうんだよね。俺、弥勒くん検定4級だから」
「4級ってすげえ半端だな……」
ラーメンなら何ラーメンを作ろうか。しょうゆ? 味噌? 豚骨? 味噌と言えばこの前、味噌汁に納豆を入れるのはアリかどうかって話になって……
本筋から話が逸れたり戻ったりを繰り返す。蓮と華は目の前の煮干しラーメンをおいしく食べながら、だらだらと危機感なくメニューの考案をするのだった。
*
「――おい、どうした」
不意に与流が弥勒に声をかける。
深夜のスーパーマーケット。買い物かごにはもりもりと新鮮な野菜が積まれている。もくもくと野菜をかごに入れている弥勒が急に立ち止まったので、与流は恐る恐る尋ねたのだった。
「いや、なんか急に今……華くんを張り倒さなければいけないような気がして……」
「なんだなんだ、いきなり暴力的な衝動だな。あれだろ、あいつ、おまえの噂でもしてんじゃねえの」
二人がスーパーマーケットで野菜をもりもりと買っているのは、弥勒のカフェメニュー作りのためである。弥勒はサラダを作ろうとしていた。どのようなサラダにしようかと与流に相談した結果、こうして一緒に材料を買うことになったのだった。
「それにしても……そんなに野菜買って、どんなサラダ作るのかイメージみたいなものはあるのか?」
「いや、あんまり。とりあえず色々組み合わせてみようかと」
「……なるほどな?」
弥勒のマンションは少し広い――いや、だいぶ広い。一人暮らしをするには広すぎる部屋で、物もそこまで多くないので、ガランとした印象を受ける。
さて作るか、と弥勒がエプロンを身につけて腕まくりをし、キッチンに立つ。「おまえエプロン持ってたのか」と与流が言えば「ほとんど使ってないですけど」と返ってきた。だろうな、とため息をついた与流の視線は、そんな弥勒の背中――を通過して、並べられている調理器具に集中していた。
(ヤベエあの鍋……あのブランドの鍋じゃねえか……包丁もヤベエな! くそ弥勒のヤツカップラーメンしか食わねえくせに、俺が喉から手が出るほど欲しい調理器具そろえてやがる……金持ちめ……)
「与流」
「はい、なんでしょうか」
「……? なぜかしこまるんです? どうでもいいですけど。今回はシンプルめなサラダにしようと思うんです。ほかの料理も一緒に頼んでちょうどよくなる感じの……」
高級調理器具が気になって仕方ない与流に、弥勒の声がかかる。アドバイスちょうだい、とでも言いたげに弥勒が見つめてきたので、仕方なく与流は弥勒の隣に立った。与流の視線は、チラ、と弥勒の手元へ。まな板もすごくいいヤツ使っている……超欲しい……。
「うん、それで、……シンプルなサラダ、ね」
思いのほか弥勒は手際がいい。天才はやればなんでもできるようだ。さくさくと野菜を切って、ちゃん、と皿に盛り付けられてゆく。しかし――与流は言葉に迷う。
「そうです。ある程度僕らしさも欲しいですけど、シンプルなサラダです」
「ああ、……シンプル……シンプル、……」
盛り付けられているサラダ。綺麗な盛り付けだ。なんだ、おまえちゃんと料理できんじゃん。普段からちゃんと料理しろよな。いや、そうじゃない。問題はそこじゃねえ。
与流は頭の中の辞書に問いかける。「シンプルとはなんだ?」と。
「――それのどこがシンプルなんだ⁉」
「え?」
そのサラダは、とてもではないがシンプルとは言えないサラダだった。派手に盛り付けられたサラダだ。カフェのサラダとしては相応しいだろうが、弥勒が目指している「シンプル」では決してない。
「おまえ……、それはシンプルではないぞ」
「……そうですか? じゃあこうして……うーん、これならどうでしょうか!」
「派手! おまえ、ジャンキーなものばっかり食ってるくせに、料理すると妙に貴族感だしてくるな」
「え? え?」
与流の指摘に、弥勒は本気で戸惑っていた。本人は「シンプル」に作ったつもりのようだ。顔には自信満々といった表情を浮かべている。しかし、何度野菜を変え盛り付けを変えようとも、きらびやかなサラダになってしまう。
「……弥勒にシンプルなサラダを作るのは無理だ。方向転換して派手なサラダを作ろう、な!」
「そ、そうですか? まあ……それはそれでありだと思いますけど……」
不思議そうな顔をして、弥勒はサラダの試作を続けた。
何をしても盛り付けが派手になる。これは、早いところ彼に「庶民の味」を教え込まねば……と与流は考えるのだった。
*
メニュー作りに奮闘していたのは、橘家も同じだった。帰宅した二人は、何を作ろうかとインターネットでレシピを眺めて考え込んでいた。
「僕たちの好きな食べ物にするのはどうかな」
「ああ、いいんじゃね? って言っても、おれは何でも食うしな、どうしよう」
「そうだね、百波は好き嫌いが少ないイイ子だから……じゃあ僕の好きなもので考えてみようかな……」
「兄ちゃんの好きなもの……?」
カフェのメニューは「らしさ」を意識するように……と弥勒に言われていた。そのため、自分たちの好物を取り入れるのもアリだろう。しかし、改めて考えると――九十九の好きなもの、はたしか……
「うーん、ホヤのお刺身はどうかな?」
「却下だ!」
「えっ、なんで……?」
九十九は変わった物を好む。それを思い出した百波は、勢いよく彼の案を阻止するのだった。
「いや、ホヤが悪いとは言わねえよ。ホヤも素晴らしい海産物だ……けどな、カフェで出すものじゃねえだろ」
「……そっか、オシャレな感じのものがいいのかな?」
「そうそう、華やかっていうか、女子が写真撮りたくなるようなさ……」
「じゃあ――エスカルゴはどうかな?」
「いやっ……違う、そうじゃない! たしかにエスカルゴは華やかだし、ある意味写真撮りたくなるけどよ、その……一歩踏み出すのに勇気が必要だろ?」
「そうかな……難しいね……」
九十九の好みに合わせていたら、人を選ぶ料理になってしまう。たとえムジルシでコオロギせんべいが売られる時代になったとしても、まだまだ珍味はカジュアルに食べるものにはなっていない……カフェで出すものではない、と百波は考える。
「よし、スタンダードに行こうぜ。肉料理だ」
「肉か……ローストビーフとかいいんじゃないかな」
「……普通に美味そうな案考えるじゃん、兄ちゃん……」
「バゲットとか付けてもオシャレだよね~」
「めっちゃ普通にいい感じの考えるじゃん!」
九十九はセンス自体はいいのだ。ということを、百波は思い出す。服も料理もセンスはいいが、好みがちょっとズレている。それだけだ。
これなら自分たちもいいカフェメニューができそうだ……と百波は安堵するのだった。
*
カフェの開催まであともう少し。全員のメニュー案がすべて決まったということで、今日はメニューの発表会を開いていた。
「まずは、食事メニューからですね。とりあえず4種類ということで――……」
食事メニューは4種類。蓮&華チーム、九十九&百波チーム、そして弥勒と与流がそれぞれ作る。与流は相変わらず一足先にメニューを考えていたようで、それぞれのメンバーにアドバイスをしてくれていた。
無事、4つの料理は完成した。テーブルには、4つの料理が並んでいる。
弥勒はまず、湯気のあがる器の前に立ってカメラを構えた。
「俺と華はラーメンにしたぜ! 写真映えも意識したラーメンだ!」
「蓮が大量にカフェの写真を撮っていたから、写真映えという部分でそれを参考にしてみたよ」
一つ目は、蓮と華が考えたラーメンだ。二人はラーメン通ということで、ラーメンを作ることにしたらしい。カフェの雰囲気にも馴染むラーメンで、食べやすそうな印象がある。
「いい感じですね。匂い的にトンコツ? でしょうか」
「おう! 豚骨美味いからな!」
弥勒はラーメンを写真に収めて、隣にある料理へ移る。
二つ目は、チキンカレー。与流がかねてより準備していたメニューだ。
「この前、店のインスタでも紹介したメニューだな。トマトの味が決め手だ」
Flow Riderで開設したインスタグラムでは、たまに与流が料理を紹介している。今回は、そこで紹介した料理のひとつを商品化したらしい。メンバーもこの料理は知っていたので、「おお」と納得の表情だ。
「色々メニューを考えたが……そういやコレ、弥勒も美味いって言ってた、と思ってな」
「……なんか与流さんって弥勒を判断基準にしてね?」
「しっ、蓮、それは言っちゃダメだよ」
蓮と華が何か言ってるな……と弥勒は思いつつ、次の料理に移る。
続いては、弥勒が作ったサラダだ。シンプルなサラダを作ったつもりが、与流曰く「シンプルじゃねえ」サラダになってしまったサラダである。
「オーナーのサラダ、オシャレですね。カフェのサラダっぽい」
「ありがとうございます、九十九さん……。散々与流に『おまえの感覚ズレてるぜ』って言われながら作ったのでどうなるかと思いましたが」
「おまえの感覚はズレてるけど、結果オーライじゃねえか。いいサラダになったと思うぜ!」
「……褒められているんでしょうか」
むーっとしながら弥勒がサラダを写真に収める。
最後の料理は、九十九と百波が考案したローストビーフとパンのプレートだ。つややかなローストビーフが食欲をそそる。
「うわーっ、これうまそー! 俺、肉好きだからコレいくらでも食える気がする!」
「蓮くん……夏にバーベキューしたときにもお肉いっぱい食べてたもんね」
九十九がニコニコとしている横で、百波がほっと安堵の息をついている。
「無事こうして普通に美味しいメニューができてよかった……」
「百波? どうした?」
「あ、いや、こっちの話っす」
百波がしみじみとため息をつくので、事情を知らないメンバーが首をかしげた。九十九も一緒に首をかしげる。百波はそんな九十九を見て、ハハハ……と苦笑いを浮かべた。
「さて、メインの食事メニューはこれでオッケーですね! ラーメンにチキンカレー、サラダにローストビーフ……個性豊かな料理でいい感じです。あと最後に……」
「デザート!」
弥勒は食事メニューをカメラに収めると、綺麗に並ぶデザートの前に立つ。
「こうして見ると可愛い感じだね」
「全員の個性が詰まっているな」
デザートは、6種類の一口スプーンデザートだ。メンバー6人それぞれをイメージした一口サイズのデザートが一度に楽しめるメニューである。
「オーナー、デザートってあとアレもあるんですよね」
「そうですね、限定メニューもあります」
「こうして考えると、いっぱいメニューあるな! ドリンクも一新されたし!」
「ドリンクね、テイクアウトのときとはまた別のものにしようってなったから、ちょっと大変だったかも……追加でヴィリディティウイングの3人のも作っちゃったし!」
食事メニューにデザート、ドリンク――本格的なカフェのメニューが出来上がってきた。こうしてメニューをテーブルに並べると、気分が高まってくる。それぞれが作った料理を試食しながら、6人はカフェの開催に思いをはせるのだった。
カフェの始まりまで――あともう少しだ。
その日の仕事も終わり、スタッフルームに戻った百波は、なんとなくスマートフォンを触っていた。インスタグラムを開き、タイムラインを眺めてみる。
「あ、蓮さん、新作のフラペチーノ飲んでんじゃん。いいな~」
「えっ、蓮?」
「うわっ、びっくりした……」
ふとタイムラインに蓮の投稿が流れてきたので何の気なしに声に出すと、いつの間にか華が横に立っていた。百波はギョッとしながらも、華に画面を見せてやる。
「大学芋のやつだ。いいね、芋! 秋っぽい」
「美味そうっすよね。おれも気が向いたら買ってみよう……ん、華さん、どうかしましたか?」
ちら、と百波が横目で華の顔を伺うと、華は神妙な面持ちをしていた。顔立ちが整っているこの人が真顔になると、ちょっと怖いな……と百波が思っていると、華がぼそっと呟く。
「これ、誰だと思う?」
「え?」
「いや、この写真、フラペチーノが2つ並んでるじゃん。誰のだと思う?」
「? 友達とか、彼j」
「彼女⁉⁉⁉」
「ひえっ」
クワッと華が掴みかかるような勢いで声をあげたので、百波は思わず飛び退く。
「お、俺、な、ななな何も聞いていないけど⁉ れっ……蓮にかのっ……かの、カノジョ⁉」
「お、落ち着いてくださいよ、華さん……別に確定したわけじゃ……っていうか蓮さんに彼女くらいいてもいいじゃないっすか」
「俺何も聞いていないけど?」
「……、」
〝圧〟に思わず百波は口を閉ざす。蓮過激派怖い……と百波が引いていると、少し離れたところで二人を見ていた与流がからからと笑った。
「おまえ、蓮のことになるとホントおかしくなるよな。ちょっとくらい蓮離れしたほうがいいんじゃねえの?」
おれもそう思う、と百波が頷いたところで、にゅっと百波と華の間に九十九が入ってくる。
「あ、それオーナーじゃない? 昨日、オーナーが蓮くんに『スタァバックス連れてけ』みたいなこと言ってたよ」
「あ、なんだ、弥勒くんか……」
どうやら、このフラペチーノ2ショットのお相手は弥勒のようである。ほっとした表情を浮かべる華を見て、百波は(何に安心してるんだろう……)と冷ややかな視線を送った。とりあえず、華はこれで落ち着いてくれるだろうと百波が安心したところで、――カン、と大きな音が響く。与流が持っていた缶コーヒーを机に勢いよく置いた音である。
「弥勒が蓮と……スタバ?」
「ど、どうしたんすか与流さん!」
――今度はこっちか!
いやな予感に、百波は苦笑いするしかない。
「この前はチーズティで、その前はタピオカ……そして今日はフラペチーノ……あいつの舌は浮気性なのか?」
「なんすか舌が浮気性って。初めて聞きましたよ」
「そんなに舌のフットワークが軽いと、俺が作る飯もどうでもよくなってそうだな……今だって、俺の飯なんて忘れてフラペチーノのことで頭いっぱいなんだろ……」
「いや舌のフットワークって何。……ほら、フラペチーノとかタピオカって流行り物ですし……与流さんの料理は別枠だと思いますよ、オーナーは」
百波は一人で落ち込みだした与流を見て、(与流さんこそオーナー離れできてないじゃないっすか!)と思ったが、それは口に出さないでおいた。
「それにしてもこの大学芋のフラペチーノ美味しそうだね。いいな~僕も飲みたい」
様子のおかしい華と与流をスルーして、九十九がにこにこと笑っている。変な人たちに囲まれていると、兄である九十九がオアシスのように思えて、百波は安堵の息をついてしまった。
「行ってくればいいじゃん、スタバ」
「え~、なんか行きづらいなあ……男一人でフラペチーノ……」
「しょうがねえな、おれが一緒に行ってやるよ、兄ちゃん」
「え、ほんと? ありがと~!」
九十九は上機嫌で、自分のスマートフォンでフラペチーノを検索する。お目当ての大学芋のフラペチーノを見つけると、画面を見せつけながら「楽しみだね、百波!」と百波に笑いかけてきた。
九十九が楽しそうだったので、百波も自分たちの周りで怪しげな空気を醸し出している華と与流のことはどうでもよくなって、「ああ、そうだな!」と九十九に向き直る。
友人の行動に挙動不審になっている華と与流、そしてのほほんとフラペチーノを楽しみにしている橘兄弟。仕事終わりのスタッフルームは混沌を極めているのだった。
*
「よし、終わった……」
ギイ、と大きく背もたれに寄りかかって、翠が背伸びをする。パソコンの画面には、弥勒からのメールが映っていた。Flow Riderの新衣装のデザイン案に対するメッセージだ。無事OKが出たので、翠と翼の仕事も一区切りついたのである。
「お疲れさま~!」
二人の自宅に来ていたリオンが、労いの声をかける。翼が「お~……」と力なく返事をすると、翠がガタッと立ち上がった。
「仕事が終わったら腹減ったな。軽く食べるもの作るか」
「ん? 翠、料理するの?」
「ああ。リオンの分もついでに作ろうか。簡単なものだけど。パスタとか?」
「え? いいの! お願い~!」
翠はぐるぐると肩を回しながら、キッチンに向かう。そんな翠を見て、翼が「おい」と声をあげた。
「翠、おまえ、料理は……」
「なんだよ?」
「腹減ったなら外に食いに行こうぜ。おまえキッチンに立たないほうが――」
「何わけわかんねえこと言ってんだよ。外食ばっかりもよくねえだろ。しょうがねえな、おまえの分も作ってやるよ」
「え、いや……そういうことじゃなく、」
翠はイライラとした表情を浮かべながら、構わずキッチンに行ってしまった。翼は翠の背中を苦々しい表情で見送り、ため息をつく。
様子を見ていたリオンが「翠、料理が下手なの?」とこっそりと翼に訊いた。
「いや……下手っていうか……危ねえっていうか……」
「危ない?」
「なんつーか……ほら、天才ってちょっと頭がトんでんだろ? そういう感じ……」
「?」
リオンは翼の言っていることがわからず、首をかしげる。
翼はしばらくジッと椅子に座っていたが、やはり翠のことが気になったようで、キッチンへ向かっていった。面白そう、とリオンも翼の後ろについてゆく。
「――あー! やっぱり! 翠、鍋から目を離すなって言ってんだろ!」
「……あ?」
二人がキッチンに向かうと、翠は椅子に座ってタブレットをいじっていた。そしてその後ろで――鍋が吹きこぼれを起こしている。ジョアーッ‼ と勢いよく音を上げているのを見て、リオンは思わず「うはっ……」と笑い声をあげてしまった。翼が声を上げたことで翠も気付いたようで、「やばっ!」と慌てて立ち上がる。
「ありゃ~、思いっきり吹きこぼれてる……翠、なんで鍋から目を離しちゃうの?」
「そいつ、料理の最中だろうが何かをやっている最中だろうが、アイデアが浮かんだら描きとめとかなきゃ気が済まねえんだよ。どんな作業よりもアイデア優先。危なっかしいったらありゃしない」
「……はあ、なるほど?」
リオンは翠がいじっていたタブレットをのぞき込む。そこには、何かのデザインのようなものが描かれていた。察するに、麺が茹であがるのを待っているときに、頭に浮かんだデザインをタブレットにメモしていたら、夢中になってしまい……うっかり吹きこぼれを起こしてしまったということだろう。しかも、夢中になりすぎて吹きこぼれに気付かないでいた、と。
……これは、彼が一人暮らしをしたらどうなっていたのか。そんなことを考えてリオンは肝を冷やす。
「ちょっ……どんだけ吹きこぼれしてんだよ! パスタで失敗するやつ見たことねえわ!」
「う、うるさいな……」
「だ~から翠はキッチンに立つなって言ってんだよ! IHじゃなかったらいつか火事起こしてるわおまえ!」
「そ……そんなことねえよ……」
「ある! 絶対ある! おまえ、生活能力ほんと皆無!」
翼がちゃっちゃと茹でられていたパスタの麺を湯切りして、手際よく皿に盛り付ける。スマートにパスタが出来上がってゆく様子を、端のほうに追いやられた翠が居心地悪そうに眺めていた。吹きこぼれを起こした手前、さすがに翼に文句を言えないようだ。リオンに見られていることもあってか、恥ずかしそうに頬を染めている。
「……と、とにかくパスタは無事にできたからいいだろ」
「8割オレ様が作ったわ! ていうか翠、いつも家事を最初の2割だけ手を付けて放り出すのやめろって!」
「3割はやってるし……」
「そういう問題じゃねえんだな~」
むすっと拗ねている翠を見て、(めずらしい……)とリオンは笑う。これだけ仲の悪い二人が一緒に住んでいることを不思議に思っていたが、もしかしたらこういう事情があるのだろうか。これは聞かないでおこう……と、リオンは口をつぐむ。
「まあ、とりあえず飯できたから食うか! お疲れ様会ってやつ!」
「……酒もあるよ、あ、リオンはジュースで……」
「うん、ありがとう! 美味しそ~!」
気まずそうにぼそぼそと話している翠は見ていて面白いが、あまりいじるのもよくないだろう。そんなことを思いながら、リオンは運ばれてきた料理に目を輝かせる。
「じゃあ、フロライの衣装製作お疲れ様~! かんぱーい!」
リオンの嬉しそうな声に、翠もようやく元気を取り戻したようだ。翼はやれやれとため息をつきながらも、飲み物を手に取る。
――カン、と缶とグラスがぶつかる音で、3人のお疲れ様会が始まったのだった。
*
秋のカフェの開催も迫った頃、Flow Riderに客が訪れた。ヴィリディティウイングの3人である。完成した新衣装を持ってきてくれたようだ。
「おお……データでは見せてもらっていましたが……現物はやっぱりすごいですね」
弥勒が衣装を手に感嘆していると、ほかのメンバーも集まってくる。新しい衣装にハイテンションになっている面々を見て、翠も翼も満足げな表情を浮かべた。
「これを着て新展開やってくんだな! ワクワクしてきた!」
「蓮さん、やっぱり似合いますね。蓮さんは周囲の人たちの魅力を引き出す力があるから……服も、蓮さんが着るとよりかっこよく見えます」
「ん? なんだそれ。翠の言ってることはよくわかんねえけど、俺の周りには魅力がある人がいっぱいだからな。この服も、デザインがかっこいいから誰が着てもかっこいいんだよ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいですけどね」
ふ、と翠が苦笑する。翠の言葉をよく理解していない蓮は、「どう?」と自分の体に衣装を合わせながら、華に笑いかけていた。
騒いでいる面々を横目に、弥勒が3人に話しかける。
「そういえば3人は……歌、できてます?」
「あ、歌! いい感じだよ~! ほとんどできてる!」
「なるほどなるほど」
リオンはスッとスマートフォンを差し出して、ひとつの曲を再生した。弥勒は「かっこいいですね」と感心していたが、それを聴いていた他のメンバーは驚いたような表情を浮かべる。
「え、何、リオンたち歌を歌うの?」
スマートフォンから流れてくる仮曲を聴きながら、5人は「すげ~」と声をあげている。そうすればリオンが得意げに、
「リオンがボーカル、翠がトラック、翼がDJ! 3人で作ってるんだ~! かっこいいでしょ!」
と言った。
「3人とも、俺たちよりアイドルみたい」
「いや、俺たちはそもそもアイドルじゃないよ、蓮……。カフェ店員」
けらけらと笑っている蓮に、華がぼそっと突っ込む。
「3人ともかっこいいよね~。歌う、なんて僕はなかなか想像できないけど……楽しそう」
「兄ちゃんも歌ってみればいいじゃん。結構いい線いくかもしんねえし」
「ま、俺たちは風変わりのカフェをやるってだけで、アイドルじゃねえしな。こういう華やかな部分は3人に任せようぜ」
あはは、と談笑しているFlow Riderのメンバーを尻目に、弥勒とヴィリディティウイングの3人が目を合わせる。
「――何言ってるんですか」
「へ?」
ふう、とため息をついた弥勒の言葉に、一同の頭上に「?」が浮かんだ。何か、突っ込まれる要素があるようなことを言っただろうか――とそれぞれ思案してみたが、心当たりがない。
困惑する5人を見て、弥勒がにこっと笑う。
「僕たちも歌いますよ」
「……」
シン……とスタッフルームに静寂が訪れる。そして――一斉に、5人は声をあげるのだった。
「えーッ⁉⁉⁉」
たまに、一人で秋葉原駅に来ると思い出す。
雨の日に、彼と出会ったときのこと。自分は雨に打たれるだけの存在だと思っていたあのころの僕は、太陽のように笑う彼を見て、それはそれは衝撃を受けたものだ。王様でもなくて、スターでもなくて、ただの一般人の彼があんなにも輝く姿を見て、驚いた。
きっと、僕のような人は少なくないのだろう。自分は宝石でもなんでもない石ころだと思っていて、輝きとはほど遠い人間だと思っている人が、この世界にはたくさんいる。けれど、誰でも輝けるのだと、彼の笑顔が教えてくれたのだ。
「――……」
長いようで短く目まぐるしい今日までの日々は、一日一日が星屑のように輝いている。プロジェクトを始めたあの日から今日まで、実にあっという間だった。
ようやく、この日が来た。
改札を抜けて、駅を出ようとする。そのとき、ポン、と後ろから肩を叩かれた。振り向けば、そこには彼――蓮が立っている。
「おはよ、弥勒!」
「……おはようございます。ずいぶんと早いんですね」
「だって、今日がいよいよ! だろ? つい早く来ちゃったぜ! それにしても駅で会うなんて偶然だな! 一緒に行こうぜ!」
つい今まで、きみのことを考えていた――とは流石に言えない。ずっと練ってきたプロジェクト――コラボカフェの初日の今日、彼と出会ったこの街で、また彼に会うとは……偶然というか、なんというか。たしかあのときも、彼と一緒に店まで歩いて行ったんだった。
あの日を、懐かしく思う。あのころの僕は、夢にも思わないのだろう。僕が、僕自身を信じる日が来るなんて。
「そうですね、行きますか」
あのころ見上げていた太陽は、今、自分の胸の中に。僕も、彼らも。
*
―10月9日―
「ちゃーんと3人分チケットとったからね! カフェ楽しみー!」
スマートフォンの画面を見ながら、きゃっきゃっとリオンがはしゃぐ。しかし、リオンの声が聞こえているのかいないのか、翠と翼はパソコンに向かって目を血走らせていた。
「……2人とも、大丈夫? あんまり根詰めると、体壊れちゃうよ?」
2人のあまりの様子に、リオンは苦笑いをする。
「お気遣いありがとう! でもこのままだと仕事終わらないんだ!」
「明日のカフェのために予定詰めたからな!」
翠と翼はたまった仕事をこなしているようだった。Flow Riderのコラボカフェの開催に合わせてスケジュールを調整したために、このような状態になっているのである。
学業に仕事に……二人はずいぶんと忙しい生活をしている。無理はしないでほしいと思いつつも、頑張りたいという彼らの気持ちもわかっているので、リオンも止めることはできない。
「そうだ、BGMとしてフロライのみんなの曲流してあげる! さっき、弥勒くんにトラックのデータもらったんだ~♪」
少しでも肩の力を抜いてもらおうと、リオンはBGMをかけることにした。Flow Riderのメンバーの楽曲である。
突如として歌うことになったFlow Riderのメンバーだったが、どうやらメロディまで完成したらしい。もらいたてのそのデータを、リオンはわくわくとしながら再生する。
「……うお、この曲かっけえじゃん! めっちゃいかす!」
「翼、気持ちはわかるけど手を止めるな!」
「おっと、ついつい……」
「いい感じの曲だな。BGMとしてもぴったりだ」
リオンも二人と一緒に曲に聴き入る。彼ららしさを感じるメロディーを聴いていると、彼らの笑顔を思い出して思わず笑みがこぼれた。
突如として関わることになったFlow Riderのコラボカフェ。リオンにとっても翠と翼にとっても、明日からが楽しみで仕方ない。
「新しい衣装もみんな似合っていたなあ~。明日、いっぱい一緒に写真とろ~っと! 二人とも! お仕事頑張って!」
ひいひいと手を動かしている二人に、リオンは声援を送る。コーヒーでもいれてあげるか、と席を立って、ふと、いつまでもこんな日々が続けばいいなあと思うのだった。
*
「やばいやばいやばいやばいやばい」
「どうしたんスか蓮さん、念仏唱えて」
「違う違う違う、なんで明日雨なんだよって思って」
スマートフォンを見つめながらうなだれている蓮に、百波が心配そうに声をかける。スマートフォンの画面には、天気予報が。見てみると「10月10日曇り時々雨」の文字。
10月10日といえば、これまで準備してきたコラボカフェの開催日である。ここのところ不安定な天気で、予報では運悪く10月10日も雨雲の下のようだ。たしかに記念すべきその日の天気が優れないのは残念だが……そこまで落ち込むことだろうか、と百波は疑問に思う。
「……百波、ワックス何使ってる?」
しかし、蓮の口から発せられたのは、斜め上の言葉だった。
「えっ、何? ワックス?」
「俺! 雨になると髪型キマんないんだよ! ほらコレ! 百波はいつもどおりサラサラでうらやましい!」
「あ、ああ~……なるほど?」
どうやら蓮は、大切な日に髪型がキマらないことを嘆いているようだ。壁にかけてある鏡を見て、顔をしかめている。髪を撫でたり抑えたりして「湿気が……」と呟いているが、百波から見るとそこまで変な髪型には思えない。
「せっかくの俺たちのコラボカフェなのに『やだ~あの店員、髪型ダサあそばせてるわ』なんて言われたくねえよ~」
「大丈夫大丈夫、言うほど変わんないスって」
「はあ~? ココのハネ具合がいつもと3度違うだろ!」
「おれ、そこまで蓮さんの髪型に関心ないんでわかんないっス」
「もっと俺の髪型に興味持てよ!」
百波はまあまあと蓮をなだめる。そんな二人の背後では、顔を青くしている九十九がいた。
「あああ……どうしよう、衣装のボタンがとれちゃった……不幸すぎる……」
「九十九さん相変わらずの不幸体質ですか? 最近は鳴りを潜めていたのに……」
九十九は一番下のボタンが外れた衣装を見つめながら、どんよりとしている。コラボカフェの前日にこれでは縁起が悪いと思っているのだろう。ため息をつく九十九を励ますように笑いかけているのは、華だ。
「シャツは開けているから、ボタン取れてもわからないですよ。大丈夫大丈夫。あとでボタン付け直しましょう」
「でもこの調子なら……明日……当日になって、お客様の前で服がはじけ飛んだり……」
「……え、服がはじけ……? フッフフッ、……あ、いや笑ってませんよ、まあ、そのときはそのときで……俺が脱いでシャツを貸してあげますから」
「華くんが脱いじゃうの⁉」
「俺は裸体晒すのに抵抗ありませんから。俺の体は黄金比ですからn」
「それはセクハラだよ!」
「だめかな?」と食い下がる華に、九十九は思わず笑ってしまう。不幸体質は相変わらずだが、華をはじめとした仲間がいれば大丈夫なような気がしてきた。いつもの調子の華を見ていたら、そんな風に思えてきてしまう。
「――きみたち、あまり浮かれすぎないように。明日からとうとうコラボカフェが始まりますけど、今日も仕事はありますからね」
スタッフルームに、弥勒と与流が入ってくる。弥勒は雑談をしているメンバーを見て、呆れたような表情を浮かべた。4人は「やば」という顔をして、ぱたぱたとスタッフルームを出て行く。
「まったく……明日が思いやられますね」
弥勒はため息をついて、とすっと椅子に座った。与流は机に体重をかけるようにして、弥勒の隣に立つ。
「そんなこと言って、おまえも明日が楽しみなんだろ」
「……それとこれとは別。浮かれて仕事がきちんとできないようでは困ります」
「はは、相変わらず真面目なヤツだな」
与流は弥勒のつむじを見下ろして笑う。
「ここまで、結構長かっただろ」
「……とは言っても、プロジェクトのメンバーそろってから……半年くらいじゃないですか?」
「いやいや。おまえが生まれてから今日までってことだよ。今日までずいぶんと苦労してきただろ」
「……それを言ったら、与流もそうでしょう」
与流に言われて、弥勒は自分の半生を振り返る。
たしかに、長かった。ここまでたどり着くのに重ねた苦労は数知れず。まだまだ続く人生の通過点に過ぎない明日という日だが、ここまでが長い長い旅路のように思えてきた。
けれど、それは自分だけではない。Flow Riderのメンバーそれぞれが、自分の旅を超えて今日までたどり着いている。
「というか、終わりみたいに言いますけど、まだまだ続くんですよ」
「……それは、たしかに」
がりがりと頭をかいている与流を見上げて、弥勒が目を細める。
「まあ、終わりではないですけど。明日からのカフェが、特別な日になってくれればいいなって思います。僕らにも、お客様にもね」
*
―10月10日―
これまた偶然――というのだろうか。
秋葉原駅でばったりと出会った蓮と弥勒は、二人でFlow Riderまで歩いてきた。店舗にたどり着くと、ほかのメンバーもほぼ同着でたどり着いたようだ。鍵を持っている弥勒が一足先に来るようにシフトを組んでいるので、6人全員がこの時間にここに着くのは偶然に偶然が重なったと言える状況である。
「みんな早く来ちゃったんですか。ずいぶんとせっかちですね」
そわそわとした様子で笑うメンバーに、弥勒は苦笑を返す。
みんなが抱えている気持ちは、緊張? ワクワク? 期待? なんだろう。すべてが混ざっているのかもしれないが、このような感情を抱く日は毎日のようには訪れない。きっと、今日という日はみんなにとってかけがえのない日になるのだろう。
扉を開けて、みんなで店に入っていく。そして、いつものようにスタッフルームへ言って、衣装を着て、それぞれ準備を始める。
グッズの在庫をチェックしながら、弥勒は考える。どのようなお客様が来るだろうか。今回のコラボカフェを楽しみにしてくれていた人、興味を持ってくれている人。色んな人がいるだろう。そんなお客様たちに、自分たちは何を届けられるのだろうか。
「弥勒ー! こっち終わったぜ!」
「……はい、僕も終わったのでそっちに行きます」
蓮に呼ばれて弥勒がホールへ行けば、メンバーがみんなそろっていた。それぞれ、準備を終えたらしい。
「いや~、ワクワクしてきたな! やっと始まるぜ、俺たちのコラボカフェ!」
「今日まで忙しかったけど、なんだか楽しみになってきたね。俺と蓮のラーメンいっぱい食べてもらえるといいな~」
「はあ……ドキドキしてきた。でも、少し楽しくなってきたかも」
「おれがいれば成功間違いなしだぜ! な、兄ちゃん!」
「ま、何かあったら俺がなんとかすっから、おまえらは楽しんでればいいんじゃねえか」
「……いつもどおりですね、みんな」
ここにいるみんなは、普通に生活してきた普通の人たち。けれども、こんなにも眩しい。
彼らを見て、弥勒は確信する。僕らは、輝きをお客様に届けてゆくのだと。僕ら一人ひとりが、太陽だ。
「おっと、そろそろ開店時間ですね。みんな、持ち場についてください」
とある場所に、風変わりなカフェがある。店員一人ひとりの個性が詰まったカフェだという。
扉を開けると、眩しい笑顔の彼らが迎えてくれる。
「――いらっしゃいませ!」
そのカフェの名は――
Flow//Rider 第2部 了
蓮がアルバイトから帰ってくると、ポストに見慣れぬ封筒が入っていた。たまに利用しているファッションブランドからのようだ。いつものDMはハガキで来るので、なぜ封筒なのだろうと蓮は首をかしげる。
帰宅して、さっそく封筒を開けてみる。中には、一枚の紙と2枚のチケットが。
「おめでとうございます。厳正なる抽選の結果……」
ああ、そういえば、少し前に懸賞に応募したんだ――と蓮は思い出す。その系列の店舗で何かを5,000円以上購入すると1ポイントもらえて、3ポイント集めると懸賞に応募できる……といったもの。全く期待していなかったが、どうやら何か当たったらしい。
しかし、蓮は喜ぶよりも先に困ってしまった。蓮は封筒に入っていたチケットを見て、眉をひそめる。
「え、……いや、俺にこれをどうしろと……」
*
「俺と一緒に水族館に行ってくれ!」
翌日、蓮はFlow Riderに着くなり華に声をかける。そうすれば、華は唖然とした顔で蓮を見つめた。「え、急に何……」と反応に困っているようである。
蓮が懸賞で当たったのは、水族館のチケットだったのだ。蓮にとって、水族館というとデートで行くものというイメージがあったが、残念ながら蓮は現在、相手がいない。そのため、仕方なく華を誘ったのだが――華は全く乗り気でないようである。
「いいじゃん水族館! 行こうぜ!」
「え~俺、水族館あんまり好きじゃないんだよね~」
「まじかよ」
思い返せば、華は中学の修学旅行で水族館に行ったときには、あくびを連発していたような気がする。興味がないところに連れて行っても華を退屈させるだけなので、蓮は彼を誘うのは諦めた。
「じゃあ、弥勒! 俺と水族館!」
華がダメなら――ということで、視界に入った弥勒に声をかけてみる。弥勒はパソコンのキーボードを打つ手を止めて、やれやれといった様子で振り返った。
「ていうか、なんで誘うあてもないのに懸賞に応募したんですか?」
「水族館のチケットをねらったんじゃねえよ、C賞のりんごカード5,000円分をねらったんだ。B賞の水族館が当たったけど」
「なるほど。まあ……僕はきみと水族館に行くのは構わないんですけど、時間がないんですよね。最近ちょっと忙しくて」
「え~……そっかあ」
弥勒にも断られてしまった。新しい企画に普段の業務、弥勒が忙しくしていることは蓮も知っていたので、無理には誘えない。蓮はガクッと肩を落としたが、気を取り直して与流に突撃する。
「与流さんっ!」
「わり、俺、魚はさばく対象にしか見えねえんだ」
「もうちょっとマシな断り方ありますよね⁉」
与流に至っては、「おまえと二人で水族館はごめんだ」という思惑をひしひしと感じる。その気持ちもわからないこともないので、蓮もそれ以上彼に詰め寄ることはなかった。
「あ~、九十九さんがいればなあ……九十九さんは優しいから一緒に来てくれそうなのに……」
Flow Riderのメンバーは、一緒に水族館に来てくれそうにもない。唯一誘いに応じてくれそうな九十九は、今日は休みだ。いっそのこと、2枚まとめて誰かにあげてしまおうか……と蓮が考えていると、コンコンとノック音が響き、扉が開く。
「ちーっす。おはようございます」
スタッフルームに入ってきたのは、百波だった。蓮はじっと百波を見つめ、はあ、とため息をつく。
百波は絶対に誘いにのらない。「なんで野郎二人で水族館行かなきゃなんスか」って絶対に言う。そんなことを思いつつも、蓮はダメ元で百波に声をかけてみる。
「百波、今度、俺と水族館行かない?」
ぺら、とチケットを見せながら、蓮は百波に苦笑いを向けた。百波はポカンと間抜けな表情を浮かべ、チケットを見つめている。当然の反応だろう。出勤した瞬間に、何の前触れもなく男のバイト仲間から水族館に誘われたのだから。
「蓮サン、どうしたんスか、これ」
「懸賞で当たっちゃった。みんな、一緒に行ってくれないんだよ」
「へえ。じゃあ、おれ行きますよ」
「だよなあ……ってマジ⁉」
マジ⁉――という反応を、華も弥勒も与流もしていた。百波はその性格から断るだろうと、蓮以外も思っていたからだ。しかし、当の百波は何食わぬ顔で、蓮からチケットを受け取る。
「百波、水族館好きなのか?」
「いや……」
もしかしたら魚が好きなのだろうか。そんなことを思って、蓮は尋ねてみる。そうすると、百波は困ったように笑うのだった。
「おれ、ほとんど水族館に行ったことがなくて」
*
家族の話、が少し苦手だったりする。
おれの家族は、4人家族だった。しかし、母は早くに亡くなり、父は単身赴任で働いていたので、兄と一緒に過ごすことがほとんどだった。昔はそんな事情に納得がいかず、父に反抗したり、兄を邪険にしたりと思春期を爆発させていたが、19歳になった今はそれが橘家という家族なのだと納得している。
ただ、両親とおれたち子どもが――普通の家庭のように、一家団欒とした記憶がほとんどないのが、ちょっとしたコンプレックスだった。
家族みんなでどこかに行くということもなく、周囲の話についていけないことが度々あった。おれが初めて水族館に行ったのは小学校の校外学習のときだったが、周りの友人たちはみんな家族と行ったことがあるらしく、その話を聞いては落ち込んだ。
水族館だけじゃない。遊園地や博物館など、娯楽施設全般に行った経験が、ほかの人たちと比べておれは少ない。きっと、みんなはそれらの場所に何回も行ったことがあるのだろう。だから、みんなにとっては特別な場所でもなんでもないのかもしれない。けれどおれはそうじゃないから、小さな子どものように「行きたい」と思ってしまう。
経験が少ないことを周囲に知られるのが恥ずかしくて、おれは家族の話を避けてしまう。誰も悪くないというのに、ひとり、いやな気持ちを抱えてしまうのだ。
*
蓮と百波が水族館に行くことになったのは、土曜日だった。奇跡的に、二人とも土曜日が休みだったのである。
土曜日の水族館は家族連れが多く、賑わっていた。今回行くことになった水族館は、都内のイルミネーションを活用した幻想的な美しさが魅力の水族館。水族館といえば明るい水槽の中をカラフルな魚が泳いでいる……といったイメージしか持っていなかった百波は、ただただ驚くばかりだ。
「すげえな、最近の水族館ってオシャレ~」
蓮は大量の写真を撮りながら、何度も「すげ~」と呟いている。相変わらず彼は写真を撮るのが好きなようだ。百波はそんな蓮を横目で見つめる。
「蓮サンは、こういう場所に慣れてると思った」
「慣れ? いやあ、慣れたりはしないよ」
「でも、水族館、家族と来たこととかありませんか」
蓮はちらっと、百波の視線の先を辿る。百波は少し離れたところにいる、親子連れを眺めていた。蓮はなんとなく、百波の考えていることを察する。
「おれ、家族と水族館行ったことないんスよ。だから、周りの人たちがうらやましいな~と思いつつ、行ったことのない自分が恥ずかしいって思っていたんです。おれくらいの歳なら、水族館なんて、もうみんな慣れた場所でしょって思うんスけど……蓮サンは慣れていないんスね?」
百波は目の前の水槽を見つめて、ぼんやりと呟いた。光の中を、カクレクマノミが泳いでいる。どこかで高い声の子どもが「すごーい!」とはしゃいでいるのが、百波の鼓膜をくすぐった。
「そりゃあ、おまえと来るのは初めてだからな。慣れてるわけねえだろ」
「……?」
カシャ、と音がなる。蓮のスマートフォンのカメラがシャッターをきった音だ。突然、顔の写真を撮られた百波は、ぎょっとした表情を浮かべる。
「この写真だって、おまえが一緒にいなければ撮れない写真だし」
「そりゃそうでしょ」
「そうだよ。百波と一緒に水族館に来なければ、この写真は撮れないんだ。俺、たしかに家族と水族館に来たことは何回かあったけれど、だから水族館に慣れているなんてことないよ。思い出って場所も大事だけど、誰と一緒にいるかっていうのが大事なわけだし。何回水族館に来た経験があったって、百波と来たのが初めてなら、それが百波との初めての水族館の思い出になるんだ」
「……、」
百波が水槽に視線を戻し、軽く頬をかく。
「……そっか」
家族の思い出がないというわけではない。家族全員が揃ったことは少ないのだが、それぞれ大切に思い合っていた優しい家族だと思う。家族で水族館に行ったことはないが、ただ「水族館に行かなかった」それだけである。卑下することでもなんでもない。
誰と一緒にいるのかが大事――それなら、百波の家族の思い出は、十分に満たされているのだ。ほかの家族と比べては、自分の家族を「満たない」ものだと思ってしまっていたが、そんなことはない。
「百波はお父さんもお母さんも九十九さんも、大事なんだろ。いい家族じゃん。恥じることなんて一切ないよ。家族の思い出は家族の思い出、水族館の思い出は水族館の思い出だ。水族館の思い出は、俺と作ろうぜ! ま、これから、俺以外の人と行くこともあるだろうけどな!」
「……そうっスね」
百波は笑う。
今まで、ばかなことを考えていたようだ。つまらないことをコンプレックスに感じてしまっていた。水族館に行ったことが少ないのなら、これから行けばいいだけのこと。今日だって、こうして蓮が一緒に来てくれているのだから、思う存分楽しまなければ損というものだ。
「おれ、実はイルカショーを見たことがないんスよ。だから、見てみたいッス」
「お、いいな! って、ショーもうちょっとで始まんじゃん! 急いでいかないと!」
「マジすか!」
パンフレットを広げながら、蓮が慌てたように声をあげる。早歩きで動き出した蓮の後ろを、百波は慌ててついて行くのだった。
*
「おかえり、百波」
蓮と百波が解散したのは夜だった。百波が帰宅するころにはすっかり夜も更けていて、仕事から帰ってきていた九十九も寝る支度をしているころだった。
「蓮くんと水族館に行ったんだよね。どうだった? あの水族館、有名っぽいけど、やっぱりすごいの?」
「ああ、すごかったぜ! イルカショーがやばくて、……それから、魚もめっちゃ綺麗で、……」
「ふふ、よかったね、百波。ごはんは食べてきた?」
「ああ、寿司食ってきた!」
「す、水族館のあとにお寿司を……」
偶然なのかあえてなのかの夕食のチョイスには突っ込まず、九十九は苦笑いだけを浮かべる。しかし、百波が満足げな表情をしているので、九十九はそれを嬉しく思った。
「そうだ、今度みんなで遊園地行こうって話もしたぜ。兄ちゃん、絶叫とか好きだっけ?」
「絶叫……あんまり乗ったことないからわからないけど、興味はあるよ。三半規管がちょっと不安だけど……」
「たしかに兄ちゃん、乗り物酔いしそうだな……」
「でも、いいね、遊園地!」
「だろ? ほかにも、温泉とかキャンプとか、色々行こうって話をしたんだ」
百波がいつになく楽しそうに笑っている。そういえば、遊園地も温泉もキャンプも、百波と九十九にとっては経験が少ない場所。もしもみんなで行けたら、それは楽しい思い出ができるだろう――そう思って、九十九も笑う。
「イメージ戦略?」
ある日弥勒が言い出した「イメージ戦略」という言葉に、一同は首をかしげる。聞いたことがあるようなないような……そんな言葉だ。
「はい、弥勒さん! イメージ戦略ってなんですか!」
「マーケティング用語みたいなやつです。っていうか、一星くんって経済学部ですよね」
「残念! マーケティングの話は俺の分野ではないです!」
「別に残念ではないですけど……。そんなに難しいことではないですよ。みんなに『アレといえばコレ』みたいな共通のイメージを持ってもらえるようにすることです。冬の寒い日には温かい鍋が美味しいね、みたいに。そうすれば冬には鍋が売れるようになるでしょう。そんな感じで、売りたいものには、わかりやすいイメージがあったほうが色々やりやすいんですよ」
なるほどね、と蓮が頷く。そういうことを言われると鍋が食べたくなってきた……と今日の夕食のことを考え始め、アレ、なんの話だったっけ? と混乱してしまった。
「きみたちにはすでにイメージカラーがありますが、それぞれの個性をもっとはっきりさせておくといいかなって。まあ、わざとらしく性格を作ることはないので、お互いがどんな人となりなのかをわかっておくといいと思いまして」
「なるほど、わかったぜ。弥勒のイメージが『意外と素直でカワイイやつ』みたいにはっきりさせておくってことだr――」
「一星くん」
「あ、はい、すいやせん」
キッとにらまれて蓮は黙り込む。そんな蓮の隣に座っていた華が「俺は非の打ち所がないイケメンってイメージかなあ」とぼやいていたが、誰も反応しなかった。
「よし、兄ちゃんのイメージを決めようぜ! うん? 決めるっていうのもなんか変か? とにかく兄ちゃんと言えば……」
「僕? 僕といえば……陰気で頼りなくてひょろひょろのエノキダケ……」
「何でェ⁉」
百波の言葉に被せるようにして、九十九がどんよりとした発言をする。あんまりなことを言い出すので、一同はずっこけてしまいそうになった。
「いや、九十九さん、陰気どころか……イメージカラーも爽やかな空色だし……」
「服装もオシャレだし、イケてると思いますよ!」
華と蓮がフォローに入るが、九十九は「う~ん」とぼやいて納得のいかない様子だった。たまにマイナス思考に陥ってしまうのは相変わらずのようである。
「全然イケてないよ、僕は……。僕、男なのに頼られた記憶があんまりないんだよね。与流さんみたいな頼れる男になりたいなあ」
「……俺?」
九十九にチラッと見つめられ、与流は予想外といった反応をする。そんな風に思われていたとは考えてもいなかったようだ。
しかし、九十九の言葉には、ほかのメンバーもなんとなく共感しているらしい。与流のようになりたい、というのは理解できるようだ。
「与流さんみたいな……? 与流さんのイメージといえば……」
では、与流の「頼れる男」感はどこから来るのか。百波が首をかしげると、それに反応して華が「体格がいい」、蓮が「言動が男前」、そして弥勒が「メシ」と応えた。百波と九十九が「なるほどな~」と納得するが、与流は困っている様子だ。
「なんか弥勒のだけおかしかったぞ……。いや、俺にそういうイメージ持ってもらえるのはありがてぇけど……」
「わかった、僕も与流さんを目指せばいいのか」
「なんだって?」
ガタッと九十九が立ち上がる。与流がポカン……としていると、九十九は宣言するのだった。
「体格がよくて、言動が男前で、料理が上手い男、目指します!」
*
5人は一斉に首をかしげる。
似合……似合う、のか?
ちらちらと視線だけでお互いを見つめ合う。誰が先に言葉を発するかを譲り合っている状況だった。
「どう? たくましく見えるかな」
ひらり、と九十九が体を揺らす。
まず九十九が挑戦したのは、「体格がいい」男になること。とはいっても、身長は変えられるものではないし、筋肉は一朝一夕でつくものでもないので、手っ取り早く印象を変えられるように服装を変えてみたらしい。
ターゲットになったのは、百波の服装である。身長は特別高くはないが、しっかりした見た目に見える百波。そんな彼のアウターを強奪して、身につけてみたのだ。
「与流さん! どうでしょうか!」
「あっ、やっぱり俺に振るのか……あー……そうだな、……今までの系統とは180度違うっつうか……不思議な感じはするな」
「体格よく見えますか?」
「いや、体格は特に変わんねえな」
「ええっ、そんな……」
ガーン、と九十九はショックを受けた様子である。
似合わないわけではないが、百波のような雰囲気かというとそうではない。九十九の体型に百波の服が馴染んでいるだけである。その姿が、九十九と百波を見慣れたFlow Riderのメンバーの目に、不思議に映ってしまうのも仕方のないことだ。
「やっぱり、筋トレが必要ですかね……? リングフィット? ビリー隊長?」
「いや、九十九はそのままでいいんじゃねえか……」
「ええっ」
「言うほどひょろひょろしてねえから、そう気にすんなって。リングフィットはともかく、入隊はしなくていいと思うぜ!」
「でも、与流さんみたいにバキバキになりたい……!」
「俺バキバキか……?」
九十九にバキバキになられると反応に困る……。そう思ったのは与流だけではない。
悔しそうに歯がみする九十九に、与流は苦笑いを浮かべるしかなかった。
*
「やっぱり、料理が上手い男は『デキる』感あるよね!」
――すでに失敗の予感しかしない!
厨房にやってきた一同は、木べらを握りしめる九十九を見て黙り込む。
九十九は料理が下手というわけではないらしい。レシピを知っていればそのとおりに作るし、それなりに手際がよい。が、味覚がちょっと、いやかなり変わっているので、1から料理を作ろうとするとすごいことになるという(百波談)。
「この前与流さんが作っていた、しいたけのピラフを作るね。丁度材料もあるし」
「おお……ちゃんとレシピがあるものを作るんだな兄ちゃん……じゃあ大丈夫か」
「でもレシピ覚えてないから、なんとなくでやるよ!」
「あ、アカン」
いやな予感がしながら、一同が九十九を見守る。
まず、しいたけとベーコンをカット。そして、バターでそれらを炒める。――ここまでは、イイ感じである。量こそはレシピと異なるが、特に問題はなさそうだ。香ばしい匂いが漂ってきて、見守っていたメンバーの頭の中に、「もしや成功するのでは?」という予感が浮かんできた。
「次にお米を調味料と一緒に炒める……んだよね」
「そうだ九十九、その調子だ!」
成功の兆しが見えて高揚した与流が、ガッツポーズをしながら九十九を応援する。九十九はそんな与流の反応が嬉しかったのだろう、にこっと笑って次の工程に移る。
「えーと……お米と、……調味料? 調味料なんだったかな……あ、ここに……いちごシロップを入れたら美味しいのでは?」
「なんでだ!」
あってはならない言葉が聞こえてきた。思わず与流は突っ込んでしまう。
バターとしいたけとベーコンと米といちごシロップのマリアージュは絶対に破談する。「ヤバイ」予感を即座に感じ取った与流は、ガッと九十九の手を掴んでいちごシロップの投入を阻止した。
「コンソメだ……そして、みりんと醤油、黒こしょう……」
「あっ、そうでしたっけ。ありがとうございます、与流さん!」
あはは、と笑いながら、九十九は指定された調味料をいれていく。そこからの手腕はなかなかのもので、さくさくとピラフは完成した。レシピさえわかっていれば、成功するのだ。わかっていれば。わかっていなかった場合に、悪魔合体が出来上がるだけである。
「うん……美味い」
「よかった~!」
与流が味見をしてみると、おいしいピラフが出来上がっていた。ほかの4人も、ピラフの出来には納得のようだ。
「僕の料理の腕、大したものでしょ」
「……ああ、そうだな」
「? 与流さん、なんで目を逸らすんですか? みんなも!」
得意げに九十九が笑う。彼は嬉しそうなので、誰も水をさせない。しかしいちごシロップのインパクトはそれぞれの胸にしっかりと刻まれたのだった。
*
最後に残ったのが、「言動が男前」という特徴。抽象的なもののせいか、九十九自身も何をすればよいのか迷ったようだが、「普段の与流のまねをする」ことで落ち着いたようだ。うんうんと今までの与流の言動を振り返って、何をしようか迷っている。
「俺、そんなに特徴的なことやってないよな?」
「いや、与流はわりとわかりやすいですよ」
自分のまねをしようとしている九十九を見て、与流がなんとも言えない表情を浮かべている。弥勒はそんな与流に苦笑いしていたが、突如モシャッと誰かに頭を掴まれて、ぎょっとしたように目を見開いた。
「え、えっと……九十九さん?」
「与流さんと言えば……こう、オーナーに甘いイメージが……」
弥勒の頭を掴んだのは、九十九のようだ。弥勒が驚いていると、九十九はその手で弥勒の頭をもじゃりと撫で始める。
「ヨシヨシ! オーナー!……じゃない、弥勒!」
「……それ、与流のまね……ですか」
「そうです」
「与流こんなことしませんって!」
「いや、してますよ」
「しーてーなーいー!」
もじゃもじゃと弥勒の頭をなで回す九十九は、どうやら与流のまねをしているらしい。ふふん、と誇らしげな表情も、与流のイメージなのだろうか。
弥勒は反応に困っているのか顔を紅くして、頭を撫で繰り回されながらジッと与流を睨む。変なイメージ持たれているぞ、と与流に怒っているようだ。しかし与流ははやしたてるだけで、九十九を止めようとしない。
「九十九、もっと手首はスナップをきかせろ」
「はい、与流さん!」
「頭を撫でるのにスナップをきかせろってどういうことですか! それより、与流は! そこの男子諸君を犬可愛がりしてますよ、いつも!」
犬可愛がりってなんだ? と誰かが突っ込む前に、九十九の視線は弥勒に指をさされた蓮と百波に向かう。九十九は「なるほど……」と呟いて、すすっと二人のもとへ向かっていった。
九十九は百波と蓮の間に立つと、ガッと二人と肩を組む。与流といえば、さりげなくも豪快なスキンシップ! というイメージなのだろう。しかし、どことなく3人から漂う雰囲気は、与流から放たれるものとは異なっていた。
「どう? 与流さんっぽいかな?」
「いいと思いますよ!」
「兄ちゃんが楽しければそれでいいと思うぜ!」
「?」
九十九と肩を組む機会はほとんどないので、百波と蓮は驚いたらしい。驚きつつ、珍しい機会を嬉しく思ったのか、にこにこと微笑んでいる。
「なんか、ほのぼの空間が出来上がったけど……」
「華くんも混ざってきたらどうですか」
「いや、俺は眺めているだけで大丈夫」
ふふ、と楽しそうに肩を組んでいる3人の周囲には、ふわふわとのんびりとした空気が漂っている。与流のイメージとは異なるが、これはこれでよいのかもしれない。
「どうですか、与流さん! 僕、与流さんみたいに頼りがいのある男っぽくなれましたか?」
体格がよく、料理が上手で、言動が男前……が与流のイメージらしい。それをまねした九十九は果たして与流のようになれたのかというと――むしろ、九十九らしさが爆発して終わった。
「――九十九」
「はい、与流さん!」
「……おまえはおまえのままでいいんじゃねえかな……」
「?」
百波も蓮も華も弥勒も、慈愛の目をしながらうんうんとうなずいていた。九十九は頭上にハテナを浮かべて首をかしげる。
自分の魅力は、自分ではなかなか気づけないものなのである。
ある日、華は弥勒と二人でレンタルビデオ店に来ていた。たまたま二人で休みがかぶったので飲みに行くことになっていたのだが、華が借りたいBlu-rayがあるということで先にレンタルビデオ店に行くことにしたのである。
「あ、これこれ。俺の探しているBlu-rayはあったけど……弥勒くんも何か借りてく?」
「う~ん、そうですね……」
「そういえば弥勒くん、いくつか見逃してる特撮あるって言ってなかったっけ? ここで借りちゃえば?」
「なるほど、それはいいですね」
華は探していた映画のBlu-rayを早々に見つけたようだが、華の提案で二人は特撮コーナーに向かう。
特撮コーナーはそう広くはなかったが、昔の作品から最新の作品までしっかりとそろっていた。弥勒はずらっと並ぶ特撮のDVDを見ながら、「おお……」と感嘆の声をあげている。わかりづらいが目を輝かせている彼を見て、華が微笑む。
「あ、これ……人気シリーズだよね。俺でも名前聞いたことある!」
「どれです……か……」
「? 弥勒くん?」
華がふと目についたタイトルを手に取ると、弥勒がカチンと固まってしまった。珍しい反応である。どうしたのだろうと華は首をかしげた。
「それは、いいです」
「なんで?」
華がそのDVDのパッケージを見せると、弥勒はふいっと華に背を向けてしまった。
そのタイトルは、特撮では珍しくシリーズものとなっている作品だ。人気作で、特撮に詳しくない人でも名前くらいは聞いたことがある作品である。なぜ弥勒がこのタイトルを避けるのか、華はわからなかったが……パッケージに移っている俳優の顔を見て、「あれ?」と声をあげた。
どこかで見たことのある顔だ。たぶん、人気俳優だったと思う。この作品が出世作で、今はさまざまなドラマや映画の主演をしているほどの人物だ。名前はなんだっただろう、とキャスト一覧を見て、華は思わず息を呑む。
何度か聞いたことのある名前ではある。今まで、その名前を聞いても何も思わなかった。「へえ、最近はこの人が人気なんだな」くらいしか思わなかった。が、弥勒の反応と、この俳優の名前……というより苗字を見て――華は「もしや」と思ってしまう。
「……弥勒くん、もしかしてこの陸 刹那って……弥勒くんの親戚だったり……」
「……」
――陸 刹那。その名前を言った瞬間、弥勒が振り向いて、あからさまに不機嫌そうに顔をしかめる。
「……親戚っていうか。なんというか。僕と同じ親から生まれて、僕よりも長く生きている人です。それだけ」
「……お兄さん?」
「戸籍上はね」
あ、と華は察する。これはあまり突っ込んで聞かない方がよい、と。
弥勒には、血の繋がっていない父と兄がいるというのを聞いていた。そちらの家族とはあまり上手くいかず、あまり楽しい子ども時代を過ごしていないということも。だが、弥勒の家族はもう一人いたようだ。血の繋がった、実の兄だ。しかも俳優ときた。今まで、一切弥勒の口からその存在が出てくることがなかった彼が、弥勒にどう思われているのかは――なんとなくわかってしまう。
「……弥勒くんのお兄さん、俳優だったんだね。そっか~、意外意外」
この話はあまりしないほうがよいのだろう。そう悟った華は、あたりさわりのないことを言ってDVDを棚にしまう。そして、手に持っていた映画のBlu-rayを借りる手続きをするために、レジに向かおうとした。
しかし、華が歩き出しても、弥勒は動く素振りをみせない。
「……? どうしたの? このあたりに、借りたいDVDでもあった?」
「……ああ、えっと」
「……」
弥勒は妙にそわそわとして、落ち着きがない。視線だけでちらちらと棚を見るばかりで、言葉を発しようとしなかった。
――ああ、なるほど。
華はふっと笑って、「あ、そうだ」と声をあげる。
「弥勒くん、飲みのあと、鑑賞会しようよ。そうだな、俺も名前だけ知っていて見たことのない……この作品とか。気になっていたんだよね」
「~~っ、ああ、はい、まあ、いいんじゃないですか」
華は再び、弥勒の兄が出演している特撮作品のタイトルを手に取る。
弥勒が兄を苦手としているのは、嘘でもなければ素直になれないというわけでもないだろう。しかし、それでも彼が弥勒の家族ということに変わりはなく、そして弥勒も彼の一切を拒絶しているというわけでもなさそうだ。彼が出演している作品を見られるなら見たいが、見る勇気がでない――そんなところだろう。
「べつに、僕はただ、話の内容が気になるだけであって……出ている人はどうでもいいっていうか。今の機会を逃したら、わざわざ借りに行くこともなくなるだろうし、丁度いいから借りておこうって思っただけっていうか……あの、変な勘違いをしないでいただきたいというか」
「うん、わかっているよ」
弥勒は面白くなさそうな顔をしながら、華の後ろを着いてきた。華はそんな彼に気付かれないように苦笑する。
*
レンタルビデオ店を出たあとは予定通り居酒屋に行ったのだが、華は予定以上に飲んで酔ってしまった。弥勒が酒豪なのは知っていたが、思った以上に彼は飲む。飲み放題なのをいいことに、とにかく飲む。レンタルビデオ店でちょっと嫌なことがあったせいもあるのか、ひたすら飲んでいた。
そんな弥勒を前にすると、お酒がそれほど得意ではない華もつられて飲んでしまったのだ。ケロッとしている弥勒に連れられて、華はよろよろとしながら彼のマンションに来ていた。
「えーと、華くんは水ですか? お茶ですか?」
「お茶がいいです」
「あったかいの? 冷たいの?」
「あったかいの……」
「じゃあポットで用意してあげます」
華は少し酔っていたのもあって、早々にソファで休ませてもらう。一人暮らしとは思えないような立派なソファとそれなりに大きなテレビ。俺もこんなに大きなテレビとソファが欲しい……と華はぼんやりと思う。
弥勒はキッチンからお茶が入ったティーポットとマグカップを持ってきて、それを華の前に置いてくれた。香りからすると、ほうじ茶だろうか。今、すごく飲みたい気分のやつだ……と華が体を起こせば、デンとでかでかとした焼酎のボトルが視界に入った。弥勒はさも当然のように自分のコップに焼酎を注いでいる。
「ま、まだ飲むの?」
「酒がないと見られないですよ、あんなの」
「ああ、なるほどね……」
弥勒はレンタルビデオ店の袋から例のDVDを取り出すと、それをプレイヤーにセットした。コップの数倍のサイズもある焼酎のボトルを眺め、華は(大丈夫かな……)と内心思ってしまう。
「――……」
その特撮作品は、人気作ということもあり見応えのあるストーリーだった。華も思わず見入ってしまったが、それでも隣に座る弥勒のことが気になって仕方ない。
弥勒は、自分で用意した酒にひとくちも口を付けず、黙って映像を観ていた。いつもなら、弥勒は、特撮を観ているときは子どものように純粋な表情を浮かべている。しかし、今の弥勒はそうではない。ただまっすぐに兄を観て、黙っているのだった。
なんだか隣で観ている華まで緊張してしまって、DVDが終わったときには思わず「ふ~」と大きく息をついてしまう。
「面白かったね~。流石人気のシリーズ!」
どことなく重々しい空気を打破するように華が口を切ると、弥勒は無言のまま焼酎をコップに注いでぐいっとそれを飲み干した。
「そうですね……やっぱり、話がとてもよかったです。少し大人向けの内容なんですかね、これは。最後まで観ないとわからないのかな」
「そうだね、ネットでも結構そういう感じに言われていたな~」
「でも俳優がナイですね、そう、あの主演のヤツ」
「おっと」
トクトクトクトク……と再び聞こえてきて、華は口元を引きつらせる。まだ飲むのかこいつは。華が唖然としていれば、弥勒はまるで水のごとく焼酎を飲んで、はあ、と苛立たしげにため息をつく。
「なんなんですかあの演技は、あれで人気俳優とか笑わせますね、脇役の方が演技上手かったですよまったく、顔? 顔がいいとか言われてますけど、僕はそうは思いません、僕のほうがマシじゃないですか? 大体、ポーズにキレがないんですよ、特撮はポーズが命ですよ、そのあたりわかってるんですかねコイツ、なんでコイツが人気なのか全然わからない、僕と世間の趣味が本当に合わない、ああ、むかつくなあもう!」
「ほ、ほあ~」
弥勒の口からは、いちゃもんレベルの批評がなみなみあふれ出る。そんな風には思わなかったけれどなあ……と華は思ったが、口を挟まないほうがよいだろう。うんうんとうなずきながら、華は弥勒にお酌をするしかない。
弥勒といえば、人を悪くは言わないたちだったような気がする。たまに華をからかうことはあるが、あんなもの猫パンチのごとく。可愛いものである。しかし、今、彼が恐ろしい勢いで口にしている言葉はあからさまに陸 刹那という男を否定するものだ。弥勒もこんな風に人を言うことがあるのか……と華は変に感心してしまった。
「もう、ほんと……むかつく……」
どのくらいお酒を飲んだだろうか、さすがに酔ってきたのか、弥勒の顔が若干紅い。これだけ飲んでも「若干」レベルなのが怖いところだが。
やがて、弥勒はずるずると倒れ込むようにして、華の膝に頭を乗せる。華は「なぜ俺が男に膝枕しなければいけないんだ」と言いたかったが、黙っておいた。
「……あいつがちゃんと俳優やってるの……ほんとむかつくんですよ……」
「……」
いじけた子どものように、弥勒は言う。
華は苦笑して、「お茶飲む?」と尋ねるのだった。
池袋の西口公園の噴水前。ぼんやりと噴水の縁に腰掛けて、リオンは空を仰いでいた。
久々のオフなので、リオンは翠と翼の二人とブラブラとどこかへ遊びに行こうと約束をしていたのだ。待ち合わせの時間より少し早めに来てしまったため、こうして二人を待っている。
彼らとプライベートで遊ぶ機会も増えてきた。近々、3人でスノーボードをしに行こうという約束もしている。ずいぶんと打ち解けてきたなあ、とリオンは思う。少し前の自分は、こんな状況を想像できなかっただろう。
「――お姉さん、今時間ある?」
「えっ?」
ふいに声をかけられて、リオンは顔をあげる。一瞬、二人が来たのかと期待したが、残念ながら違っていた。そこには、見知らぬ男性が立っている。ああ、ナンパか、とリオンはため息をつく。
――いや、ここに一人でいる人なんて十中八九誰かと待ち合わせをしているんだから、暇なわけないでしょ? ……と言いたくなるのをこらえて、リオンは「時間ないで~す♪」と返事をした。しかし彼は食い下がる。「少しだけ!」「カラオケ1時間だけでも!」としつこい。(なんなのこの人、リオンの正拳突きで吹っ飛びそうなひょろひょろのくせに……)と、そんなことを考えて思わず拳を握ると、「ちょっと」と新たな登場人物が現れた。
「その子、俺の友人なので」
「げっ、ツレがいたのかよ」
リオンは「あ」と声を発する。翠と翼だ。
さすがに男性の知り合いがいるとなると、これ以上ナンパを続ける気が起きなかったのだろう。ナンパをしてきた男はそそくさとその場を離れて行ってしまった。リオンはほっとして笑う。正拳突き食らわせてもよかったかもなあ……とほんのり残念な気持ちでもあるが。
「悪ィ! 遅くなった!」
「ううん! 時間ぴったり!」
「それにしても、リオンは苦労するなあ。やっぱり、ああいうのよく寄ってくるんだろ?」
「あ~、うん、まあ仕方ないよね! それほどリオンがカワイイってこと!」
慣れているのは事実である。何度もナンパされているので、いつもナンパされて1分後にはそのことを忘れている。翠も翼もリオンに同情しているが、そう心配されるようなことでもない。
とはいえ、二人と一緒にいるときにこのようなことが続くと、二人に迷惑をかけてしまうだろう。う~ん、とリオンは考える。今度のスノーボードは目一杯楽しみたいし、ナンパは絶対にされたくないなあ……と頭を悩ませるのだった。
*
すっかり冬も深くなり、スキー場にも雪が積もったようだ。スノーボードを楽しみにしていた翠と翼は、しっかりと準備を整えて待ち合わせの駅に向かう。どうやらリオンはスノーボードが初めてらしく、「すっごく楽しみ~♡」としきりに言っていた。リオンも存分に楽しんでくれればいいなあ、なんてことを考えていると、「お待たせ~♪」といつもの明るい声が聞こえてくる。
「おう、リオン! おはよ――……」
「……? あれっ、今、リオンの声がしたような気が……?」
声がしたほうへ顔を向けた二人だったが、そこにはリオンの姿がない。
気のせいだろうか? いや、確実にリオンの声がした。
二人はきょろきょろとあたりを見渡すが、やはりリオンはいない。二人のもとへ向かってきて歩いているのは、リオンではなく一人の青年だ。
「おはよう、二人とも!」
「……?」
翠と翼に声をかけてきたのは、見知らぬその青年。髪が長く凜々しい顔つきをした、どこかの芸能人かと見紛うような容姿をした男性だ。
思わず、翠と翼は顔を合わせる。たしかにこの青年からリオンの声がした。よくよく見てみれば、彼はリオンと同じくらいの身長をしている。目元もリオンと似ており……
――もしや。
「――ええっ⁉」
「まさか、リオン⁉」
「あったり~! びっくりした?」
その彼は、なんとリオンだった。いつものような化粧はしておらず、華やかな服ではなくどちらかと言えば硬派な服を着ている。以前、うっかりリオンを女性と間違えてしまった二人だが、今の格好のリオンを女性と間違えることはまずないだろう。
「あれっ、イメチェン⁉」
「ええ……なんかすげえイケメンだ……」
翠も翼も、ついついリオンの服装に言及してしまう。そうすればリオンは困ったように笑った。
「う~ん、いつもの格好だとナンパがうるさそうだから! 今日限定で硬派男子になってみました!」
見た目はいつもとは180度違うが、話し方はいつもどおりだ。突然の硬派男子の登場に戸惑っていた二人は、なんとなくほっとしてしまう。
「それにしてもリオンは、どんな格好も似合うな」
「! ほんと? この格好はなんだか……歯がゆいというか、リオン的にはあまり好きじゃないんだけど……翠がそう言ってくれるなら、アリかも!」
「あぁっ⁉ なんで翠だけ? 俺もイイと思ってるぜ、リオン! めっちゃイかしてると思う!」
「翼もありがと~! ちょっと自信でてきたかも!」
リオンはニコニコと笑う。笑顔もいつも通りだ。
「さあっ、さっそく行こう! 電車も来たよ!」
見た目は変わってもリオンはリオン。明るく笑うリオンに手を引かれるようにして、翠と翼は電車に乗り込んだ。
*
「お兄さんたち、3人で来てるんですか? よければ一緒にスノボしませんか♪」
「……」
無事スキー場についた3人だったが、思わぬアクシデントに見舞われた。
翠と翼は自前の、そしてリオンはレンタルのスノーボードを持って、いざ! とゲレンデに向かおうとしたところで、女性3人組に声をかけられた。いわゆる、逆ナンというものである。男性のナンパ対策はしてきたが、女性のナンパ対策はしてこなかった。まったく想定していなかった出来事に、3人は戸惑ってしまったのだ。
「男のナンパを避けるためにこの格好できたら、今度は女の子にナンパされちゃった……」
「いいじゃん! 女の子と一緒にスノボ!」
「おいデレデレすんなよ翼……俺はやだよ……」
3人がこそこそと相談していると、女性3人組は「?」と不思議そうな顔をして首をかしげる。ナンパ慣れしているリオンも、女の子相手のナンパの断り方はよくわからない。無下にしづらいので、むしろ男性にナンパされたときよりも断る難易度が上がってしまったような気さえする。
「仕方ない、この手を使うしか……」
こほん、とリオンは咳払いをして、女性たちに向き直る。そして、すっとスマートフォンの画面を彼女たちに見せつけた。
「実は嫉妬深い彼女がいて……せっかくのお誘いだけど、一緒にスノボはできないんだ。ごめんね」
女性たちはスマートフォンの画面を見て、「え~っ、彼女カワイイ~!」「彼女大切にしてね!」と騒いだかと思うと、「ごめんね~3人で楽しんで!」と言って去って行ってしまった。
「よかった、あっさり諦めてくれた」
「ていうか彼女? リオンの?」
翠と翼はスマートフォンの画面に何が映っているのかが気になってしまう。リオンはふふんと笑って画面を二人に見せてくれた。
「うお、すげぇ美人! マジでリオンの彼女だったり……ってリオンやないかい!」
ばし、とつい突っ込みを入れてしまった翼に、リオンはへへっと笑いかける。
スマートフォンの画面に映っていたのは、いつもの化粧をしたリオンだった。どうやらリオンはいつもの自分のことを「彼女」と呼んで、女性たちに断りをいれたようである。
「じゃあ、今のリオンを写真で撮っておいて、男にナンパされたときに『彼氏いま~す!』ってやったらどうだ?」
「むむ……それはいいアイデアかも! リオンくらいイケてる彼氏いたらみんな諦めるよね!」
「写真合成していつものリオンと今のリオン、肩組ませておこうぜ! 合成ならオレ様にまかせな!」
「ええっ、なんかそれキモ~い」
「フォトショを変なことに使うなよ……」
準備も整い、ようやく3人でスノーボードを楽しめそうだ。3人ははしゃぎながらゲレンデに出て行くのだった。
ふわ、とあくびをする青年が一人。そのまま彼は机に突っ伏して、「おやすみなさい……」と呟く。そんな彼の背中を、バシッと叩いたのは華だ。
「蓮、このまま起きないつもりでしょ」
「いいじゃん、次の講義、どうせレジュメの内容そのまま話しているだけだし……」
「それは否定しないけど……」
とある日の大学構内。次の講義の準備を終えて、蓮は惰眠をむさぼろうとしていた。華はそんな蓮を呆れた顔で見下ろす。
「――お、巴志葉兄弟」
ちら、と顔をあげた蓮の視界に入ったのは、翠と翼だ。次の講義は全学年共通の講義なので、こうして違う学年でも同じ部屋で受けることになる。彼らは蓮と華のもとにやってきて、そのまま隣に座った。
華は、でろんと机に突っ伏して溶けている蓮を放置して、二人に話しかける。
「そういえば二人は、この間スノボに行ったの?」
「はい、インスタ見たんですか?」
「そうそう。二人と……あと、俺の知らない……二人の友達? が映っている写真」
華はスマートフォンを取り出して、アプリをたちあげる。蓮は彼らの会話に出てくる投稿をまだ見ていなかったので、華の肩に顎を乗せるようにして、華のスマートフォンをのぞき込んだ。
スマートフォンには、翠と翼、そして髪の長い青年が映っていた。3人はスノーボードを片手に楽しそうに笑っている。
「おい、華~、それ……リオンじゃね?」
「……えっ」
華が「俺の知らない」と言った青年。それを見た蓮は、ぼそっと呟く。華もだが、翠も翼も驚いたような顔をして蓮を見つめた。
「蓮さん、リオンってわかるんですか⁉ 俺たちですら、すぐにはわからなかったのに……」
華は「たしかによくよく見るとリオンちゃんかも……?」とは言っているが、あまり納得できないでいるらしい。それくらいに、リオンの変わり様はすごかったのだ。
「見た目が変わったくらいで、俺はその人がわからなくなったりしねえって」
おお~! と目を輝かせる翠と翼をよそに、ずいっと華が蓮に詰め寄る。
「じゃあ……ある日突然、俺が猫になっても、俺が俺ってわかる?」
「なんで猫……?」
「俺は猫のように可愛いでしょ?」
「まあ猫のほうが可愛いと思うけど、おまえのことは世界がひっくり返っても絶対に間違えないと思うぜ!」
「いや猫より俺のほうが可愛いって」
「あ、そこ気にする?」
あ~二人の世界に入ってしまった……と翠と翼は苦笑いする。
翠と翼は、改めて3人で撮った写真を見た。写真に写るリオンは本当に楽しそうに笑っている。言われて見れば――この笑顔は、リオンの笑顔だ。姿が変わっていても、リオンだとわかってしまう……いつものような、キラキラとした笑顔。蓮はこの笑顔を見て判断したのだろう。
「次はキャンプに行こうぜ!」
「キャンプもいいけど、フェスにも行きたい」
また、リオンを誘ってどこかに行ってみよう。そんなことを二人は思うのだった。
昨年の春頃から始まったFlow Riderのプロジェクトも、少しずつ成長していた。慌ただしくなってゆく日々は、忙しいような、楽しいような、愛おしい時間に思える。
今日も蓮は仕事を終えて、スタッフルームでくつろいでいた。仕事が終わったあとはどうしても疲れてしまうので、すぐに帰宅の準備をするというわけでもなく、こうしてぼんやりしていることも多い。
「一星くん」
椅子に座ってスマートフォンをいじっていた蓮の肩に、のし、と何かがのしかかってきた。振り向かなくとも、声の主が誰なのかはわかる。オーナーというわりには距離が近いうえに蓮よりも年下の彼は、ときたまよくわからない行動を取るのだ。
「この日、空いていますか?」
ばさ、と机にシフト表が置かれた。声の主――弥勒は、シフト表の蓮の休日の部分をとんとんと指で叩いて尋ねてくる。
「おー? 空いてるけど? デートのお誘い?」
「察しがいいですね」
彼はたまに、食事に誘ってくる。B級グルメが好きらしく、ハンバーガー屋とか洒落たフードコートとか、色々な場所に引っ張られた。今回もまた、新しい店を見つけたのだろうか……と蓮は悠長に構えていたが。
「へえ~、どこいくの?」
「大阪」
「O-saka?」
「大阪」
*
「――大阪⁉⁉⁉」
蓮が連れてこられたのは、大阪――西日本の巨大な都市。あれよこれよと蓮は弥勒に引きずられて、いつの間にか大阪に来ていた。
「な、なんで⁉ WHY?????」
「出張手当は出るのでご心配なく!」
「あ、なに、これ仕事?」
難波駅から少し歩き、東京とはまた違う賑やかな街を突っ切ってゆく。弥勒は慣れた様子でズンズンと先を行くので、蓮は着いていくだけで必死だった。
「前も一度、〝彼ら〟には会っていますよね。Flow Riderの大阪店の人たち」
「!」
Flow Riderの大阪店。一度だけ、蓮も行ったことのある店だ。そこで働く彼らは秋葉原のメンバーとはまた違う、濃いメンバーだらけ。また彼らに会えるのか、と思うと、蓮は期待に胸を膨らませる。
「でも……なんで今日、俺が一緒に行くことになったんだ?」
「面白そうだから」
「それだけ⁉」
「それ以外に理由があるとでも?」
「あ、はい。弥勒さんそういうところあるよね」
弥勒はフッと笑う。彼の思いつきに振り回されるのは初めてではないが、「面白そう」――というのは、同感だった。
*
「いらっしゃいませお客様! この俺!
「……」
大阪店の扉を開けた瞬間現れたのは、妙にギラギラとしたオーラを発する青年だった。あまりの勢いに、蓮はもちろん、弥勒ですらもポカンとしてしまう。
「むっ……? よく見たら秋葉原の二人では⁉ 何の用だ⁉」
「――ウサギ! またウサギはオーナーに対してその態度~! アカン言うとるやろ!」
「アリスッ……! そんなに勢いよく走ってきたら俺にぶつか……ヌワ―ッ!」
二人が固まっていると、店の奥からまたひとり現れた。丗兎をドシンッと押しのけるようにして現れた彼は、弥勒よりも背の低い小柄の青年だ。
「オーナー! お疲れ様です! ウサギが失礼しました!」
「
小柄の青年―――夙川 アリスは苦笑いを浮かべて弥勒に挨拶をした。遠くに吹っ飛ばされた丗兎のことは放置したまま、きゅっと弥勒の手を取る。弥勒の目を見つめ、ニコッとアイドルのような笑顔を浮かべたアリスを見て、横にいた蓮は(なぜか邪悪なオーラを感じる……)と思ってしまった。
「どうぞ、オーナー! 奥でグリも待ってますよ」
「どうも。あの……楠葉くんは大丈夫なんですか?」
「ウサギは放置しておいても大丈夫です、勝手に蘇ります。ところで……」
アリスは弥勒にニコニコと笑顔を向けていたかと思うと、ちらりと蓮を見上げる。妙に敵意を感じる視線に、蓮は少しばかり驚いた。
「……なんで蓮くんも?」
「面白そうなので連れてきました」
「ふ~ん。ふ~~~~~~ん……」
じろ、じろ、とアリスに見つめられ、蓮は居心地の悪さを感じる。
(な、なんだ……俺の顔に何かついているかな……)
思わず蓮は後ずさる。その瞬間、ガバッと誰かに肩を抱かれたので、思わず蓮は声をあげてしまった。肩を組んできたのは、いつの間にか隣に立っていた丗兎だ。
「蓮ッ! 再びまみえたな! 改めて見るとキミは……キラメキがあるな、そう、この! 俺のように!」
「は、はあ……相変わらずだな、丗兎……」
丗兎はハハハッと高笑いをしながら、蓮をガクガクと揺さぶる。彼の独特の語彙には、蓮もたじたじだ。
「キミからは俺と同じ輝きを感じるぞ……だがしかし! この俺! 楠葉 丗兎には及ばない! 俺が一等星ならきみは二等星! すなわち! 俺たちはシリウスとカノープスの関係ということだ! 俺とキミで輝きを競い合おうじゃないか……」
「あ、ああ? よろしくな?」
弥勒が「シリウスもカノープスも一等星ですよ……」とぼそっと呟いたが、丗兎には聞こえていない。
大阪店――相変わらず濃いところだな……。蓮は丗兎に揺さぶられながら、先行する弥勒とアリスについて行くのだった。
*
弥勒と蓮を出迎えたのは、派手な風貌をした大柄な男。歩幅が大きく、歩くたびにチャリチャリと何かの音が鳴り、その目つきは獅子の如く。
「カッカッカッ! 今日も賑やかやなあ! オーナー! まいど、お疲れさん!」
「どうも、グリコくん」
グリコくん――その呼び方に似つかわしくない雰囲気の彼の名は、
「さて、さっそく本題に行こな」
弥勒と蓮は、スタッフルームに通された。秋葉原のFlow Riderとは違い、ごちゃごちゃと色々なものが置いてあるスタッフルームだ。店長であるグリコだけが来るのかと思いきや、アリスと丗兎も一緒に部屋に入ってくる。
「この前、電話でちらっと聞きましたけど、あの件についてご相談があると」
「そや! ウチでも秋葉原ンとこみたいに、コラボドリンクやろう思うてな! カッカッカ!」
――大阪でも、コラボドリンクをやりたいらしい。
二人の話を聞いていた蓮は、「面白そう」と思った。今までは秋葉原のメンバーや、V&Wたちのメニューを作ってきた。どの商品もメンバーの個性に合わせたものだ。もしもこのパンチの強すぎる……個性豊かな大阪のメンバーがコラボドリンクを作ったらどうなるのだろう、そう思ったのだ。
「――どうも、オーナー。それから一星さん。お疲れさんです」
蓮がグリコの話に目を輝かせていると、コト、と弥勒と蓮の前にコーヒーの入ったマグカップが置かれる。
「おや、お疲れ様です」
コーヒーを持ってきてくれたのは、メガネをかけた青年。彼は人数分のコーヒーをテーブルに並べて、ぺこりと弥勒に挨拶をすると、そのまま部屋を出て行こうとした。
「はい、ストップストップ。蒲生くん、いいところに来ましたね」
「……? 俺ですか? オーナーが、俺に何か……?」
蒲生くん――
學はあからさまに嫌そうな顔をしながらも、しぶしぶと部屋の隅のほうで待機してくれた。弥勒はそんな學を見ると満足げに笑って、グリコに尋ねる。
「で、グリコくん。そのコラボドリンクですが……もう、案はできていますか?」
「いや? まだ決まっとらんし、今日はオーナーにOKもらいたくてな!」
「だめですねぇ~それじゃあだめですよ。スピード感を大事にしてもらわなければ」
「はあ? というと?」
弥勒は持ってきていた鞄に手を突っ込むと、中からファイルを取り出す。
「まず、秋葉原のメンバーは、一星 蓮・皐月 華・橘 九十九・橘 百波・神来社 与流、そして僕……陸 弥勒。以上6名」
「?」
「続いて大阪のメンバーは、戎乃橋 グリコ・夙川 アリス・楠葉 丗兎・蒲生 學。以上4名」
バン、と弥勒がテーブルに出したのは、「確定」と書かれたスケジュール表。グリコはそのスケジュールを見てギョッとしたような表情を浮かべたが、やがてこみ上げるような笑みを浮かべ「カッカッカ! そうきたか!」と笑いはじめる。
「今年の春、秋葉原と大阪のFlow Riderでコラボドリンクを発表します――これは決定事項なので、早急にコラボドリンクの制作に入ってくださいね! 大阪のみなさん!」
キャラクターコラボカフェが多数ある現在
[COLLABO CAFE HONPO]がコラボカフェの垣根を超える!
WEB小説をメインに今後ドラマCD企画
自社運営店舗COLLABO CAFE HONPOとのリアル連動企画!
コラボカフェだからできるオリジナルコンテンツをお届けします!
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